ネパール再訪

 もう年金ももらえる歳だから、飛んだり跳ねたりせず田舎でじっとしているのがいいのかもしれないが、それも性に合わず、出かけられるようになったのを幸い、のこのこネパールに来てしまった。外国ではさまざまなささいなことに気づかされ、そのことが不便はいろいろある生活を楽しくさせてくれるので、性懲りなく出られるようになればすぐ出て行ってしまう。困った尻軽男である。

 

 高峰林立のヒマラヤの麓で標高1330メートルと言えば、さぞかし寒いだろうと思われるかもしれない。しかしカトマンズは東京より暖かい。1月の平均気温は10.8度(東京5.4度)。標高1000メートルぐらいの軽井沢はもちろん東京よりずっと寒い(-3.8度)。それは信州が根が温帯であるからで、カトマンズは根が熱帯で、高度を上げた分だけ涼しくなっているのだという「出自の違い」である。インドとの国境地帯にはゾウが闊歩しているわけだし。12月に街中の池で子供が泳いでいたくらいだ。むろん高度をさらに上げてヒマラヤに迫れば寒くもなるが、つまりはインドの避暑地と考えるのが適当だということだ。ずっと独立国だったのでそういう位置づけにはならないけれど。

 基本的に「山の南」は暖かいのだ。「山陽」ということである。山陰の人間からすれば、「山陽」イタリアより同じ位置関係のドイツに親近感を持ってしまうが、「山陽」ながら盆地のカトマンズもいいものだ。

 とはいえ、暖かい国というのは寒い国でもある。冬の室内が。冬が存在しない熱帯ならいいが、一応冬があって気温はそれなりに下がるのに、家に暖房というものがない。これにはかなり閉口する。寒さを心配してくれる人たちとは少し違った意味で、寒さに難儀はする。

 

 ここは祝日が異常に多く、ヒンドゥー教はもとより、仏教・イスラム教・キリスト教、さらにはシーク教の祭日も国の祝日としている。祝日からは宗教的な寛容さがうかがえる。前にいたボルネオも、イスラム教・キリスト教イスラム教マレーシアに属しながら、実はボルネオではキリスト教が多数派)に加えて、華人の祭日、ダヤク族の収穫祭も休みだった。非寛容な一神教圏とは対照的なアジア的寛容さは心安らぐ。

 また、土曜日が休日で日曜は労働日というのも妙な独自性である。ユダヤ教でもあるまいに、どうしたことか。

 インドで時差が3時間30分というのにも困ったけれど、ネパールで3時間15分なのは困るどころではない。たとえばここが1月1日の6時だとすると、日本時間では9時15分。こんな奇怪な時間を定めたのには、インドと同じでありたくないという意志が働いているのだと何かで読んだ。それはいかにもありそうだ。隣にでんと大国があるのは、下手すれば呑み込まれそうな小国にとって気欝なことだろうから。

 時差を言えば、国土広大なインドや中国がただひとつの時間に従っているのもおもしろいことである。国内に時差を存在させない。統一への力強い意志を感じる。同じように広大なアメリカやオーストラリア、ロシアが国内に時差をぼかすか入れて平然としているのと対照的で、それは一方で西欧的合理性を示すけれど、要するにそもそもが植民地だという歴史の薄さの現われでもある。首都を起点に機械的な輪切りをするため、日本とまったく変わらぬ経度のサハリンやウラジオとの間に少なからぬ時差が生じているのは迷惑なことである。加えて彼らは夏時間なんて勝手な操作をするし。

 イギリスの保護国とはなっていたものの、インドのように植民地化されることはなく(あの国は計算高く、収奪できる富が十分にあるか戦略要地であるかでなければ、わざわざ維持管理コストのかかる植民地にはしない。ボルネオもそうだった)、形だけでも独立を保っていたといういきさつからか、「独立国ぶり」を随処に発揮している。独立国家には国旗が必要だという欧米の定めたルールに従い、非欧米諸国がせっせと色塗り分けのつまらない旗を制定している中で、日章旗とトルコの半月旗は国の伝統に根差した独自性で際立つ双璧だと思うが、ネパールはそもそも三角ふたつが上下に並ぶという旗の形状そのものが欧米ルール完全無視で、この両者をもしのぐ(三国とも太陽や月の印なのも特徴的だ)。

 

 ネパールは「インド」に属していないようだ。コロナ流行の初めごろ、インドのJETROが送ってくれる月報に南アジアと東南アジア諸国のコロナ状況が載っていて重宝したが、そこにはネパールがなかった。明確にチベット文化圏であり、入国に制限のあるブータンが省かれるのはわかるけども、このネパール差別にはちょっと驚いた。旧英領インドには属していなかったのは事実だが、ブッダの生まれたルンビニーやラーマ王がシータと結婚した町ジャナクプールがあり、ヒンドゥー教を国教にしていた歴史からも、インド文化圏の一部であるという性格は有しているのだが。進出日本企業がないためか、どうやらインドの日本人にはネパールは眼中にないらしい。ここはインドとチベットの移行地域であって、そういう特殊性はたしかにあるけれども。

 インドとの違いということでは、インドがきっぱり英語圏を向いていて、就学や就労にはもっぱら英語圏および旧英領植民地に出向くのに対し、ネパールは、第一は英語圏・旧英領でありつつ、日本にも向いているのが大きな特徴である(スリランカバングラデシュにも向日本性が多少あるようだ)。

 

 東西に800キロと割合長いのに比べ、南北は230キロ。横にした短冊形の国土で、その狭い南北が、インドに接する平原の標高60メートルから世界最高峰8848メートルまでと、とんでもない高度差がある。人口はおよそ3000万人で、人口密度も200人/平方キロほど。北方の大半は人の住めない山岳地帯であることを考えれば、ともに決して少なくない。人口大国インドのある南アジア諸国に比べると少ないけれど、それは比較の相手が悪すぎる。

 そんな地形要因のためか、ここは何かと小作りだ。道が異常に細い。寺院や宮殿が小さい。そして木と煉瓦でできている。家も狭い。間口が狭いのである。だから家は上に伸びて、4階建て5階建てがざらにある。屋根のある家は少なく、上はたいてい平らな屋上になっていて、そこが重要な生活空間だ。

 そういう耕地が少ない山がちな地形だから、グルカ兵として英軍に従う者が多く出た。ビルマ戦線で日本軍とも戦った。同じような地形のスイスが傭兵を出していたのと同じで、一種究極の肉体労働というか、出稼ぎの一形態である。女性の究極の出稼ぎ肉体労働がからゆきさんであるのと好対照でもある。

 ネパールはまた、24歳以下が人口の半数以上という若い国でもある。国内に働き口少なく、出稼ぎの歴史もあるので、若い連中が日本へ留学ビザを取って働きに出るのも、グルカ兵以来の伝統に連なるものであろう。兵士となった若者が外国へ行っていたように、当今の留学の若者も外国へ行く、というわけだ。

 「アジア最貧国」のひとつと言われ、実際そうなのだろうけれど、よく知るに価するおもしろい国であることはたしかだ。