影見姿見

昔、冬に訪れたスイスの村で、家々の戸口ごとにほうきが立てかけてあるのを見て、はてなと思ったことがある。庭ぼうきなら不思議でないが、明らかに室内用のほうきなのだ。魔除けか何かなのだろうか、魔女のほうきのことなども考えて、いぶかしみつつ眺めていたら、何のことはない、訪問客がやってきたらすぐに疑問は氷解した。ズボンの裾の雪を払うためのものだったのである。冬のスイスはもちろん雪の中、こんな山地なら雪は粉のさらさらで、ほうきで掃き去るのが合理的なのだ。
ハンガリーでは、村の家の戸口に細長い鉄製の枠が立ててあるのを妙に思った。馬をつなぐためのものか? いや、こんなちゃちなものでは、馬が暴れたらすぐ引っこ抜けてしまうし、それに、いかに村だとて今どき馬に乗って歩きもしない。昔の設備が形骸化し、シンボルとして残ったのかとも考えていたら、これも実用品だった。野良から帰ってきた者が、あれで長靴の泥をこそぎ落とすのである。縦に細長いのは、上の部分を握って支え、靴の脇の泥を落とすためであった。春や秋の村の道のありさまを知っていれば、なるほど必需品だとわかる。
そしてここトルコでは、大学の建物の入口に鏡がある。ほう、トルコの学生はそんなに身だしなみに気を使うのか、見かけによらないものだと感心していたが、たしかにこの場合(ほうきや鉄枠と違い)身だしなみのためという推測は外れていないのだが、ちょっと違っているところもあった。あれは、校舎に入るときスカーフを取る女子学生のための鏡なのだった。トルコ共和国というのは国父アタテュルク以来模範的な世俗主義国家で、外ではスカーフをしている女子学生も、校内では取らねばならない。出入りの際つけたりはずしたりするので、入口に鏡が必要なのである。
初めてトルコに来たのは10年ほど前だが、そのときに比べて明らかにスカーフの女性は増えた。カイセリの町中で、半数ぐらいだろうか、スカーフをしている。大学では1割から2割くらいという感じ。しかし日本語学科の教室では誰ひとりしていないので、ははあ、やはり外国語をやろうなんて女の子はそういうものをしないのかと思っていたら、実は校舎内だからはずしているだけだった。
イスラム女性のスカーフについては議論がある。しかしスカーフは、東欧ロシアでふつうに見るもので、地理的に連続しているなと感じるだけだ。あれをあげつらう人は、どうぞルーマニアやロシアに行ってきてから再度所感を聞かせてほしい。むしろすっぽり体を覆い隠す服が気になる。夏の暑い時期にあんな秋も深まった服装ではたいへんだろう。だが、イランやサウジアラビアなどと違い、トルコの女性は別に強制されてあんな格好をしているわけではないのだ。親元を離れ寮や下宿に住んでいる子もつけていて、あらわな髪や腕に体のラインもむきだしの友だちと仲よく歩いている。欧米人は「男性社会の強制」「因習」と言って敵意を示すが、今の政権はともかく、トルコ共和国はスカーフを奨励することはなく、それどころかしないほうを奨励する体制であったのだ。それでなおスカーフをするなら、させておけばいいし、その意思は尊重されなければならない。欧米の「正義」の押しつけに静かに「否」を示している女たちというのは、むしろ小気味よい。
(しかし、東欧やロシアのスカーフとトルコのとには大きな違いもある。ここの女子学生(に限らず、女性一般)はほとんど全員が長い髪をしている。肩までというのは短いほうで、みな背中まで垂れている。ショートヘアというのはごくまれだ。イスラム圏のスカーフは髪を覆い隠すためのものだから、女性は長い髪を巻き上げてまとめ、それをスカーフですっぽり包む。したがってスカーフは東欧のより大きいし、後頭部が突き出た形になる。)
スカーフの女の子に好意的なのは、彼女らがほぼ例外なくまじめでよく勉強する学生だからである。成績も概して優秀だ。少なくともエルジェス大学の日本語学科に関してはそうである。そして教師は職業的にまじめな学生に甘くなる。美人も多いような気がする。ミス日本語学科であろうと思われる学生は、髪はソバージュで、肌は露出しないもののかなりおしゃれだが、外に出たらスカーフである。その美しさをごく親しい者にだけ取っておくというのはゆかしい。そして、教師であるために家族親族にしか見せない姿を見ているのだと思うとトクをした気になったりもするのだが、しかしそれは環境による錯覚というもので、日本では髪つきの女の子の頭なんていつでも眺めているのを忘れてしまった感想である。教訓:何ごとも、秘すれば花
トルコは、女性首相もいたし、女性の社会進出ということではむしろ日本などより進んでいるのではあるまいか。この大学の教員食堂や職員食堂を見ても、男女半々ぐらいだし、職員食堂は看護婦が多いためか女性のほうが多数に見える。しかし主婦率はたぶん高いだろう。子どもが多いので。そして飲食業には女性は非常に少なく、男が圧倒的に多い。ここが欧米や日本とまったく異なる。店員がヒゲおやじばっかりだってごらんなさい、初めて入ったらちょっとひるむ。ウズベキスタンもそうだった。飲食店に女の子がいたら、それはまちがいなくロシア人である。でなければタタール人。彼らは「半ロシア人」だから。
学生たちとカッパドキアへ行って、食堂で昼食をとったとき、注文が終わるとひとりの男子学生が「ナマズ(お祈り)に行きます」と言って外へ出た。トイレに行くことを婉曲にそう言うのかと思ったら、ほんとうにモスクへ行って定時の祈りをしてきたのだった。そんなふうに考えるなんて、自分がいかに世俗的かと気づかされるのと同時に、習慣が身についているさまにいたく感心した。モスクの数が多いのを不思議に思っていたが、どこにいても手近なところでお祈りできるためにあんなに多いのだなと気づいたし、モスクがイスラム教徒の誰にでも開かれた「公共施設」なのだということもわかった。
南にはもっと深いディープ・イスラムが広がっているのだろうが、イスラム初心者へのレッスンとしてはトルコは格好である。カイセリのレストランでビールが飲めないことに驚いたという日本人の団体の感想も、そんな初級レッスンのひとつだ。これがすんだら、次はもっと南へ行けばいい。EUになるつもりなどない国々へ。

(付記:大学内でのスカーフは解禁される方向に動き出したようだ。するとごく近い将来この文も「歴史」になるかもしれない。いいともさ、東独やソ連が「歴史」になるのを目の当たりにしたのだもの、校内のスカーフぐらい。しかし、この夏休みに学部の入口が全面改修されて、新しい鏡が取りつけられたのだけど、新調は空しかったことになるか?)