インドを路上で

 修士課程を作るんだと。だもので、何となく忙しくしていた。なに、実のところはたいして忙しくはないんです。ただ、いつもそのことが頭の隅のどこかにあって、ひまなときも頭はほとんどくつろぐことがなかった。それをもって忙しいと言っているわけなんだけど、それでどこへも出歩けなかった。ここへ来てからひと月半になるが、下宿から大学へ、大学から下宿へ、毎日30分ずつ歩くことのくりかえし。そればっかりで日が過ぎた。
 だからバンガロールで知っているのは職場へ通う道だけなのだが、それがなかなかおもしろい。道には犬があちこちでクテッと寝ている。人の通り道に、無防備に。この犬たちは、人に蹴られたり踏まれたりすると思っていないのだ。これはけっこうすごいことではないか。それはインド人が犬にやさしいから、というわけではなさそうだ。見なさい、道には人もクテッと寝ている。人犬同仁。
 大きめの道には歩道があり、車道がある。だが人々は平気で車道を歩く。それは歩道がでこぼこだったり崩れていたりして歩きにくく、塀に立ち小便する者が多くて汚かったりするためだが、車は車で、車線は完全に無視し、2車線あればふつうの車で3台、オートリキシャ(三輪タクシー)やバイクを含めれば4台も5台も並ぶ。車線変更はしょっちゅうで、車を走らすというのは車線変更するというのと同義、小さいオートリキシャ、もっと小さいオートバイは、すきまさえあればどこにでも入ってくる。日本人の目には無秩序としか映らない。だが、その無秩序には秩序がある。「道」という秩序が。これこそが道である。道は人が歩くところだが、人のほかに牛も歩く。鉄の牛も。図体のでかい連中が真ん中を通り、人ははじを歩くが、人間のほうがはずみで中ほどまで出てきたら、「牛」(鉄のも、本物も)のほうがよけたりする。路上駐車も多い。というより、そればかりだ。あれも牛が寝転んでいると思えばいい。ほとんどが鉄のだけど、本物も時に。そうやって、無秩序の秩序が進行する。スピードを犠牲にして。
 ルーマニアに行ったとき、いなかの川には堤防がなく、自然のままに流れているさまに感銘を受けた。しかし、それが「川」である。かれをもってこれを見れば、完璧な護岸工事を施された日本の川は「川」ではなく、「水路」である。ルーマニアの川は川の基準になりうるが、日本の川は川たりえない。あれは「効率」という。相撲取りの四股名には、昔も今も「山」や「海」が多い。昔は「川」も多かったそうだ。日本から「川」が消えたころ、力士の名から「川」が消えた。
 はだしで歩きまわる人も多い(あ、インドの話ね。でもルーマニアのいなかにもいますよ)。20年前のバンガロールでは、住民の半分ははだしで歩いていたそうだ。今は5パーセントか、そんなものだろう。しかし、三歩も行けば、ふつうに見ます。
 素手、というのもインドの大きな特徴だ。手づかみで料理を食べる。昔はともかく、スプーンのある今もなぜ? しかも右手だけで。左手を使わずチャパティをちぎる。箸を初めてもったインド人は手がつりそうだというが、なに、初めて右手だけでチャパティを始末しようとする日本人の手もつりそうです。スプーンを使う人も今はけっこう多くて、目分量で言って手づかみは5割と見るが、しかし多い。
 はだかもしかり。それが「正装」なのである。祭りの読経のとき、聖職者も施主も上半身ははだかで、腰にはドーティ(腰巻き)を巻く。女はサリーだ。サリーは1枚の布を巻きつけただけのもので、お釈迦様の衣なわけだし。
 要するに、「じか」ということだ。祭りとは「かの時」に回帰することだと宗教学は説く。ならば、、インドはいつも「かの時」、原初の時空だ、ということにならないか? それは修辞的な問いかけだけど、恐ろしいことに、その答えはたぶん「しかり」なのである。いくらか割引があるとしても。
 ちょっと見には、未開のありさまだろう。しかしインドはアフリカとは根本根底から違う。どんなうかつな者にもそれはわかる。あの壮麗な建築を見れば、哲学・論理学・数学などのすばらしい遺産を知れば、誰も未開の地と思うどころか、その文明に畏敬の念を覚えるはずだ。そうでありながら、そうしている。それがインドのすごいところだ。
 いやまったく、きらいじゃありません、このありようは。ときどき腹は立つけどね。まあ、それはそれだ。腹を立てるのも人間性のすなおな表現だから、その権利は留保しておきます。
 そして、花。道にはいつも花が落ちている。へこみに足を取られないように、犬の糞を踏まないように、いつも下を見てばかり歩いているが、見上げれば木々は花でいっぱいだ。道端には女がすわって花飾りを売っていて、濃い香りをあたりに流している。街路樹は旺盛に葉をつけて両側から枝をのばし、下の道を緑のトンネルにする。この一千万都市、ときどき馬車が通ってないか? 道端に厩がないか? こんな何でもない通勤の道も、インドで満ちあふれている。遠出をするまでもない。したいけど。