婚礼の道行き

あるいはチャウシェスクに感謝すべきなのかもしれないけれど、トランシルヴァニアハンガリー人の村には、古い習俗がよく保たれている。ヒース地方のある村で、昔ながらの伝統を守った結婚式を見た。民族衣装の美しさもさることながら、式の運びの頑固な古風。婚礼はまず花婿の家から始まる。二人の媒酌人と四−六人の付添いの若者たちが円陣に立って、かわるがわる花婿の別れの文句を朗々と唱える。そもそも太初、天地創造とアダムとイヴの聖なる婚姻より説き起こして、今日の旅立ちを祝う。その後媒酌人を先頭に行列を組み、花嫁の家へ向かう道すがら、しんがりを行くジプシー楽士たちの音楽に合わせ、杖を打ち鳴らして歌いながら進む。花嫁の家の門口では、するりと嫁方の媒酌人が門を閉ざし、婿方の同僚と入れろ入れぬの押し問答をする。ようやく中に入っても、二度まで嫁方の媒酌人は花嫁の代わりに女の子や婆さんを連れてくる。三度目にやっと本物の花嫁が現われ、そして今度は花嫁の別れの挨拶になる。といっても本人は何も喋らず、媒酌人や付添いの若者たちが詩句を唱えるのだが、どの婚礼でも朗唱される定まった文句であるにもかかわらず(あるいはだからこそ)、参会者たちは泣くのである。村人たちは感動しやすく、感動すれば泣くのである。ましてや涙を見せぬ花嫁はいない。
両親親族との別れのあと、行列は教会へ向かう。この時、もし花嫁花婿が別の郷(この村は三つの郷から成る)に属するならば、花嫁の郷の若者たちは道に綱を張り渡して行列をさえぎり、媒酌人と遊びのようでいてなかなかしぶとい交渉をして、パーリンカの何リットルかを貰うことで道をあけてやる。娘はその郷の若者連中の共有財産と見なされていて、ただで他の郷へ引き渡すわけにはいかないのだ。教会での式のあと、一行は花嫁を連れて花婿の家にもどる。お返しでもあるまいが、今度は婿方の媒酌人が門を閉ざして、嫁方とまた陽気な押し問答となる。結婚の道は簡単には通れない。新郎新婦無事到着の報告があったあと、花嫁は舅姑に挨拶する。とにかく全ての挨拶事は、媒酌人なり付添いの韻文で代弁するところなのだが、そしてこれが何とも有難くも古風なのだが、こればかりは花嫁が自分の口で言い、また泣く。まわりも泣く。
祝宴は夜半に始まる。客はもちろん贈り物を持ってきていて、たいていは金なのだけど、それをいちいち媒酌人は、「誰々様より頂戴仕る」「花嫁花婿より御礼申し上げる」と、声を張り上げて参会者全員に披露するのだ。200組も延々と。うれしいなあと思う。日本の宮の祭りでもこんなことをしていなかったか。400人もの客がたらふく飲んで食って踊り明かして朝になった頃、花嫁は若い嫁仲間の掲げてくるロウソクを吹き消して宴の天幕を去り、部屋の中で長い髪を編み上げる。このとき、お下げ髪の娘は一人の女房になるのである。そして宴はなおも続く。
一流の劇作家がシナリオを書いたとしても、これほどのものはできないだろう。練り上げられた式次第の主題は、旅だと思う。それは比喩なんかじゃなくて、それ、そこを通る、列を整えて歌いながらやってくるあの道行きだ。頭でなく体で考えて現わされたのが習俗というものだとするならば、ああ良いものを見た。だが旅はこれで終わりではない。弔旗を立て安息所へ向かう最後の道行きに締め括られるまで。
(1991)