「トルシエ」を支持しますか

先日の作文の試験のテーマは「カッパドキアCappadocia」だったのだが、うっかりマーカーをもってくるのを忘れたので、板書せず口で言っただけだった。まずかったな、きっとまちがえるなと思っていたところ、案の定いろいろな「カッパドキア」が出てきた。
「ア」が「ヤ」になった「カッパドキヤ」は、日本人でそう書く人もいるからまちがいとは言えないが、「カッパドキャ」となるとおかしい。まして「カッパドーキャ」「カッパドッキア」は。
「カパドキヤ」もまたまちがいとは言えない。トルコ語ではKapadokyaだから。「カパドクヤ」や「カパドキャ」もその意味ではおかしくないかもしれない。だが「カパドーキャ」「カパドッキャ」となるとやはりへんである。「カパドックヤ」「カパードクヤ」となるとさらにおかしい。ただ、苦労したんだなというのはよく伝わる。
そのほか、「カップァドキア」「カッポドキア」「カプォドクヤ」など、さまざまな表記をしてくれた。「カッパドチア」もあったが、「カッパドキア」が日本の慣用だから、これもだめである。


だが、「Cappadocia」はすべて開音節だから、問題は少ない。より大きな問題は、たとえばÜrgüp「ウルグホ」(「ホ」は「ポ」のつもりだろう。彼らは濁点や半濁点をよく打ち忘れる)やNevşehir「ネブシェヒリ」のほうなのだ。「ü」とか「v」のような日本語にない音の表わし方の問題もあるけれど、それより注目したいのは「p」「r」という閉音節の後子音の書き方である。もがいているのがよくわかる。


外国の固有名詞をどう書くか。もちろん日本語にない母音や子音をカタカナでどう書き表わすかも大きな問題だけれども、母音の続かない単独の子音もそれと同じかそれ以上に悩ましい。
日本語は(「ン」を除いて)すべて開音節なので、閉音節の多い外国語を写すにはもともと不向きなのである。不向きといったって、絶対に必要なのだから書き表わさねばならない。では、どう書いたらいいか。
規則は一応ある。ウの段で書くのが慣例になっている。「Ürgüp」なら「ユルギュップ」(p:プ)、「Nevşehir」なら「ネヴシェヒル」(r:ル)のように。
例外が「t」である。これは「ト」と書く。「ヒット」「コート」のように。「ツ」とすることもあるが(「クリスマスツリー」のように)、子音の音価がちがってくるので(t/ts)、あまり行なわれない。
これを「トゥ」と書くのが最近のはやりであるらしい。だが、「ゥ」という母音がわざわざそえてあるのだから、「トゥ」は「tu」でしょう。「トゥールーズ Toulouse」のように。これを「t」にあてるのは無理があると思う。小さくても「ゥ」も1文字である。2音節文字を費やしてただの1子音を表わすのは不経済だ。たしかに、ウの段ということでは規則にのっとってはいるけれども、たとえば、昔は「シュツッツガルト」と書かれることの多かった「Stuttgart」は、今はよく「シュトゥットガルト」と書くが(「広辞苑」にもそうある)、「t」を「トゥ」と書く人たちはこの場合の「tu」と「t」をどう書き分けるつもりだろう。むろん同じことは「to」と「t」の「ト」にも言えるが、そこが慣用というものだ。
かつて日本代表の監督に「赤鬼」と言われたフランス人がいた。「トルシエ」である。だが「トゥルシエ」と書かれることもあった。フランス語を知らない方々、カタカナつづりの名前から彼のフランス名が正しく言えますか。困るんだよねえ、ほんとに。日本語表記の無能をつくづく感じてしまう。外国の博物館の説明書に日本語版があっても、それは買わないことにしている。原語のつづりがわからないから。それはおとなりの国も同様で、古い漢文史料の漢字表記を前に、それが現在のどの土地にあたるかをめぐって、東洋史の大家連が侃侃諤諤の論争をするのに似ている。探究心は尊いが、博覧強記の碩学の人生の何分の一かがそんなことに費やされているのかと思うと、ちょっと空しい気もする。
それはともかく、「トルシエ」は(フランス語のつづりは無視してローマ字で表わせば)、‘torusie’ ‘trusie’ ‘torsie’ ‘torushie’ ‘trushie’ ‘torshie’ のどれなのか、カタカナからだけではわからない。2番目が正解であって、Troussierだ。つまりこの場合、「t」は慣用どおり「ト」で表わされている。これを「トゥルシエ」と書けば、ふつう ‘turusie’ ‘tursie’ ‘turushie’ ‘turshie’ のいずれかであって(私は2番目かと思っていた、このカタカナ表記を見たとき)、‘trusie’(または ‘trushie’ )と読めというのは本来無理なはずである。
もちろん、無理を言うならば、「t」を「ト」で表わすということ自体がもともと無理なのである。だが、これは約束事の問題だ。本来「tu」であるはずの「トゥ」を「t」にあてるこざかしさは、無用の混乱を起こすだけだと思うが、如何。


「k」を「キ」と書くことも行なわれている。トルコで。「ekmek(パン)」を「エキメッキ」などと。昔の外来語表記では、たしかに「k」を「キ」と書いていた。「インキ」(<ink)「ペンキ」(<pek)のように。だが「ink」は「インク」とも書くようになり、今ではこちらのほうがふつうだ。
ここの学生NurbekやŞimşekは自分の名前を「ヌルベキ」「シムシェキ」と書く。前任者にそう教わったのだろう。私なら「ヌルベク」(ないし「ヌルベック」)「シムシェク」と書くのだが。そう信じているものを今さら直すのはどうかと思うからがまんしているが、見るたびにムズムズする。
また、トルコ語には「ü」や「ö」の音がある。ドイツ語もそうだ。けれども、「ü」はドイツ語と同じく「ユ」と転写することになっているが、「ö」については、「エ」と書くきまりのドイツ語に対し(「ケルンKöln」のように)、トルコ語では「ョ」と転写する(「ギョレメGöreme」)。それでいくと「söz(ことば)」は「ショズ」のはずだが、こういうのは「ソズ」で、語頭の場合も「オ」。もともと日本語にない音なのだから、それをどう書いてもいいようなものだが、統一がないのは困る。どれかひとつにしてもらえない? トルコ語なんてメジャー言語でないことばで、自分たちの間でだけ通じる規則を作られてもねえ。とにかく、私は断固として「エクメック」と書きます。