この国の国父

ガンディーはインドで「国父」として敬われているようで、彼の誕生日は祝日、彼の肖像はインドのすべての紙幣に描かれている。
だが、「国父」と敬われる人々は、回天の将軍だったケマル・パシャはもちろん、孫文にせよレーニンにせよ武力をもって革命を成就させた革命家であったし、維新の元勲たちも侍で、刀を腰にさしていた。ところがガンディーは丸腰だ。丸腰どころか、丸裸に近い。
独立運動における彼の手法「非暴力・不服従」は画期的で、それはちょうど「カミカゼ・アタック」に似ている。ハード(兵器のような)ではなくソフトである点、かつ、敵の思いもよらない方法、思考の盲点をつく発想である点、模倣者が続いて後世の弱者の戦法に大きな影響を与えた点で。しかし、前者がそれを戦う者の精神の強靭さを必要とするのに対して、後者は、刹那的な強さと、それ以上の思い込みの強さ(愚かさと言い換えてもいい)のみを要求する。「カミカゼ」がいま全盛である一方(9・11、特攻隊員の夢の実現。そして中東の無数の「爆弾三勇士」たち。それはインドにもいる)、「非暴力・不服従」はなかなか倣いがたい。
彼の「武器」は断食だった。飯食わないと政治が動くのだ。最近ある有名な社会活動家が汚職撲滅を訴えて断食し、政府の法案を変えさせた。伝統が脈々と受け継がれている。誰でも断食すればいいというものではなく、それなりの人物である必要はあるのだろうが、「高徳をもって直接に政治を動かす」方法論が不文の原則となっていると思しい。
インドは民主主義国家であって、それがうまく機能しているかは別にして、もう60年以上も民主主義のシステムが備わっている国だ。そんな国で、法的根拠を何ももたない断食という方法が国政に影響をおよぼしうる。「国父」の方法論が今も政治行動を縛っているわけだ。彼らはユニークな装置をもっている。「ガンディー・コンプレックス」か。
よくわからないが、おもしろいことはたしかだ。その独特(実に独特)なありかたで、世界を豊かにしてくれている。インドがいい国かどうかはまた別の問いだが、世界からインドがなくなったら、世界は決定的に貧しくなるだろう。
彼の誕生日には、スーパーの酒類売り場が閉まる。忙しくて2週間以上スーパーに行けておらず、この機会にビールの買いおきをしておこうと思っていたのでちょっと困ったが、そのこと自体はまことにけっこうだ。ガンディーならしかたがない、と異邦人に思わせるところも彼の人徳か。