日本国有鉄道を論じてITに及ぶ

台湾へ行ったとき、九份(ここへ来る観光客の半分は日本人で、そのまた半分は関西人だと思う)から台北へ「JRで行くか、バスで行くか」話し合っている日本人客の会話を聞いた。その人は「国鉄=JR」の変換式が深く身についているのだろう。この場合、「国鉄」と言ったとしたらおかしくない。台湾国鉄も「国鉄」だろうから。
「木」だの「葉」だのは万葉の昔から変わらぬ日本語であるけれど、それを口にしたからといって「ふるーい」なんて言われる恐れはない。本来「ごくごく新しい言葉」に限って、口にすると「古い」と言われてしまう逆説の中にわれわれは生きている。「国鉄」「国電」もそんな言葉になってしまった。さらに前は「省線」と呼ばれていたんだけど。「映画」は「活動」だったな。見てなさい、そのうち「JR」と言うと、「何それ、ダサーい」と言われる日が来るよ(「JR」より先に「ダサい」のほうがダサくなってそうだが)。
という論理で、今も「汽車」と言いつづける自分を擁護しようというわけではないのだが、日本語の大勢として、鉄道旅客列車は「電車」に統一されつつある。昔、年若い都会地のイトコが新幹線を「電車」と呼んでいるのを聞いて、ちょっと驚いた経験がある。私にとって「電車」とは国電区間を走っている吊り革ぶらさげたもののことで、それ以外の長距離列車は「汽車」だったから。なるほど、蒸気機関車でないものを「汽車」と呼ぶのもヘンはヘンだろうが(まして完全電化の「夢の超特急」を)、山陰線は電化されていないので、そこを走っているものは断じて「電車」ではないという確固たる論理があるのだが、山陰線沿線住民の数は圧倒的少数で、とうてい世の趨勢に抗えるものではない。結局「電車」で押し切られてしまうのは見えているが、私個人に関しては、「汽車」と言いつづけて生涯を終わることだろう(貫徹できるかどうか、微妙ではあるのです。今は「汽車」と言ってもわかってもらえるが、それが何の意味か瞬時に判断できない人がふえてきたら、「記者」や「貴社」など同音異義語の多い「汽車」は不利である。汎用語では同音にほぼそれ一語しかない「電車」に乗り換えるほうが、合理的ではあるのです。だが人間の本質には非合理がとぐろを巻いてるんでねえ)。
とはいえ、世人畏るべしだ。「JR」への名称変更は混乱なく成功したが、国電を「E電」と呼ばせようとしてもののみごとに失敗した例は、民衆投票みたいで愉快だった。


日本人にとって、高速鉄道はみんな「新幹線」だ。「台湾新幹線」に「韓国新幹線」、「中国新幹線」も先日走り出したらしい。TGVも「フランス新幹線」なんだねえ。「新幹線」って、字義通りには「新しい幹線鉄道」なんだが、夢と憧れの超特急、「特別仕様の高速列車」という意味でのみ使われている。
「携帯」というのも、本来の意味の「持ち歩く」から離れて、「携帯電話」をまっさきに意味することになってしまった(もちろん本来の意味でも普通に使われるけれども)。電話を意味するときは「ケータイ」とカタカナ表記したほうがいいし、その軽さにおいて呼応している。
電車にのった若者は、眠っていなければケータイでメールしているというのは今や日常の車内風景になったが、ケータイなんてついこのあいだ広まったものだ。オウム事件がありましたね。そんな昔のことじゃない。あの直後、函館でサリンの袋を持っていると見せかけたハイジャック事件が起きた。そのとき、乗り合わせていた加藤登紀子(だったか)の付け人が携帯電話で外と連絡を取っていたというのがニュースになった。携帯電話は普及しはじめていたが、それを持っていることはまだニュースになったのだ。
それと同じ頃だと思うが、女子高生の間でポケベルがはやっているという記事を読んで、へえと思ったものだ。外に出ている社員を呼び出すための道具を、彼女らは通信に使っている、殺された友だちのポケベルに励ましの言葉が寄せられているという不思議に感動的な記事を読んだのを覚えている。もう励ませないのに。彼女らはその後ごく自然にケータイ使用に移行したのだろうが、一瞬そんな時代があったのだ。


外国へ行ったり帰ったりを繰り返していると、時折軽いめまいに襲われる。行く前はレコード屋だったのに、3年後に帰ってくるとすべてCD屋になっていたときなどがそうだ。
わずか半年いなかっただけなのに、行く前は見た記憶のない「立ち上げる」という言葉を、帰ってくるとあちこちで見かけて、不審に思ったことがある。「立ち上がる」とは明らかに意味が違うし、「立てる」でもないし、「起こす」に近い意味のようだが、いったい何なんだ、こいつは? 昔からあるような顔をして、特にビジネス界やマスコミ関係で違和感なく使われているこの言葉は、生誕年まで特定できる新語である。不在のわずか半年で日本語が変わってしまった経験として、「心の傷」にでもなってしまったのか、今も私はこの言葉を使わない。
ケータイは持っていないし、これからも持つことはないであろうが(こういう人は決して無視しうる少数ではないと思う)、パソコンを使っているのは見てのとおりだ。だが、私が初めてパソコンを買ったのは2004年であって、それまでは世の人々よりやや長くワープロ専用機愛用時代が続いていた。
目下頼まれもしない仕事に血眼になって(実際目を酷使していて、充血はしてないまでも少し痛いのです)、ブログに何も書けない状態が続いているものだから、旧稿を載せようと思い、フロッピー(これもじき死語になるだろう)を開こうとしたら、開けない。MS−DOSなのに、そうなのだ。ほんの5年前に書いたものが、これだ。手書きの古い原稿は、いつかパソコンに打ちなおさなければならないなと思っていたが、ワープロよ、お前もか。たぶん簡単な操作で開けるようになるのだろうが、やっとこさっとこ覚えた初歩的機能で、いわば足の立つ浅瀬でポチャポチャやってるだけの初心者には、悲しいかなそれができない。かえってその経験を文章にして残しておこうと思った次第。


同人誌や個人誌を作ることを趣味にしていた同年輩の人(年長はもちろん)には激しくうなずいてもらえることだが、二桁目で四捨五入すればゼロになってしまう短い歳月にも、多くの変遷があった。最初はガリ版で刷っていた(どんなに気をつけても、手はもちろん、服のどこかがインクで汚れたものだ)。次には青焼きといわれる湿式コピー機。その後「リコピー」なんて言っていたコピー機(「ゼロックス」とも言っていて、そう呼ぶ国は今も多い。「ホチキス」と同じく、会社名・商標名が普通名詞になる例で、ちなみに東欧などで言う「スコッチ」はウィスキーじゃなく、われわれの「セロテープ」)で手書きを複写。そしてワープロの時代が到来する。最初に買ったワープロは、液晶画面が1行だけだった。それで10万ぐらいしたと思う。その後、あれよあれよという間に、続々現われる新製品の機能は向上、価格は低下、新しい広告を見るたびに、買い替えを早まったかという気にさせられた狂騒の日々のあと、ふと気がつけば、ワープロ専用機は製造停止になっていた。パソコンにおいてもワープロで繰り広げられたのと同じ光景が現出していたはずだが、ワープロに安住していた私はそのあたりはよく知らない。
パソコン全盛の今日だが、少し前のことを振り返ってみるのも悪くない。コンピューターは長く、「穴の開いた細長い紙を吐き出すやたらにデカい機械」だった。いしいひさいちのマンガに、「彼は人間コンピューターと呼ばれてるんだ」と紹介された男が、それはすごい、ひとつやってみせてくれと頼まれて、鼻の穴から紙をニュルニュル出す芸(?)を見せる、というのがあった。NHKの「クローズアップ現代」で、ゲストの立花隆が「インターネットというものがあって、こんなに便利だ」と宣伝したのは、そんな昔のことではない。その後普及してからも、しばらく「ホームページ作りました」という告知が「どうです!」みたいな響きを持っていたじゃないか。けれど今はみんな、ネットなんて百年前からやってるよ、みたいな顔をしてるもんねえ。実際ものごころついたときからインターネットとつきあっている若い連中にとっては、「百年前」から存在しているような感覚なんだろう。
時代というのはすべて過渡期であるけれど、それを痛感させられるのがこの時代ではなかろうか。「パソコン以前」、さらには「ワープロ以前」を生きている人々が一方にいて、他方では「百年ネット」の若い世代が急拡大しつつあり、両方が少しずつわかるわれわれがいる。筋目がきれいな地層のようだ。


タイプライターって、今はどうなっているんだろう? 大学に入って、ある憧れをこめて眺めていたタイプライターを、ついに思い切って買ったときのことを思い出す。先人は、初めて腕時計を買ったとき、万年筆を買ったとき、大人になったと感じたと聞くが、私の場合、そう感じたのはタイプライターを買ったときだった。オリベッティだった。仕組みとしては、きわめて単純な初等力学だ。それをあの小さい器体の中で、洗練の極にまで持っていった。美しいものは、すべて単純なのである。初等ユークリッド幾何学のように。細く華奢なように見えて、実は強靭な金属の弓が並ぶ半円。ベルリンのオリンピックスタジアムの曲線のようだ。キーを叩くと、それらがダンスを踊りだす。そのダンスには音がある。19世紀的な器械には音があるのだ。その記憶は、いつの間にか電子音に囲いこまれてしまっている現代の音状況に気づかせてくれる。けれども、不便ではあった。指の力は均一ではないから、打つ文字の濃さが違った。指も痛くなった。行にまたがる語の切れ目に苦労した。だから消えていったのだ。しかしそんな事情は、追憶の甘美さをさまたげはしないのである。初恋はいつも、特権的な位地にあるものだ。
ガリは、「切る」。そんなこと、われわれの年代以上の者にとっては常識だが、ガリ版すでになく、それを使っていた世代も退場すれば、失われた知識になってしまうかもしれない。そのとき、作家がうっかり「ガリ版を書く」などとしてしまい、博識を鼻にかける評論家がそれを嫌味ったらしく指摘する、という風景もありそうだ。そして知る、薀蓄とは「常識」にすぎないことを。「遠い人々」(時間的・空間的に)の常識ということだ。われわれの生活のかたわらにあり、今はひっそり身を隠した数々のモノたち。個人的にはオリベッティに愛着があるが、自分とは全く無縁ながら、ポケベルの閃光の生涯と、それに命を与えた女子高生に、「日本去りゆきしモノども大賞」を贈りたい。
すべて移ろう世の姿、というのが結論だが、しかし問題は、この開けないフロッピーなんだよねえ。