WBC雑感

 日本が世界大会で優勝してうれしくなくはないのだけども。

 ちょっとこれ、おかしくないか。球場は満員、中継の視聴率はすべて40%超え、準決勝イタリア戦では48%だったそうだ。だが、その相手は?

 予選リーグで対戦したのは、中国・韓国・チェコ・オーストラリア。韓国以外は敵ではないでしょう。チェコで野球をやってる人がいるなんて知らなかったよ。まあ、日本でもクリケットをやっている人がいるのだから、いてももちろんいいのだけど、サッカーならワールドカップみたいな大会に出場できるレベルとはとうてい思えない。

 準々決勝の相手はイタリア。悪いけど、サッカーならタイとかベトナムのレベルなんじゃないか? W杯でベトナムやタイがベスト8にいる図なんて想像できないんだが。やる前から勝利確定の試合だと思うが、その試合が最高視聴率。この人たち、本当に野球の試合が見たいのか? その多くは、「勝つ日本」が見たいだけじゃないのか? 勝つのがわかっている相手に勝って、「勝った、勝った」と提灯行列しかねないのは不気味だ。

 サッカーで、公式予選でモンゴルやネパールと対戦したって、客も来ないし視聴率も取れない。得点が少なければ批判され、失点でもしようものなら糾弾される。そのレベルの試合が世界大会の本戦ならば、あきれたり非難したりすべきなんじゃないの?

試合というのは、何度も「ああ、ああ」と意図せぬ声を不本意に漏らしながら見るものだ。心臓に悪いハラハラドキドキが観戦の醍醐味である。最終的に勝っても負けてもいい。もちろん勝つのが断然いいから応援するのだが、相手だって勝つつもりなんだから、そうそういつもうまくはいかないものだと知っている。それを含んだ上でのスポーツ観戦だ。

 結局、日本が本戦をしたのは準決勝メキシコ戦と決勝アメリカ戦、韓国戦を加えても3試合だけで、あとは練習試合でしょう。それで大勝して喜んで、あんな視聴率出してていいのか? 自己満足自画自賛の極みのようで、ちょっと怖い。

 この大会で私が見たのは、メキシコ戦の9回裏だけだった。あれはいい試合だった。メキシコの監督が試合後言った「勝ったのは野球だ」は至言である。しかし、試合後ローカル局のニュースでこのあたりに住む在日メキシコ人にインタビューしていたが、「メキシコで野球好きな人は知らないです。自分の関係ではゼロです。このゲーム全然知らなかった」などと答えていたのがおもしろかった。母親が「サッカーの方が人気ですが、北部の方では野球は人気ですよ」と補足していたけれども。負けても全然悔しそうじゃなかった。サッカーで負けたら、絶対にこんな対応じゃない。バドミントンで日本がマレーシアに負けても淡々としているだろうが、サッカーや野球ではそうはいかないのと同じだ。

 

 組み合わせや試合日が直前に変更されるということもあった。考えられない。ボスの一存で決定されるなんて、全世界に「われわれはマイナースポーツだ」と宣言するようなものだ。小学校の運動会でオーナー理事長が強引に自分の息子の出る競走の組み合わせを変更するみたいな話でしょう。小学校なら児童や父兄が憤懣をぶつぶつ言うだけかもしれないが、世界大会でそれでいいのか。つまり、アメリカは世界の傍若無人な「オーナー理事長」であることを図らずも露してしまっているのだ。ことは野球にとどまらないと思うよ。規則は俺が決める。アメリカという国の本質である。そんな国がまわりに押しつけたがっている「民主主義」がどれほどのものか、疑いを抱かせるに十分だ。

 そんな強引で突然の自国有利な変更をしたら、サッカーなら大使館前で暴動が起きる。投石される。飛んでくるのは石だけじゃなく、ナイフや弾丸かもしれない。そのくらい真剣なのだ。「民主的」でもある、と思う。

 

 WBCのこんな盛り上がりは、コロナ対策緩和も大きく影響しているだろう。緩和されるずっと前からすでに不必要だったのに、ばかばかしく続けられていたあの規制がようやく終わり、声を出して応援できるようになった。同じ時期に開催されていた大相撲春場所も満員御礼が続いた。横綱大関がいないのに。規制解除の喜びを絵に描いたのがあの満員の図であっただろう。

 そして、大谷翔平だ。メキシコW杯はマラドーナのための大会と言われたが、あの大会のマラドーナに匹敵する選手がこの大会の大谷だったと言えるだろう。「大谷のための大会」であった。女子サッカーW杯でも日本は優勝したことがあるが、あの大会の澤穂希は「ベッケンバウアー」ぐらいだった。それでもすごいけども。

 しかもこの「マラドーナ」は、麻薬などやらず、「神の手」など使わず、優勝後に「日本だけじゃなくて、韓国もそうですし、台湾も中国も、その他の国も、もっともっと野球を大好きになってもらえるように、その一歩として優勝できたことが良かったなと思いますし、そうなってくれることを願っています」などと言うことのできるすばらしい「マラドーナ」だ。日本サッカーから「マラドーナ」は決して出ないが(「マナドーナ」なら出たが)、野球では出てくれた。「マラドーナ」であるためには、優勝していなければならない。つまり、やはり優勝はいいことだ、という結論である。