エルトゥグルル・コンプレックス

トルコの弁論大会で土日関係のことになると、学生はみなエルトゥグルル号の話をしはじめる。
エルトゥグルル号というのは、1890年9月16日、使節として日本を訪問の帰途、串本の樫野崎沖で台風のため座礁沈没したフリゲート艦である。587人が死亡、わずか69名が助かった。村人は救助に力を尽くし、国中から義捐金が寄せられ、生存者は丁重に軍艦でトルコへ送り届けられた。日土関係史の巻頭に来る出来事で、遭難そのものは悲劇ながら、以後の日土友好を開いた事件として歴史に名をとどめている。
だがこの事件、トルコではよく聞かされるが、日本人はまず知らない。串本の人以外は。日露戦争時、日本海海戦で大破した露艦イルティッシュ号が島根県江津市の和木沖で沈没した。村人は生存者を救助した。串本の人たちのように。このできごとを、土地の人はよく知っているが、ふつうの日本人は知らない。それと同じだ。違うのは、ロシア人も知らないということ。そして死者は、まったく忘れられ、ごくたまに思い出されながら、静かに墓地と海底で眠っている。幽霊が出るとも聞かないし、特に不満はないのだろう。
しかしトルコ人は、エルトゥグルル号沈没事件は日本でも有名だと信じている。むろん誤解ないし思い込みだけども、日本に住む日本人とちがってトルコに住む日本人はこの事件をけっこう知っているし、日本を公式訪問するトルコ人はしばしば串本に行くのだが、串本の人むろんはみんな知っているので、美しい誤解は堅固な裏づけを得ることになる。日土関係となると必ず持ち出される話題で、つまりひと昔前の日本人が、中国で阿倍仲麻呂を、タイで山田長政を持ち出すようなもの、と言えばわかりやすかろうか。
だが実は、ふつうのトルコ人はこの事件のことなど知らない(これに限らず、ふつうのトルコ人は外国のことは恐ろしく知らない)。これは言ってみれば、土日関係に携わるトルコ人の間で必ず唱えなければならない乾杯の文句みたいなもので、その点日本の日土関係者と同じである。まあ、この船のことを知っていようが知っていまいが、ふつうのトルコ人は日本人が大好きだから、あえて登場していただくにもおよばない。だが、座が改まるとそれらしい文句が必要となる。そしてこの遭難事件は、それが口にされるときには大いなる魅力を放つらしい。
日本人があまりこの船のことを知らない理由のひとつには、名前が覚えにくいこともあるに違いない。イルティッシュ号とかディアーナ号くらいならいいが、エルトゥグルル(トルコの発音では「エルトゥールル」)だもの。
しかし、これはトルコでは「神話的」な名前なのである。オスマン王朝の始祖オスマンの父の名で、「雄の鷹」を意味する。トゥグルル(「鷹、隼」)はさらに、セルジュク朝の初代スルタンであるトゥグリル・ベクの名としても、マジャールハンガリー)神話の鳥トゥルルとしても現われ、後者では族長の母の懐妊時の夢に出てきたり、マジャール族の現住地への旅の導きになったりしている。いつも劈頭に現われる鷹=英雄である。
日本人には舌を噛みそうなあの名前も、トルコ人にとっては一種の感銘を伴う象徴的な名前なのだろう。遭難水死は悲劇であるが、それが転じて友好の礎となったという経過も心に訴えるものをもっている(人柱?)。

もうひとつ。トルコのロック歌手バルシュ・マンチョは日本で有名だと信じられている。日本公演をしたという。私のような音楽にうとい者が知らないのは当然だが、ロックにくわしい人、どうですか。知らないと思うなあ。この人の名前「バルシュ」は「平和」という意味である。それならば、これもまた神話的かもしれない。
「神話」はつねに事物の裏に潜んでいる。