イェニーの恋(3)

6.
 誕生日の当日に届いたすばらしい贈物、それから受けた大きな喜びに対し、さらに一筆することをお許し下さい。私がどんなに驚き、また感動したか、信じていただけないでしょうが、この本のすべてが並外れて美しく意味深いものでした。ご自分では自覚されていないかもしれませんが。貴嬢のしるしがあらゆるところに、小さな動物や、このあたりで言う「目の慰め」(コゴメグサ)の花一輪にいたるまで見られるのです。ふち飾りは、私の見たこの種のもののうちで最上です。なんときれいで、優雅で、几帳面な仕事でしょう! そして全体がなんと華やかな印象を与えることでしょう! 一言で言えば、私の知るもっともすぐれたものです。
 年初めにここにやって来たとき、アウグストは貴嬢からのすばらしい昔話や伝説を持参してくれました。われわれにとってなんと大きな収穫であることか。貴嬢のご好意で、このようなものをすでに数多く受け取りました。われわれが感謝を知らぬ人間でないことはご承知下さい。カッツェンシュタインの修道僧グイドの奇妙な幽霊話で、お父様には特に結びつきを感じています。すでに伝説集の第三巻のためにかなりの蓄えをしています。
 この冬、私たちは折々気がすぐれず、時としては体もすぐれませんでした。けれども状態はまた上向きになって、神のご加護あれば、近づいてきた春が新たに元気づけ活気づけてくれるでしょう。妹のロッテはすっかりよくなって健康をとりもどし、血色よく活発さがもどってきていて、貴嬢とネッテ嬢にくれぐれもよろしくと言っています。私たちはいつも、皆様方がここにおられたときの愉快な日々を楽しく思い出しています。カッセルへの行き方も、ヘッセンの様子も今やご存じなのですから、もう一度こちらにおいでになって、もう少し長くご滞在下さい。夏の盛りのヴィルヘルムの丘をご覧にならなくてはいけません。ベーケンドルフをまるごとまとめて、最低3台の車でやって来られたらどんなに素敵でしょうね! あなたがたは幸いお望みどおりにできますが、われわれはいわばこの地にしばりつけられていますから。
神のお恵みあって、どうぞお元気で。ご両親とネッテ嬢に私たち皆から心からのごあいさつをお伝え下さい。
   ヴィルヘルム・C・グリム


7.
  カッセル、1819年12月7日
 童話集の新しい版をお送りします。いくらかの気晴らしになればと願いつつ。このうちの多くはもうご存知ですし、いくつかは貴嬢ご自身のおかげで入手したものですが、それでも新しいものがお気に召せばと思います。その中には銅版画も含まれますが、これは(単なるベルリンの工場仕事で、私の希望に反して押しこまれた第二巻表紙の花輪を除いて)弟の手に成るものです。第一巻のかわいい絵は、50ページの小さな兄と妹の話によります。天使が眠っている二人の魂を百合の形で手に持って、地上の災いから守っています。世間から見むきもされず、ひっそりと伝えられてきた罪のないメルヘンの姿もそこに重ねて見ています。第二巻巻頭のヘッセンの昔話おばさんの絵も、気に入っていただけるでしょう。なんと思慮深く、落ち着いて、立派に見えることか。第一巻巻頭の花輪は、色つきの原画ではとても可愛らしく優雅でしたが、銅板の作業で多くが失われてしまいました。
 この夏ぜひまたおいで下さい。私たちのことを忘れずにいて下さっているお父様に、心からご挨拶申し上げます。お父様には、新しくしつらえた温室と、ある知人の家の庭をお見せできるのですが。その人はすべての草花の最良の標本をもっています。貴嬢も一緒にいらっしゃり、そのあとで、最近ローマから帰ってきたばかりのルールという名の若い画家の絵をご覧にならなければいけません。それはきっと大いにお気に召すでしょう。三王礼拝と春をあらわした小さな絵はとりわけて。あの天使の顔、ヴェローナに住む、金髪の巻き毛がすばらしく美しいほっそりした子供を写した、薔薇と鈴蘭と黄金色の葉の花冠をかぶったもの。金の額縁全体が花と鳥で独特な方法で塗られています。雉は貝殻から水をのみ、上には極楽鳥が羽を休めています。
 どうぞあたたかい思い出のうちに私たちをとどめておいて下さい。私たちとともに妹もくれぐれもよろしく申しています。貴嬢のクリスマスツリーに、神が一年を通じて喜びをお恵み下さるようにとの願いを掛けましょう。
   ヴィルヘルム・カール・グリム


8.
 今回はほんの少ししかさしあげられませんし、残念ながらいいものもあまりありません。ほかの地方から伝説を送ってくれるはずの知人たちは、まだ約束を守ってくれていなくて、今のところはこれでがまんしていただかなくてはなりませんの。ベーケンドルフからの手紙によれば、アウグストはもうすぐ貴方がたのところへ参るようですね。彼はこの秋わたしたちのもとに来ており、とても愉快な日々をすごしました。春には必ずまたやって来るはずで、あるいはこの冬にもとも思いますが、それはあまりありそうにありません。
 父はくれぐれもよろしくと申しており、春にわたしどものところにおいでくださるようにとまたご招待しております。いつも山の間に暮らしておられますから、わたしたちの平らな土地は居心地よいものがあるのではありませんかしら。ヒュルスホフはいい場所にありますし、春にはすべてがきれいです。哀れな囚われ人たち、わたしの花のことですけども、彼らはわたし以上に春をとても待ちこがれています。温室をもっておりませんと、心づくしの世話をされていても、花たちはみじめなありさまで冬をやりすごさねばなりませんが、ひとたびまたあたたかい五月の雨が行きすぎると、すべてが一変します。
 この世界でシュトルベルク伯爵(*1)にお会いになることができなくなったことを、とても残念に思います。ご紹介したく思っておりましたのに。あの格言があてはまる、とても美しい身まかりようでした。「主の腕の中に逝くものは幸いなるかな」。
 カロリーネ(*)は今ここにいます。とても元気で、貴方によろしくと言っております。妹のネッテは夏からずっとベーケンドルフに行っていて、聞くところではまったく元気で健康です。おそらく春まで祖父母のもとにいるでしょう。妹のロッテ嬢にわたしたちみなから心からのご挨拶を。父とカロリーネ、そしてわたしは、今もカッセルでの日々のことを話しており、あれから1年半もたってしまったとはとても思えません。
 どうぞお元気で。わたしたちみなから貴方とご兄弟、わけてもヤーコプさんにご挨拶を送ります。
  ヒュルスホフ、1819年12月17日
   イェニー・ドロステ=ヒュルスホフ


(*1):フリードリヒ・レオポルト・フォン・シュトルベルク=シュトルベルク(1750-1819)、詩人・作家
(*2):カロリーネ・フォン・ハクストハウゼン