WM雑感/岡田語録

今回のワールドカップの最大の収穫のひとつは、岡田監督のことばであった。

「監督の仕事は何かというと、ひとつだけ。決断すること」。
「100メートル走では勝てなくても、400メートルリレーなら勝てる可能性がある」。
「サッカーとは試合が終わらないと完成しないストーリーなので。試合前には、われわれは常にそのストーリーを完成させることを信じてチャレンジするだけ。われわれはその可能性があるということを信じていますし、今のわれわれにできることを全力でチャレジする。それ以外はできないですから、それをやるだけです」。
「1勝したくらいで一喜一憂しているような状態ではないので。わたしはちょっと勝ったり負けたりして、いちいち喜んでいられない立場なので、あまり気にしていません。W杯後のことはまったく考えていないし、今はこのW杯のために自分のすべてをささげるつもりでやっています」。
「当然、身長の高さは相手にとってアドバンテージになると思います。では、背が高ければ常に勝てるか。われわれは、やるべきことをやるだけ。クロスボールを上げさせない、競る、まわりのこぼれ球を拾うということをきっちりやる、ということです。あとは、神様がそれでゴールを生むかどうか決めてくれる」。
「「もし負けたら」ということは、考えていないんです。勝つことしか考えていないですから。ただ、負けたら負けたで、われわれができることはベストを尽くすことで、それ以上のことはできないわけで。今、急にみんながうまくなることはあり得ない。今、自分たちの力を出すことしかできない。それをやって、もし結果が出なかったら、われわれが劣っていたことを認めないといけない。批判を受けるなら、受けないといけない。それはしかたないと思っています。その意味で、絶望もしないですし、歓喜もしない。よくやったとも自分では思わないと思います」。
「われわれのチームにはほかのチームにない力があります。それは選手、サポートメンバーを含めた27名、スタッフが目標に向かってひとつになれるということ。サッカーがチームスポーツであることを証明しようということでスタートし、それを見事に証明してくれたと思っています」。

巨大な力、自分の小さな力ではどうすることもできないように思える見上げるほどに大きな力に正面で対峙し、全身全霊をあげてそのきわめて困難な任務を全うした人のことばである。失敗したら全人格を否定する罵詈讒謗を浴びせられたにちがいないことを思え。終わったらサッカーを離れたい、農業をやりたいなどいう発言が漏れてきたときに、この人がどんな場所でどんなに身心を削っているかがうかがえて、深く同情した(その希望はその後ちょっと変わったみたいだけど)。小さな力しかないことを知り、知り抜き、考え、考え抜き、やりとげた。その人のことばである。自分が考え、行為としてつらぬいたことに的確な表現を与えていることにも、静かに感動する。「ベストを尽くす」というのは誰もが言う決まり文句だが、それがどういうことなのかを踏み込んで示している。これを口にする人の多くは実は尽くしていないのかもしれないが、この人はたしかに尽くしたのだということがわかる。私はこれらをこそ「美しい日本語」と呼ぶ。行為者であり、評論家でない。評論家は、いかに犀利であろうとも、評論家にとどまる。ぎりぎりの立場にみずからの身を置いた人のことばの前にはすべて色あせる。

開幕直前に4連敗を喫し、叩かれるだけ叩かれていても、選手の心は離れていなかった。「監督を男にしたい」「このチームでひとつでも長くやりたい」ということばが選手から聞こえた。たかがひとつの敗戦で完全に崩壊したフランスチームを横に置いて眺めると、その違いがいっそう際立つ。
日本にいなかったので見ていないが、帰国時の記者会見では選手にものまねをさせたり、アフリカの歌なるものを歌わせたりしたらしい。そういうことができる雰囲気だったのはすばらしいし、韓国あたりがどうなのかは知らないが、外国のチームで監督と選手の間にそんなことができる関係があるだろうか。これは実に日本的なチームだったし、日本的なまとまりだったのだろうと思う。

たどりついたところは、公言していたベスト4ではなかった。にもかかわらず、試合内容を非難する人はいても、「目標」不達成を非難する人は誰もおらず、賞讃するばかりだ。つまり、その「目標」が今大会で実現できないことはみんなわかっていたということで、それはサッカーを知る人には常識だった。おそらく監督自身をその筆頭に。しかしサッカーをよく知らない人もそうだったというのは、やはり直前の4連敗のおかげか。そう考えると、負けてよかった。4連勝などしていたら、マスコミがあおるだけあおって、日本の実力はベスト16で大喜びしていいレベルだという「真実」が見えなくなっていたかもしれないから。虚像はドイツ大会で十分だ。PK負けは悔しいが、見方を変えればあれでよかったかもしれない。この敗戦で、登らなければならない階梯がはっきり見えた。ベスト8へ進むことがひとつの「物語」となった。「ドーハの悲劇」のあとのように。次はそこだ。