シャルワル通学

あるとき「すそ」とは何かと質問されて、説明するのに、ジャケットにもズボンにも裾はあるが、スカートがいちばんわかりやすかろうと思い、スカートをはいた学生をさがしたら、クラスにひとりもいなかった。みなズボンなのである。
そのクラスだけ特別というわけではない。それ以来女の子の足を見る癖がついてしまったが、キャンパスの女子学生はほとんどがズボン姿で、スカーフの子がくるぶしまでのスカートをはいているのを散見するだけ。ミニはもちろん、ふつうの膝下の丈のスカートもほとんどいない。欧米や日本でも女子学生のズボンは多いと思うが、1クラスに25人もいる女の子が全員というほどではあるまい。
肌を露出しないというイスラムの習慣も影響しているだろうと思う。けれども、上は袖なしで胸元も割合開いたものを着ている子も、下はスカートでなく、ましていわんや短パンではなく、長ズボンなのである(パンツと言うべきかもしれないが、下着のパンツと区別できないので採らない。女性の場合種類によってさまざまな名称があるのだろうけども、類概念として「ズボン」で統一する)。そこで思うのは、イスラムというよりシャルワルの伝統が残ったものなのではないか。
「トルコ式もんぺ」と説明されることの多いシャルワルは、ハーレムパンツとも言われ、だぶだぶで足首がしまっているという点ではもんぺだが、股下が異常に短い。スカートに足をつけたような感じである。地方の年配者や老人では男もはいていることがある。
なぜこんな形なのか。ものの本を読めばわかるのだろうが、推測するに、次のようなことでなないか。
昔のトルコでは床にすわることが多かったが、そのときの姿勢は片膝立てだったそうだ。立て膝をするのに、この仕立てなら楽である。畳にどっかとすわるのに、ぶかぶかのズボンがいいのと同じだ。料亭政治華やかなりし頃の政治家諸公は、皆そんなズボンだったらしい。スカートはだいたい、立て膝は言うにおよばず、床にすわること自体にきわめて不適である。
また、スカートや前掛けと同じく、腰かけたとき両脚の間にちょっとしたものを置くスペースができる。簡単な作業をするのによい。
それに、立ち上がったとき背中がつれない。衣服の上と下の間が開いて、肌や下着が見えてしまうということがない。とび職や建設作業員がニッカボッカを好んではくのは、しゃがんだり立ったりをくりかえしても、背中が開いたりしないからだと聞いたことがある。それと同じことがあるのではないか。
ここの女の子がよくするのが、板書に立つとき腰のうしろを整えるしぐさである。そこが乱れてないか確かめているわけで、非常に好ましい。自分でコントロールできないが自分の一部である部分に気を配るということだ。欧米の女どもは(最近の日本の女も)、下着が見えても平気だからね。動物、と思ってしまうのはこちらの頭が古いせいか? 男女平等が横着の奨励なら、そんなものはなくてもいい。
ふつうのスカートが少ないといっても、まれにはいた子もいる。しかしこうも見かけることが乏しいと、久米仙人ではないが、たまに見る脛に目が行くようになってしまう。ふだん見られないものが見られるとうれしいが、また一方で、そんな女性は軽く見える。イスラム諸国では外国人女性が痴漢にあうことが多いというが、その理由はわかるように思う。痴漢よけにはシャルワル、かな?