フェルガナだより(4)

新年おめでとうございます。爆竹の音とともに暦は改まりました。新しい年が皆様にとってよい年でありますよう、お祈り申し上げます。
年頭だからというわけではありませんが、今号はやけに真面目で、日本語教育に気焔をあげています。なに、冬で寒くて、外を出歩く機会少なかったというだけのことですが。小人閑居して日本語談義をなす。日本語教師でない人には、やたら細かいことをもっともらしく云々しているのが奇異に見えるかもしれません。細かいことを問題視するのはどの専門でも同じなのですが、日本語の場合、日本人は誰もが自分に権利があると思っているので、つまらぬことに拘泥していると見られる恐れが一層あります。しかしまあ、さほど不善ではありますまい。


<習字の時間>
12月15日、のりこ学級のボランティア教師渡辺寛成氏(書道有段者)に習字の手ほどきをしてもらいました。筆がほしいと言う者、もっと書きたいと言う者も出て、まずまず好評だったと思います。
日本語を学びたいという人にはさまざまなタイプがあり、ニーズも多様です。読み書きは不要、ただ話せるようになりたいという人もいれば、文献を読むことが必要で、会話は重視しないという人もいます。しかしウズベキスタンのような環境にあっては、提供できるコースはひとつだけです。いわく、四技能(読む・書く・聞く・話す)バランスよく。これはまあ当然です。それにそって授業計画を立てる。しかし、日本人が教える場合も、現地人教師が教える場合も、ついおろそかになってしまう分野があります。文字と発音です。文法の理解や発話の能力をつけることなど、もっと重要なことがあると考えて、いつも後回しにされ、結局おざなりですまされてしまいます。些事であり、優先順位が低い、というわけです。
だが、本当にそうでしょうか? 書字や発音の指導は1年次が非常に重要、というよりこのときやらねば間違った書き方や発音が定着してしまい、もう直せなくなってしまいます。誤解を招かぬよう最初に言っておきますが、問題にしているのは字のうまい下手ではありません。うまいに越したことはないが、それは個人の事情というものです。かくいう私もかなり下方に位置する人間ですし。問題なのは書き順です。これも日本の国語教師がいうものとは違いますよ。「飛」の書き順なんか問題じゃない。私が言うのは、「口」を一筆書きで書くな、「山」を二画で書くな、「れ」の縦棒は最初に引け、「う」や「ら」の点は最初に打て、というようなレベル、基本と呼ぶのもためらわれるような基本の話です。
ハバロフスクでは、大学の方針として1年生はロシア人教師が教えて初級教科書を終え、2年次以降に日本人教師が入るという体制を取っていますが、学生のほとんど全員が妙な癖字を書く。直そうとしても、いっかな直るものではない。よく見ると、1年生に教えているロシア人教師がそんな癖字なのです。彼女は1年のときそのまた先生にそう習ったのだろう。つまり妙な字体や書き順が代々伝承され、「文化」になってしまっているのです。
タシケントでは、非常によくできる4年生の女の子を教えました。彼女のような学生を教えられたのは、教師として非常にうれしいことでした。3年終了時に日本センターの認定試験1級に合格してしまうような子で、日本の文庫や新書をばりばり読んでいました。だが、字が下手だった。上述の通り、字の上手下手は問いません。書き順がひどいのです。「ね」の縦棒をあとで引いたり、「ロ」を一筆書きしたりというような。もちろんことあるごとに注意はするのだが、敵はもう日本語の原書を読んでいるのです。そんな初心者レベルの「些事」を矯正する時期はとっくに過ぎている。
彼女の発音も悪かった。これも書の巧拙に似て、個人差があります。書き順のときとは違い、もう無理だろうとあきらめた上で直しを入れてみたら、けっこう直るのです。むろんもう定着しているので、その場で直ってもすぐ元にもどっていまいますが、少なくとも耳が悪くて直らないというのではなかった。早い時期に適切な指導があれば、かなりよくなっていたはずだと思いました。発音でも、長音・促音ができる程度のことしか望んでいないのですが。
要するに、書き方や発音は1年次に指導しなければなりません。そうすれば正しい書き方、発音を定着させることができるし、怠れば間違ったものが定着してしまって、もう直らない。しかしそんなことの指導に時間をかけていいのか。ほかにもやらなければならないことはたくさんあるはずなのに。
日本語が第二外国語だったり選択科目だったりするようなフェルガナ大学クラスの機関の日本語履修学生は、卒業後その9割以上が日本語を必要としない生活を送ります。日本から遠く離れ、関係も決して深くない上に、さらにここの場合首都からも遠いのですから、これは如何ともしがたい。書き方発音より優先されるものは、その彼ら彼女らの一生のスパンで考えた場合にも優先されると言えるのか。われわれの前には二通りの学生がいます。ひとつは、将来日本語の達人となり、日本語を使って生活するであろう一握りの学生。彼らに対し、字や発音でも正確さを指導しておくのは必要なことだし、その機会は1年次にしかありません。もうひとつは、卒業後日本語をやめる学生たち。本人らの希望では、多くは卒業後もせっかく習った日本語が活かせる職につきたいと思っているでしょうが、残念ながらそうはいかない。これが圧倒的大多数です。勉強をやめ、長く使わずにいれば忘れてしまうのは、悲しいけれどこの上なく自然なことです。
つまり、私たちが教えているのは、ごく一部を除き、ほとんどが日本語をやめる者たちなのだということを観じ、それをふまえた上で教えなければなりません。
日本語教育の目標は日本語のコミュニケーション能力をつけることだというのは、ことウズベキスタンに限れば、限定的にしか当っていません。たしかに最重要だが、いくつかある最重要のうちの一つです。日本語学習を通じた異文化体験、理解、さまざまな文化に対する感性を養い広い視野を持つことも、同じ程度に重要です。日本語の学習が彼らの卒業後もよい思い出として残ってほしいし、日本や日本文化に対して興味と理解を持ち続けてほしい。教師はそれをも考えてコース設計をしなければならないだろうと思います。
一生ものの宝を持たせてやりたい、ということをよく考えます。赴任した先々で詩の暗誦を課しますが、詩が一生ものだと思ってのことです。きれいな字や発音もそうです。頭なんぞは空しいもので、一時は得意かもしれないが、じきに忘れて何も残らない。手や舌が覚えたものは失われません。日本語から遠ざかって何十年も日々のせわしい暮らしを送っていれば、「こんにちは」「はじめまして」程度のフレーズしか言えず、自分の名前ほかいくつかの語句しか書けなくなるかもしれないが、その手蹟が美しく、発音が滑らかであったなら、何とゆかしいことだろうか。「お上手ですね」とほめる日本の客人(まあ日本人はどんなに下手だってほめるのですが)を前に、相好を崩して孫に学生時代の日本語の思い出を語ってきかせる、そんな風景が、そのときはもうこの世にいない教師の最大の報酬ではないでしょうか。
――いらぬご託を長々と。死ぬやつは死なせておけ。具体的にじゃあどのように指導するのか。私はディクテーションしたものを学生に板書させ、それを直すということをやっています。学生というのは、年齢も教育程度もほぼ同じ、生活環境もだいたい似ている典型的な同質者集団ですから、これをうまく使えばいい。教師がどうこう言ってもしょせん上位者、教師ができるのは当たり前です。しかし同輩から「そこ、書き順違う」と指摘されれば、すぐ直ります。また、子供というのは「正しさへの希求」の強い生き物で、まだ子供時代からあまり離れていない学生(特に1年生)も、そういう傾向があります。うまく導けば、さほど時間を取らずとも直ります。
しかし間違いを指摘するというのはネガティブな作業です。美しい字を書こうという高い目標を設定して、それに向かって努力するのなら、ポジティブでいい。これがつまり習字の時間です。日本文化の紹介でもあり、体験でもある。習字に入れ込む理由はここにあります。
 だが、もう少し進んではどうだろう。せっかく他大学にも大勢日本語学習者(「同質者」)がいるのだから、このネットワークを作って、競い合い、共に向上する機会を持ってはどうか。習字コンクールということです。日本センターあたりに主催してもらって、送られてきた作品に金賞銀賞の張り紙をつけ展示するという企画です。いま、弁論大会というのがひとつ各大学に学ぶ日本語学習者間のコンペティションとして存在しています。しかしスピーチで自己実現をしたいと思うタイプの学生は一部分で、学生の得意分野はさまざまだから、いろいろな分野の表現の場を設けてやるのは、学習意欲の向上に結びつく、非常に理にかなったことだと思います。そういうものの一つとして、ぜひ習字コンクールをやってもらいたいと考えているわけです。
また、在留邦人の中にはきっと書道有段者も何人かいることでしょう。そういう方々に、各地の日本語教育機関を回って書道の実演と指導をしてもらいたいとも思っています。たとえ学内に腕に覚えのある人がいる場合でも、やはり外部から客人を迎え、教えを仰ぐのは新鮮な体験だし、書道という主題を離れても、外の人と交流するのは学生にとっていい刺激です。真剣に検討してもらいたいことのひとつです。


<完成予想図>
さすがに40を過ぎるとひと頃ほどではありませんが、30代後半は、どうして結婚しないのかと責め立てられることがよくありました。むろん理由がないわけではないのですが、男は所帯を持って一人前と固く信じている人たちにとっては薄弱極まりないものですから、挨拶に窮することが多いのです。そこで持ち出すのがハンガリールーマニア体験です。ハンガリールーマニアも、美人の多い国です。25歳までの(いや、22歳までかな)女性の美人含有率はヨーロッパ有数でしょう。しかし目をおばさんたちに転じてみると、一目見るなり極東のひょろい男は怯んでしまうような、存在感の絶大なご婦人方が非常に多いのに気づきます。これがこうなってしまうのか。諸行無常の鐘の声が頭の中に鳴り響きます。ほとんど詐欺です。それに比べると日本人は日持ちがしますね。以来女性の外観に対する信頼を失い、人間は見てくれではなく中身なんだ、性格なんだと思い知りました。何という道徳的な国だろう(しかし当該国民は短いよい季節を楽しみつくそうという刹那的な方向へ走っているようなんですがね)。それからというもの、どんなきれいな女の子を見ても、瞬間的に「完成予想図」を頭の中に描いてみる癖がつきました。恋愛というのはアクセルをふかしてこそ可能です。ブレーキばかり踏んでいてはとうていできません。あわれ、能力も性向も正常な一人の男子が、このようにして結婚へのまっすぐな道から外れてしまったのであると、もっともらしく説明すれば、相手は納得したようなしないような顔をして、この話題から下りてくれます。
それはくだらない駄弁ですが、「完成予想図」癖は実際拭いがたく染みついてしまいました。日本語を教えていてもそうなのです。フェルガナ大学の場合、週3コマで教えていますから、だいたい初級教科書(ここでは「みんなの日本語」Ⅰ・Ⅱ)が2年半から3年近くかかって終わることになるだろう、そうすると到達目標は、卒業時に日本語能力試験の3級以上2級未満、いちばんできる学生が2級レベルまでいけば上出来、しかし受講生のほとんどが3級レベルを越えることを目標におく、と計算できます。
それはそれでいい。しかたがありませんから。困るのは、この程度では卒業しても日本語が読めないだろうということです。あなた日本語勉強したんでしょ、ちょっとこれ読んで、と知人に日本製品の説明書や新聞記事などを持ってこられても、だめ、読めない、と顔を赤らめながら差し戻すしかない。なんだ、日本語勉強したと言いながら、全然できないじゃないかと、日本語を知らぬその知人はきっと思うでしょう。無理からぬことではあります。ドイツ語でも中国語でも、あるいは韓国語だって、4年も勉強し、ほとんど皆勤、宿題も必ずやってきて、学期末には決まって5をもらっていたら、そのくらいのもの読めますよ。でも日本語はそうはいかない。漢字というものがあって、ひとつの漢字には音と訓の二つ以上の読みがある。話し言葉と書き言葉の違いもけっこう大きい。また語彙が非常に多い。ある統計によると、英語の場合1000語知っていれば、使われている言葉の80.5%をカバーするのに対し、日本語はわずか60.5%。英語3000語では90.0%にもなるのに、日本語は5000語知っていてもやっと81.7%カバーできるに過ぎません。3級は1500語、2級で6000語の知識を必要とするのですが、2.5級レベルの本学のような大学の場合、語彙ではまず3000語(できれば4000語)が目安になるとすれば、カバー率わずかに75.3%。韓国語で3000語なら85.0%であるのと比べてみて下さい。1000語(「みんなの日本語」Ⅰの語彙数、つまり1年と少しで履修)でも73.9%がカバーされる韓国語に対しても、著しく不利です。
これは日本語の構造的欠陥で、一人の教師にどうこうできるものでは全くないけれど、やはり忸怩たるものはあります。自分で勉強を重ねて、2級1級と力をつけていく者は格別、カリキュラムとして与えられたものをしっかりこなし、彼らなりに努力した4年間が終わったあとになお読めない者をどうするんだ。日本語専攻のある大学(そういうところは2級を到達目標にしています)にはない問題、しかし日本語が専門家だけの言語でない以上、当面せざるをえない問題です。初級教科書を終えるのに2年半から3年もかかるという進み方から見れば、4年で1000字(つまり教育漢字)を教えるというのは少々アンバランスです。それは2級の漢字数ですから(3級は300字だし、代表的な初級教科書「日本語初歩」で出てくるのは380字です)。しかしこれだけ知っていれば、新聞に出る漢字の93.9%がカバーされるという統計があります。漢字に傾きすぎると言われても、目標1000字は掲げねばならないでしょう。教師から与えられたものを疑わずにこなしていく学生たちの努力が報われるために。
フェルガナで、真面目に出席し、授業ではしきりに手を挙げて、うちではきちんと宿題をやってくる可愛い学生を見ながら思い描く「完成予想図」は、ちょっときれいではすっぱな、十八かそこらのハンガリー娘の姿に結ばれる「予想図」よりも、ずっとずっと悲しいのです。


<言語問題>
今年度から日本語教師会や日本センターの連絡は日本語とロシア語で来るようになりました。昨年度はそんなことはなかったので、まぎれもない「進歩」なのですが、しかし現実はもっと先を行っているから、何年かするとこれがネックになってくるのではないかという予感があります。サマルカンドについてはよく知りませんが、タシケント(とフェルガナ)で現在教えている現地人教師は、なるほどみんなロシア語ができます。だが学生にはもうロシア語のできないのがたくさんいるから(フェルガナ大日本語クラスにも、そんなのが18人中4人います)、あと何年もたたないうちに、ロシア語のできない現地人教師が出てきます。いや、今でもロシア語より日本語のほうが得意な教師はいますからね。そのときは、「ロシア語での通知」は「反動的」な所業とみなされるのではないだろうか。そもそもこの国の公定公用語ウズベク語であって、ロシア語は、歴史的ないきさつや現実に持っている勢力から、デ・ファクトの「民族間公用語」になっているに過ぎません。けれど、ウズベク語のできない現地人教師(ロシア人や朝鮮人だけでなく、ウズベク人にもいます)は大勢いるのだから、ウズベク語だけを使うわけにもいくまい。といって日本語に加えてロシア語・ウズベク語の二つで併記したり通訳したりするのは、時間と手間のかかることおびただしい。困った問題が近い将来に待ち構えています。
ウズベキスタン多民族国家ですが、言語的にはそれほどこみいってはいません。バイリンガルや同化が進んでいますから。カラカルパク語を除けば、ウズベク語とロシア語、タジク語が主要三言語ということになります。朝鮮人ユダヤ人などは完全にロシア語に同化されているし、タタール人も、タタール語はウズベク語と同じテュルク系の言葉なのに、ウズベク語よりロシア語のほうに同化されています。一方タジク人は、ウズベク語とのバイリンガル、ロシア語も含めトリリンガルであることが多いので、ローカルな問題としてはともかく、ナショナルなレベルでの問題にはならないでしょう。ちなみにフェルガナ大の1年生には、キルギス領内に住むタジク人(ウズベク語のバイリンガル)で、ウズベキスタンのこの大学に進学したのがいます。
だから、焦点になるのは――当たり前のことながら――ウズベク語とロシア語です。これは、独立前や独立後まもない時期に学校教育を受けたいわば「年長者」世代と、独立後にロシア人の移住が進み、ロシア語離れが進行する中で学校に通った「若年層」の間の世代間問題の側面を持っており、また都市と地方の問題の面もあります。都市、特に首都タシケントでは、進学するような者はほとんどがロシア語ができるのみならず、ウズベク語ができないウズベク人も産出しています。それは「フェルガナ盆地のミニ・タシケント」たるフェルガナ(1877年にロシア人の建設した町、Fergana Valley's least ancient and least Uzbek city [フェルガナ盆地で最も古くなく最もウズベク的でない都市] と英語のガイドブックにあります)も同じで、ここ出身の学生はロシア語ができるが、地方の町や村から来た学生のロシア語力は低い。
一方で、ロシア語力の低下それ自体は自然な流れです。ロシアへの従属を脱した独立ウズベキスタンが、言語的になお従属しているとすれば、むしろそのほうが不自然ですから。独立を全うしつづけた日本人が、旧植民地のアジア人より英語が下手だからといって、独立国であったことを悲しむ必要は全くないのと同様です(急ぎ付け加えておけば、低下低下といってもそれは比較の問題で、今もロシア語クラスに通うウズベク人学生には、話すときはウズベク語でも、書くとなるとロシア語になってしまうというほどのがざらにいます。これはこれで問題だと思うのですがね)。
他方、独立後もロシア語の必要性は失われていないどころか、独立国となってウズベク人の活躍の場が増えたため、ある面ではその重要性をさらに増しているとさえ言えましょう。外国企業への就職の際も、ロシア語の知識が歓迎されないはずはないし、それどころか必須とみなされているのではないでしょうか。だいたい、ロシア語はできないが英語はできるというのは少なくて、英語ができるのはたいていロシア語もできるという傾向はたしかにあります。また、実際にそうしている日本企業があるのかどうか知りませんが、ロシア語の通訳を雇う場合、ロシア人でなくロシア語の堪能な中央アジア人(カザフ、キルギスウズベク等)を雇えばいいと考えています。彼らはロシアでなく日本の雇用主に忠誠心を持つでしょうから。合弁会社を作ってはロシア側に乗っ取られてきた日本人は、このくらいの防衛策を講じるべきです。ロシア人の日本語学習者には不利な提案だが、同胞がさんざひどいことをしてきたツケです。しかしこれも、ロシア語ができない者には縁のない話です。
ロシア語力の低下という本題にもどりましょう。英語力のほうはおそらく向上しているのでしょうが、ロシア語より上ということはまだありません。こういう状況に直面して、教師たちは困っているはずですが、それに対するアクションはまだあまりないようです。困るというのは、教科書や辞書、教材です。ウズベク語のものなどまったくと言っていいほどありません。教材は、交流寄金等から寄贈を受けたものや日本人教師が日本から持ってきた私物を適宜コピーして使用、その際文法解説書はロシア語版か英語版になります。辞書も日本やロシアで出版された和露辞典を使います。ロシアで出た教科書や参考書にはいいのがあるから、それを使っているところもあるかもしれません。今まではそれで足りただろうが、もう自前のウズベク語のものを作る時期です。まず辞書、そして教科書、文法参考書。来年度新入生中ロシア語の話せぬ者の比率は確実に今年度を上回るし、翌年度はさらに上がるはずなのですから。
ロシア語や英語ができなければ日本語学習のハンデになるというのはおかしい。そのことは、ロシア語ができない外国人がウズベク語を勉強するという逆のケースを考えればすぐわかりますね。店頭で手に入るのはウズ露辞典やロシア語で書かれた独習書だけという今の状態では、ロシア語知らなければウズベク語が学べないということではないか。信頼できる英ウズ・ウズ英辞典の整備を急げと言いたい。和ウズ辞書や教材については、われわれも努力しよう。だが基本的に、これはウズベク人の側の問題です。独立国よ、しっかりしろ。ウズベク語を自立した尊敬される言葉にしなさい。事情に流されてばかりいないで。多くの人が習得を希望するような、それを通じてたいていの用事が片づけられるような言葉に。


<センちゃん>
12月25日、フセン君が日本へ旅立ちました。
リシタンに暮らした人や何日も滞在した人はよく知っているが、のりこ学級をそそくさと訪問しただけの人の目にはとまっていなかったかもしれません。彼も日本語を話すけれど、それはのりこ学級に通って学んだのではなく、ガニシェル家の日常の中で習い覚えたものです。リシタンから離れた村の出身で、ガニシェル氏の親戚に当たる、父親を亡くした子だくさんの一家の息子です。いわば口減らしのために、5、6年前からガニシェル家に住み込んで、学校へ行かせてもらうかたわら、水汲みや庭仕事など、家の雑用を手伝っていました。昔の日本にもあった「部屋住みの兄さ」です。
もの静かで、よく気がつき、手先が器用で、とても優しい若者です。ガニシェル家の子供たちと目隠し鬼をして遊んだとき、いちばん下の小さい子が鬼になり、なかなか捕まえられずにたら、わざとらしくなく捕まってやるようなお兄ちゃんでした。食卓についている誰かが飲み物を少しこぼしたら、すぐ彼の手が布巾で拭っていました。
リシタンの水事情は悪く、毎日水汲みに行かなければなりません。それはガニシェル家では彼の仕事で、町のところどころにある四角く切った用水池に出かけます。井戸ではなく、水も澄んでいないので、初めてこんな池を見た日本人は鼻白むかもしれません。資源に恵まれぬわが国だが、水資源だけは世界のどこのも負けませんからね。でもお茶を入れるとおいしいのだそうです。ガニシェル家のほんの100メートル先はキルギスとの国境になっていて、そのすぐ近くにひとつ切り池があり、そこへよく汲みに行っていました。朝、水汲みに行く彼を手伝い、バケツをさげた帰り道、山々連なるキルギスの方を振り返り、「私は山を見るのが好きです」と言っていたのが、とても印象に残っています。
彼の名前フサンというのは双子につけられる名前で、実際ハサンという双子の兄がいます。ウズベキスタンでは、双子が生まれたら、男の子の場合はハサン・フサン、女の子の場合はファティマ・ズフラと名づけられます。男女だったら、どちらが上かによって、ハサン・ズフラ、ファティマ・フサンとなります。双子を含めて、8人兄弟。ウズベキスタンでは必ずしも珍しくないけれど、生活が楽なはずはありません。他家に暮らすのは苦労もあろうのに、そんなところが見えないのが彼らしいよさでした。
フセン君は、彼の人柄を愛する日本人のパトロンに招かれて、日本の専門学校に入ります。あなたがいなくなると寂しくなるけれど、その寂しさの分も、幸せになってほしい。
彼の話をしたついでに、こんなことも記しておきましょう。リシタンのある知人のうちの末っ子は、捨て子だったそうです。夜、犬を連れて外に出たら、犬が吠えて見つけたといいます。ずっと年長の男の子三人兄弟に可愛がられている小さな女の子です。まるで昔話の始まりみたいじゃないか、と思います。心やさしい昔話の登場人物は、しまいには幸せになると決っています。どうぞ慈しみ深いこの人たちも同じ結末であってほしいと、心から願わずにはいられません。


<飛行術>
この正月に1週間ほどタシケントへ行ったとき、フェルガナ−タシケント間に週に往復1便ずつある、片道1万スムという格安の便に乗ってみました。コーカンドからの乗合いタクシーは、いつもは1人片道5000スムですが、冬場は山の雪の具合によって、6000から8000、ことによると1万スムまで覚悟せねばならず、またコーカンドまで行くにもバスで1000スムかかるから、この価格は魅力的です。さあ、しかしそれは果たして、安物買いの銭失いであったか?
往きは、霧のため5時間遅れました。キャンセルにはならず、どうやら飛ぶらしいのだが、いつになるかわからないまま、だだっ広く寒いホールで延々と待たされ、すっかり凍えてしまいました。50分ぐらいの遅れは織り込みずみでしたが、敵はいつも上手です。待たされ仲間のロシア人連中は、赤い鼻をして搭乗しました。冷えるし長時間だもの、そりゃあヴォトカでも飲みましょうさ。
そして帰りはというと、それに懲りて少し遅めに、3時半前に友人のアパートを出て、出発30分前に空港に着いたら、もうチェックインが終わっているほどで、定刻に離陸、順調に飛行、5時半過ぎにはフェルガナのアパートに帰り着きました。この間わずか2時間と少しです。フェルガナ空港では出口の近くに飛行機が停まり、タラップを降りたその足ですたすた空港ビル脇の門を通って外へ出られ、少し待てば料金100スムの乗合いタクシーがやってきて、中心部まで乗せてくれますから(タクシーがきらいなので、空港への行き帰りはよほどのことがない限り公共交通機関を利用します。ちなみにタシケント市内のバスは130スムでした)。
ふむ。5時間の遅れも困ったものだが、しかし公共交通3本乗り継いで、戸口から戸口まで2時間強というのも度外れです。東京だったら、都内でも羽田まで2時間かかることはあろうし、成田なら定刻発でも家から搭乗まで5時間ぐらいかかっておかしくない。全くもってこの国の暮らしは、判断基準、価値基準を混乱させられます。しかしそれは決して不快ではありません。疲れますが。けれど時間ではなくこの経験だけで、2万スムの値打ちの倍はありました。いや、楽しい国です。反語ではありませんよ。反三本七ぐらいです。
(2004.1.7.)