狂言「耳奄羅」

  シテ:テナーリ・ラマン
  女 :テナーリ・ラマンの妻
  アド:妻の縁者、アディナーラーヤナ・ラオ


女 :これはテナーリ・ラマンと申す者の妻でござる。今日たわらわの縁者なる人がおとずれなさるによって、ラマンどのを呼びいだそうと思いまする。
 こちの人、ござりまするか、こちの人。
シテ:やあやあ、わわしい声で何と言うぞ。
女 :こちの人、今日たわらわの縁者なるアディナーラーヤナ・ラオどのがおとずれなさるによって、このマンゴー(奄羅)をむいておいてくだされ。
シテ:何じゃ、マンゴーじゃ。
女 :なかなか。
シテ:この時分にマンゴーはなかなかあるものではない。みどももずいぶん食わぬに、何とてそなたの縁者が人に食わするぞ。
女 :そうおしゃいますな。ひととせに一度のことじゃによって、買いもとめたことでござります。そなたもご相伴でお食べなされませ。
シテ:食びょうぞよ。
女 :ではこのマンゴーをむいてくだされ。
シテ:心得た。
女 :かまえてつまみ食いなどなされますな。
シテ:何じゃ、つまみ食いじゃ。
女 :なかなか。
シテ:みどももバラモンじゃ、さようなむさとしたことをするものでない。
女 :では、早くむいてくだされ。
シテ:心得た。
 はて、ひとしおみごとなマンゴーじゃ。あるとき見ればさとも思わぬが、ないとき見ればうまそうなものじゃ。
 さて、むくことにいたそう。
 やや、これはまた別してうまそうじゃ。この赤いこと、みずみずしいこと。
 えい、ひとつばかりは苦しうあるまい、食べてみよう。
 さてもさても、うまいことかな。これはひとつでは堪忍がならぬ。もひとつ食びょう。
 これは風味のよいマンゴーじゃ。手も離さるることではない。もひとつ食びょう。
 おとがいが落ちるような。むむ、うまいことじゃ。どれ、もひとつ。
 うまやのうまやの。どれ、もひとつ。
 ほう、これはいかなこと。口あたりがよさに、ひとつ食い、ふたつ食い、みなにいたいた。さだめて山の神が腹を立てることであろ。何としたものであろうぞ、何としたならばよかろうぞ。
 はて、あちらに縁者のラオどのが見ゆる。
女 :もし、こちの人、こちの人。
シテ:こちらでは山の神が呼ばうことじゃ。何としたものであろうぞ。
 いや、いたしようがござる。
女 :こちの人、マンゴーをむいてくだされましたか。
シテ:いっかなたやすいことではない。包丁がさびておるは。
女 :さびておりまするか。
シテ:なかなか。
女 :それならばこちらへおかしなされませ。わらわがといであげましょう。
シテ:といでおくりゃれ。
女 :はて、さほどさびても見えませぬが、ひととぎとぐことにいたしましょう。
シテ:それがよかろう。
 さて、みどもはかように布で耳をかくすことにいたそう。
 (シテ、布を頭に巻き、片耳を隠す)
 もうしもうし、ラオどの、ラオどの。
アド:これはこれはラマンどの。このあいだは久しうおみまいも申しませぬが、かわらせらるることもござらぬか。
シテ:なかなか、かわることもござらぬ、と言いたきところなれども、ラオどの、それが大かわりでござる。みどもが妻は気がたがえてござる。
アド:何じゃ、気がたがえた。
シテ:なかなか。あれ、あのように包丁をといで、人の耳をそごうとしておりまする。
 みどももあやうくそがれかけてござります。そなたも早うお帰りなされたがようござりましょう。
アド:やれやれ、おそろしいことかな。では帰ることにいたしましょう。
シテ:それがようござりましょう。かまえてお急ぎなされまするな、気が立っておりますほどに。
アド:心得ました。そろりそろりと参りましょう。
女 :あれはわらわが縁者のラオどのじゃが、こちの人、マンゴーはどこでござります。
シテ:マンゴーはふたつともラオどのがもて逃げなされた。
女 :何じゃ、もて逃げた。
シテ:なかなか。
女 :おふるまいいたそうとてわざわざもとめたものを、もて逃げるとはいかなこと。
 取りもどさずばなりますまい。
シテ:それがよかろう。
女 :のうのう、ラオどの、もどされませ、もどされませ。
アド:やや、包丁もて追いかけてくるは。
女 :のうのう、もどされませ、かえされませ。ふたつでなくとも、ひとつなりとも。
アド:(耳を押さえて跳びあがる)や、ひとつとて取らりょうものか。
女 :もどされませ、かえされませ。人はないか、とらえてくだされ。やるまいぞ、やるまいぞ。


 16世紀初め、ヴィジャヤナガル王朝のシュリークリシュナデヴァ・ラヤ王に仕えていたテナーリ・ラマンは、頓知話の主人公として有名である。彼の話のひとつを狂言にしてみた。古いことばだと思われるかもしれないが、これこそ同時代の日本語で、同時代の喜劇である。もしその時代テナリが日本語を習っていたら(ハンピに日本語学校があって、JLPTが行なわれていたら!)、こんな日本語を話していたはずなのだ。そう考えれば、興なきにしもあらずだろう。