サハリン消息/古き慣わしいくつか

以前ハバロフスクにいたとき、冬の休みに外国語図書館に通って、レオポルド・フォン・シュレンクが1854−56年にアムール川下流地方やサハリンで行なった調査の記録「アムール誌」を閲読しました。図書館と言っても、普通の住居を転用していて、閲覧室は応接間。ソファにすわり、テーブル低く、本を読むには非常にあんばい悪い。19世紀の大判の書物で、コピー機がないので書き抜きをするのだが、膝の上に本を置き、その上にカードをのせてだから、実に書きづらかった。必要箇所も多く、すべて筆写はできかねる。コピーが取れないものか聞いてみたら、古い貴重な書物だから本館の館長の許可が必要だ、それがもらえれば本館へ持ち出して取ってもいいという。そこで館長を訪ね、これこれこうと事情を話し、許可をもらいました。では許可証を下さいと言うと、おもむろに白紙を取り出し、そこにさらさらと手書きです。その手跡の美しさはなかなかのもので、書道は漢字文化圏に限ったものではないのだなと思いましたが、それよりも、書類(これも一種の公文書でしょう?)の手書きというのに感じ入ってしまいました。たしかに、昔はみなこうだったに違いない。関所の手形なんかそうじゃないか。しかしなあ。おお、中世、と思ってしまいましたよ。
大学の講座室のドアには、「封印」がほどこされています。試験などで日曜に出てくるときには、あらかじめ届けておくのはもちろんだが、そのときこの封印も借りておかねばなりません。テグス様の紐がドアに付けてあり、壁のほうには粘土を入れた円形の小さな皿がある。鍵を掛けた上で、紐を粘土に埋め、その上に封印をするのです。ただ鍵をするだけでなく、二重の安全保障になっていて、原理は単純だが、効果的だと思います。思いはするけれど、まるで「薔薇の名前」だねえ。瞳で個人識別をするなどという鍵が開発されているこの時代に。
試験の方法も、初めての日本人は驚くぞ。口頭試験で、問題を10通り用意しておきます。学生は1人ずつ教室に入り、くじを引いて、その番号の問題をする。だから教師は、試験の日は1日缶詰です。昼食はビスケットなんかをポリポリかじって。学生のほうも、試験は1日に1科目だけ。全員が受け終わったら、教師が協議して成績をつけ、また学生を1人ずつ呼び入れて、成績を告知し、学生がめいめい持っている成績簿(ザチョートカといいます)に記入する。だから学生にとっても1日仕事で、受け終わっても、全員が終わるまで待っていなければならない。だいたい何時ごろと推測はつくが、それでも終了時間が決まっているわけではないし、自分が受ける時間も不定だから、廊下に椅子を並べて待っています。時間が無駄に費やされる。効率という点ではとんでもなく悪い。試験期間も長くなる。それに、われわれ客観テストに慣れている人間は、教師の主観で評価されてしまうのにはなかなか馴染めません。力量経験ない教師には、絶対好き嫌い入ってくると思うしね。ただ、このやり方だと、クラスの人数は多くできません。日本の大学では、1クラス40人とか60人でしたっけ? ここではそんな馬鹿馬鹿しい数には絶対なりえず、10人からせいぜい20人なのは、たいへんけっこうです。
だけどソ連て、当時いちばん「モダン」な国家だったはずなんだが、実は古き(良き?)ヨーロッパが保存されているのですね。それは個人的に決して嫌いではありませんが。