世界三大料理

いつのころからか知らない、割合最近のことだと思うが、「世界三大料理」というのを聞くようになった。その3つは、中華料理・フランス料理・トルコ料理だそうだ。
誰が言い出したのかのも知らないが、中華には異存はない。フランス料理は個人的に好きではないし、さしてうまいとも思わないが、まあよかろう。やはりカエルやカタツムリを食す連中は強い。
だが、トルコ? トルコ料理は好きだけど、「世界三大料理のひとつ」などと言われると、それはちがうと思う。個人的な嗜好でなく、「正義」の問題になるからね。


トルコではあるまい、ということになれば、ではどれが3番目だ?
日本、と自信をもって言い切る人はえらい。私も、日本人だから言うのじゃないが、日本料理は非常にすぐれていると思う。昔、世界三大美女クレオパトラ楊貴妃小野小町だ、という笑うしかない言明があって、だからこの類の主張にはつい及び腰になるけれども、日本料理に関するかぎり、そんな威勢だけはいい物知らずの物笑いではありません。
しかし、日本料理というのは何とも特殊であり独特であって、真似ができない。すしやさしみがその極例だが、あまり手を加えないのをよしとし、素材の味を生かすのが日本料理の哲学で、それは世界の料理の主流から見ればとんでもない「異端思想」である。そんなことができるのは、食材が豊かな恵まれた地域にあるからで、世界の大部分の「貧困な」人々には真似できない「贅沢」なのだ。香辛料も独特な上(わさび、からしなど)、使用はきわめて控えめだ。海藻を使う点などもすばらしいと筆者は思う。海藻なくして日本料理は作れない。だが、海藻なんて妙なもの(藻だよ、藻)を食す民族は世界にどのくらいいるんだろう? そのため、外国の日本料理店は食材を日本からの空輸に頼り、結果ばかばかしいくらい高い値段になる。「簡素純朴」「シンメトリー忌避」「みなまで言うな」等々が日本文化のキーワードだが、なかなか他民族には理解されにくい。こんな独自のゴーイングマイウェイを世界の規範とするのは、ちょっとどうかなと思う。
H・G・ウェルズは「日本の僻隅文明は人類の運命の全体的形成に大した貢献をしなかった。日本は多くのものを受取ったが、ほとんど与えるところがなかった」と書いている。それは正しいが、与えるものがないのではない。受け取る者がいないのだ。与えるものは浮世絵に限らず割合たくさんあるのだけれども、あんまり特殊なので、ユーラシアでも新大陸でもほとんど受け取ってくれないのだ。


私見によれば、3つめの座はインド料理に与えられるべきだ(ま、3つでなければならない理由なんてないんですけどね、そのほうがおさまりがいいというほかには)。スパイスをふんだんに使うインド料理は、それがうまいかどうかは別にして(別にしていいのか?)、ユーラシア料理のひとつの極をなすものである。スパイスを伴う料理というより、料理を伴うスパイスと言いたいぐらいだ。周囲に影響を与えたという点でも、「大料理」であるだろう。ヴェジタリアン料理が発達していることや、それでいて(ムスリムを中心に)肉を使った料理で西と南のアジアの特徴を融合していることもポイントである。最近の集合住宅は別として、ほとんどの家にスパイスをすりつぶし、自家独自のガラムマサラを調製するための石臼がある。あれには感銘を受ける。インドの主婦は細腕ではつとまるまい。料理を手づかみで食べるのもよい。スプーンがあっても手で食べる。それはスタイルがあるということだ。
一方で、インド料理の悪口はかずかずある。
昔は、インドに来て腹をこわさない者は、感心されるどころか、逆に笑われたそうだ。どんな腹をしてるだと。今はそんなことは少なくなったが、しかしインドで腹をこわしたと言っても、軽いうなずきひとつでやりすごされてしまうくらいおもしろみのない話題である。バラの木にバラが咲いたって、「ふうん」でしょ。インドに出張で来る日本人には、期間中インド食を完全忌避する人が少なからずいるそうだ。昔の悪評が今も聞こえている。
「夜になった。ランプがともされ、壁に人の上半身が大きく、くろぐろと映じた。心細いあかりの下で食事がはじまった。焼きたてのチャパティがどんどんはこびこまれる。おかずはグリーンピースをからく煮たものと、ジャガイモと玉ネギをからく煮たものと、ニンジンのからいスープである」「こんな単調な、うまくもないものをどしどし食っている青年たちの忍耐力には感心するほかなかった」(石田保昭「インドで暮らす」岩波新書、1963、p.93)。インドを研究する人、理解したいと努める人がこれではいかんだろうと思うが、頭より舌や鼻のほうが人間性に近い。残念ながら。
堀田善衛「インドで考えたこと」(岩波新書、1957)ではもっとすごいぞ。
「さて、その皿に、バサバサの米がたっぷりと山盛りにつけられてしまうらしい。米をたくについては、煮えあがる以前に、あの重湯状のやつを、ジャーッとこぼしてしまうらしい。(…)どこの産の米であれ、それはそれとして味うつもりではできているのであったが、インドの米は、私には、とてもかなわなかった。バサバサであるのはまだいい。中国のある種の、中等以下のそれもまたそうなのだったから…。けれども、それはバサバサであるだけではなくて、私にはほとんどまったく味というものがないと思われたのだ。噛めば、ザリザリと硬質のものが歯にぶつかる。米粒は、いくらか黒味をおびて、そのなかにひどく黒いもの、妙に赤っぽいものなどもまじっている。
その山盛りの米の上へ、にゅうっと腕がのびて来て、どす黄色いカレーと、どす黒いようなどす赤いような羊肉のまじったものがかけられた。これはえらいことになったなと、と思っていると、更にもういちど、今度は深紅色の、見るからに脳の皮から汗が吹き出そうな、たっぷりとした液状トンガラシに浸した肉片が蔽いかぶさって来た。灰色の米の上に、どす黄色いものと、深紅色。マリアム夫人はそいつを指でひっかきまわして、器用につまんでは口に運んでいた。詩人の子供である四つか五つの女の子も、ニコニコ笑いながら、小さい掌にあふれるほどつかんで口に放り込む。辛くもなんともないのか、忽ち二杯三杯とおかわりをして、腹を蛙のようにぷくりとふくらます。たいへんかわいらしい…。仕方がない、私はスプーンとフォークをあやつって、ひっかきまわし、灰色と黄と紅がまざりあって、遂にどす黒くなったものをひとくち、口に入れた。そして思い切って嚥下した。それは、もう辛いなどというものではない。頭のテッペンから汗が吹き出すような気がした。気も遠くなりかけた。
ザヒール氏は、私の難渋の様子を見知って、それでは、こいつとこいつをかけてごらんなさい、といって、更に二種類の灰色のものを、この上にどろどろと流しかけた。灰色のものの一つは、山羊の乳のヨーグルトである。ところで私は、もともとヨーグルトというものがとてもかなわぬ。あの臭いをかいだだけでも、もういけない方である。ああ。そしてもう一種類の、灰色の、妙に粒子の荒いどろどろのものは、聞いてみれば、山羊の脳味噌であるというではないか。これらのすべてが、なにもかもごちゃまぜにひっかきまわされたならばどういうことになるか。私は、手を措いて眼を白黒させていた。ああ、次第に事態は深刻になって来たのである。(…)
黄色いものと紅いものと、山羊のヨーグルトと脳味噌とでぐちゃぐちゃになった、黄、紅、白、灰色、これらのみんなにどす黒いのドスという形容をかぶせたものの盛り上がった皿を手にして、茫然としていると、今度は詩人が、これはどうやらあなたにはあわないらしい、ではこいつはあっさりしているから、こいつに、例の黄色いものや、深紅色のどろりとしたものをつけてお上りなさい、といって出してくれたものが、チャパーティという、ふくらし粉の入っていない麦餅―中国の大餅様のもの―であるが、このチャパーティのなかにも、辛いものが、ゴマのように、黒い点々をなして入っている。私は諦め、そして詫びた」(p.136ff.)。
なのにインド料理をおまえは推すか? いかにも。そのくらい語られていれば、なおのことである。それらは料理の根本思想に比べれば、枝葉末節の話柄にすぎないのだから。


日本人はインド料理を好むだろうか、というのはむずかしい質問だ。私個人にとっても答えにくい。きらいではない。毎日食べるし、決して残さない。しかし、体調の悪いときは、あんなスパイスだらけのものは食べたくない。多くの日本人にとって、インド料理の評価はこの程度か、もっと下だろう。
だが、今でこそ日本人は中華料理が大好きだが、実は明治のころはきらいだった。油っこいので。中国人留学生の下宿人が料理するのを大家はいやがっていたそうだ。油で汚れるから、においがしみつくから。その感覚は今でもわかるが、しかし和洋中華作れなければいい主婦でないのが戦後日本だ。インド料理に対する感覚だって、これからどうなるかわからないよ。


でもね、インド料理がうまいのか、と詰問する人には答えたい。あなたはフランス料理のほうがインド料理よりうまいと思ってるんですか、と。フランス料理に比べたら、インド料理のほうがいいんじゃないかと本気で思っている。恐ろしいことに。
フランス料理を欧米人がうまいと思うのは、まあしかたがない。だが、欧米以外の人たちは、本当にそう思っているのだろうか? 彼らにそう信じこまされているのではないか? 世界からフランス料理がなくなっても、ミシュラン以外の誰も困らない。困ると思う人はイタリア料理を食べていればいい、と私なんかは思うけれども、ま、私の舌の信頼性は低いですから。与太話と聞き流してもらって、一向にかまいません。