「ユスキュダルの町に来てみたら」

江利チエミに「ウスクダラ」という歌がある。当時かなりヒットしたらしい。もとはトルコの民謡だが、日本語では妙な歌詞がついている。


「(セリフ)皆さん、トルコ帽をごぞんじでしょう。
ウスクダラはそのトルコの西のはずれにある古い小さな城下町です。
昔この町の女たちはみんな利口で美人ぞろいでしたから、
男たちは女の秘書になって小さくなっていました。
ある雨の日、噂を聞いてはるばるこの町を訪れた男たちの一行がありました。


 ウスクダラはるばる尋ねてみたら
 世にも不思議な噂の通り
 町を歩いて驚いた
 これでは男がかわいそう
 町中の女を自慢の腕で
 恋のとりこにしてみせようと
 粋ななりして出かけてみたが
 とりこになったのは男だったとさ
 とりこになったのは男だったとさ」


これ、どうなんでしょう? 頭がよくて美しい女ばかりがいて、男たちはそれにかしずき、そのとりことなる。女人国女護が島とかアマゾネスめいているが(アマゾネスの国はたしかに小アジアにあったらしいけども)、遠い遠いはるかな世界の片隅(当時の日本から見ればトルコはたしかにそうである)には、そんな「あべこべの国」もあるのだろうと、大人のおとぎ話を聞くような不思議な気持ちにさせられる。
しかしトルコ語の実際の歌詞は、訳せばまあこんなところである。


 「ユスキュダルの町に来てみたら
 にわかに雨が降りだして
 おともの彼の長いすそ
 はねがかかってしまったよ
 はて今しがたのお目覚めか
 眠そな目をしておりました
 わたしの腕には彼の腕
 シャツがぱりりとよく似合う


 ユスキュダルの町に来てみたら
 ハンカチ1枚ひろったよ
 わたしのハンカチその中は
 ロクムのお菓子がいっぱいだ
 彼の姿をさがしたら
 隣にすわっておりました
 わたしの腕には彼の腕
 シャツがぱりりとよく似合う」


男が雇われである点を除けば、女が恋しい男を歌ったふつうの恋の唄である。どうしてこれがああなってしまうのか。
アメリカの歌手アーサ・キットがトルコ語で歌ったものをカバーしたのだそうだが、彼女の歌の中には英語で説明のセリフが入っている。
「ユスキュダルはトルコの小さな町で、古い昔には多くの女性が男の秘書をもっておりました。そう、トルコですもの。
彼らは雨の中ユスキュダルから旅に出て、その道々恋に落ちました。彼はお似合いのぱりっとした服を着て、彼女は彼を一日中眺め、そしてふたりともいつもお菓子を食べていました。そう、トルコ人ですもの。」
想像するに、トルコ語がわかるはずのない作詞者は、この英語のセリフを聞き、その上にさらにファンタジーを加えて(あるいは英語を聞き取りまちがえて)、あの日本語の歌詞を作ったのではないか。
トルコについては「飛んでイスタンブール」なんて歌もあったが(「おいでイスタンブール/うらまないのがルール/だから愛したことも/ひと踊り風の藻屑/飛んでイスタンブール/光る砂漠でロール/夜だけのパラダイス」)、これなんかでもイスタンブールは砂漠の町になっているし。中東に関しては、アラビアンナイトの名のもとに、あらゆるファンタジーが許されるという慣習があるのかもしれない、日本には。


日本の歌謡曲には、「無国籍中東ソング」とでも言うべき一連の歌がある。
「ここは地の果てアルジェリヤ/どうせカスバの夜に咲く/酒場の女のうす情け」と歌う「カスバの女」などがその代表だ。洋画の「望郷」や「外人部隊」のイメージで作詞したに違いないが、作者は実際にアルジェリアに行ったこともなければカスバを見たこともないのはたしかだ。
ほかに、「コーヒールンバ」(「むかしアラブのえらいお坊さんが…」)もそうだし、戦前の「アラビヤの唄」(「砂漠に陽が落ちて、夜となる頃…」)、さらに大正の童謡「月の沙漠」(「月の沙漠をはるばると…」)まで。現地を見ずに作った点がこれらに共通で(「月の沙漠」なんか御宿海岸で夢想してるんだもの)、見ていないがゆえのファンタジーがかえって力強いことを特徴とする。筆者はこれらをかなり愛好する。うすっぺらい「飛んでイスタンブール」以外はみな好きである。


まあ、「ウスクダラ」はあの「誤訳」(意図的にか意図せずにか)によってヒットしたのだろう。もとの歌詞のままではそうはいかなかったと思われる。しかし、そっちの歌詞もいいのですけどね。「長衣の裾にはねがかかる」「眠そうな目をして」「ハンカチにはお菓子がいっぱい」「ぱりりとしたシャツがよく似合う」なんて、いいじゃないですか、時代離れしていて、のどかで。朝早くから立ち働く人々の間で、ゆっくり遅くまで寝ているお坊ちゃんや若旦那めいた鷹揚なところが。アンドリッチの「ボスニア物語」に出てくるトルコ人の太守のような感じもちょっとする。こっちのほうの歌詞でヒットする、そのような国や時代に住みたいという希望がなくもありません。