インドを路上で その2

インドに住んでいるものの、バンガロールからどこへも行っていない。弁論大会のときチェンナイへ行ったが、早朝にたって夜行バスでもどっただけ、駅から会場へ、会場からバスターミナルへタクシーやオートリキシャで移動しただけで、ほぼ何も見ていない。だから私はインドを何も知らないと言っていい。しかし、下宿から職場へ通うだけの毎日だが、その道なら知っている。その道から見えるものなら、少しばかり語ることもできる。
所要25分だから、2キロぐらいか。毎日通う通勤の道だから、最短距離、かつなるべく交通量の少ない歩きやすいところを行く。バザールや大通りを通れば、もっとおもしろいもの、ありえないものを見るのだろうが、筆者は、そうでない、きわめて平凡で日常的なもののほうがおもしろい、という立場を取る。その意味の観察には、わが通勤路は好適だ。
行きと帰りで1ケ所微妙にコースが違うが、あとは同じだ。家を出て、車の割合多い通りを行く。それは線路の下を通り、五つ角に至るが、そこを左に曲がり、高架道路の下を進む。右折して、さらに左折、右折、左折、右折、左折(えーと、何回曲がったっけ?)と車の少ない道を行き、大学のグラウンドの壁に沿って行くと、パレス・ロードに出る。信号のある横断歩道を1回、ないところで3回道を渡る。
帰りは、行きに通る交差点のひとつ手前で折れ、貧しげな一画を抜けて、下宿にもどるのだが、そのあたりは路上で煮炊き洗濯をしている。子どもははだしで、下半身に何もつけていない子もよくいる。学校へ行くのに、制服は着ているが、足ははだしという子も見る。細い道には寺があり、その前で子どもらが遊んでいるのが、昔の日本を思わせる。そんなところなのに、一見してわかるはずの外国人が歩いていても何の興味も示さない。ほかの国だったらたいへんなことになるだろうに。
バンガロールのおもしろいところは、壁に絵がかいてある。両側が壁となっているところはつまり交通流路で、おもしろみがないものだが、絵が救いになっている。そういう壁画エリアが2箇所ある。それぞれ400歩(約400メートル)ほどだ。


この道で何を見るか。
毎日野良犬を12、13匹見かける。野良犬は人間の共生者で、人の足元に平気で寝そべっている。道中2ケ所の壁画通りには、犬もいないし、露店もほとんどない。
この道筋では、牛にはほとんど出くわさない。といって、出くわさないわけではない。かわりに山羊を見る。細民街で飼われているのである。このあたりには猿はいない。猫もほとんど見かけないが、リスなら見る。
公衆便所が5つある。これは意外だ。日本より多い。日本では公園とか広場とかにあって、何でもない通りにはまずないのだから。みなかなり新しい。共同便所と考えたらいいのかなと思う。昔の日本でも長屋などは共同便所だったが、トイレのない家に住む人たちの共同トイレと考えれば、立地も数の多さも納得がいく。しかし夜は閉まっているので、それを見るとこの仮説も怪しくなるが。
立小便スポットは、大まかに言って8ケ所ぐらい。ああも大勢が毎日していたら、公認青空便所と言いたいぐらいだ。男のすわり小便というのも見られる。しゃがんでするのである。
寺は、行きの道に3つ、帰りはそれに1つ加わる。それから、ジャイナ教の会館のようなものがある。通勤路からはひと筋はずれるが、近くにマハーボーディ・ソサエティもある。モスクは1つ。
それから、国旗掲揚台が4つ。つまり寺の数と同じだ。国旗掲揚は世俗国家の「宗教行為」と言えなくもないと考えれば、しっかり対応している。
クリケットのできる場所が2つ。ひとつは大学のグラウンドだから、ちゃんとユニフォームを着た少年がやっている。もうひとつは囲いのある空き地のようなところで、ふだん着にサンダルで草クリケットをしており、いつも暇そうな見物人が塀の上に大勢すわっている。平日の昼間もやっているし、見ている。見上げたものだ。
乞食は少ない。見ない日もよくあるし、見かけても3人くらいだ。道に寝ている男(女のこともある)も同じくらい。
この通勤路にある露店を数えてみた。ただし鉄製のスタンドは除く。何せ露店だから、いつも必ずあるというものではないし、時間帯によって出る店も違う。朝9時10時、夕方5時6時ごろ通り、日中は通らないので、もし日中のみ出ている店があったら、それについては知らない。それを前置きしておいて、私が見るのは次のような物売りだ。
靴直しは人の背丈ほどの木箱の中にすわっている。扉を閉めたら箱になる。そんなものでも中にちゃんと神棚があるのが立派だ。そういうのが道筋に3つある。
高架道の下、中央分離帯の柵がなくて横断できるようになっている部分に、靴磨きがいる。「隙間産業」そのものだ。
花売りが3人ばかり。歩道にすわって、籠に入れた花輪を売っている。ここの女性は髪によく花飾りを結んでいる。車やバスのフロントも花綱で飾りたてられていて、さすがインドと思う。花売りが店を出すのは朝だけだ。
朝だけなのは新聞売りも同じ。地べたに並べて売っている。それを買う人たちは、食事も手で食べるわけだから、食べる前に手は洗うのだろうが、免疫力はつくにちがいない。
店なのかどうか知らないが、露天でアイロンがけをしているところがある。家の中でしないというのは、あそこで注文を受け付けているのだろうから、やはり店か。中に炭を入れる電化以前のアイロンを使っている。面倒なような気がするが、しかし電気アイロンはコードが邪魔になってしかたがないし、コンセントの近くでしかできないから、手間をいとわねば、あれはあれで合理的だ。青空の下のほうが気持ちがよかろう。雨季はどうするのかという問題はあるが。
食べ物屋もいろいろある。駄菓子やバナナを売る屋台、庇を借りた簡易食堂、夕方から出てくる揚げ物屋など。
それから、椰子の実売りが3人。山刀で叩き切って、ジュースや果肉を供する。彼らは売れ残りの椰子を置いて帰る。ビニールシートをかぶせただけで。盗まれないのかしら。インドは泥棒が多いらしく、何でもかんでも錠前で鍵をかけてしまうのに困るが、一方で取られないものもあるらしい。そのへんのコードはどうなっているのか。
山刀で椰子の実をそいでいくさまは手馴れていて、都会の片隅に野性がひらめく。花を刺して花輪に仕上げたり、プーリーに親指で穴を開け、スープをくぐらせてパニプーリーを作ったり、露店の人々の熟練の手さばきを見るのは楽しい。
大学の近くの壁画通りには、オートリキシャがたむろしている。角のガソリンスタンドにはリキシャがよく列をなしている。そのドライバーたちを相手に、テントがけのタイヤ直し、歩道にすわって客をまつリキシャの座席・幌直しがいる。屋台の軽食売り、露天の昼食売りも出る。皿を手に持って立ち食いだ。
夜になるとプーリー屋台が出る。わが家の目の前を含め、3つは出ている。花売りやプーリー屋台は、歩道を背に、車道に向いて店を開いている。それは車の客を相手にしているからではなくて、歩行者が車道を歩いているからなのだ。歩道を歩かずに。私もその一人だが。プーリー屋台や果物屋台は車がついた移動式で、自転車の荷台で果物を売るのも多い。
ほかに、うちの近くには露天の代書屋が3人いる。机の上にタイプライターを置いただけ。カンナダ文字のタイプライターもある。文盲の人々にとって代書屋はなくてはならぬ商売であるが、彼らだけでなく、英語のできない人たち、カンナダ語が書けなかったり打てなかったりする人たちにも必要で、社会の要請に堂々と応えているし、また逆に、社会にそんな要請があることも見てとれる。代書屋を必要とする人は多くの場合大道の人々だから、代書屋もまた路上にいるべきだ。しかし、乾季の今はいいが、雨季に彼らはどうしているのだろう。タイプライターもだが、紙にも水は大敵だ。今度雨季になったら観察してみよう。アイロン屋も。
大学の門のそばにはサトウキビジュースを絞る屋台がある。大通りでは果物を皿に盛って売る屋台がいつもあるが、そこで出た生ゴミは牛が食べている。太古以来のエコである。
オートリキシャはこの町に何台走っているのか。それは統計を見なければわからないが、自分でわかる範囲で調べてみることはできる。で、数えてみた。左側を歩くときは追い抜いていくリキシャを、右側を歩くときにはすれちがうリキシャを(インドでも車は左側通行)、一方通行の道と細い道(不思議なことに、4車線もある広い道が一方通行で、バスが通れないような狭い道が双方向だったりする)ではとにかく走ってくるものを数える。止まっているものは数えない。時間帯や曜日によって違うし、地区や通りによってもまったく違うが、わが通勤路の場合、半分は交通量のある通り、半分は住宅街を通るから、バランスがとれているかもしれない。すると、平均130台であった。
リキシャ以外の車(乗用車・バス・三輪/四輪トラックなど)を同じように数えると、平均100台だったから、1車種で残り全車種を軽く超えているわけだ。
オートバイも数えたが、あまりに多いので3回でいやになった。あれは来るときは重なり連なってやってくるし、車の陰から、あの小さいリキシャの陰からも飛び出てくるので、かなり注意をそちらに集めないといけない。だから足元がおろそかになって危ない。とにかく多い。平均で255台。数があるうえ、2人乗りが多いので、輸送能力も速度もけっこう高い。女性ライダーも少なくない。東京でバイク便があるのと同じで、渋滞の多いこの町ではバイクが便利だ。対して自転車は少なく、平均5台といったところ。感心に、車道を走っている。日本よりよほど交通規則順守だ。


えー、それで何がわかるかと言えば、特に何かわかるわけではありません。人間いろんなことで楽しめる、というだけの話。こんなことで楽しんでりゃ、金かからなくていいね、という話。毎日小1時間歩くのは体にいいだろうと言う人もあるが、それだけ排気ガスを吸い込んでいるのだから、プラスマイナスゼロか。しかしドアのないリキシャに乗ったら、歩きはせずに排ガスは吸うので、それよりましか。けれどこの徒歩通勤は、体はともかく、心には悪くない。歩いて愉快な道ではまったくないにもかかわらず。