インドで初体験

暑いのが苦手で、日本にいるときは7月半ばから9月半ばまではほとんど何もできない。だから熱帯で働くなど思いもよらぬこと。外国暮らしもずいぶん長いが、雪の降らないところには住んだことはないし、雪どころか、幅1キロもありそうな川が全面凍結するようなところに好んで暮らしてきた。インドには昔から興味はあったけども、とても住めまいと思っていた。しかしバンガロール、マイソールなどは涼しいと聞いて、それならばと思い切ってやってきた。なるほど過ごしやすかったが、しかし熱帯は熱帯である。冬がない。初めて熱帯で暮らした。暮らすどころか、そもそも熱帯なんて行ったことすらほとんどなかった。ドイツから帰るとき、ボルネオに友人を訪ねた。スリランカで働いていた知人を訪ねて、少し長い旅をした。トランジットでドバイに半日いた。それだけ。インドに来た時点で、まったくの熱帯初心者だったわけである。
その初心者がインドで初めて経験したことを書き上げてみよう。熱帯ゆえの初体験もあれば、インドゆえの初体験もあるが、ともかく、ここへ来て教えられることは多かった。

・はだしで歩く
といっても寺院境内だけであるが、寺院の前の道や、境内に山があればその山道もはだしで歩いた。家の中で靴を脱ぐのは日本の常識にしてインドの常識だが、外となると、日本では砂浜とそれに続く道ぐらいだから、この感覚はおもしろかった。
家の中は浄で、外の道などは不浄。これは客観的に見て妥当である。浄の場所ならはだし、不浄なら履物。けれども、インドは浄と不浄をやかましく区別するところのはずだが、どう見ても不浄そのものの大道をはだしで歩いてけがれないのは不思議だ。はだしという世界に向き合う姿勢のほうを「浄」として、道の物質的な汚さのほうは問題にしてないということか?

・手づかみで食べる
手づかみで食べるのは人類の食事の基本である。われわれもおにぎりやすしは手で食べる。しかし、汁気のあるものは手で食べないし、そもそも手では食べられないはずだが、インド人はごはんとまぜて手で食べる。けっこう熱かったりもして、指がやけどしそうにもなる。はだしで日に焼かれた石の上を歩くのも難行で、インド人の足の皮は厚いにちがいないと確信しているが、指の皮も厚そうだ。麺類がない(なかった)ことの証明でもあろう。麺は手づかみでは食べられない。うどんやラーメンなどのスープ麺になるとまったく不可能だ。
手づかみで食べるということは、食事の前とあとに手を洗うということだ。イスラム教徒がお祈りの前に手足を洗うように、清潔なよい習慣である(中国のモスクは清真寺・清浄寺と言われるのを参照)。欧米人も日本人も、ユーラシアのこの部分(西アジア・南アジア)は不潔だと固く信じている。清潔だと特に主張するつもりはないけれど(それは見ればわかるとおり。だがここでは近現代の話をしているのではない)、不潔なのはむしろ「昔のヨーロッパ」であって、その面影を残す東欧・ロシアである。なるほどインドで人はよく病気になる。だがその理由の何割かは、花も果物も豊かなごとく、病原菌も自然の恵みを享受しているからである。

・容器に口をつけずに飲む
初めて見たときは軽業か何かのようで驚いたが、考えてみればこれも清潔である。人の水を一口だけ飲ませてもらうこともできる。しかし熟練を要する。その利点を認めてまねしようとしたのだが、ずいぶん服にこぼしてしまった。だから今も水以外のものはこうしない。

・金属のコップ
家具付きの下宿が決まり、食器も用意してもらうことになったが、そのとき陶器の皿がないのにちょっと驚いた。皿も金属製だし、そもそもそんな皿さえなくて、日本なら盆にしか見えない金物の大皿をもってこられた。言うまでもなく、ミールスを食べるための盆、もとい、皿である。皿はけっきょくプラスチックのを貸してもらった。金属とプラスチック、割れないのが共通点で、割れやすいのが致命的な欠点の陶器よりその点はたしかに勝る。
金属製の皿は見たことも使ったこともあったが、金属製のコップは初めてと言ってもいいだろう。歯医者でうがいするときのコップのように、日本にないわけではないけれど。熱伝導がいいから本来不適当であるのに、それで熱いコーヒーを飲んだりするのは、用途を間違っているような気もするが。

・用便(大)のあと手で処理する
これはトルコもそうだから経験済みではあるが、本格的な経験はやはりインドに来てからだ。ウォシュレットがこの原理だから、合理的で清潔ではあるのだろう。両者の違いは単に手を使うか使わないかだけである(しかしその違いが大きいのだが)。

・腰巻き
ドーティ、ルンギーといわれる腰巻きを初めてつけた(といってもステージの上だけであるが)。よく考えれば、着物の着流しも腰から下だけ見れば腰巻きで、巻きスカートと同じだ。ドーティを巻いてつくづく考えると、ズボンというのは寒い国の服である。暑いところでは、下から空気が入ってくる腰巻きのほうが断然よろしい。それをからげて歩けば、なおよろしい。
また、こんなこともある。巻きスカートであるサリーのほかに、女性はパンジャビドレスをよく着るが、あれの下はだぶだぶのズボンだ。つまり、男がスカートで女がズボン。なかなかよろしい。

・上半身はだか
寺院に入るのは時を遡る行為である。足はもちろんはだしである上、寺ではよく食事のふるまいがあるが、それは手で食べる。さらに、格式高い寺の場合は、男は上半身裸にならなければならない。キリスト教イスラムの寺で女性がスカーフをさせられるのと好一対だ。しかしかなり奇妙な経験である。

・道を歩く牛
初めはやはり不思議な感じがしたが、すぐ慣れた。日本では鹿が町中を歩いているのだから。

・道で寝る人
ロシアにもいるが、それは酔っ払いだ。冬なら凍死者だ。幸い見たことはないが。

・暖房なし
暖房なしで一年が過ごせるというのは新鮮だった。いかに冬を越すかは、人類の大きな問題ではなかった。温帯以北の人類の問題だった。こういうことも実際に経験しないとわからない。スイスの農家など、越冬を前に、壁の装飾でもあるかのように薪を家のまわりに積み上げる。暖がなかったら凍死だもの。キリギリスでなくアリであれと、計画性の重要さをたたきこまれる。それが血肉になっている。そこから見れば、暖房不要は頂門の一針であった。

・紅葉を見ない
紅葉を見ないで年を過ごすのも初めてだ。すばらしい黄葉だと思ったら、花だった。紅葉のかわりは、花だ。四時花が咲く。女性はうしろで束ねた髪に花飾りをつけている。
インドを離れたのちに思い出すのは、きっと散り敷く花が道をいろどっている眺めや、女性の髪の花飾りであろう。

・米のクレープ 
同じ米食の民なのに、日本には米粉料理が少ない。せんべいや和菓子ぐらいではあるまいか(餅は粉に挽くわけではないし)。日本で穀粉の食品に使うのは小麦粉だ。米粉の麺は食べたことがあったが、クレープ(ドーサ)はここで初めて食べた。おいしいものだから、日本でも作ればいいと思うのだが、ジャポニカ米ではむずかしいのだろうか。

・パン(檳榔)
これを噛むと口の中が赤くなるとか、軽い酩酊作用があるとか本にはあるけれど、全然そんなことはなかった。それとも私が何か勘違いをしているのだろうか?

クリケット競技場
クリケットの専用競技場がある。それも町の真ん中に。競馬場もゴルフ場も、とにかくイギリス人が好きなものは何でも町の中心部にあるバンガロールだが(刑務所も。これも彼らは好きか?)、クリケット場の占める位置たるや、町の中心のそのまた中心である。
クリケット自体を初めて見たのはスリランカで、空き地でやっているのをしばらく眺めたが、さっぱりルールがつかめなかった。ドバイでも子どもたちがやっているのを見て、なるほどここもイギリスの植民地だったから、それで人気があるのだなと思ったが、いま考えるとあれは出稼ぎインド人の子どもたちだっただろう。
通勤の途上、空き地のような公園でいつも草クリケットをやっているのを見る。いつ通りかかっても必ずやっていて、ひま人が塀にすわって見物している。あるとき通ると、塀の上に誰もいない。見れば珍しくクリケットをやってない。あの連中は単にひまだからすわっていたのじゃなくて、下手な(のかどうか知らないが、近所の兄ちゃんたちがやっているんだ、そううまくはなかろう)草クリケットを見るためにあそこにいたのだとわかって、少しばかり感動した。あのくらいみんなが熱心なら、強くもあろう。

・小切手
旅行小切手は使ったことがあったが、小切手そのものは初体験だった。日本でも今までいた国でも、事業者でないふつうの市民は小切手など使わずに健康で文化的な生活がおくれるが、インドではそうではない。いやでもおうでも使わなければならない。ちょっと不思議な気がする。

・オートリキシャ(三輪タクシー)
この車は、自動車であるために必要最低限のものしか備えていない。その意味では爽快である。冬のある土地なら気密性も車に必要で、ドアがない車は不可能だが、ここではそれも不要、屋根も幌。スピードは出ないが、小回りは恐ろしくきく。熱帯の人々は温帯以北の人々より豊かな車社会をもっていると言えるだろう。われわれのところでは、バス・トラック・乗用車・バイクが車のカテゴリーだが、インドではバス・トラック・乗用車・バイクとバジャージと、1カテゴリー多い。熱帯は豊かだというひとつの証明だ。
生活者や貧乏旅行者はこれを乗りこなしているが、金持ち旅行者もぜひ乗ってみるべきだ。ウィーンで馬車に乗るように、インドではリキシャに。眺めが違う。

・バイクのうしろ乗り
自転車の荷台に乗ったことはあったが、バイクは初めてだ。背を支えるものがなく、自転車どころではないスピードなので、初めはなかなかこわい。道はでこぼこだし、バンパーは100メートルおきぐらいにあるし、車もバイクも(人も!)、勝手に割り込んでくるし、運転手は自分で操作しているからいいが、うしろに乗っている者は運転手にすべてお任せ、どこでどう動くんだかわからないままだから。
公共交通機関が十分に整備されておらず、交通事情の悪い国では、バイクは非常に便利な乗り物だから、特に若い人はバイクによく乗っていて、そういう若い者とつきあいの多い教師は、乗せてもらう機会もでてくるわけだ。

・寝台バス
インドは鉄道大国であるが、ほとんど鉄道には乗らなかった。切符が買えないからだ。ウェイティングリストに載せられても困る。だから、旅行すること自体少なかったけれど、したときはほとんどがバスであった。インドはバス大国でもある。寝台バスというものを初めて見た。二段式で、通路をはさんで1人ベッド上下と2人ベッド上下。横になれる分リクライニングシートより楽である。
トルコもバス大国だが、あそこでは、ベンツなどの高級バスに飛行機並みに各人のTVを備えつけ、茶菓のサービスをし、休憩は豪華なレストハウスで、という旅客機化の方向へ発達しているが、インドはそれとは別の方向へ独自に発達しているのだろう。

・植民地
初めて元植民地であったところに暮らした。
植民地にも二通りある。原住民人口の非常に少ないところと、多いところ。つまり、支配者(エリート)と大多数の被支配者(大衆)が同一民族であるか、異民族であるか。前者は新大陸などがそうで、シベリアもそれに当たる。実際に「植民」を行なった新開地だ。後者は、旧大陸南方のAA諸国である。
旧大陸のロシア極東もサハリンも植民地であって、原住民の数が非常に少なく、ほとんど見かけることがない点は新大陸の植民地と同じではある。また、ウズベキスタンなどもロシアの植民地だと言えば言えそうだが、しかしやはりちょっと違う。シベリアも含め、地続きの場合は植民地獲得というより領土の拡大で、それならば人類の歴史とともに古い。
ヨーロッパ列強の海外植民地獲得は、人類史上特殊な例と言える。ひと握りの外国人が圧倒的多数の現地人を支配し収奪する体制。そこに暮らしたのは初体験だ。
いつだったか、厚生省元次官が相次いで殺される事件があったが、そのとき驚いたのは、その事件自体よりも、殺された元次官の家である。高級官僚でこれか、と思った。ここの高級官僚の邸宅を見て、あれを見れば、思うところはあるだろう。
独立はすばらしいことだが、独立後、イギリス人の植民地官僚が住んでいた豪壮な公邸に、そのまま居抜きでインド人官僚が住む。それでは何も変わらないのではないか。
インドはなかなかに官僚主義の手強い国だが、それはこの国が一時倣っていた社会主義によっても強化されたのであろうけれど、それよりずっと多く植民地体制によっているのではないかと思う。柳田国男が言うとおり、主人のことばができる「通弁」階級の連中は、下から出て、上の威を借り下を支配する手助けをして甘い汁を吸っていたわけである。ご主人が去ったあとこの連中が旧主の地位につくのなら、ろくなことはあるまい。植民地根性というものはあるにちがいない。


インド生まれのイギリス人作家ラドヤード・キップリングは「東は東、西は西」と言ったが、ヨーロッパ人の「東」には「南」も含まれる。われわれの国はたしかに東で、そこから西洋の国々を見ればたしかにかなり違うのだが、しかし南を見てもおそらくそれ以上に違っていて、そこと対照すればわれわれと西洋に多くの共通点を見出せる。たぶん言うべきは、「東は東、西は西」よりも「南は南、北は北」なのだ。上に挙げたさまざまな例によっても、そのことはわかる。ユーラシアを遍歴して、ちょっとはものを知ったつもりになっている男に、こんなに初体験をさせてくれた。
インドは中国と並ぶ21世紀の大国だが、中国との大きな違いは、オリンピックの金メダルが少ないということだ。ノーベル賞なら拮抗するのに。だが、金メダルが少ないのはインドだけでなく、熱帯の国々はみな少ない。その理由のひとつは経済的な貧しさだろうが、それだけとは思わない、スポーツは温帯特有の習俗なのだ。それが証拠に、夏の日本で体育の授業や部活動中、ばたばた熱中症で倒れているではないか。暑さとスポーツは両立しない。オリンピックと熱帯に親和性はない。
オリンピックそのものが北による北のための催しである傾きが強いのに、その上に冬季オリンピックだなんて、冬のある国の連中による冬のない国々への差別の以外のいったい何だろう。
スポーツはすばらしい。大いにすればよい。だが、スポーツがなくても人類は幸せに生きられる。読書と同じだ。私自身は本を読まずには生きられない人間だし、読書は学校や社会によって大いに奨励されているが、本を読まないことは幸せに生きることをなんら妨げない。読んだっていい。止めはしない。だが、それは幸福と分かちがたく結びついているわけではない。本を読む人殺しは山ほどいる。
サマータイムがないことも言っておこう。それは昼夜の時間の季節変動が少ないという低緯度地方の特性によるものだが、まことにけっこうなことだ。時間を切り売りにて暮らす人間どもの勝手な思惑によって時間を操作する「北」の(西洋の)こざかしさを嫌悪する視点からは、「南」の肩を持つ十分な理由になる。


・首を振る
トルコでは舌打ちをして頭をうしろにそらすのが「No」で、一見するとうなずいているように見える。インドでは首を張り子の虎のように振るのが「Yes」(というより、むしろあいづち)。2つともうつってしまった。トルコとインドで働いたかぶれやすい日本語教師は、Yes/No表示が逆になり、日本へ、あるいは温帯へ、非常識な誤解を招く人間となって帰還する。やんぬるかな。