山の南

「レモン」の木は花さきくらき林の中に
こがね色したる柑子は枝もたわゝにみのり
青く晴れし空よりしづやかに風吹き
「ミルテ」の木はしづかに「ラウレル」の木は高く
くもにそびえて立てる国をしるやかなたへ
君とともにゆかまし


「ミニヨン」、アルプスの北に生まれ育ったゲーテが、「山の南」に憧れて歌った詩である。陽光と乾燥と、そして豊かな果実のみのりが山嶺の向こうにはある。
寒気厳しい国において、冬は平等主義者だ。夏の景観がどんなに異なっていようと、雪に埋もれた今のアルメニアの風景は、ロシアやシベリアと変わらない。裸の木々はどれも似た姿で、道行く分厚いコートの人々もご同様。冬将軍麾下の大国ロシアに倣った備えをしている。それに、踏みしめられて凍りついた道を歩くので、すべらないよう下ばかり見ていて視界も狭いのだ。
だがイェレヴァンでは、10月の末まで街行く人々は半袖だった。空気がひどく乾燥し、すぐにのどが渇くのだけれど、そんなときのために町のあちこちに水飲み場があり、そこからは四六時中水が出ていて、あふれた水が歩道を流れる。いや、けっして無駄にこぼれているのではない。流れていく先は街路樹の根元なのだから。浸みこんで地下水となり、川や泉に湧き出すか、蒸発して大気に還り、雨となってもどってくるかする大きな水の流れの、人の手で人のために使われるわずかな部分を水飲み場に見ているだけだ。秋には町の中心から少し出外れた家の庭には葡萄棚に葡萄が実り、どうかすると集合住宅の壁にも葡萄の蔓がはいのぼっている。石の豊富な国らしく、ほとんどがみみっちい煉瓦とは質感も量感もちがう石造りの家で、眉立ちのはっきりした女性がそこから出てくる。坂をくだり大学へ通う道すがら、車の音は少々うるさいが(それに運転は荒っぽい)、清澄な大気をとおして山の稜線がはるかに見える。もう二度と見ることがないであろうアルメニアの甘やかな秋の日々を、寒さに凍える今胸いっぱいに反芻する。
初めてこの「山の南」に来たのは、もう7年も前である。ロシアから空路コーカサスを越えると、そこはまったく別の国だった。気候がちがい植生がかわり、したがって家の造りもちがっていて、文明そのものがまったく異なる。第一、文字がまったく別物で、奇妙な形にとぐろをまいている。木造のバルコニーがせり出した家々。そこに丸っこいグルジア文字で書かれた看板が並んでいる。そんな古風な看板の下に、髪黒々と眉太く、髯濃くいかつい顔で縁なしの羊の毛皮帽をかぶった、まあ言ってみればコントの山賊のような男が立っているのを見たときには、軽い目まいを感じた。こりゃあまったく。アルメニアに来たときにはその経験があったのでそう驚きはしなかったが、ああ、ここもそうかと感じ入った。パラジャーノフの映画の豪奢とピロスマニの絵の素朴がここの文化の根っこにある。帝政ロシアソ連の統治下で表面的には似たような建物が造られているけれど、基層の部分ではロシアとザカフカスは全然ちかう別世界である。ゲーテがアルプスの南に憧れたごとく、北方人はコーカサスの南に憧れてよい。
ドイツに留学した人が、冬の間どんより曇る日ばかりがつづくのに参ったと書いているのを読んで、不思議に思ったものだ。わが山陰(「山の北」の意)も冬はほとんど曇っているのだから。しかし東京に幾冬か暮らし、ここの冬は晴天が多く、からっ風の吹く天気だと知って、なるほどと思った。こういうところで育った人の感想か。日本でも脊梁山脈の北と南は気候がちがう。夏はどちらも蒸し暑く、ほとんどかわりないけれど、冬はまったく異なる。「ミニヨン」を訳した鴎外、彼も山陰の人である。訳す資格は十分にある。では、われわれは山陽に憧れなければならないか? いやどうして、みかんの花が咲いているくらいじゃあね。さえぎる山脈の峻険さと憧れは正比例する。中国山地じゃとてもとても。