アルメニア、ダイヤモンド工場―2007 <中沢 博美>

[石消子敬白] 今「イェレヴァン日本語クロニクル」というものを作っていて、それにこんな原稿をもらいました。しかしさすがにこのままでは載せられず、文中のいちばんおもしろい部分(それは往々にして「いちばん差しさわりがある部分」と同義です)を割愛せざるをえません。だがそれではあまりに惜しいので、著者の許しを得てここに紹介します。あなたの美しいダイヤの指輪をカットしたのは、こんなアルメニアの「達人」たちだったかもしれない。


          アルメニア、ダイヤモンド工場―2007


朝7時25分、部屋を出て暗い階段を下り、迎えのタクシーに乗り工場へ向かう。運転手はアルトゥール。昨年9月から工場の紹介で送迎を頼んでいる。時間にはほぼ正確、タバコは吸わないし、家族や親戚の話や、日ごろの不平不満など一切話さないという、この国では珍しい国宝級のドライバーだ。この国はどうだとか、結婚しないのかとか、お決まりの質問もなし、ありがたいことこの上ない。25分ほどで到着。
工場は今(1月)例年にもれずヒマだ。昨年も一昨年も、その前も1月2月は石の入荷が少ない。
だから職人の数も少なく、静かだ。工場の研磨部門には7つのセクションがあり、それぞれ親方が1人か2人で統括している。各セクションは親方、アシスタントの女性数名、そして職人30名ほど、70歳の爺さんから20代前半の女性が、毎日ダイヤモンドの煤とタバコの煙にまみれながら働いている。私といえば一応、品質管理及び、新製品のデザイン・製作及び、職人のバカ話の相手及び‥‥。何しろ、工場長から仕事に関する指示がほとんど(年に1、2回しか)ないので、勝手にあちこちに顔を出し仕事のジャマをするのが仕事といえる。

さて、昨年は思った以上に冬は寒く、次に人員整理の春、そしてそれまで給与のことなど口にしなかった職人までが不満を漏らし始め、思った通りの暑い夏が来て、自主退職者続出の秋が過ぎ、なんとなく見た目には平穏な年末を迎えた、という一年だった。
過去数年、ベルギーの親会社の意向により、何回かの人員削減が行なわれ、多くの職人が退職していったが、自ら職を辞する者はほとんどいなかった。それが去年から変わり始め、他に仕事がないから仕方なく工場で働くというのが、物価の上昇、ドル安の影響、活発な公共事業、好況のロシアなど、工場にしがみついていても仕方がないという状況になっている。何といっても、ドル建ての工賃で仕事をしている彼らにとって、ドル安の影響は大きい。約4年前1ドル=520〜530ドラムだったものが、今は1ドル=約300ドラムと40%以上も目減りしている。物価の上昇も著しく、ガソリン1リットル1ドル20セント程、日本で1リットル150円と騒いでいるのが不思議に思えてくる。
大体、ダイヤモンド研磨が盛んな所というのは、インドや中国、スリランカなど発展途上の賃金の安い国であり、1ヶ月の生活費が4〜500ドルに達するこの国には、そぐわない産業になりつつあるようだ。

そんな業界全体がお寒い状況の中、逞しいというか、陽気というか、能天気、現実離れした人たちがいる。7つのセクションの中の1つ、ファンシー・セクション。ここはほとんどどんな形状の注文にも対応できる、他のセクションとは一線を画すところで、当然、頭の中は一線を越えている。毎日音楽をガンガン鳴らし、奇声を発しながら、おそろしくマイペースで仕事をしている。それでも午前中10時頃まではまだマシで、みんな慢性的な寝不足だからエンジンが温まっておらず、比較的おとなしい。これが昼近くになり暖機が終わると、先頭に立って騒ぎ始める奴がいる。体は小さい(あだ名は“切株”)が声はデカイ。鼻はケンカでつぶれ、27歳にして立派な、積極的な、堂々たるハゲ。キャラクターとして申し分ない。1日中盛り上がっているわけではないが(さすがに疲れるから)、これにつられて部屋が一気に活気づくのだ。昨年、新親方に抜擢された見事な七三分けのユラは、ため息混じりに「ドウブツエンダ」と言いつつ、あまり気にしていない様子。さすがだ。このような環境で何年も寡黙に研磨しつづけた彼の精神力は、賞賛に値する。
ほぼ全員が結婚しており、子供もいる。日頃の鬱憤を職場にタンマリ持ち込んだ結果のバカ騒ぎなんだろうか。いったいどんな家庭生活を営んでいるんだろう。家でもあの状態なんだろうか。子供たちは彼らの背中を見て育つんだろうか。どうして糖尿病が多いんだろう。なんで殺虫剤みたいな香水をつけてるんだ。どうしていつも靴がきれいなんだろう、体を洗え!
アルメニア人をガマン強い民族という人がいるが、これは物理的な耐久性のことだろう。ユダヤ人と似ているという意見もあるが、ユダヤ人は自分の利益のためにはとことん戦うが、約束を守る静かな人たちというのが私の印象だから、全く違う。ホスピタリティに溢れる国と聞いたことがあるが、飲んで歌って暴れるのがホスピタリティなら、そんなもの要らない。

この国との付き合いも10年を越え、その内の半分はここで生活している。多くの職人達と働いてきたが、去年は彼らの愚痴が冗談半分から本気に変わった年だった。日本へ連れて行けと随分言われ、
何人もの職人とサヨナラの握手をした年だった。いなくなった職人達はみんな良い人たちだった気がする。たぶん勘違いだろう。

<中沢 博美>