カタカナ先習論

私のアルメニア語学習なんて「学習」とは言えないいいかげんなもので、一人で勝手にボソボソやっていただけ、ものの役に立つ段階に達することはるか遠いまま帰国してやめてしまったが(文法構造がわかればそれでいいなんて程度の動機だから、ハナからてんでダメなのである)、それでもこれを通じて考えさせられることはいくつかあった。
アルメニア文字にも大文字と小文字があり、形はだいたい似ているが、中には少々かけはなれたものもある。そのほかに筆記体があって、活字体をなぞったものではあるが、決して同一ではないので注意せねばならない。現実に多く目にするのは小文字だけれど、看板などには大文字だけで書かれたものも多い。これらすべてを習得することになるのだけども、その際に学習ストラテジーが必要だなということはすぐわかった。独学なら我流でそれをあみだすほかないが、教室で教えるなら教師は明確にそのプログラムをもっていなければならない。
ひるがえって、日本語ではどうか。


日本の小学校でやっているように、外国人も日本語を学ぶとき最初にまずひらがなを習う。われわれはそれを当たり前のように思っているが、井上ひさし「ニホン語日記」でも指摘されているとおり、そこには一考の余地があるのではないか。日本でも戦前カタカナを先に教えていたように、外国の日本語教育でもカタカナを先にしたほうがより効果的なのではないだろうか。
現代日本語の正書法たる「漢字かな交じり文」の「かな」とはまずもってひらがなのことで、カタカナは補助的なものでしかない。ひらがなを覚えないとテキストの学習が始められない。だから、ひらがなをともかくまず覚えさせて、カタカナはあとでおいおいやればいい、そして漢字はゆるゆると、というのは自然な考え方である。しかし一方で、次のようなことも考えなければならない。
カタカナを先にしたほうが手順がいい。何せ外国人である自分の名前はカタカナで書くのだから、こっちを先に教えてしまうのはその点で合理的だ(中国人だって、中国音をなぞって書くときには「チャン・ツィーイー」などとカタカナだ)。自分の名前はもちろんすぐ覚えるし、町の名前、国名なども必要だから習得が早い。家族の名前を書いて来いだの、友だちの名前を板書せよだのと課題も出しやすい。
曲線的なひらがなより直線的なカタカナのほうが字形の習得が容易で、その後の漢字学習にも連絡がつけやすい。ひらがなもカタカナも漢字から派生した文字であり、漢字の音を借りて、その形を簡略にしたものである。全体を曲線的にくずしたのがひらがなで、一部を取り出したのがカタカナだ。本来円形の太陽を写したものである「日」の字の四角を見ればわかるように、きわめて直線的な形状が漢字の性格である。この不幸な人々はやがて漢字も覚えていかねばならないのだが(目を悪くすることだろう)、形からも、それがもともと漢字の一部分であることからしても、カタカナからのほうが漢字学習へすんなり入っていける。漢字との関係の近さは、カタカナのほうが成立が早いことからもうかがえる。
ひらがなとカタカナは、3分の1ほどはそれぞれちがう漢字に由来するが、同じ漢字を元にしている字が3分の2以上である。その例を示し、文字成立の道筋をのみこませれば、学習に便宜があるだろう(「己」>「こ・コ」;「不」>「ふ・フ」;「呂」>「ろ・ロ」など:先だってあなたがたは「コ」というカタカナを覚えたが、これは実は「コ」という音をもつこの漢字(「己」)の一部をとったものである。この漢字全体をくずして書くと、ほら、このとおり、「こ」というひらがなになるでしょう、等々)。目の前のものをひとつずつ闇雲に覚えるより、大きなシェーマが頭にあったほうが学習効率はよくなるにちがいない。
書き順の問題もある。漢字の話ではありませんよ。ひらがなやカタカナでひどい書き方をする学習者が多いのだ。現地人教師がまちがった手本を示している場合もあるし、我流で勝手に書いている場合もあるが、要するに指導がいいかげんなのだ。書き順については最初にきちんとやっておく必要がある(ここで筆順といっても、ごくごく基本的なこと、つまり上から下、左から右に書くのだよということを指す。下から上に書くな、ロを一筆書きで書くなというレベルの話である)。直線的で漢字に連なるカタカナのほうがこういうことも指導しやすい。
書き順が正しくないと何がいけないか。書き順にそえば字がきれいに書ける、逆に言えばそこがめちゃくちゃだときれいな字にならない。また、手書きの字を読むときにも困る。手書きではつづけ字やくずし字が出てくるが、それを読むとき筆順を知らないと見当がつけにくい。その際、筆記体という概念を用いて、学習者の母語の例をあげ、こう書くものをこう書いたら何の字かわからなくなるだろ、というふうに示せば、平気で下から上に、右から左に書いている彼らにもよくわかるだろう。
文字学習に時間をかける日本の1年生とちがい、外国の大学などでの日本語学習では、かな文字は最初の半月とかひと月ぐらいでワッワッとやっつけてしまう。だからその短い期間だけの話である。ひらがなもカタカナもいずれにせよ習得するわけだし、習得ののちはひらがなのほうを多用する。結果としては同じこと、最初のとっかかりをどうするか、初めの力点の置きどころをどうするかというだけの問題だ。そうではあっても、学習により効果のあるようにとりはかられるのが望ましい。日本の小学生に対してはともかく、外国人の日本語学習における「カタカナ先習論」は真剣に論じられてもいいのではなかろうか。