焦作から中国を見る

焦作という町を知っていますか? いったいどれぐらいの日本人がこの町のことを知っているだろうか。私は知らなかった。ここに来ることになるまでは、まったく聞いたこともなかった。
知らなければまずウィキペディアに聞け。時代の行動原則にしたがって、「焦作市」を検索してみた。するとそこには「人口342万人」(2004)という驚きの数字があった。
そりゃあ中国が人口世界一なのは知ってるよ。しかし、こんな田舎町が350万人!? ガイドブックを見たら、鄭州で744万人、洛陽705万人、開封536万人。知名度でそれらにずっと劣る安陽ですら572万人などという無茶な数字が並んでいる。日本第二の都市は今や大阪でなく横浜だが、それが370万、大阪で270万なんだから、驚くなというほうが無理だ。無名の焦作ですら大阪をはるかに超えるなんて。それらに荒肝を抜かれたたあとで見ると、登封(少林寺や嵩山がある)の69万人というのがひどく人間的に感じられるのだが、これだって本来はけっこうな数だ。静岡や岡山並みなんだから。登封なんて辺鄙な感じなのに。
だが、どうやら中国の市は日本の県と考えればいいのだとわかった。ここ河南省の人口は1億人で、面積はカンボジアより少し小さく、東北地方を除いた本州より少し大きい。ひとつの国と言っていい。その河南省は18「市」から成っている。本州の28都府県と同じくらいの面積で、そこに18市があるのだから、1市が日本の県の1.5倍程度なわけだ。鄭州「市」には登封も属す。面積は熊本県よりやや大きく、焦作「市」は徳島県よりやや小さい。なるほど。それなら、人口では鄭州が愛知県、開封兵庫県、焦作が静岡県ぐらいということになる。18市で1億人なら、平均1「市」500万人以上でなければならないから、あの数字も納得である。
事典によれば、焦作市区は60万人(1994)とか83万人(2008)の人口とある。すると今は90万を超えるぐらいだろうか。これなら許容範囲内だが、しかし日本人が誰も知らない町が100万人近くというのはすごい。尺度がまるで違う。
もとは一小鎮だった焦作は、19世紀末葉に採炭が始まってから発展した。良質の無煙炭を出したそうだ。鉱工業都市として拡大を続け、河南省では有数の大学であるらしい河南理工大学も設立された。日本語学科もあり(理工大学なのに)、日本人教師も招聘されていて、こんなところ(失礼)にのこのこやって来る日本人もいるわけである。
中国のような大きな国は、その全体を把握するのはむずかしい。それに、人は結局自分の周囲半径100メートルぐらいしか本当に把握はできない。中国について知ったふうな口はききようがないから、自分の暮らすこの焦作という一地方都市の小さな穴から中国を覗いてみることにしよう。


とにかく道路が広い。車もまだ少ないから、広さがそのままに実感できる。昔はほんの田舎町だったところだから、土地はふんだんにあるのだろう。碁盤目に道の走る造りだ。町を造るとなれば、やはり長安を造るみたいに造るのだな。山がちの土地ではそうもいくまいが、ここではそうだ。
都市では住民は集合住宅に住む。団地は驚くほど背が高い。ああいうところに人間をまとめて住まわせることができれば、道路も郊外も広々とするわけだ。インドでは逆に集合住宅が少ないのに驚いたものだが。
農村と都市が截然と分かれている。農村部に行くとまるっきりの田舎で、どこに13億が住んでいるのかいぶかしく思ってしまう。
野良犬が少ないのも意外である。いても小さい犬が多い。集合住宅暮らしのため、大きい犬は飼えず、室内犬を飼っていて、それが野良犬となるからだろう。昔は中型犬も多くいたに違いないが、彼らはどうなったのか。野犬狩りが組織的に行なわれたのか。野良犬がいなくなった日本のような国になる道を歩んでいるのか。なお、田舎には中型の野良犬がいる。何となく安心する。
町に乞食が少ない。乞食がいなかった共産主義時代より増えたのだろうが、まだ踏みとどまっている、と評すべきか。
公衆便所で金を取らない。取るところもあるのかもしれないが、まだ出会っていない。
道がきれいなのにも一驚した。もちろんごみはポイ捨てするけれど、先進国以外の国の中では、かなり道路掃除がいきとどいている。インドから見たら歴然と違う。特に大学キャンパス内はきれいだ。ま、道端の木の根元に子どもが大小便をしたりはしているけども。欧米人は子どもを犬と見なしているのではないかと疑われるが、中国人は別の意味で子どもを犬と同じように扱っている。
インドで市内交通のひとつの主役である三輪タクシーが、数は少ないがここにもある。荷台つきバイク(小回りがきくので大活躍している)に人を乗せるようになったのが起源であることがよく見える。冬のある国だから、しっかり後部を覆ってドアをつけた冬仕様車、座席部分を布で覆っただけのもの、むきだしのもの、荷台に人が乗っかっているもの(さすがに客ではなく家族だろうが)と、発展段階が眼前に認められる。しかし造形的にはインドのオートリキシャに遠く及ばない。インドでオートリキシャに乗らなかった人は、インドを知ったとは言えない。中国では、乗らなくても知ったと言っていい。
バイクは意外に少ない。一方、電動バイクが多い。あれは便利そうだから、日本にもほしい。電気自動車も多いようだ。「老年代歩車」という非常に小型の電気自動車をよく見かける。けっこうなことだと思う。バスで若い者が老人に席を譲るのもよく見る。「孝」は儒教の根本思想で、それが滅びていないと言うよりも、席を譲ることの場合、ロシアなどにも共通であるから、社会主義道徳教育なのかもしれない。
道を渡るのに、地下道は少なく(この町ではまだ見たことがない。ないのかもしれない)、歩道橋がいくつかある。車が増えすぎたためバンガロールでは機能しなくなっているロータリーも、ここくらいの交通量ならよく機能しているし、車がこの程度なら合理的なシステムだとわかる。
大学に隣接した、大学関係者の多く住む団地で見ると、外車と国産車は7:3ぐらいの割合かと思える。町に行くと国産車がもっと多い。外車といってもたいがい現地生産だろうけれども。外車のうち、フォルクスワーゲンのシェアが突出して多いので、ドイツ車がトップ、2位に日本車、3位がフランス車か。VW以外のドイツ車は少ないので、日本車グループのほうが首位かもしれない。日産が明らかにトヨタより多い。ホンダも多い。マツダ、スズキが健闘している。


インドとの違いで言えば、日本と同じく12時ごろに昼食をとるのはありがたい。2時過ぎはやはり遅い。インド以西はたいがいそうだが、昼食時間も夕食時間もちと遅すぎる。
インドでは鍵束をふたつも持たされたものだが(下宿のと大学のと。ドアだけでなく戸棚にもすべて鍵をかける)、ここでは鍵は1つだけ。身軽ではあるが、それは教員室の鍵をあてがわれないということである。それはつまり、日本語科のフルメンバーとして認められていないということで、そっちのほうは問題だが。
インド(南インド)との違いなら、これもそうか。学生は概して背が高い。すごい大男もいたかわり、小男もけっこう目についたロシアより、平均で見れば高いのではないか。ただしインド人(ロシア人、トルコ人ももちろん)は体の厚みがあって、そこは中国人に勝る。
空港の中に誰でも入れるのも大きな違いだ。先進国では当たり前のことで、空港に入るときに切符や身分証を見せなければならないのを初めて知ったときには驚き怒ったものだが、そんな国が多すぎて、すっかりそれに慣れてしまっていたため、中国で自由に空港のロビーに入れたときには、また驚いた。世界は驚きに満ちている。しかし、駅構内には切符を見せないと入れない。空港は町中から遠いので、距離が人除けのフィルターになっているということか。


河南理工大学がどのくらい中国の大学一般の規模や施設に応じているのか知らない、つまりここでの経験が中国の大学として一般化できるのかわからないが、ここしか知らないからここのことを書く。ある程度は中国一般にも敷衍できるだろう。
町外れに広々としたキャンパスを構える。30000人の学生のほとんどが寮に住む。だからひとつの町と言っていい。生活に必要なものはすべてキャンパス内にあり、足りないものも向かいの市場へ行けばだいたい手に入る。だから外へ出なくても生活できる。
本にはしかし困る。本屋はあるけれど、小さすぎてほとんど役に立たない。大学のくせに。本についてだけは外出が必要だ。勉強時間は日本の学生に比べて非常に多いけれど、結局参考書(大学内の本屋に置いてあるのはそんな本が大半だ)による勉強ばかりしているのではないかと疑われる。
大学に限らず、学校と兵営には多くの共通点がある。そもそもが同根で、戦っていないときの軍隊は若い男子の教育機関そのものだ。「国民」に鍛え上げるための。軍隊には効率と合理性が求められる。精神性も求められはするが、二次的だ。戦う組織なのだから、勝つことが目標、勝つための条件は古今東西一貫して合理性である。寝起きをする寮/兵舎はただ寝起きするための場所で、食堂や浴場はその外にある。寮の建物に台所はなく、浴室もない。寒いときも濡れ髪で浴場通いをする学生は気の毒だが、合理的・効率的なのはたしかだ。
大学=兵営の共通性は、新入生に軍事教練を施すことなどにそのものずばりと見られるが、起床時間(6時)があって出頭をさせられるのもかなりもろである。
学食は大きな建物が4つあるが、市場式というか、1・2階の広いフロアに小さな店がいくつも並ぶスタイルである。
しかし、喫茶店というものがない。学生には必要不可欠に思うのだが、なぜかそうだ。それどころか、イスがない。大学の建物にはロビーとかラウンジのようなものがないし、そもそも腰掛けるところがない。外でも、学内の通りに沿ってベンチでも置いたらよさそうなのに、キャンパス内の池の周りにあるだけで、ほかにはまったくない。中国の学生はそんなに足が強いのか、ずっと立っていて平気なのかといぶかしく思った。学生には空き教室が自習室として与えられていて、勉強はそこでするし、寮がキャンパスの中にあるから、まとまった時間が空けばそこへ帰るらしい。
昼休みが12時から3時と長い。早起きさせられるので、これを昼寝タイムに当てるようだ。
宅配便が発達しているようで、会社ごとにスタンドが並んで、学生はそこで受け取っている。小包を路上に並べて、受取人が自分で探すのは、スタンドが狭く配送物が多いためだが、のどかである。ネット通販で買った物が主らしい。ネットショッピングは日本以上に普及している。一方で、ふつうの商店も無数にある。特に日本では絶滅しかけている小商いの店が。食堂もものすごい数があるが(屋台も)、こちらのほうは三度三度のことだからわかるとしても、中国人はそんなにものを買いまくっているのだろうか。
路上に小包を並べるなんて芸当をしているのは、雨がほとんど降らないからだ。9月以来の半年で、雨の日は10日もあっただろうか。夏に降るようで、農業ができるほどには降るのだろうが、この半年間まだ傘をさしていないというのはちょっとした驚きだ。タシケントでも雨が降らない、というか、夏の間は雲さえあまり見ない乾燥ぶりだったけれども、ここでは雲は多いし、雲ならいいがスモッグも多くて、見通しは悪い。
理工大学だけども、キャンパス内にあるのは中国農業銀行で、給料もそこに振り込まれる。大手銀行のひとつではあるらしいが、アモイへ行ったら空港にこの銀行のATMがなくて困った。鄭州空港へもどったら、ちゃんとある。こんなささいな事実も何かを語っているかもしれない。
「馬克思主義基本原理」「毛沢東思想」なんて授業科目がある。この国のレゾン・デートルなんだろうが、現代の中国はこれでまだマルクス主義国家なのか? 軍事教練の時間といい、戦前の日本だな。ま、欧米の学校に宗教の時間があるのと同じだと鷹揚に考えればいいか。
中国人は水筒をぶらさげて歩くが、学生もそう。冬はそれが魔法瓶になるけれど、入っているのはたいてい白湯だ。
ひまなときヒマワリの種をぽりぽりかじるのを見ると、ユーラシアだなあと思う。この点、北京からハンガリー大平原まで、同一文明圏だ。ユーラシアについてもっとも確実な定義は、ヒマワリの種をかじる人々の棲んでいるところ、なんじゃないか?
一方で、学生は豆乳をよく飲んでいる。中国で何がうれしいと言って、さまざまな豆腐があることだ。日本人は豆腐が硬いと文句を言うが、この点においては日本人はまったく間違っている。おのれの豆腐文化の貧しさを恥じもしないで、文句言っちゃいかんよ。柔らかい豆腐もあるのだ。その名も「日本豆腐」。豆腐および豆乳の文化において、長城以西のチーズがアイデンティティのよりどころである人々と変わり、彼らは断然東アジア人だ。フランス人は(というより「おフランス」日本人は)、チーズが何やら高尚なもののように信じこませようとしているが、このすばらしい豆腐について同じことを認めるなら、その言い分の何がしかは認めてやってもいい。
インドでは陶器の皿がないのに驚いたが、ここにはティースプーンがない。それなりの店にはもちろんあるが、学内のスーパーにはない。学生が必要とするものではないのだ。なるほど、コーヒーや紅茶を飲むのでなければ、あんなもの必要ない。コーヒーや紅茶なんか飲まなくても飲むものはたくさんある(白湯とかね)中国の学生のためには、大きいスプーンか大き目のスプーンだけ置いておけばいいわけだ。あとレンゲと。
中国語で「湯」はスープのことで、われわれの言う「湯」は英語などと同じく「熱水」だけど、しかし湯(われわれの)をよく使っている。構内に給湯所があって、当番らしい学生が大きなポットで汲みに来る。湯たんぽも立派な現役だ。足に湯たんぽ、手にスマホ。おもしろい。空港の飲料水に、冷水・温水・熱水の別があるのにも一驚した。冷たい水(およびビール)ばかり飲みたがる日本人は、漢方の理に反する存在である。
中国人は靴の中敷を異様に愛好しているらしい。道端に座って中敷を売っている人をよく見る。大学内にもいる。彼らがそれで日々の糧を得られるほど、中国人はせっせと靴の中敷を買っているのだろうか?
春節など節日を旧暦で祝うのは知っていたが、誕生日も旧暦で覚えているというのは知らなかった。これを知ったときは感動した。そうでなきゃいかん、と思った(それまでそんなこと考えたこともなかったくせに)。
大祭日は爆竹でやかましいというのはインドとも共通するが、単にそれだけでなく、日本以外の全世界がそうなのかもしれない。
教室にはコンピューターとプロジェクターがほぼ完備。21世紀の大学である。しかし、それらはほとんど「講義室」の造りである。教授が講義し、学生がノートを取る。一列に並ぶ固定した椅子と机だから、外国語の教室活動にはまったく不向きだ。その点は19世紀だ。
暗誦を課されるらしく、休み時間には廊下やホールで、天気がいいと屋外でも、声を張り上げて課題文(かなり長い)を読んでいる学生が大勢いる。
天井には扇風機が取りつけられている。秋に来たので、回っているのを見たことはまだないけれど、夏はそんなに暑くなるのか? 冬は寒くて、零下ふた桁までいくのだが。しかし、ここの郊外の山の中にはサルがいるらしい。サルが棲むならそこそこ暑いのだろう。竹もあるし(「竹林の七賢」の故地である)。
理工大学と言いながら文科系の学部もあって、男女比は7:3よりもっと女子学生が多いように見える。昔は焦作工学院と言っていたが、その時代から外国語学科があったようで、古い日本語の教材には「焦作工学院」のスタンプが押してある。
日本語科では、大学院への進学志望者が多い。大学院に行かない者が私費で日本に留学するようだ。
学生に聞いたところでは、国家公務員試験の競争率は3000倍なんてちょっと驚く数字だ。ひとつには長い長い科挙の伝統、もうひとつには恐るべきその膨大な人口。中国に生まれなくてよかったと心底思う。あなたの替えはいくらでもいる。恐ろしい。
眼鏡の学生が多く、半分以上だと思われる。日本人も眼鏡が多いが、それ以上だ。したがって眼鏡屋も多い。あれは絶対漢字のせいだ。目に悪いに決まっている。大学を離れ町に出ると、とたんに眼鏡が減る。ほとんどいない。老人の眼鏡も少ない。猛勉強する人としない人にはっきりと分かれているのであろう。そういう人たちの中国と、そうでない人たちの中国の2つの中国がありそうに思える。


小さな町(中国スケールで)に見る中国だ、全体像から外れたり歪んだりもしていよう。だが、この小都市(注釈同文)に関する限り、正確な観察である。よき眼力を備えた人は、こんなものからもさまざな知見が得られると思う。