日本文化の特徴

日本文化を知るためには、日本料理(洋食の影響を受ける前の日本料理)を知ればよい。料理は文化の粋である。人間が何であるかは、何をどう食べているかによって決まる。
日本文化がそうであるように、日本料理も中国料理の影響を受けている。それは、箸で食べること、醤油で味つけすること、乳を使わず大豆(だいず)をよく使うこと(チーズでなく豆腐(とうふ))などを見れば明らかである。しかし、日本料理と中国料理が全然違うこともまた明白だ。日本文化が、いかに影響を大きくこうむっていようとも、本質的に中国文化とまったく違うように。
仏教の影響で、四つ足をほとんど食べなかった。海産物はよく食べる。魚はもちろんだが、海藻(のり、わかめ、こんぶなど)を好んで食べるのが特徴だ。好むどころではない、海藻がなければ日本料理は作れない。対して、油はあまり使わない。特に動物性の脂はまったく使わない。
だが、これらの物質的な特徴だけでなく、日本料理の「思想」がその独自さを表わしている。
日本料理は、素材の味を生かし、手を加えないのをよしとする(サシミなんか、生魚を切っただけではないか!)という点で独特だ。また、季節感を大切にする。旬(しゅん)というのが大事になる。それはつまり、食材が豊富で、季節ごとに異なるということであり、そのときどきのいちばんおいしいものをそのおいしさのままに享受する、という思想である。シンプルである。だがそれは、思想を伴ったシンプルさだ、と言いたい。さらに、盛りつけが非常に大事であり、器に命をもかけかねない。その盛りつけようは、非対称を旨とする。すべて日本文化の特徴に重ならないものはない。
インド料理はインド料理で、スパイスと乳製品の多用、辛さ、手食、ヴェジタリアンの多さなど、インド文化を映す鏡となっていること、日本料理と同様であろう。


日本文化のエッセンスは、次の三つの歌に尽きるのではないかと思う。

  ひきよせて結べば柴の庵(いおり)なり 解くれば元の野原なりけり
  何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる
  散ればこそいとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき

インドを含め、ユーラシア大陸の主要な文化が「石の文化」であるのに対し、日本は「木の文化」のチャンピオンである。日本の家は「木と紙の家」だと言われる。壁面がない。障子やふすまで部屋を仕切り、それがドアともなる。木と紙だから、人の住んでいる間こそ家だが、住まなくなれば朽ちて土に還る。
石と違い、木の建物は残らない。この点でおもしろいのは伊勢神宮の「遷宮(せんぐう)」の制度である。20年ごとに社殿を建て替えるのだ。制度となったのは690年だそうだから、そのときから数えても、「1300年前の木造建築」が残っていることになる。新しくて(20年未満である)、古い(7世紀の姿そのまま)。変わりつつ、変わらない。ここに日本文化の特質を見るべきだろう。
日本人は地面より高いたたみの上で暮らしているので、家に入るときははきものを脱ぐ。この点で欧米や中国の「土足文化」と異なる。インドや中近東の靴を脱ぐ人々に近い。石の文化であっても。


美しくないものは日本的でない。清らかでないものは日本的でない(もうひとつ、最近では「かわいくないものは日本的でない」)。日本の美しさは、しかし豪奢(ごうしゃ)ではない。はかなさや貧しさの美である。日本人は小さいもの、細かいものを愛好し、何でもできるだけ小さくしようとする。トランジスタラジオのように。盆栽(ぼんさい)のように。
神道というのは、「清らかさの宗教」と言えばよかろうか。「身心を清らかにする」以外の教えはない。教典はなく、道徳を説かず、宗教としてはプリミティブで、「洗練された自然崇拝」に近い。神社には必ず鎮守の森がある。明治神宮のように20世紀になってできた新しい神社でも、造営してまで森を作る。森や山、滝や川などの中に神を見る。自然への畏敬、自然との結びつきが神道の本質であり、それは「太古の保存」の装置となる。太古への回路が開かれているのである。
神社のご神体は鏡とか玉とかで、シンボル、またはフェティッシュとも言いうるものだ。しかもそれは人の入れぬ本殿の奥深くにしまわれ、参拝者の目にとまることはない。仏教はインド由来であるから、偶像(仏像)にあふれている。ヒンドゥー教は言わずもがな。十字架や聖母だらけのキリスト教も、こう言っては彼らは怒るかもしれないが、十分に偶像崇拝的であるのに比べると、偶像を離れきわめてシンボリックだが、イスラム教の清潔さとは異なる。神がいる、神聖なものがあると感じていても、それが何なのかは知らないし、問いもしない。それが日本人の宗教的感受性である。それはプリミティブである。プリミティブで、かつ尊い


芸術には、造形芸術・言語芸術・舞台芸術などがあるが、そのほかに日本では「座の芸術」というものがある。茶道・生け花や、多くの人が会して句を付け合い、みんなでひとつの作品を作り上げる連歌(れんが)などがそれだ。その特徴は、残らないことにある。茶道は要するに茶をいれて飲むパーティだから、会席した者が去れば消えうせる。生けられた花は1週間ほどで捨てねばならない。連歌の場合は、なるほど作品はあとに残るけれども、それが最大の目的ではない。集まった人々が詩想を出し合い興じることが眼目なのである。作品はいわば形見である。
来たり、集い、去る。花が咲き、散っていくように。人が生まれ、死んでいくように。
ことばを換えて言えば、「モノ」に対し、「場」が優越しているのである。それはたとえば、相撲(すもう)などもそうだ。相撲はスポーツではない。芸能であり、神事である。見る人々とともに成立する。そして様式化する。歌舞伎(かぶき)はたしかに舞台芸術だが、観客席の中に役者が進み出ては退き去る花道があり、観客のかけ声が劇の必須の構成要素になっている。観客と共同で作り上げるのである。西洋の芸術が見る人と対象との対立から成っているのとはかなり様相を異にする。


話はかわるが、猿もまた日本文化の重要な一要素である。サルは小麦作地帯・四大文明地域(インダス文明を含め)には生息しない。中南米ブラックアフリカと、ユーラシアの米作地帯にのみ生息する。文明地域で生息するのはインド・南中国・日本のみである。サルのいる地域といない地域では精神性に違いがあるのではないか。サルはあまりにも人間に似ているので、人間の動物性と動物の人間性を反省させてくれる。それを日常眺めている人とそうでない人の間には多少の違いは現われてくるだろう。
日本は、サルの棲む地域としては北限である。日本文化の重要な特徴は、南の最北端であるということだ(一方で、北の最南端という性格もある)。
世界の二大猿文学は、インドの「ラーマーヤナ」(ハヌマーン)と中国の「西遊記」(孫悟空(そんごくう))だ。日本では、芸能は猿のわざであった。猿女・猿丸太夫・猿楽・猿若を見よ。能も猿である。猿楽から成立したのだから。静謐(せいひつ)でストイック、シンボリックで絢爛(けんらん)たる能は、実はアジアの猿たちの意外な嫡流である。


(ある団体に頼まれて能公演のプログラムに書いた文章だが、ほとんど人目にふれることがないだろうので再録する。)