トルコと日本 ここが似ている、ここが違う

日本語を習っているトルコ人やトルコに住んでいる日本人にとって、日本とトルコは互いに気になる存在のはずだ。この両者は似ているという話をしばしば聞くが、では日本語を勉強しているトルコ人の学生はどう考えているのだろうか。ということで、「日本(人)とトルコ(人)の似ているところは何ですか。ちがうところは何ですか」という質問をエルジェス大学日本語学科の学生に行なってみた。73人から回答を得た。


大学の日本語図書室に安部公房の「榎本武揚」があったので読んでいたら、「此ころ、トルコ人二人会津へ来たり、金山銀山を見出せるにより、若松城下賑はふこと大方ならず、…トルコ人はその性、会津の人と似たりければ、斯よきことの成りといふ」(「海陸新聞」第6号、1868)という当時の新聞記事を引いた個所があった。そんな昔に「トルコ人」が会津に来たというのが事実なのかどうか、それ以前にその新聞記事自体が存在するのかどうかよくわからないが、それが事実でなくても、もしそんな記事が実在するなら、トルコ人と日本人(会津人)が似ているという説には150年近い歴史があることになる。
トルコ人は日本と日本人に親近感をもっている。日本人のほうはトルコのことをよく知らないが(それはトルコ人も同じで、親近感はもっているものの、日本についてどれだけ知っているだろうか? 実際の日本ではなく、「神話」の日本を知っているだけなのでは?)、トルコに行ったことのある日本人はトルコとトルコ人にいい印象をもつのがふつうだ。かといって、アンケートの回答にあったように「日本とトルコは特別な関係である」とか「互いに好きだ」と考えるのは思いこみがすぎるような気がするが。


まず、一般論として「事実」と「認識」はまったく違うことを言っておきたい。
たとえば、日本人はみんな「日本は小さい」と思っている。しかし、大きさが面積のことなら、378000平方キロの日本の国土はけっして小さいわけではない。ヨーロッパ諸国(旧ソ連を除く)で日本より面積の大きいのはフランス、スペイン、スウェーデンぐらいで、あとはみんな日本より小さい(ちなみにトルコは784000平方キロで日本の約2倍)。日本とほぼ同じ面積のドイツ人は、自国を小さいとは考えないだろう。それは比較の対象がイギリスやフランス、イタリアなどであるからで、日本の場合は海をへだてた隣国の中国、ロシア、アメリカなどと比べているからだ(要するに、戦争相手の国と比べているわけだね)。事実と認識の間にはギャップがあって、そこに意識をさぐるアンケート調査のおもしろさがある。
ただし、面積はドイツやイギリスなどよりあっても、日本の場合島国であるうえに、そのうちの3分の2が山林で、人が住めない。だから人が住める土地の面積はたしかに小さい。小さいというより狭い。日本は狭いというのは、たぶん認識としてだけでなく事実としても正しい。
アンケートの回答にも「トルコより小さい」というのがあって、それはもちろん正しいが、「トルコより大きい」という回答もひとつあった。人口や国際的地位を考えての意見かもしれない。それとも単に地理の時間によく勉強しなかっただけ?
また、「似ている」と「違う」の認識のしかたはかなり異なる。「違う」という場合は両者を直接比べてそう言えるけれども、「似ている」という場合、直接比べてそう言えることもあるが、第三者を間に置いて、それと比べるとこの両者は互いに似ていると考えることが多い。日本とトルコの比較の際に、その「第三者」となるのはたぶんヨーロッパであろう。こういう比較の場合、「似ている」といっても、それはトルコと日本だけに共通するのではなく、その間の多くの民族に共通する特徴であることが多い。

 さて、それでアンケートの結果はというと、


似ている:
1.親切・やさしい(18人が回答)
2.家にはいるとき靴を脱ぐ(17人)
3.客好き(13人)
4.同系語(アルタイ語膠着語)・文法似ている(11人)
  文化や伝統を守る
6.家族を大切にする(7人)
  床にすわって食事
8.礼儀正しい(6人)
  お茶
  あまりない


違う:
1.食事・料理(23人)
2.働きぶり(21人)
3.あいさつのしかた(12人)
4.日本人背が低い(7人)
5.感情表現(6人)
6.本(5人)


「似ている」では、「親切・やさしい」「文化や伝統を守る」「礼儀正しい」といったやや抽象的で漠然としたものが多かった。
きわめて具体的なのは「家にはいるとき靴を脱ぐ」であり、これは一見ささいなように見えて、実はかなり本質的なことがらである。「床にすわって食事」や、回答数は少なかったが「押入れにふとんをしまい、寝るときに敷く」(2人)などとも一連の生活文化の様式である。さらに、アパートの入口の外に脱いだ靴が置いてある眺めもそのうちに含まれるかもしれない。盗まれないのかと心配になるが、盗まれないからそうしているのだろう。日本も安全な国だけど、この点はトルコのほうが上だ。
世界には土足民族が多すぎる。「土足で踏みこまれる」というのが尊厳を傷つけられることの比喩になっているほどの日本人から見れば、靴を脱ぐ人たちというのはそれだけで人格高潔なような気がする。
ヨーロッパ人は壁面を埋め尽くさなければ気がすまない暑苦しい性向をもっている。トプカプ宮殿のパビリオンを見たとき、なるほど石造りだから日本の建築とはまったく違うのだが、中の空間の涼しげな感じが印象深かった。モスクもそうだが、よけいなものがないのでそう感じる。靴をはいていてはああはいかない。建築の内部空間のありかたもたぶん似ている。相違点として「日本の住居はせまい」と答えた人がいたが、日本の家で西洋式で暮らすとそうなる。いらないものは押入れにしまうという江戸時代のやりかたで生活すれば、日本の家は広々としていますよ。
だが、「靴を脱ぐ」を日本とトルコの違いとしてあげている人も1人いて、つまり日本人は学校や病院でも靴を脱ぐという点を指摘しているのだ。なるほど。
「親切」「客好き」に関しては、「日本人はトルコ人より親切」(4人)、「トルコ人のほうがもっと人を助ける」「日本人は冷たい」という意見もあった。「トルコ人は客好きだが、日本人は好きでない。家に誘わない」というのも。たしかに家に招くことは少なくて、住宅事情を言い訳にしても、痛い指摘だ。
「家族を大切にする」についても、「日本では家族が大切でない・家族の結びつき弱い」(3人)という意見が無視できない数あった。単身赴任の多さなどを見れば、そう思われてもしかたがない。逆に日本人から見れば、トルコ人は家族の結びつきが強すぎるように思えるが。学生はすきあらば帰省しようとまちかまえているからね。その一方で、似ている点として「親子の断絶」をあげる少数意見がひとつあった。日本についてはたしかにそうだが、トルコでもやはりこんな問題が出てきているのか。
日本語をアルタイ諸語のひとつと見なす説はあるが、学問的に証明されていない。しかし膠着語であるのは同じで、文法は驚くほどよく似ている。似ている点として「iyi」と「いい」をあげた回答がひとつあったが、こういうよく似たことばが百や千の単位でなければ、同系統の言語とは言えない。残念ながら。


相違点を見ると、「食事・料理」が1位なのは納得。全然違う。「トルコ人は辛いものが好きだが、日本人はそうでない」(4人)まで含めれば、かなりの回答数である。具体的に、日本料理では油・塩・砂糖を使うことが少ないと書いた回答もいくつか。特に砂糖の使い方はすごい差だ。トルコ料理はユーラシア料理のひとつだが、日本料理は日本料理として独自の道を行っていて、外国では食材を手に入れるのにも苦労する。海藻がなければ日本料理ってできないんだよね。
「日本人は仕事好き、トルコ人はあまり働かない」というのは、いかにもそうだろうと思うが、「日本人もトルコ人も仕事好き」と答えた人も1人いた。これが多数意見になることは望まないが(みんな日本人みたいになったら世界がつまらなくなる)、有力な少数意見にはなってもいいんじゃないかな。
「あいさつのしかた」も、はなれておじぎするだけの日本人と、抱き合ってキスするトルコ人は両極端ほど違う。距離を置きたがる日本人に対して、トルコ人は抱きつきたくてムズムズしているのかな。「感情表現」についてもそうで、日本では喜怒哀楽の表出を抑えるのが美徳とされる。踊り出さんばかりに喜び、人目もはばからず泣きわめく人たちをうらやましく思うときもないではないが、これはこれでいいものだ。
なお、「日本人は家を出るとき背を向けない」という妙な意見があったが、おじぎをしながら玄関を出て行く人を客観的に眺めれば、たしかにそう見える。
「日本人はトルコ人より背が低い」というのはそのとおりだと思うが、しかし日本の若い世代の背は高くなっていて、数字は知らないがおそらくトルコ人と違わないのではないか。だから、どの世代の日本人を見たかによって回答は異なるだろう。実際、「日本人は背が高く、トルコ人は中型」という回答もひとつあった。もちろん全体としてはトルコ人の平均身長のほうが高いし、体重までふくめた体の大きさではまちがいなくトルコ人のほうがずっと大きい。
「本」というのは、日本人は本をよく読み、トルコ人はあまり読まない、ということ。「日本人は年に25冊、トルコ人は10年に1冊」と数字まで書いた回答もあった。10年に1冊とは思わないが、たしかに本屋は少ないと思う。100万都市のカイセリで、日本の基準で「本屋」と呼んでいいのは筆者の知るかぎり3軒しかない。


多数意見は以上だが、アンケートでおもしろいのは何といっても少数意見である。
「似ている」では、「シャーマニズム・太陽崇拝」(4人)という回答を1年生が多くしていた。つまりイスラム以前の話だが、それはあんまり昔すぎるだろう。そこまでさかのぼってよければ、もっと似ているところはあるはず。「十二支(動物カレンダー)」なんて意見もあったし(でも日本の十二支は中国起源だ)。ただし、「フン族起源」というのはちょっとね。「日本」の「ニ」は「新しい」で、「ホン」は「フン」なんだそうだ。おやおや。
「落語とメッタ」「すもうとギュレシュ」「一休さんとナスレッディン・ホジャ」「サムライとバハトゥルの道徳」などというのもあった。
「帝国だったので、まわりの国から好かれていない」。痛いところだ。事実であるだけに。「軍国主義だった」。同上。
「旗・旗の色」(2人)という回答はおもしろい。日本とトルコにだけ共通することはほとんどないと思われるが、これなどはその数少ない一例だ。ヨーロッパが作り上げた近代国民国家システムに参加するためには、国旗を作らなければならない。非ヨーロッパ諸国の国旗を見ると、ことごとくヨーロッパの旗のマネである。小学校の図工の宿題みたいな旗ばかり。その中で、星月旗と日章旗だけが、民族の伝統のエンブレムを四角の中に置いただけの単純で力強いデザインで、かつ独自である。誇ってよいことだ。日本で朝日が昇るころ、トルコでは月と星が輝いているというわけか。時差にも合っている。
「よく笑う・笑顔(「ほほえむ」ということか)」と「恥ずかしがる(「はにかむ」という意味だろう)」という回答が3人ずつ。もしそれが当たっているなら、よい似かたではあるけれど。「訪問するときおみやげをもっていく」(2人)のもそう。「敬老」(4人)と同じく、悪いことではありません。
「酒好き」(2人)。おや、イスラムのくせに。
地震がある」「温泉がある」。前者は困ったこと、後者はうれしいこと。
「男性上位だが、実際には女性が力をもっている」。日本についてはしかりと断言できるが、トルコもそうだったのか。だがこれは万国共通ではないかとの疑いもある。
それから、「大学入試がある」という回答もあった。トルコの学生もこれで苦労しているらしい。入試のシステムは全然違うが、悩みのタネというのは共通だ。
不思議なことに、似ている点として「トイレ」をあげたものがなかった。和式はほぼ西洋式に駆逐されつつあるので、日本へ行ったことがあっても外国人は目にすることがなくなっているのかもしれない。西洋式はたしかに楽だが、あれには便座が必要になる。だが、たとえばロシアなどでは公共のトイレにはまず便座がない。便座のない洋式トイレほど始末におえないものはない。清潔さという点でも、和式・トルコ式のほうがまさっている。
ただ、「トイレのしゃがむ向き」をあげた回答はひとつあった。トルコでは入口を、日本では奥の壁を向くというわけで、これは和式・トルコ式についての話である。
トルコでも西洋式トイレはもちろんあり、それには簡単なウォシュレットがついている。日本の発明だと思っていたウォシュレットだが、案外トルコのあれから着想を得たのかも。


「違う」では、「地政学的位置」という鋭い指摘があった。トルコは諸文明地域にかこまれた十字路に位置するので、交易路でもあり軍隊の通り道でもあり、血を流さずにはすまなかった。大陸の東のはずれにあって、鎖国なんて勝手なこともできた島国とはまったく違う。
天皇がいる」。スルタンいなくなっちゃったからね。オスマン朝と江戸時代で比べれば、もっともっと類似点は多かっただろう。
「トルコでは果物をキロで買い、日本では個数で買う」「日本人は食べることが好きじゃない・トルコ人はよく食べる」という回答がともに2人ずつ。トルコに暮らすトルコ人はしあわせだね。日本に暮らして、あの果物の値段だったらたいへんなことになるね。
「日本ではいきなり訪問するのは失礼」(2人)、「日本人は予定を手帳に書く」という回答もあったし、「日本人は返事があいまい・いいえと言わない」(2人)というのもあった。言い方があいまいなくせに時間に厳しく、スケジュールをきっちりたてたがる人たちって、けっこう困った人なんじゃなかろうか。
しかし、「いいえと言わない」を両者の共通点としてあげる意見もひとつあった。トルコ人は人がいいとはよく感じるから、そういうこともあるのかもしれない。
「日本は文盲いない・識字率高い」(2人)というのは、日本語教師の強力な後押しです。あの漢字を使っていてこんなに識字率が高いのだ、がんばれば漢字はマスターできるのだ。
「学生のアルバイト」(2人)。言われてみればそのとおりだ。日本の学生はほとんどがアルバイトをしているが、トルコの学生はほとんどがしていない。
「日本人は趣味をもっている」。たしかに。トルコの学生はどうも「趣味=好きなこと」と思っているようで、「母の趣味はそうじをすることです」などと作文に書いてくるが、それは趣味をもつトルコ人が少ないからなのだろうか。いくら掃除が好きでも、「掃除が趣味」とはならないのだが。
外見について、「日本人はアジア系」というのは、モンゴロイドコーカソイドということで言えばたしかにそうだ。
「日本人は互いに似ている」と答えた人が3人いたが、それはおたがいさま、トルコ人も互いによく似ているよ。特にヒゲをはやしているとみんな同じ顔に見える。子どものころアメリカの映画を見ていたら、主人公も悪役も同じ顔なので、筋がわからず困ったことがある。
「日本人は若く見える」「日本女性は子どものように話す」。いかにも。
「日本では女性が夜1人で酒を飲む」という回答も。うん、そのとおり。
「日本人男性はハンサムじゃないが、女性はきれい」というのも2つあった。トルコ人男性と日本人女性のカップルは多いけれど、その逆が非常にすくないのを奇妙に思っていたが、ああ、そういうわけ。なるほど。
「日本人はまじめで、トルコ人はロマンチック」というのもあった。ほう、そうでしたか。
「日本ではおみまいに花をもっていかない、鉢植えならいい」(4人)という回答があったので、鉢植えはだめだよ、「根づく」から。もっていっていいものと悪いものを逆にしているな、テレビあたりでまちがった情報を聞いたんだろうなと思っていたら、人に聞くと、最近の日本ではほんとうにみまいに花はだめなんだそうですね。花粉が出るからというので。病院から遠ざかっている間に、いつのまにかそんなことになっていた。教訓。きのうの常識はきょうの常識ではない。特に日本では。それにしても、最近の日本は殺菌社会をつくるのに血まなこになっていて、自分たちの免疫力を低下させようと励んでいるように思えてならないのだが。


「(似ているところは)あまりない」と答えたのは、日本に行ったことがあったり、日本人と交際があったりする学生に見られた。近づくと、違いのほうが目につき、似ているように思えたことも、一見そう見えるものの、くわしく見ると違いがあることがわかってくるからだろう。
だが、こんなに遠く離れて住んでいるふたつの民族が違うのは当たり前で、そうでありながらなお似ている点が認められたら、それがおもしろいのである。あまり接近して眺めないほうが全体図はよくつかめるのではないか。


筆者がもし問われれば、類似点としてあげたいのは、まず「英語ができない」。日本人もできないけれど、トルコ人は破滅的にできないね。いや、悪口ではありません。両国ともに独立を高く守り、欧米人に尻尾を振らなくてよかった誇らしい過去の不都合な遺産である。外国を旅して経験的に感じるのは、英語使いにはうさんくさいのが多い。善良な人ほど英語ができない。英語ができないのは、ある程度まで善良さのしるしかもしれない。そんなに「善人」ばかりでも困るけど。
それから、「恥」。日本語の「恥」とトルコ語の「ayıp」は、内実を見ればけっこう違いがあるのかもしれないが、それをよく口にすることろは似ている。「いさぎよい」がもっとも好きなことばである日本人にとって、「恥知らず」は最大限のののりしである。しょっちゅう「ayıp」を口にするトルコ人にとってもそれは同じだろうと信じている。人間、恥を知らなければいけません。


(エルジェス大学日本語学科の雑誌「あのね新聞」のために書いたものですが、掲載にあたっては紙数の関係でかなり削らなければならなかったので、全文をここに載せます。)