私たちの問題と私たちの弁論大会

 先日サハリンの弁論大会も無事終わったようで、これでシーズン・オフ。他地域を横目に見つつふりかえれば、やたら突出しているのがウズベク人の弁論大会愛好癖です。そのメンタリティに迫る一助となりそうな、おもしろいスピーチを紹介します。5月にタシケントで行なわれた高校生以下の弁論大会で入賞したもの。こんな思いを持ってくれている人たちのためには、どうしたって大会を催さないわけにはいきません。


<私たちの問題と私たちの弁論大会/ホシモワ・ユルドゥズ>

 私がべんろんたいかいのじゅんびをしていた時、クラスメートは「どんなスピーチをするの?」と聞きました。クラスメートはいつも、べんろんたいかいのプログラムを学校に持ってくるようにたのみます。それで、私はいつもプログラムを持ってきます。かれらは子どもたちがどんなスピーチをしたかにきょうみがあるのです。友達は、このべんろんたいかいを通じて、子どもたちが考えている問題を、おとなたちにわかってもらいたいと思っています。そして、「私たちの問題について書いてね」と言います。
 私たちのクラスはせいとが30人です。せいとの中で8人にお父さんがいません。2人にお母さんがいません。小学校の時は、友達のむねのいたみが今のようにはわかりませんでした。国はそんなせいとたちにぶっしつてきなえんじょをあたえました。かれらは学校でせいとがあつまっている前でふくをもらいました。でも、かれらの目はかなしそうでした。このことを今も思い出します。かれらは、自分たちはほかのせいとたちより低いのだとかんじました。私のクラスメートはこのふくをきませんでした。
 ある日、先生がクラスメートの男の子をしかりました。この男の子は友達とけんかしたのです。先生は、お父さんをよんできなさいと言いました。かれは学校を出て行きました。そして帰ってきませんでした。私たちはかれのかばんを持って、うちに帰りました。でも、かれはこの日晩までうちに帰ってきませんでした。母親はしんぱいしました。私たちはかれをさがして、スタジアムでみつけました。かれはひとりですわってないていました。私はかれのかなしい目がわすれられません。でも、お父さんがいないのはかれのつみではありません。どうしておとなたちは子どもたちのことがあまりわからないのでしょうか。かれらもむかし子どもでしたよ。
 また、小学校の時、母の日のおいわいをしました。お母さんたちも学校にきました。私たちはうたをうたったり、おどったり、自分の母親にプレゼントをあげたりしました。でも、その日母がいないふたりの子はきませんでした。私たちは、かれらに対して自分につみがあるようにかんじました。なぜなら、私たちはかれらになにも手助けができませんでしたから。
 こんな友達の胸の痛みを思い出して、おとなになっても、そんなまちがいを自分の子やほかの子どもたちにくりかえしたくないと思います。
 今年私は学校をおわります。今日が、私が子どものべんろんたいかいにさんかするさいごのきかいです。このべんろんたいかいでだけ、子どもたちは自分の問題や楽しみについてスピーチすることができます。そして、どうやって問題をかいけつしたらいいかを見つけるためにどりょくします。私は考えます。もし私たちみんなが子どもの時にこの問題についてしっかり考えたら、おとなになった時、せかい中に子どものむねのいたみやかなしい目がなくなるでしょう。