話されなかったスピーチ/私たちとアル・フェルガーニー

弁論大会の予選で終わるスピーチが好きだというのは、前に書いたことがある。本大会に出てきたり、そこで入賞したりするようなスピーチは、審査員受けのいい「よい子の意見」であることが多いもの。もちろん指導する以上好成績は望むが、それとはまったく別のところで、「点数化されれば上位には来ないが、しかし考えさせられ楽しくなる意見」には心の底から好意をもっている。弁論大会をする意味は予選をすることにあるとさえ思っている。
だが、ことはもう一段深い。弁論大会で発表されないスピーチというものもあるのだ。発表できなかった理由はさまざまだが、それを書いた学生にではなく、周囲に問題があるという点は共通だ。教師を長くやっていると、そういう不幸なスピーチ原稿が手元にたまってくる。それらのうちからいくつかをこの場を使って紹介したい。

お読みになればわかるが、これが没になった理由は想像がつく。彼女はこのとき、まずこの作文を書いたのだけど、別のテーマに書き換えさせられ、そちらのほうで出場した(出場すること自体はできたのだ)。民主主義とは言えない政体のもとでは、教師も気をつかう。弁論大会は公的行事だから、そこでスピーチすることで発表者が将来不利益をこうむらないか。非常におもしろい作文だけれども、「そこまで言っちゃって大丈夫?」とは思うから、没にした人を一概に責めるわけにはいかないが、ある意味で非常に弁論大会にふさわしく、よいスピーチになったであろうことは確実だ。聞いてはもらえなかったが、読んではもらっていいと思う。土地の実情を知ることができて、新赴任者にとっては有益だろう。しかし日本人が読むことにではなく、ウズベク人が聞くことのほうにこのスピーチの眼目はあるのだが。


<私たちとアル・フェルガーニー/ホシモワ・ユルドゥズ>

私は今年大学にはいりました。私の想像では、大学はすばらしいところでした。大学に行って、授業をうけて、私はほんとうに幸せでした。でも、授業が始まって1週間すると、学生たちは綿をつむために野原へつれていかれました。綿つみは2か月続きました。国のために働くのはいいことですが、勉強は2か月おくれました。
やっと綿つみが終わって、大学にもどりました。大学では新しい授業がたくさんありました。先生たちは、いっしょうけんめい勉強しなさい、毎回宿題をやってきなさいと言いました。宿題がたくさんあるので間に合わないと悩みました。でも、悩みはそれだけではなかったのです。
私たちは毎日何かに驚いていました。
授業時間に、私たちはいろいろなけんちくげんばや公園につれていかれました。そうじをするために。これは町のためにはなりますが、授業のかわりにはどうでしょうか。
ある日、私たちは28人の教室で、3つのクラスの75人で授業をうけました。2人分のいすに4人ですわりました。すわれない学生は立っていました。そしてノートをとりましたが、それはなかなかむずかしいしごとでした。もうこの教室には来たくないと思いましたが、法律学の授業はいつもその教室でありました。先生が出席をとると、「はい」とこたえます。立っている学生は、立ったまま「はい」と言います。ある学生が呼ばれて、「はい」とこたえましたが、すがたが見えません。先生が「どこ?」ときくと、「ここです」と言って、つくえの下から出てきました。つかれて、ゆかにすわっていたのです。ゆかにすわるのは、冬はつらいです。教室は寒いですから、学生はコートやぼうしをぬぎません。
その授業のあとは、体育でした。ある日、体育の授業に行くために急いでいたら、上級生の友だちに会いました。映画を見に行くところで、私もさそわれました。「体育の授業があります」と言ったら、先生はだれかときかれました。先生の名前を言うと、「じゃあ、行かなくてもだいじょうぶ。その先生はいい先生ですよ。試験のとき、授業に出なかった学生からも、出た学生と同じお金しかとりません」と言いました。
試験がちかづきました。試験のとき、先生たちは別人になりました。勉強した学生にも、しなかった学生にも、同じ点をつけます。いい点にかえてもらうために、学生はお金をはらわなければなりません。これを「bribe」といいます。私がいちばん好きな授業は法律学でした。この先生の授業はおもしろくて、法律学のおもしろさを教えてくれました。この先生は、「私は「bribe」をもらいません。「bribe」は国の発展をおくらせてしまいます」といっていました。でも、やっぱりもらいました。
私はがっかりして、外国に留学した友だちに、あなたの大学にも「bribe」があるかとききました。「ないよ」というこたえをきいて、その国がどうして発展したかがわかりました。
入学して、学生証がもらえるまで3か月かかりました。その間図書館から必要な本をかりることができないので、こまりました。でも上級生は、「学生証があっても、必要な本はかりられないでしょう。図書館にないのだから」と言いました。たしかに、やっと学生証をもらって図書館に行ってみて、ほんとうだとわかりました。私たちからあんなにお金をあつめているのに、へんですね。
今、私はわかりました。私たちの先生の先生たちも、そのまた先生たちも、今の先生が私たちにするようにしていたのです。ですから、今も「bribe」がつづいているのです。すべては教育からはじまります。数は少なくても、ほんとうにいっしょうけんめい働いている先生が集まれば、大きな力になります。私たちはいいせんもんかになって、みほんにならなければなりません。若者は悪いしゅうかんにたいしてたたかいをはじめなければなりません。だって、私たちは、世界のぶんめいにきよしたアル・フェルガーニー、イブン・シーナー、アル・ビルーニーの国民ではありませんか。
私たちのしょうらいは、私たちの今からはじまります。■