晩秋の日々

このあいだの週末はおもしろかった。
招待券をもらって、土曜日の夕方、エレヴァンに来て初めてオペラ劇場に行ったのだけど、そこで私が見たものとは? 柔道のトーナメント。何でまたオペラ座で?というあなたの疑問はもっともだ。私も何度も確認した。日本語の通訳をしているうちの大学の卒業生に、柔道の試合があるので招待するとは前々から言われていた。招待券をもらう段になって、場所はオペラだと言うから驚いた。「じゃあ、何か柔道関係のセレモニーか、デモンストレーションみたいなものなの?」と聞くと、ちょっとむっとしたように、「試合です」と言う。準備のために奔走している人を怒らせるのは本意でない。体育館が使えないのでそうなったらしいのだが、もっとありえないものだっていろいろ見てきたし、従郷主義は身についているつもりだから、では「オペラの柔道人」を見てみようと思った。
行ってみると、たしかに舞台上に柔道の試合場がしつらえてある。改めてオペラ劇場の舞台は広いものだと知った。開会セレモニーでは踊りもあって、そのためにはまさにこの舞台は最適である。試合が始まってからは、最初は大きな違和感があるけれど、そのうちだんだん慣れてくる。むしろ全員が正面の一等席で見られるのだから、これはこれでありかなと思えてくるから恐ろしい。
行なわれたのは男子の3階級のみ(有力アルメニア人選手のいる階級だけを選んだのかもしれない)。日本選手は来ておらず、アルメニアのほかに、グルジアウクライナハンガリールーマニアセルビアギリシアが参加していて、ほとんどが旧ソ連・旧東欧の姉妹国だが、イギリスと南アフリカが加わっていたのが国際色を出していた。イギリス選手の一人は世界チャンピオンだということだ(彼は決勝でアルメニアのヨーロッパチャンピオンを破って優勝した)。
この大会のスポンサーはアルメニアの有名なコニャック(アルメニャックというらしい)「アララト」を作る会社で、そこの創業130周年の記念の催しでもあるらしく(それで見栄えのよいこの会場が選ばれたのかも)、招かれた中には名士たちも多かっただろうが、そういう人たちは適当なところで帰っていき、試合が進むと残っているのは実際に柔道をやっている連中(「ジュードーカ」)ばかりになってきた。だから試合中、「掛け逃げだ、指導をとれ!」という的確な声も上がる。アルメニア選手が登場するとたいへんで、声援や手拍子はもちろん、相手が技を出さないと「シドー!」と叫び、倒れれば「コーカ! ユーコー!」の叫び声が湧きあがる。有効程度の技でも「イッポン!」の大合唱。だがよその国の選手同士の試合だと、まあ静かなこと。ぞろぞろ外に出て行く人たちは、ビュッフェで何かつまむのだろう。
とにかく、全員一丸となってアルメニア選手を応援している。それ以外のことをするために来たのではありませんと、きっぱり丸太ん棒のような太い筋を通しているのがいっそ気持ちよかった。恐るべきホームアドバンテージもむなしく、決勝に進んだアルメニアの選手は、二人とも負けてしまった。声援にこたえるべく攻め急いで、墓穴を掘った感もあった。イギリスとウクライナの国歌が流れただけで(セルビア選手も優勝したのだけど、国歌が流れなかった。用意してなかったか、単なる不手際か)、アルメニア国歌が聞けなかったのは残念だ。「ジュードーカ」たちの野太い声の大合唱を1回ぐらい聞きたかった。
「舞台」の上に立っていたせいで、選手も妙な気持ちになっていたのかもしれない。リードされていた選手が終了間際に一本で大逆転したり、頭上まで持ち上げる大技が出たり、けっこうおもしろい試合もあった。
まあ、ともかく。ほかの国でも劇場で柔道の試合が行なわれているかどうかは知らない、つまり相対的にはわからないが、絶対的におかしかったとは言える。
これはこれで非常に楽しんだけれど、この次は本物のオペラを見に来ることにしよう。


日曜日にも「エレヴァンに来て初めて」をやりました。
今回アルメニアに来てからひと月以上もたって、初めてエレヴァン市の外に出たのである。市外どころか、市内も前のアパートと今のアパートの周辺以外はほとんど歩いていない(恐るべし、弁論大会)。学生たちに誘われて、近郊のガルニ神殿とゲガルド岩窟修道院へ行ったというそれ自体は、いわばお定まりのプログラムであったのだが。
こんな小旅行をするには時期的にやや遅く、ゲガルドの山々の頂近くには雪があった。だから紅葉ももう盛りを過ぎてはいたのだが、それでも十分に美しかった。といってもアルメニアの山は木のない禿山だから、村里や道辺の木々が黄色や赤に染まっているだけだ。私は一人で感心するのだが、学生たちがその美しさにまったく興味を示さないのもおもしろかった。あれは何という樹だろう、細身で枝がひたすら天を指し、高さは3、40メートルもあろうかというものが下から上までみごとに色づいて、聳え立つ炎のようなのには感嘆した。
ガルニへは市内の外れから乗合バスが出ている。料金は250ドラムだから、80円か90円。ゲガルトへはバスの便がないので、ガルニからタクシーに乗った。往復で2500ドラムという。8ドル見当だから安いものだ。おまけにその運転手、顔は、夜道でいきなり出会ったら日本の女の子は仮名に書けない音を漏らしそうだが、なかなか気のいい人間であるらしく、修道院でもいろいろ案内してくれたし、帰りにガルニからエレヴァンまでただで乗せてくれた(アルメニア人の顔の「読解」にはまだ慣れていない。たいがい無精ひげをのばしていて、それが頬一面に濃いからねえ。劇画の悪役顔というのが日本人にとっていちばんわかりやすい形容なんだなあ、悪いけど)。
それはよかったんだけども。もうエレヴァンも見えてくるところになって、ガス欠で止まってしまった。ガソリンスタンドの近くだったから、あそこで入れればいいじゃないかと言うと、これはガソリンではなくガスで動いているとのこと。私は車を運転しないからわからないが、そんな車って世界には多いの? 少なくとも私はトランクにガスボンベを入れた車は初めて見た(ボンベを屋根に載せたバスは見たことあるが)。
そこはゆるやかな上りで、あの先まで行けばあとは下りだから、だましだましガスステーションまで行こうと思ったようで、みんなで車を押した。だが非力な私とさらに非力な女の子二人だから、その距離は遠い。通りかかった車にガスをわけてもらうことにした。その通りかかった村の車を運転していたのが、13歳の男の子。おいおい。まあ、農作業の手伝いをするいい子なんだろうけど。その子の車からガスを少しゆずってもらい、また走り出すことができた。こんなちょっとした親切を受けたとき渡せるように、いつも小さなおみやげをかばんに入れているのだが、そのときは折悪しく持っていなかった。さいわい子どもなので、折り紙をしてプレゼントした。むくつけきおっさんだったら、折り紙ってわけにはいかないからね。よかったよかった、めでたしめでたし(そうなのか?)。
しばらく行くとガスステーション(たしかに「ガス」ステーション)があって、そこで補給してエレヴァンに帰り着くことができた。そこにはガスの補給を待つ車がけっこういて、われわれのは古いソ連製のラダだけど、西側のピカピカの車も並んでいた。またひとつ勉強した。東欧にもソ連にもくわしくなったつもりでいたけど、生涯これ勉強だなあ。
エレヴァンでガイドつきの車を頼めば、効率よく快適に観光できるのはたしかだが、旅のいちばんおもしろい部分はそこにはない。土地の人と行くに限る、と言っていいんじゃないか。効率を度外視すると、何だかいろいろ楽しい。


こう書いてみると、別に大した経験でもないかな。外国に暮らしているといっても、職場に通って仕事をするだけの平凡な日々を送っているので。絶対的にはさほどおもしろくないかもしれないが、相対的には楽しい週末でありました。