サハリン消息/黒板消し

サハリンに赴任してまず最初の驚きは、「教室に黒板消しがある!」ということでした。ふつうボロぎれですよ、字を消すのは。ウズベキスタンにいたとき、ウズベク語の勉強にと独習書を買い、付録のウズ英対訳単語帳で第1課の語彙を調べていたら、見慣れぬ英語がありました。第1課だからごく簡単な、よく使う単語ばかりのはずだが、こんな英語見たことないぞと訝しみつつ、英和辞典を繰ってみれば、「ボロぎれ」との訳語が。ボロぎれ? 何でまたこんな単語を第1課で習わなきゃならないの? 怪訝な気持ちがさらに強まったところで、疑問は一気に氷解しました。あ、黒板を消すあれか。あれならどの教室にもあって、教師にも学習者にも非常に身近な物品です。なるほど、なるほど。―― そんな経験を持つ男にとって、教室で目にする黒板消しは実に新鮮な驚きでした。ハングルが書いてあるから韓国製なんでしょう。この大学は、目分量で言って、学生の約3分の1、教師の約半数が朝鮮系ですが、そういう背景からなんだろうか。
教室や廊下にゴミ箱があることにも驚かされました。ふつうの人は、そんなことに驚く人がいることに驚くかもしれませんが、東欧・ロシアをよく知る人たちは、この驚きに共感してくれるでしょう。これもまた日本に近いせいなんだろうな。ひょっとして、ここはロシアじゃないのかも。新聞スタンドに「イズベスチヤ」見ないしなあ。
学食にはナイフがあります。こういうセルフサービスの安食堂では、ナイフなんてほとんど見かけることはなかったものだが。ステーキなどがメニューにあるわけでなし、形の悪いハンバーグをスプーンでほぐしながら食べていたんだが。あるのを目にしてみれば、うん、これが当然だと思いつつも、やっぱり驚くのです。
文具もひどいものばかりで、赴任する際は自分が一年使うだけの文具やノートは持参していましたが、今は立派な文具屋があり、品質のいいものを売っている、売っているだけでなく、選べる。彼は昔の彼ならずということか。隔世の感を覚えます。それとも、これもサハリンだからなのか。
しかし便座はない。公共施設のトイレには、そういう禁令でも出ているかのように、みごとに便座がない。この点はまったく変わっていません。トイレ自体がいかにきれいになっていても。それを見て、何となくほっとしています。してどうする。でもね、これは昔なじみのロシアだからね。馴れ親しんだ眺めというわけで。困るんだけどね、使うとき。