WM雑感/アイラン片手に

ワールドカップ南アフリカ大会を見るにあたっては、非常に苦労した。寝不足になったというわけではない。トルコは南阿とほとんど時差がないから。今回のワールドカップは、見ようと思ったら全試合だって見られたはずなのである。時差はないし、期間も最初の週が試験の最終週に重なるだけで、そのあとは夏休み。仕事があったらグループリーグの2時半からの試合を見るのはまず無理だが、今年の場合なにはばかることなく見られたはずだった。このすばらしい好条件は、しかし無残に打ち砕かれた。中継が有料衛星放送だったから? たしかに、誰しもの懸念である。私もそれを案じていた。この前のヨーロッパ選手権のときはトルコを旅行中だったのだが、衛星放送局の中継だったため見るのに苦労したのが記憶に新しかったので。だが、ワールドカップはTRTの中継だった。日本ならNHKにあたる局である。最後の憂いが除かれて、あとは開始を待つばかりだったところへ、思いもよらぬ衝撃が待っていた。なんと、うちのテレビではTRT1が映らないのである! TRTの2と3は映るのに、1が映らない。NHK教育が映って、総合が映らないようなものだ。驚きました。テレビはあってもそれまでほとんど見ることはなく、どの局が映るかなんて把握してなかったのだ。TRTはブンデスリーガの中継を3で見るだけだったので、3が映ることは知っていたが、まさか3が映って1がだめなんて思わないよね。
山陰ではテレビ朝日が見られない。系列局がないのだ。だからテレビ朝日に日本代表の試合を中継されると非常に困る。テレビ東京の系列局もないが、この局はほとんど中継しないし、ここがやる試合なら安んじてあきらめる。だがテレビ朝日はかなりサッカーに力を入れていて、いい試合を中継するのだ。見ないわけにはいかない。ではどうするか。大阪や広島に行って泊まり、ホテルのテレビで見る。大阪とか広島へ出向かなければならない用事は潜在的にいつもある。それがある程度たまったり、急を要する事情ができたり、あるいは何かのついでがあった場合に処理することになるわけだが、サッカーの代表戦というのは実質上その「何かのついで」の最たるもの。だから毎月テレビ番組の月刊誌を買っている。昔は映画の放映予定のチェックも目的だったが、映画をほとんど見なくなった今では、サッカー中継の確認のために買っているようなものだ。そしてテレビ朝日がやるとわかったら、個人的「出張」予定を組むのである。
あれはこの前のワールドカップクロアチア戦だったか、テレビ朝日が生中継するのだが、翌朝NHKのBSが録画で放送することがわかった。このときは早く寝ました。電話は留守電にし、起きてからもその時間ぎりぎりまでテレビはつけず、情報をシャットアウトした上で「時差」つきで観戦した。臨場感は5割引きだし、試合内容もあいまって疲労感は5割増しだったような気がする。
つまり、トルコで「テレビ朝日的状況」だったわけです。開幕日にそれが判明した。知人宅で見せてもらうというのはひとつの手だし、実際カメルーン戦は学生の下宿で見せてもらったが、そう何度もできることじゃない。スポーツバーなんてのもこの町にはない。だから、食堂に行ってそこのテレビで見ました。トルコでもイスタンブールエーゲ海岸の町でははばかることなく酒が飲めるが、この町ではまず飲めない。ふつうの町中の食堂ではまずビールなんか出さない。だからアイラン(ヨーグルト飲料)を手に観戦することになる。ここではビールを売っている店も少なくて、ふつうのスーパーには置いてないものだから、わざわざ町の中心部の外資系スーパーで買い込むことになる。ワールドカップが始まるのでせっせと缶ビールを買い置きしておいたのに、アイランを飲む。まあこれはこれでトルコらしくていいのだけども、買いだめビールは冷蔵庫で空しく冷えるのみ。さらに。この町では食堂やカフェは11時までしかやっておらず、それはつまり、9時半開始の試合は見られないということだ。むろんそれより遅くまで開いているところもあるし、酒が飲めるところもあるのだか、こういう町でそんな店だと、客層が悪く、おすすめでない。言うならば禁酒法時代の地下酒場みたいなものだから。だが、ビールならいいが、アイランだのチャイだのでは2時間もねばれない。だから食堂で食事しながら見ることになる。すると1日1試合しか見られない。2時半に昼食とって5時から夕食、なんてわけにはいかない。見たい試合をずいぶんあきらめさせられました。
グループリーグ最終戦は同日同時刻に2試合がキックオフになる。このときはTRTの1と2で同時に中継し、うちのテレビも2のほうは映るから、このときはわが家でビールを飲みながら見ることができた。ただし、メーンイベント、たとえばスペイン−チリ戦などは1の放送で、いわばウラに当たるスイス−ホンジュラス戦が2に割り振られる。ブラジル−ポルトガル戦は見られず、北朝鮮コートジボワールを見なければならないのだ。さいわい、と言うのか、日本−デンマーク戦はウラ扱いで2だから、無事見られました。オモテのオランダ−カメルーンなんかどうでもいいので、これはこれでよかった。韓国−ナイジェリアも2。アルゼンチンも見たいけど、こっちもまあ韓国戦でもいいよ。ブラジル−ポルトガルはつまらなかったらしいから、鄭大世を見るのもよかったかもしれないし、イングランドスロヴェニアのほうが断然第一希望だが、アメリカ−アルジェリアは劇的な終わり方で、これもはずれではなかった。しかしイタリア−スロヴァキアをあきらめてニュージーランドの試合を見せられるのはやはり悲しい。
グループリーグは、見られない試合があっても日本戦の3つさえ見られればあきらめがつく。しかしトーナメントになってからは全部見たい。
トーナメント1回戦と準々決勝の週は、ちょうどカッパドキアのギョレメで行なった日本語キャンプの時期と重なった。カイセリには日本人はエルジェス大の教師の2人しかいない。だから学生は学外で日本語を話す機会がない。しかしカッパドキアには大勢日本人観光客が来るし、またトルコ人と結婚して住んでいる日本人女性も多い。そこで、1週間ペンションに宿をとって(そこの奥さんも日本人)、アンカラの土日基金の日本人教師を招き、日本語の勉強をしようと考えた。午前中は授業をし、食事は日本人女性に日本料理を教えてもらい、夜は旅行会社(ここも奥さんが日本人)の社長やガイドの話を聞き、などと日程を組み立てた(午後はカッパドキアの徒歩ツアーをと考えたが、暑いのでこれはお流れ)。学生は日本人の奥さんたちも「先生」と呼んでいた。接する日本人は教師だけだから、「指導してくれる年長の日本人=『先生』」と理解しているわけで、そこに彼らの現実がのぞいていた。教室だけでは話すのはなかなか上達するものではない。日本人のいるカッパドキアを「活用」しなくては。ありがたいことに、日本人の奥さんたちが大勢、幼稚園以下1歳未満までの子どもを引き連れて集まってくれた。なかなか壮観だった。2名おなかの中にも。夫人連も子どももなお「増殖中」とのこと。遠からず日本人村ができるんじゃなかろうか。しかし、学生のほうは1年生だったので、せっかくの会話のチャンスが十分に生かせなかったのが少し残念。
初めは、キャンプなどやっていると時間が制約される、まずい時期にかちあってしまったなと思っていたが、わが家でテレビが見られないとわかってからは考えは一変、好都合と化しました。実際には懸念どおり、ドイツ−イングランド戦は切れ切れにしか見られず、オランダ−ブラジル戦はあきらめなければならなかった。仕事優先だからしかたがない。逆に日本−パラグアイ戦は、全日本人の総意によりキャンプ日程としてがっちり観戦。夕食は宅配ピデ(トルコ式ピザ)。この夜はサッカーのあとゆかたを着て花火をすることになっていたのだが、延長PK戦にまで行ったので終わるのが1時間近く遅くなり、それから始めたのでもう真っ暗、人影ない中庭で自分たちだけで花火をした。学生はともかく、日本人の意気は今ひとつ上がらなかった。
準々決勝はこうして乗り越え、残るは準決勝と決勝。この際旅行しようと決めた。そうすれば泊まった宿でテレビが見られる。衛星放送だとどのホテルでも見られるというわけではないが(前のヨーロッパ選手権のときは、トビリシに2泊して準決勝を見てからアルメニアに入るという予定だったが、泊まったホテルのテレビでは映らなかったので、急拠1泊で切り上げ、翌日イェレヴァンへ移動してそこで見るというドタバタだった)、TRTならどこでも大丈夫。私の宿舎以外は。
カルスへ行きたいとは前から思っていた。カルス地方は第一次大戦までロシア領だった時期があり、その時代にザカフカスから移住してきたドイツ人やエストニア人、モロカン教徒と村が町の近郊にいくつかできていた。そのうちのドイツ人村ペトロフカが今どうなっているのかを知りたい。日程的には実はかなりきびしかったのだが、無理やり出かけていって、手早く仕事をすませ、準決勝をカルスとエルズルムのホテルで見た。懸案も一応片づいた上、アーシュク(遊歴民謡歌手)の家も訪問できて、歌も聞けた。アニ遺跡にも足をのばし、プラス準決勝。奮発して行ったかいはあった。
勝戦と3位決定戦の日には、絨毯屋でアルバイトしている学生たちのようすを見るために、カッパドキアのユルギュップへ行った。ほんの1時間ほどの距離だから、もちろん日帰りできたのだが、しません。前夜から出向き、その日も泊まり、つまり2泊しました。まあ決勝ですから、このくらいは。いや、よかったですよ。ビールが飲めたんで。ホテル代込みで、ずいぶん高いエフェスビールだったけど。
人間誰しも妄執があります。