寒行としての図書館

着任してから前期が終わるまでの学期中は、何かと気が休まらなくて、ひまな時間があってもなかなか自分の好きなことはできない。授業が終わり、試験期間とそれに続く冬休みになってようやく、じっくり本でも読もうかということになるのだが、ここでは別の難敵と戦わなければならない。マローズ(冬寒)である。休みの時期は、寒さで名高いロシアで最も寒い時期なのだ。
今年は厳寒に見舞われているここイェレヴァンでも、国立図書館に通ってモヴセス・ホレナツィの独訳書を読んでいる。だが閲覧室に暖房ははいってなくて、単に閲覧者たちの体の温気によるだけのようだ。それとも何かがわずかにはいっているのかもしれないけれど、いずれにせよコートは脱げず、むくむく着ぶくれた人たちが帽子をかぶったまま読書している。目録室にはまったく暖房がなく、請求票に書き入れる指先がかじかんでしまう。まるで寒行だね。でも「行」仲間もけっこういるのです。外国人は見かげないけど。
ハバロフスクにいたときも、冬休みに図書館通いをした。あそこでは外国語の本は外国語図書館にあり(樺太庁旧蔵の百科事典などがあった)、その中でも古い本は別の場所に置いてある。シュレンクの「アムール誌」が読みたかったので、そちらの「別館」に行ってみたら、それはアパートの一室を改造したものだった。閲覧室などはなく、古い応接セットのソファに一人すわって読むのだが、テーブルが低く(応接間だものね)、大判の本だと持つ手がしんどいし、書きものにはおそろしく不便である。膝の上でカードに抜書きをする。無理な姿勢だから、いろいろなところが凝ってしまった。あ、ちなみにここは暖房あります。なかったら生死に関わるからね、シベリアでは。でも日の暮れた帰り道など身を切るように寒い。コピーを取るには州立図書館長の許可を得ねばならず、やっとさがしあてた館長は、用件を聞くと白紙を取り出し、それにさらさらと手書きで文言を書いた。飾り書体の麗筆ではあるが、許可証が手書きなのには驚いた。関所手形じゃあるまいし、ほんとに20世紀かい?と思ってしまった(そのときは20世紀の最末年だったのである)。
学生時代、演劇博物館の図書室でレオポルド・シュミットの「ドイツ民俗劇」をぽつりぽつり読んでいたころのことを思い出す。日本だから外の寒さはさほどでもないはずだが、暖房がはいってなかったり弱かったりするものだから、手を腿の下に置いて、本の上にかがみこむようにして読んでいた。椅子の固さ、木の床の感触(何せグローブ座なので)、消毒液の匂い。あのころから図書館における私の将来は予定されていたのかもしれない。
休みだから、旅行することもある。カザンにいたとき、トビリシに出かけた。カザンよりはましだが、しかしやはり寒い。寒いはずだよ、暖房がないのだもの。中央暖房は止まって久しく(それは今のアルメニアも同様)、暖を取るのは電気のヒーターに頼るのだが、当時グルジアはその電気の供給が乏しくて、一日に数時間だった。だから人々は、停電中は小型の自家発電機を回してしのぐのだけども、それが路上でうなっているさまは奇観だった。そうやっても薄ぼんやりとしかつかない。ある日本人留学生と知り合って訪ねたその部屋は、グルジア式の古い家に間借りした一室。薄ら寒くほの暗い中、彼の買い集めたさっぱり見当のつかぬグルジア文字の千巻の書に囲まれて語り合ったのは、今も印象に残っている。この暮れにわずか一日だけ再訪したトビリシは、豪勢なクリスマスのイルミネーションが煌々と輝いていて、別の町を見る思いだった。しかしどうも、こちらが間違いで、あちらのほうが正しかったような気がしてならない。
イェレヴァンの国立図書館では、請求した本が出てくるのは2時間後。しかし1か月の間は図書出納係の背後の棚の自分の図書利用番号のところに留めおかれて、独占的に利用できる。つまり、館外へ持ち出せないだけで、貸し出しと同じなのだが、人に使われていたらその間は読めないというわけだ。一面で便利さもあるが、実際のところは非能率的なシステムである。
何も旧ソ連に限ったことはない。ウィーン大学の図書館もときどき利用したが、図書請求票を箱に入れても、1日に3、4回しか回収に来ない。請求した本は棚に置かれ、それを利用者がめいめい自分で取って席で読むという、おそらく19世紀以来変わっていないんじゃないかと思われる方式だった。
そんなシステムの非効率性を笑うことはできる。むろんそういうところは改善されなければならないが、そんな環境の中でもすぐれた学者は仕事にはげみ、業績をあげているのである。そちらのほうがはるかに重要だ。
このごろ岩波新書の青版をよく読む。すでに乗り越えられてしまったものを除いて、データは当然古いとしても、内容的には決して古びていないというか、今も啓発されるところが多いのに驚く。その一方で、新赤版の安直さにも驚かざるを得ない。あれを見ると、「われわれは退歩しているのではないか?」との思いをもってしまう。
青版の著者たちが執筆していたころの日本の図書館は、今から見ればお粗末なものだったにちがいない。今は格段に利用しやすくなった国会図書館が、入館に際しいちいち住所氏名年齢職業、ロッカーや傘立ての番号まで記入せねばならず、参考室などの出入りも面倒で、いかにもお上が「差し許す」「下しおく」臭が漂っていたのは、そんな昔のことではない。豊かになった今の日本では、蔵書も拡充され、IT化が進んで作業はスムーズ、検索は容易、アクセスもかなりスピーディ、さまざまなサービスも充実してきているし、空調はもちろんのこと万全だ。現時点の日本から見れば、旧ソ連の図書館は遅れていることはなはだしく、技術革新、インフラ整備、それらに増して体質改善の必要があることは間違いない。図書館の整備と充実ははかられなければならない。もちろんそうでなければならないが、しかしその結果が「新赤版」だったら、恥じる必要があるのはわれわれかもしれないと考えてみてもいいのではないだろうか。