インド備忘帳

・あるとき学生たちの写真を見て、彼らはこんなに黒かったかと驚いた。もちろん黒い。黒人の黒さとは違うが、そして黒さにも人により違いがあって、アフリカ人とまがう黒さから南欧人の浅黒さ程度までグラデーションはあるが、われわれよりはもちろんずっと黒い。しかし、赴任当初は肌の色に注意していたかもしれないが、慣れるとそんなものは見ないのだね。性格や感情を見ていて、表層はあまり見ていないということだ。
吉本ばななが、飛行機の中で夢うつつの状態のとき、ある男性に無性に会いたくなったが、それが誰か思い出せない。ハンサムで、涼しい感じで、…と考えていって、やっとそれが死んだ飼い犬だったことに気がついた、と書いていた。魂のレベルまでいけばそうであろう。色のレベルにとどまっている私はいまだしだ。

・教室で黒板に何か書きはじめると、学生たちが蛍光灯のひとつを消す。黒板に反射して字がよく見えないからだ。天井に電灯がなく、前とうしろの壁の上にあるので、反射する。なぜ天井に電灯がない? 天井には扇風機があるからだ。下宿でパソコンを開くときも、反射がじゃまで画面の角度を調整しなければならない。ここにも天井に扇風機がある。ふむ。こんなこと、温帯にいては気づかない。来てみなければわからない。

・ここの人たちはコップに口をつけないで飲む。口の中に流し込むのだ。おそらくけがれがうつるのをきらうカースト制度の習慣から来たのだと思う。高いカーストの者は低いカーストの者が使った器(に限らないが)を使わない。器に触れないで飲めば、その恐れがない。慣れれば非常に合理的だ。のどがかわいたとき、人のペットボトルから一口水を飲ませてもらうことができる。ただ慣れるまでは、シャツにずいぶん水をこぼした。水なら汚れるわけではないけれど、こういう授業料を払う。

・こんなに米を売っているのに、箸で食べられる米がない。米作地帯でないヨーロッパやロシアではジャポニカ米が買えるのに、ここではパサパサした米ばかりだ。水をうんと入れて何とかやわらかく炊こうと努力するけれど、十分ではない。非米作地域で米に困らず、米作地域で米に困るとは。米食の歴史が長く、嗜好が確立しているからだね。食文化は文化の根幹であるわけで。
日本で暮らすインド人も同じことを言っているかもしれないが、彼らは炊く途中で粘りを捨てればパサパサにできるから、われわれのほうがずっと不利である。