サハリン消息/雪の民主主義

 疲れというのは、適度であれば心地よいものです。外が寒いほど暖かい布団にくるまってよく眠れます。そして目が覚めると、外の景色が一変している。魔法、というものを私は信じているフシがありますが、見たことはありません。雪はだが、それに近いものではないか。日頃見慣れた眺めを、見慣れぬ、何か違うものに変えてしまう。日々溜まる汚れは黒い。その上に、日々の営みと無関係にどこからかやってきて覆いかぶさる白。魔法の白です。―― けれど日がたつにつれて、せっかくの白地がゴミに汚れていきます。魔法より生活のほうが強い。
 雪道を歩きながら、いろいろなことを考えます。いわく、「雪は民主主義者だ」。道が雪に埋まってしまい、新しく道を切り開かねばならない。人が多く通る道は太くなり、通らない道は塞がる。車道と歩道の間は、除雪された雪が壁を成しています。だが、バス停の向かい側など、横断歩道でなくとも人が渡る場所は、誰かが乗り越えて押し通り、その後をまた誰かが通り、ついには道がついてしまう。「足による投票」だなと感心します。
実は北方では冬が旅行シーズンなのだというのも、納得が行きます。車は偉大な発明ではあるけれど、道が整備されていないところでは使えない。悪路を走って、車軸を折ったりしたらたまらない。川や湿地も行く手を阻みます。車でなく、馬で行くときもこれらは障害だ。ところが、冬になり地面が雪で覆われ、水面が氷結すると、橇のための立派な交通路になる。道路と車に制覇され一面化された現在から、雪はしばし頭を解放してもくれます。私の故郷は、船の時代に栄えた日本海の町だしね。
 雪が降り積もると、あんなに広かった歩道があぜ道に変じる。そして雪の上、前より高いところを歩いていることにも気づく。時の経過は土の堆積というわかりやすい形を取るのだと教えてくれるのは、考古学です。われわれは今過去の町の上を歩いているのだ。その過去はたかだか1ヶ月前なのだけど、そんなことはこの際失念しよう。考古学の魅力の大きな部分は、掘るという形而下的作業に基づいているところにあります。掘り返せば現われる過去の生活の遺物。それは犬の糞(半年前の)かもしれないが、発掘隊の詳細な分析の結果、この地方の犬は小ぶりの中型犬で、原生犬種との顕著な相違を示す等々の事実が判明。揺れる学界。沸き立つマスコミ。―― いや、戯画を描いているのではなくて、大真面目に楽しんでいるのですけどもね。過去の都市(それがわずか夏のユジノにもせよ)の上を歩いているという幻想は、魅惑的です。
 しかし、雪道は転びます。特に車が踏み固め、氷と化した車道が危ない。もう2回転倒しました。さあ、春までに何度転ぶか。5回までで抑えたいという希望はもっていますが。