五輪サッカー雑感

夏休みで、7月に涼しいインドを離れて暑い日本に帰るのはうれしくなかった。熱帯のインドでも、ここバンガロールの7・8月は日本よりずっと涼しい。しかしよかったのは、オリンピックのサッカーが見られたこと。バンガロールの下宿にはテレビがないので、暑い日本でなければ熱戦は見られなかった。


日本人のサッカーの未来は、「俊敏性と技術にもとづく勤勉で組織的なコンビネーションサッカー」であるべきだ。みずからの長所欠点、所与の条件を反省した上で論理的に考えれば、どうしてもそうなると演繹的にわかるのだが、じゃあ具体的にどうなのかがよくわからなかった。それが、スペイン戦を見て、これか、と思った。これが日本のスタンダードか。試合開始から実にアグレッシブで、気持ちよかった。序盤にぼんやり点を取られて、そのままずるずる負けた試合を何度見せられてきたことか。これだよ、これ。こういうのが日本のサッカーじゃなくちゃいけないよ。
南阿ワールドカップのオランダ戦も、あのようなアグレッシブな守備だった。ともに格上の相手で、こっちは1−0で勝てたが、あっちは0−1で負けた。要するに、あのときは向こうにスナイデルがいて、こちらに永井がいなかった、ということだ。これは結局0−0のサッカーで、組織だけではなかなか点は取れない。日本戦でのメキシコの1点目のコーナーキックは組織で取っていたが、あれくらいで、得点のためには組織を超える強烈な個性がなければならない。あのメキシコの抜け目のないフォワードのように。ロンドンでは(いや、グラスゴーだったっけ?)「規格外」のスピードを持つ永井がいたから取れたが(実際に取ったのは大津にせよ)、「規格外」のいない南アフリカではだめだったのである。
もうひとつの(おそらくは致命的な)弱点は、消耗が激しいことである。1戦だけでも、これで後半もつか?と思うし、3戦はむずかしく、6、7戦は無理だということが、今回の準決勝と3位決定戦で証明された。課題はだからまだ十分にある。
日本ほどアグレッシブではないが、日本以上に強靭な組織的守備で戦ったメキシコが手本になるだろう。決勝戦は正しかった。いいサッカーをしたほうが勝った。正義である。ブラジルのサッカーはヴァラエティショーのようで、おもしろくない。おもしろいシークエンスがときどき現われるだけ。あれで勝てるからずっとあんなサッカーをしてるんだろうけど。
その意味では、3位決定戦も正しかった。勝ちたい意欲の強いほうが勝った。相手からロングボール1本で点が取れるなら、ロングボールを蹴る以外のサッカーは間違いだ、ということだ。くやしかったら取られるな。


日本のオーバーエイジ枠の人選は恐ろしく的確だった。ディフェンスが弱点なので、吉田の招集は万人が納得するが、徳永は意外な選出だった。サイドバックに人材はいると思っていたので。しかしこれも当たりだった。キーパーが選ばれたことに批判があったが、権田以外では戦えないから、権田が故障した場合に備えるということでは理にかなっている。日本にはいいゴールキーパーが少ない。宇佐美らが出た世界大会で、非常にいい攻撃をしていたが、キーパーただ1人によって負けたのを見よ。だから、キーパーのOA選出に一瞬驚きはしたけども、よく考えれば納得である。大会が始まるまでのバックアップとしての選出だったようだが、準決勝と3位決定戦を見たかぎりでは、正キーパーとして選んでもよかったと思った。最後の2つはそういう試合だった。
それこれを含め、スタッフがすぐれているのが日本の強みと言えるだろう。


日本女子代表は、予選リーグの2位通過をねらい、第3戦の後半終了時間が近づくと完全に0−0の引き分けにもちこもうとしていて、そのやりかたに対して非難の声があった。アメリカの監督からもそれが聞こえて、いささか驚いた。あの人はスウェーデン人なのに。2位で通過したほうが移動が少なく有利だからそうしたわけで、非難されるべきはそんなレギュレーションを組んだ組織委員会であって、日本代表ではないはずだが。ヨーロッパ人や南米人は誰も問題にしないだろう。ふつうにやっていることだから。
このことは、権謀術数渦巻くヨーロッパや南米と違うアメリカという国のナイーヴさを示すと同時に、女子サッカーの本質も示しているのではないかと思う。
女子サッカーは、男なら中学サッカーのレベルである。アメリカチームは高校サッカーで、ブラジルのマルタは超高校級だが、ならせば全体として中学レベルだ。それが悪いと言っているのではありませんよ。中学サッカーには中学サッカーの醍醐味があり、強豪があり弱小があり、強豪同士の好ゲームはエキサイティングで、しばしばドラマチックだ。熱戦もあり凡戦もあり、熱戦はおもしろく、凡戦は退屈であること、フル代表とまったく同じである。しかし、フル代表でないのもまた事実だ。アメリカ戦のシンクレアのゴール、フランス戦の永里の独走。スローモーション再生を見るようだった。遅い。プレー範囲が狭い。あのシンクレアのゴール、男子なら絶対ディフェンダーが止めたか、キーパーが止めたか、どっちにしろゴールじゃなかったはずだが(日本のサッカーファンが怒りまくっている朴主永のゴールのように。怒るのは、ディフェンダーかキーパーが止めなきゃならないシュートを決められたからである)。
そして、アマチュアだ。たとえプロ選手として俸給を得ていても、そのメンタリティにおいてアマチュアなのである。だから美しい。速い遅いに関係なく、美しいものは美しい。そしてフェアである。悪質なファールや暴力的なプレーはほとんどない。男子サッカーの「汚さ」と比べた場合、光り輝いている点だ。男のサッカーは金になるのだ。それも尋常でない金、およそばかげた額の金が動く(サッカーの八百長が問題になるが、そりゃするよね。こんな異常な状態なら、有象無象が群がるよ)。プロサッカー選手の男どもの顔をごらんな。サッカーがなければ強盗でもやっていそうじゃないか。それはサッカーにとっても彼らにとってもすばらしいことである。彼らはサッカーによってルールと社会性を獲得したわけだから。それに金も。


銀メダル獲得はすばらしかったけども、表彰式はひどかった。おじぎをするのはよかったが(ピッチを去るとき一礼するのもよい)、メダルをかけてもらっているときの態度には赤面するしかない。カメラにピースサインって、10歳児か! そっちのほうがメダルもらうより大事か! 九仞の功を一簀に虧くというのはこれだね。日本人の最大の欠点は、身内だけでつるみたがり、外の目を気にしない行動だ。社会性の欠如、大きなパースペクティブがない。福元と海堀の笑顔はよかった。かたや大活躍、かたや出番がほとんどなかったにもかかわらず。
この点でも宮間選手はすばらしい。負けてすわりこんでいるフランス選手の前に自分もすわって、何か話していた。勝って仲間とキャッキャと喜ぶのは子どもでもする。全力で戦って敗れた相手をたたえねぎらえなくては、大人ではない。
世界で「尊敬される日本人」になってほしい。そのためには「尊敬する日本人」にならなければならない。


「身内」ということでは、竹島問題も同じだ。韓国人は、日本に対しては何をしてもいいと思っているらしい。それは甘えであり、小児病である。「日本海」を「東海」にしろというのもそうだ。「日本海」は韓国人にとってのみ「東海」で、中国人には「東海」は「東シナ海」だろ。そして韓国人にとっての「西海」が国際的に「黄海」なのは問題となっていない。対日本的発想を脱しないかぎり、小国でしかおれまい。
韓国は惜しいことをした。得点したときのために、みんなで独島パフォーマンスをしようと準備していたそうだが、しなかった。1人の選手が終了後独島プラカートを掲げただけだった。ぜひ全員で独島パフォーマンスをして、チームからメダルが剥奪されてほしかった。そのくらいのことをされないかぎり、彼らは目が覚めないだろう。イングランドとアルゼンチンの試合後に、勝利したイングランド人が「フォークランドはわれわれのもの」というプラカートを掲げたらどうなるか。その結果は、流血? 人死に? 戦争? あれはそういうことなんだけどね。
反日」は、根本的な効能はなく副作用もあるが、一時的に大きな効果の出るたちの悪い薬で、あの国の権力者はすぐ誘惑に負けてそれに手を出す。初めは未来志向をうたいながら、人気が落ちると反日をあおり、退任後には哀れな末路をたどるという既視パターンをくりかえしてばかりに見えるが、違ったか? 韓国・中国における「反日」は免罪符であり、治外法権でもある。「愛国無罪」は青年将校のスローガンだろう。それは国を滅ぼした関東軍の論理だ。「歴史」を問題にする人たちは、彼らのほうこそ日本の歴史からよく学ばなければならない。
日本サッカー協会がこれを問題として取り上げなかったのは正しい。それはIOCFIFAの問題、日本政府の問題である。彼らにとっての問題は「竹島」ではなく、「0−2の敗戦」のほうだ。韓国協会は、この態度を多としたのであろう、「謝罪状」を送ってきた。しかしこれが韓国内でまた騒ぎになっているらしい。仁義が混乱を呼ぶということが、あの国におけるこの件の道徳的な低さを示している。だが、日本協会のほうの問題、「0−2問題」のほうはすぐにも解決に邁進してもらいたい。


ジャッジがアメリカ寄りなのは気になった。カナダ戦の取らなくていい間接フリーキックと、そこからの、これも取らなくていいハンドによるPK。これでアメリカ同点。日本戦ではハンドとファール(ホールディング)で2つPKがあったはずで、ともに結果を大きく左右する判定だった。これらがなかったら、アメリカ3位だったでしょう。意外に強くなかった。前の五輪では、あと10年はアメリカに勝てないのではと思ったが(W杯は内容負けゲームで延長引き分け)、次は勝てそうだよ。
佐々木監督が誤審を問題視しなかったのは立派だが(「誤審」の恩恵は日本チームも受けるのだから。フランス戦では相手にもうひとつPKがありそうだった)、一言きつい皮肉があってもよかった。前のどれかの大会で、日本のコーナーキックをことごとく相手(白人国)のゴールキックにとられているのを見たときは、不平等条約に切歯扼腕する明治時代の政府首脳になったような気がした。
女子サッカーでよかった。男子なら八百長じゃないかと騒然となるところで、そういう話題は鬱陶しいから。


勝利が選手の栄養だということがよくわかった。去年のワールドカップから1年しかたたないのに、ずいぶん成長していた。結婚が力になったらしい永里、去年は危なっかしくてハラハラだった熊谷。 岩清水は去年もよかったが、今年は間違いなくベスト11クラスでしょう。あの背丈で。
男子も勝てば強くなるよ。北京五輪惨敗世代のように負けて強くなった連中もいるが、やはり勝って成長してほしい。


サッカーを離れれば、柔道の松本選手の、試合前、入場を待つときの顔はすごかった。獲物をねらう猛禽の目だ。闘志が空回りしないか危惧したが、杞憂だった。魅了されてしまった。それに対して穴井選手は、あ、こりゃ負けるな、という顔で、案の定負けた。男のいい顔はどこにある。黒沢映画なんて、いい顔の男たちばかりなのになあ(しかし長友は黒沢映画顔だ)。