サハリン消息/教師会会報

 3月に新しく組織されたサハリン日本語教師会が、会報第1号を出しました。
それは結構なこと、と聞こえます。誤って感心してくれる方も中にはいるかもしれませんが、ご無用、ご無用。だって全然実体が伴っていないのだものね。だから旗を立てなきゃならないんです。「ここにあり、ここにあり!」って。宣伝しないと倒産する、人気頼み商品を作っている中小企業のようなものですなあ。
報告書を読むと、専門家が赴任するたびに、その土地に教師会ができているようです。だがその多くがじきにしぼんで消える。正月から3日間の日記のようなもの、かな?
つまり、冬にロシアや東欧でよく見た風景なんです。通りがかりの人も手伝い、エンジンのかからぬ車を押して、押しがけをする。動くまでは力を尽くし、多少の無理をしても押さねばなりません。動き出せば、あとは自動的に走っていく。何度か手伝ったが、私が押した車は幸いみなエンジンがかかりました。だから、がんばろう。でも、どうしてもかからない車もあるでしょう。そのときは肩をすくめて、散り散りに去って行くさ。努力がいつも酬いられるなんて、神さまを含む誰も保証しません。
だけれどもわれわれは、「種」を播きつづける。よい種、必要で有益な種なら、播いた人が去ったあとでも育つだろう。それは「民主主義」を信じる、ということでもあります。受け入れる多数がいるかどうか。いない「種」は枯れる。わかりやすい。わかりやすいこのシステムを信じ、私は去ります。
それがよいものであるならば、後に来る人よ、これを育てよ。