サハリン消息/CIS日本語弁論大会

今はどうか知らないが、私がいたころのブダペストの地下鉄はスリが多くて、日本人で被害にあう人も何人もいました。私はずっとやられていなかったが、日本に帰る直前に、パスポートと航空券をすられました。財布は無事でした。しかしパスポートを取られたので、帰国のための書類を作ってもらわねばならず、予定の日には帰れなくなりました。アエロフロートのモスクワ乗り換えの便で、格安航空券だったから、再発行はしてもらえないだろうなと覚悟したけれど、念のためにとオフィスへ行ってみると、何とすんなりしてくれたのです。このためもあって、私はアエロフロートに対して世の一般の日本人のような悪い印象は持っていないのですが、それはさておき、さて、変更した出発日に空港に行き、チェックインして待合ロビーに出てみると、テレビの前に人だかりが。ちょうどその日は、エリツィンが戦車を差し向けて議会を砲撃したあの日だったのです。モスクワの町を行く戦車の画面を見ながら、あれあれと思いました。しかし飛行機は飛び、モスクワの空港の乗り換えも問題なく、無事帰国できましたけどもね。
モスクワで行なわれるCIS日本語弁論大会を見に行ったのは、ハバロフスクで教えていたときが最初です。授業の始まる前に、切符を買うため両替に行ったのですが、ちょうどロシアが金融危機だったころで、どの銀行にもルーブルがないと言われて両替できず、あちこち訪ねてやっと金をそろえ、大学にもどると授業時間に遅刻してしまいました。で、教室に行ってみると、私の学生はおらず、別の授業をやっています。何でも教室難でそのクラスには教室の割り当てがなく、空いた教室を使って授業をしているということで、たまたま私が時間に来なかったものだから、教室を明渡させられてしまったそうなのです。そのようにして買ったチケットでモスクワへ行き、着いたその日にホテルで金をぼられた話もあって、目の前のカモからできるだけ金を巻き上げようという原初期強奪資本主義の好例だなあと感心したのですが、それは割愛しましょう。飛行機はソ連製、イリューシンか何かそんなもので、隙間風がひどかった。帰りは窓側だったので、しっかり風邪を引きました。
何度目かのCIS大会行きのとき、それはウズベキスタンからでしたが、深夜出発の帰りの便を待つ間、テレビがバルセロナロコモティフ・モスクワの試合をやっていました。お、これは時間つぶしにいいものが見られるとよろこんでいたら、突然サッカー中継が中断し、臨時ニュースをやりだしました。どこかの現場近くからの中継を延々とやります。ロシア語なのでそのときは詳しくはわからなかったけれど、あのチェチェンの劇場占拠事件だと帰ってから知りました。
このように、モスクワに行くのはロシア現代史の証人になるために行くようなところがあって、それはまあ一種の楽しみでもあるかもしれないけれど、なかなかに「重い」仕事ではあったのです。
では、今回はどうだったか。さらに一層西側に近づいた印象でした。物価はしばらく前から西側水準でしたが。さすがサミット参加国、ということか。ドモジェドヴォ空港はきれいになっただけでなく、非常に便利にもなっていて、モスクワ市内の地下鉄環状線の駅もあるパヴェレツ駅に市内チェックインのカウンターがあり、重い荷物をそこでもう機内預けにでき、ノンストップの電車で空港まで行くことができます。それを見て感慨深く思い出すのはアエロヴァクザール、地下鉄アエロポルト駅から10分以上歩かなければならないが、しかし市内でチェックインができるところだったのに、機能停止、チェックインも何もできなくなっていたばかりか、ここから空港へ発着していたリムジンバスも用を足さない本数に削減され、不案内な乗客を飛行機に乗り遅れさせるためにしか存在していない機能的「廃墟」と化し、何も知らない外国人旅行者を狙って網を張る不良警官や白タク、検札官などが獲物を待ち構える狩場となっていたものでしたが。あれから、これへ。変貌ぶりはかなりのものです。プーチンの日本訪問は大会の1週間後でしたが、あれじゃあ領土でも強気になりますね。次回は民主主義のほうもひとつよろしく。
大会の審査結果は、小さいもの愛好、日常生活の些事から考えを深めるタイプのスピーチが1位から4位までを占めました。時代の流れと言っていいでしょう。強烈な体験や社会問題の指摘を好まないという姿勢は明らかに出ていました。暗い話、重い話は排除されます。1位になったのは「ほほえみ」というスピーチでした。仕事帰りのむっつりした顔が並ぶバスの中で、なぜかにこにこしていた女の子がいて、その笑顔を見て、はじめは驚いたような様子だった乗客も、やがてほほえんでいったという話。英語の弁論大会でもそのようなテーマが1位になっていたそうです。いろいろなものに時代が反映されます。審査にももちろんそれは反映されるでしょう。
 そんなわけで、今年も面白くはありました。こちらが面白がる姿勢でいることもあるだろうけども。