フェルガナだより(10)

杜の都
 フェルガナはおもしろい町で、公園が町の中心です。中心部にぽっかり空いた緑の空間を囲繞して、バザール、デパート、博物館、劇場、中央郵便局、スタジアム、そしてわれらが大学などが散らばっています。放射状に走る道の要の部分、州政府や市庁舎のあるあたりこそ本来中心であるべきながら、柵の向こうに大きな建物が人寄せつけな顔に構えているだけで、ひっそりしています。おもしろい都市構成です。その公園の一角に遊園地があり、そこに観覧車があって、この時期それに乗って見下ろす町の眺めは緑一色。公園を森にしている丈高いプラタナスの大樹はもちろん、碁盤目の街路には同じその樹が高く聳え並んでいて、低い人家はその中に埋もれています。
地上に降りて、道をあるいていても、やはりそうです。民家はほとんど平屋で、街路樹の列からさらに歩道を隔てた奥にあるので、車の通り少ない車道を歩く者には、両脇の家が目に入れぬようにすれば、先にはただ鬱蒼と葉を茂らせる木々と道ばかりが見え、まるで森のようです。しかし森にまっすぐな四車線の舗装道路なんかありませんから、その形容はおかしい、はてどのように言ったものか。結局「フェルガナの道のよう」ということになってしまうか。普遍性がないなあ。


<順列組み合わせ>
5月15日に日本センター階上のホールで行なわれた学習発表会で、のりこ学級ナジロフ・ジキリロ(ガニシェル氏次男、12歳)「マナーについて」が優勝、ナジロフ・ディヨール(ドンヨル君の弟、16歳)「たばこに好奇心がある子供」が4位になりました。のりこ学級は歌の部、ウズベク文化の部でも優勝、劇の部でも2位と、昨年に続いて好成績を収めました。
4月の中央アジア大会とこの大会で、弁論大会というもののまた違う面白さが現われました。ウズベク大会で1・2位だった学生が中央アジアで入賞できず、逆に入賞最下位(6位)だった女の子がウズベク代表中の最上位(4位)となり、フェルガナ大会優勝の子はタシケントで入賞から漏れ、フェルガナで入賞できなかったジキリロ君が、タシケントでは堂々優勝です。
どうしてこんなことが起きるのか。審査員が違うということが、もちろん大きな要因としてあるでしょう。次の大会までの準備練習によるところも小さくないでしょう。しかし、場が違うというのが一番の理由だと思います。発表する者の組み合わせが違います。フェルガナ大会では子供と学生がいっしょに発表しました。フェルガナ大とのりこ学級でそれぞれタイプの違うスピーチで、会場もちんまりして聴衆はすぐ前の方にいたばかり。対してタシケントでは、人もいっぱいでややうるさかったし、ほとんどが声を張るスピーチだったから、声が小さいフェルガナ1位の子は全然さえず、またフェルガナではしなかった質問があって、ここで日本語力の地がはっきりと現われました。中央アジア大会は見なかったのでよくわかりませんが、想像するに、恐ろしく発音のいいキルギス勢といっしょだから、発音が悪い者は沈むということもきっとあったでしょう。テーマのとらえかた表現のしかたに、国ぶりも出たに違いありません。その上での順位は、どうしたって国内大会と出入りがあるはずのものです。その場で発表した限られた数のスピーチを並べ考えてつく順位だから、どういう組み合わせかによってそれに変動があるのは自然です。中央アジア大会のような国際大会はもちろん、国内大会にあっても、学習機関ごとの「文化」の違いはあります。弁論大会もまた異文化交流の場だということを、この2大会の結果は表しているのではないでしょうか。

 
<一日の行楽>
 5月22日、学生と近郊のサトカクというところへ遊びに行きました。ムッラー・アブドゥラフマンという9−10世紀頃の人の墓が丘の上にあり、麓には湧き水豊かで、いかにも聖地となりそうなところです。丘の上に廟があって、その参道は露店が並び、チャイハナもいくつもあり、地元の人々のローカルな行楽地になっています。池には魚がいて、病気(腎臓病)平癒を願うと、その魚が病を吸い取ってくれるのだそうです。魚はやがて赤くなり、死ぬと言います。
遊びに来る人たちは、みな食材持参で、チャイハナの縁台露台を借り、自分で食事を作るのです。台所や食器も貸してくれます。台所といっても、大鍋がずらりと並んでいるだけで、洗いすすぎは流水です。連れは少なくても4、5人、多ければわれわれのように20人近くもいるのだから、ぽっちりが当然の当世日本式の調理器具とは縁続きと思えない豪快素朴。汁物でも炒め物でも、その大鍋ひとつでやってしまうのは、中華に通ずる料理法でしょうか。求められカレーを作りましたが、日頃しつけぬ料理の上に、あんな鍋使うのも、カレー粉から作るというのも私にとっても初めての経験ゆえ、まあカレーの味はしたけれど、これをもって「カレーを食べたことがある」と人に言いふらされては面目ないという出来でした。お察しください。
料理は女の子がしたけれど、その手際のよさ。いつもやっているのがわかります。ナイフ(日本人の感覚ではあれはナイフで、包丁とは言いにくいですね)を取って、手慣れた風に湯飲みの糸底の裏でさっさと研いでいるのに、しげしげ見入ってしまいました。私のように真に生活していない根無し草の人間にとって、生活者の何気ない行為もみな興味津々です。ましてまだ17、8の娘の日頃を窺わせる身振りには。
以前はずっと山間の風光明媚なシャヒマルダン(キルギス領内のウズベキスタン飛び地)にあったそうですが、大水が出たあとここに移されたという遊園地施設もありました。田舎にありますから、観覧車に乗ると眺めは田園で、都会地の観覧車とは全く異なる眺望が愉快です。その日はあいにく天気悪く、視界がききませんでしたが、よく晴れていたら遠くキルギスの雪を頂く山々も見渡せたのではないでしょうか。乗りたいと誘う学生と一緒に、二人漕ぎの立ちブランコにも乗りました。ブランコなんて、いつ乗って以来だろう。爽やかな若草色の丈の長いワンピースを着た女の子が、勢いよく風を切り、楽しげに上へ下へ揺れる様を真向かいに見て、ああ、これは女の子の遊びであるなと改めて感じました。ブランコにはくるぶし丈のワンピースがよく似合う。
「ジェットコースター」もありましたよ。なに、半径10メートルほどの円形の、ただし高低差(しかし2メートルもあるまい)をつけて波打っている路上を、車輪のスポークのように円心から出た輻が回ってコースターが動くという仕組みです。日本のものに比べたら、初歩的というも愚かな作りですが、ではおもしろくないかと言えばそうでもなく、けっこう楽しい。一緒に乗る連れが楽しんでいれば、どんなものでも楽しいのだと、当地でまた一つ真理を発見してしまいました(この国では事あるごとに小「真理」に遭遇します)。この遊園地にあるものなんて、単純な回転運動ばかりです。それでもキャッキャと楽しいよ。あれだけの恐ろしげなジェットコースター施設に乗らないと楽しくなれない日本の若い人々は、ひょっとしたらとても不幸なのではないかという疑いを持ってしまいます。楽しみのインフレですね。刺激を求めるエスカレーションは、価値を目減りさせているだけではないのかと、立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。
 行楽の原型でしょうか。由緒ある土地に、聖者の膝下に、場所だけ借りて食べ物持参、金いらず。時間はある人びとの休日の過ごし方として、長閑で屈託ないものではないか。どこかでテープの音楽が鳴れば、男も女も踊り出す。子供も達者に踊っている。あんなころから踊っていれば、長じてよい踊り手になるに違いない。踊りの上手ばかりなわけだ。天気には恵まれなかったけれど、心楽しい一日でした。


<百客千来>
6月1日に、ウズベキスタン・日本人材開発センターの一行がフェルガナ大学を訪問されました。岩波所長を始め、日本人スタッフ5人全員と3人のローカルスタッフという大調査団で、日本センターの地方展開のための視察ということでした。もう学年末ですが、この一年のフェルガナ大学来訪日本人はかなりの数で、こんなに多くなるとわかっていたら、芳名録でも作っておくんだったなあと思うほど。授業に顔を出して下さった方々も多く、日本人人口1名誤差なしのフェルガナで(このアパートを米軍が誤爆すれば、フェルガナ市の日本人は絶滅します)、学生たちにも日本人と接するチャンスができたことに感謝です。


<バザール/ナジロフ・ドンヨル>
日曜日の朝早く、ウズベキスタンのどんな町でも、果物、やさい、馬車に乗せた牛、羊などを売りに行く人々を見ることができます。早くものを売りに来た人は、たくさんものが売れて、たくさんかせげます。バザールは人がいっぱいです。どんなバザールでも、入り口でパンを売っています。売り手は自分のものをすすめて、kepqolinglar、opqolinglar(買ってください)とうるさいです。
やさいは山のように売られています。ある日本人とバザールへ行ったとき、にんじんを200グラム買おうとして、みんなに笑われました。やさいを買う時、いちばん少ないりょうは500グラム(半キロ)です。果物を一個、二個だけ買うこともできません。500グラムか1キロ買わなければなりません。肉屋さんに行けば、肉がぶらさがっていて、そばに牛や羊の頭がおいてあります。それを見て、いっしょに行った日本人のおばさんは「キャー」とさけびました。
多くのウズベク人は、だいたい日曜日に買い物します。なぜなら遠い町や村から人々がものを売りに来るので、ねだんが下がります。その上、一週間分の買い物をするので、りょうが多いです。重くなりますから、買い物に来るのは男性が多いです。
スーパーやデパートとちがって、バザールではねぎることができます。1000スムのものでも、「1スムでどう?」と言ってもいいです。買い物が上手な人は、最初のねだんの二分の一で買います。
ふつうの人でも、バザールでものを売ることができます。お金がひつようになった時、飼っている家畜、家で作った果物、やさいを売ります。今のバザールには、二つのしゅるいの売り手がいます。仲買人と自分のものを売る人です。おそく買い物に行けば、六割が仲買人になるので、安く買い物できません。
バザールは買い物するところだけでなく、町のマスコミとも言われています。バザールの中に喫茶店(チャイハナ)があって、多くの人は買い物のあとそこで昼食を食べながら、町の新しいニュース、うわさ、結婚やうわき、けんかなどの話をします。
子供にとっては、日曜日のバザールはお祭りのような日です。親がおかし、あめ、キャンデーを買ってくれますから。日曜日にお父さんが子供をバザールに連れていって、買い物するのを教えます。何回かいっしょに行ってそれから一人で行かせます。最初は安くて良いものを買えないので、親にしかられます。何回かしっぱいして、そしてせいちょうしていきます。伝統がつたわります。
ウズベク人は、日本とかアメリカのような国へ行ったら、困るかもしれません。バザールがなければ、ウズベク人は生きられないと思います。


 わたしも、バザールについて少しばかり。バザールは生活の必要を満たすところ。必要なものを購入するというにとどまらず、娯楽でもありますね、きっと。ウズベク人にとっては。値切り交渉はまちがいなく彼らの娯楽です。しかし値切るのは気力と体力がいります。ふだんしている生活が違う私たちには、なかなかにしんどい仕事で、そうそうには出かけられません。目方をごまかされることもあるし、モノも、安かろう悪かろうがけっこうあります。あるときハサミを買って、大学に戻ってさて使ったら、一回で柄のプラスチックが壊れてしまいました。買うとき試し切りを一度してみたのだけど、そこで限界だったのですね。
 見ていると、値切るのも気合と年季のいる仕事です。生活を背負っている人は値切るのもうまいし、売り手も折れる。生活臭の薄い学生なんかは、なかなか安くは買えない。修行と成長の場でもあります。また、値切ってもここまでという最低限は、売り手のみならず買い手もわきまえているようです。お互いに、人を見ています。ものを売る仕事というより、人を見る仕事です。いい服着ている人には、どうして安くしません。そんな服着ているんだから、これぐらい出せるだろうというのは、まったくその通り。ある知人はだから、いつも同じ人から言い値で買っているそうです。金に困っているわけではなし、ガツガツ値切らないでこうしていたほうが、サービスはよくなるし、無体な値を言われたりもしないでしょう。同じ物を売っている屋台がずらりと並んでいるのだから、その人もよい上客を失いたくないでしょうし。バザール初心者の日本人には、こういうのが最も賢明かもしれません。
思うに、「バザール」はウズベク人の遺伝子に刷り込まれているのではないでしょうか。露店の本屋で、必要ではないが面白そうな本を見つけ、手に取っていくらかと聞けば、二千スムだと言います。それは少し高いと戻しかければ、すぐ千五百に値引く。いや、それでも要るものじゃないからとためらうと、間髪入れず千と言う。その値引きの勢いに負けて買ってしまったようなものです。また別なとき別の本、値段はと見れば「2500」と書いてある。それは高いので置こうとすると、露店のおじいさん、「いくらならいいか」と聞く。「千」と言ってやったら、それでいい、持ってけ。じゃあ あの二千五百は何なんだろう。「五百」とでも言えばよかったか、というのはケチくさい考えで、言うに言われぬその場の気のありようで値は決まるものなのでしょう。でもこれらの例は、主がウズベク人だからのこと。露店の本屋はロシア人や朝鮮人が多いのですが、彼らはあまり引きません(まあ掛け値も少ないということでしょうが)。また、タシケントのツム百貨店で土産物をまとめ買いしたことがあります。そのときの店員はウズベク人でした。これだけ買うからこれでどうだと言うと、案外あっさり引いてくれた。しかし、あとでその女性はロシア人の同僚に叱られていました。基本的に正札販売のツムでもできたバザール交渉ですが、きっとウズベク人にとっては、まとめ買いで値引きしなければ不徳義だということなのでしょう。何とも「バザール」な倫理です。
バザールではまた、売り物を勧めて、試食させてくれます。試食した人のどのくらいが実際に買うのか知らないが、損はしないという経験則はきっとあるにしても、一日でかなりの分が試食で消えると思いますがねえ。ただ立ってるだけではつまらない、人と話しをして人と関わりたいという強い欲求もあるのではないでしょうか。人々がしゃべっていなければ、バザールではありません。「交渉」と言えば、まず値段の交渉ですが、人と関わりを持つという意味での交渉も含め、それこそがバザールの真髄だと思います。
 そこはまた、何でも呑み込む胃袋です。ウズベキスタンで撮影された「ドラゴンヘッド」という映画がありましたが、終わったあと、そのとき使った小道具の要らないものをウズベク人スタッフにやったら、翌週もう蚤の市に並んでいたそうです。バザールでは「アメリカ米」というのが売られています。ホレズム(ヒワのある州)米とほとんど違わない値段で。援助物資が運ばれる途中に「こぼれて」いったのでしょうが、こぼれすぎではないかしら。相手が知らないと見ればえらくふっかけてもくるし、スリ泥棒の稼ぎ場でもあるが、無法かと思えば(国家法と異同はあっても)厳然と独自の「法」があるバザールというのは、非道徳的、反道徳的というより、超道徳的存在だなあと思うことしきりです。バザールを見ずにウズベキスタンを見たと言うなかれ。ただし「見学中」は財布にご注意。
夏のバザールは、果物の甘い匂いです。日頃金のない学生も、今が安値の(というのは今がいちばんおいしいというのと同義ですが)いちごを半キロ買って、水分補給に食べながら歩き、もう食べられないとなると、乞食にやる。某国の町の通りを埋めつくしている自販機から人工飲料買って飲み、缶をポイ捨てするよりも、はるかに豊かな暮らしではなかろうか。「われらの失いし世界」というフレーズを思い出します。むろん某国では、毎日水汲みしたりしなくてもいいわけだけども。 (H)


<働くウズベク人>
日本人がよく働くのは世界的に認知された事実ですが、自分たち以外の国民を「怠け者」呼ばわりしているのはいかがなものか。彼らにかかると、どうかするとドイツ人やアメリカ人まで「怠け者」になってしまます。しかし、この地球世界をよく眺め渡してみれば、彼らのほうが異常であって、ホモ・サピエンスは怠け者で、いいかげんで、ずぼらで、時間にルーズな動物です。「時は金なり」という異様な反人類的危険思想に骨がらみになっている西欧・北米・旧大日本帝国が例外なのです。
だが、ウズベク人は「働き者」ではないのだろうか? 奴隷は働きません。アメと鞭によってしか。しかし基本的に、自分が自分の主である者はよく働きます。ガニシェル氏は無職で、生業としてはいわば「のりこ学級業」を営んでいますが、ガニティコの奮闘ぶりを見ればわかる通り、忙しいときはものすごく忙しく、よく体が持つなと思うほど働いています。けれど暇なときは非常に暇です(無職ですから)。こういう忙閑一様でない点も、ウズベク人には合っているんじゃないかと思います。生活のリズムやメリハリがあるほうが、会社や役所、工場などに時間の切り売りをする仕事より、自然に近く人間的だとは言えそうです。農家に農繁期農繁期があるように。但し、ウズベキスタンにもたくさんいる時間の切り売り人種の働きぶりについては、非難に価する部分が大いにありそうですが。
目を「庶民セクター」に移せば、ささいな需要に対しても、相応の供給がただちになされているという印象を受けます。バザールでは、子供たちが小さな荷車を手に客を待っています。バザールの客はキロ単位の買い物をするから、それを運ぶのが商売になるし、その際柄の小さい子供のほうが、狭い通路に人が大勢いるバザールには向いている。以前引越しのとき世話になった運び屋も、そんな「隙間産業」の一人ですが、あの人は何と大学出、それも外国語学部出の元教師なのだそうです(リシタンのロシア人の元教師で、学校を辞めてバザールで靴を売っている人がいるとも聞きました。そのほうが収入がいいらしいのだが、さびしい話です。こんな調子でいい先生が教育現場から流出していったら、将来はどうなるのか)。
ウズベク社会はバザール精神に貫徹されているような気がします。道に本来のタクシーは少ないのですが、しかしすべての車がタクシーと言ってもいい。つまり白タク。手を上げれば(上げるというより横に伸ばすのですが)すぐに車が停まる。行き先を告げ、値段交渉をし(距離当たりの相場というのがあるから、降りるとき相場かそれより多目を渡すだけでもよい)、乗り込みます。需要のあるところ、供給が発生する。だから働き者なのではないですかねえ。
ウズベキスタンの「働く人々」の中でいちばん印象的なのは、路上の商売です。バザールや人の集まるところに、かつて日本にも大勢いたはずの人々、盲人の楽師や香草焚き、そして広場の大道芸人たちを見る。綱渡り、ザンパノのような力技や剣を跳ね返す芸などに道化芸。お代は喜捨、ご祝儀。これも固定給でないウズベク・バザール式で、似合っているかもしれません。
(2004.6.4.)