ドバイ

われわれの赴任では、往路の切符は支給されるが、帰路はされない。アルメニアと日本を結ぶ路線は、ふつうモスクワ経由だ。元はソ連の国内便だから、毎日何本も飛んでいる。しかし、シェレメチェヴォと成田はきらいな空港ナンバー1とナンバー2である。しかもアエロフロート。行きは給付なので勝手なことは言えず、手配されたとおりに来た。だが、帰りは自費で、自分の好きなようにルート設定できるのだ。何が悲しくて、こんな悪いとこどりの三点セットに金を貢がねばならんのか。
それでいろいろ検討してみると、ドバイ経由という手があった。エミレーツ航空関空着。料金もアエロフロートとほぼ同額(エミレーツは片道、アエロフロートは往復料金での比較だが、後者は片道のほうが往復より高いのである)。しかし週3便だし、うち2便は朝早すぎるので、週1便みたいなものだ。しかも乗り継ぎは15時間待ち。決して便利ではない。だが、シェレメチェヴォと成田が避けられ、かつ同額ならば迷うことはない。ドバイではビザが不要、つまり町に出られるわけで、アラビアには行ったことがないから、それが見られるのもメリットだ。ロシア(そののちソ連)領に組み込まれたためにうっかり見落としているが、西アジアアルメニアが本来属していた文化圏である。それを瞥見できるのもいい。地図を見たら、直線距離でモスクワとほとんど変わらない。イェレヴァンからだと、イラクのモスルのほうがロシア南端のピャチゴルスクやソチより近いのだ。


つまりは消去法で選ばれたルートであって、そのときドバイについては何の予備知識もなかった。最近はインターネットという便利なものがあるので、出発前に一応それで調べてみた。すると、空港に一時預かりがあるかないかという議論をしている。実際それは大きな問題である。当然あるべきものがないというのはよくあることで、初めて外国に行ったとき(ソ連時代のことだが)、ハバロフスク空港の待合室に時計がないのに驚いたことがある。単に見つけられなかっただけかもしれないが、そうだとするとよほどうまく隠したにちがいない。だからドバイもそういう国のひとつかと思っていた。ほとんどこのことだけ心配していて、観光プランなどもっていなかったのだけど。行ってみると、これが非常におもしろかった。


ちょっと見つけにくいが、もちろん空港に一時預かり所はあり、そこに荷物を預け、とりあえず町の「中心」、いちばん古い部分に行ってみた。その「中心部」には城砦があるのだが、これが小さい。これで守れるのならよほど小さい町だったのだなと思った。たしかに、博物館にある昔の写真を見れば、20世紀初頭の段階でもほとんど村と言っていい。
クリークと呼ばれる川のような入り江が旧ドバイの核心をなしており、そこを渡し船が行き交っている。それに乗ったり(おすすめ)、古い商店街を見たり、クリーク沿いに歩いたりしていたら、かなり早く時はたった。夜空には満月がかかった。
ロシア人観光客が多い。無料配布の案内誌も、アラビア語・英語とロシア語版がある。彼らにしてみたら、気候は暑いか暖かいかのふたつだけ、目の前に青い海が広がり、買い物も金の許すかぎりご自由にというのは、ソ連を180度裏返しにしたような楽園だから、押し寄せてくるのもよくわかる。
英語がよく通じる。外国人が8割という国だそうで、彼らは英語を話すし、地元民も見た限りでは英語ができた。クリークの岸でクリケットをしているのも見た。元イギリス植民地、この趣味も受け継いだらしい。
大きな音のくしゃみを聞いた。ヨーロッパでは猫のくしゃみのような押しつぶした音しか聞かない。その点、まちがいなくアジアであった。


帰国したあとで知ったのだが、ドバイには超豪華ホテルやショッピングモールが林立し、それがこの町の売り物だという。この砂漠の地にスキー場まで作っているそうだ。そういうことはまったく知らなかった。それらをこのとき見ていたら、意見は変わったかもしれない。悪いけど、石油はきらいだ。自分がえらいわけでも努力したわけでもないのに、たまたま住んでいる土地の下にそんなものがあったおかげで、分不相応な富を得る。帰国後、ドバイの天をも恐れぬ建築群、現代のバベルの塔が立ち並ぶさまを写真やテレビで見て、これは世界規模のバブルではないかと思った。これらが廃墟となったあとを見たいものだ。
しかし、そういうことを知らずに見た旧市街あたりの印象では、豪勢さとはちがう生活レベルの快適さを感じた。


世の中には「交通の寄生者」という不愉快な連中がいる。人の自由な通行を遮ることで利益を得ている者どものことで、税関吏と道行く者を呼び止めて身分証を提示させる警官、タクシー運転手が代表である。因縁・たかり・袖の下をなりわいとする雲助やゴマの灰、関所の小役人みたいなものだ。日本では克服されたけれど(不要な高速道路を作れと国庫に強請するという形を除いて)、先進国以外の外国ではびっしりと繁茂している商売であり、外国旅行ではこれが憂鬱であり、逆にこれらのわずらいがないのは晴れ上がった青空のような特典だ。
ドバイは、通関はスムーズ(ただし本は取り出していろいろ聞かれた)、公共交通網(バス)は発達しているし、タクシーには乗らなかったが、実に整然としており、一見してメーターで走るなとわかる。
妨げられないということである。歩くのにも苦労がない。タクシーがメーターで走らない土地というのは、「外国人であること」に伴うわずらわしさが何かとあって、一方で特権もあるが、たかられもするし、まわりから妙な視線や態度が向けられることが多い。この町にはこれもない。「外国人である」というのがごくふつうの人間のあり方であるわけだ。構われず、構える必要もないというのは身体的な快感だと知った。
湿りの国と砂漠の国、顔立ちもまるで異なり、日本とは対極的と言っていいくらいちがう土地だが、共通する部分が多々ある。危険な感じがまったくない。そりゃあ砂漠の国だから、「水と安全」のうち水は貴重だろうが、安全は日本並みの値段に見えた。
衣食足ってこそだなと思う。豊かさは恵みだ。それはゆとりを生む。ゆとりに乏しいところからここへ来ると、それがよくわかる。


この世界は豊かな人々によって支配されている。つまり西欧北米の先進国のことで、日本もそのクラブに加わってはいるが、十全のメンバーとはたりえていない。クラブを、そして世界を牛耳っているのは彼らである。
彼らはまずルールを独占している。現代の政治や経済運営のルールは彼らの定めたものだ。スポーツの例(そもそも「スポーツ」というもの自体西欧発祥であるのだが)がわかりやすい。たとえばスキーのジャンプで日本選手が活躍すると、ただちにルールが改正され、日本人にメダルが取れないように改められる。今スピード社の水着が世界新連発の画期的な「魔法の水着」と言われているが、あれがすんなり公式競技用に認められたのはイギリスの会社だからだろうと思われる。もし日本の会社がああいうものを開発したら、難癖つけられて排除されるに決まっている。柔道では日本が盟主のはずだが、それでもどうかすると彼らの論理が貫徹されそうでハラハラする。
情報もまた独占されている。世界共通語は英語であり、英語ないしフランス語で発信されない限り世の中にその情報は存在しないも同然であるし、情報を発信するシステムも彼らの手中にある。おとなりカタールの衛星放送局アルジャジーラが、ようやくその独占体制に風穴をあけた。「イスラム」という今世界でもっとも「熱い」情報を握っているからできたのだが、富の裏づけがあったこともそれを可能にしたのだ。
ルールの独占、情報の独占は、正義をも独占させてしまう。北京オリンピックをめぐるフランスのふるまいにそれが顕著に認められる。あれを見ていると、何が正しいかはフランスが決めることになっているみたいだ。中国がチベットや新彊でやっていることはまったく支持しないけれども、鯨について勝手な理屈を押しつけられ、「テロリスト」のほしいままな攻撃を受けている立場から、聖火リレーをめぐる騒動は眺められるべきだ。


富のもつさまざまな力について、富めるドバイは考えさせる。15時間で何がわかる? 15年間あれば多くのことがわかるにちがいない。だが、15時間でわかることは、15年間でわかることより本質的なものをいくつか含んでいると思う。