サハリン消息/眼鏡の呪い

うちの教員室が、どれだけ世界の縮図になっているかは知りませんけどね。日本人教師はほとんどが眼鏡をかけています。5人中4人。かけてないのは1人だけ。もう1人してないのがいますが、彼はサハリンの生まれで、ここで大学も出たという、日本語が母語とは言えない人だから、勘定外としましょう。対してロシア人(大半は韓国系ロシア人ですが)教師のほうは、7人中1人だけ。日本人に眼鏡が多いのは知っているが、その事実がはっきりと眼前に示されています。
眼鏡着用率の国別統計を見たことはないけれど、そこでは日本が間違いなく1位でしょう。日本人より多く眼鏡をかけている人種というのは、ちょっと想像できません。そして、日本人が目が悪い理由の最大のものが、漢字かな交じりの恐ろしく複雑な(「悪魔的な」と言ってもいいかもしれない)表記体系であることも、また確実です。日本語を教えているとき、この目のいい人たちの視力を損なうべく努力しているのではないかとふと思って、憂鬱になることがあります。
そもそもわれわれの目は、活字なんぞを読むためにあるのではない。美しいものを見るためにあるのです。
眼鏡は呪いだ。読書を奨励するなんて、とんでもない間違いと言うべきだ。私は本を読むのが好きで、本なしには生きていけないが、それは厭うべき悪習で、運命の黒い刻印のようなものです。読まずにすむなら、すますのがいちばんいい。読書することと善良で健全な人間になることの間には、因果関係なんてないのです。
本は火に弱く、水に弱く、頑として重く、馬鹿馬鹿しく嵩張る。何かいいところの一つでもあるというのか。蔵書家は、妻が本を嫌っていて、買ってくると文句を言う、隙あらば捨てようとするとこぼすのが常だが、世の中の多くの場合にそうであるように、ここでも女性のほうが正しいのです。本は、読まずにいられない不幸な人だけが読んでいればいいのだ。悪い星の下の宿命のように。
昨日で仕事が終わり、今日から10日ほど新年休暇です。ああ、休みだ、ぬくぬくと寝っ転がって本を読むぞ。