冬の愉しみ、ハバロフスク

 私はどうも悪い見くびり癖があって、8月末に当地の教育大学に赴任するまでは、ハバロフスクなんて新開地にあるソ連風の味気ない町だろうと思っていました。だが来てみると、予想は大きく外れました。なかなかいいところです。罪ほろぼしに、一般の日本人に見過ごされているとおぼしき極東ロシアの町の魅力、特に人のあまり行きたがらない冬のハバロフスクの良さについて、少し紹介してみましょう。
 「夜目遠目雪の内」「色の白いは七難隠す」。雪化粧の街並みはそれは美しく、多少の難点は隠してしまう、という消極的な意味で冬を推奨するのではありません。厳しい寒気に人も景色も鍛えられている感じが好きなのです。学生が日本語の作文に、「私は、日本の人にわかってもらえるかどうかよくわからないけれど、寒くて快晴の日に氷が張った窓の輝きを見ると、なんのわけもなく気持ちがよくなります。…5か月ぐらい寒さに耐えたあとで、春になる喜びは二倍になります」と書いている、その心持ちのことを言いたいのですが。マイナス20度や30度に負けてなるものか。
この地方は、冬に快晴、一点の雲もなく青い空が広がることが多い。シベリア高気圧の真下なのでしょう、そういう日ほど寒気は厳しいのですが。雪の上にさす影は青みをおびて、しばしこの世の外へ誘われるような気がします。街の建物の色どりも、満身に光を浴びてはじめてその美しさを現わすようにできているかのようです。雪はむしろ少なく、さらさらとした粉雪です。冬の間中最高気温は氷点下で、それも二桁が茶飯事なのに、軽く積もった雪が何日かすると消えてしまうことが一二度ありました。溶けるはずはないのに、どうしてそうなるのだろう。よく晴れた晴天の下、太陽がさんさんと降りそそぐ雪のない外の景色を窓越しに眺めると、うららかそのもの、そこがマイナス10度の世界とはとても思えません。うっかり騙されて備えなく外へ出れば、猛烈な寒気が頬を刺します。でも、感覚が眩まされるのは、往々にして愉快です。何とも不思議な眺めです。
寒さといえば、こんなこともありました。まだ真っ暗な朝8時からの授業に行ってみると、教室には暖房が入っていません。教師も学生もコートにくるまって凍えながら授業を終えて、出てみれば、廊下には暖房が入っているのです。学生たちと顔を見合わせて、笑ってしまいました。ハバロフスクは明石と変わらぬ経度なのに、日本より1時間遅く、8時は日本の7時、最低気温を記録した時刻とあまり違わないはずだから、零下20度ぐらいはあったでしょう。それでもこの冬は例年より暖かいらしいのですが。

アムール右岸の崖の上に築かれたハバロフスクの町の中心は、レーニン広場とコムソモール広場を結ぶムラヴィヨフ・アム−ルスキー通りです。これが背骨で、ここから、昔は川だったアムール並木通りとウスリー並木通りに肋骨のように道がいくつも平行して下りていく。コムソモール広場からは遊歩道が、右手の崖の縁に沿って展望台まで、またアムール河岸へも続きます。ムラヴィヨフ・アムールスキー通りは並木の歩道が広々として気持ちよく、帝政時代の建物が並びます。レーニン広場の建築群は威圧的ですが、ここのはちんまりしたのが多くて、親しみが持てます。東欧の土俗的アール・ヌーボーを思わせる緑の屋根の旧市庁舎や、ヘルメス像が屋根を飾る不思議な色合いの食料品店、白壁のドム・タケウチ(日本人写真家タケウチ氏の建てたもので、今はカフェ。迫り出しの塔に家紋が見える)など。総じてロシアの装飾的な建物は、色づかいや飾りつけがお菓子の家じみています。駅からホテル・ツーリストへ行く道にある、カラフルな色どりで印象的な木造の小さなキリスト生誕教会もしかり。
コムソモール広場から右に折れる博物館通り(シェフチェンコ通り)は、いつも静かで散策に適し、ことに秋の落葉の季節など趣きがありますが、冬もまた結構。美術館、博物館、赤軍博物館が並び、博物館(「デルスー・ウザーラ」を書いたアルセーニエフが館長を勤めていました)の横を通ってアムール川の展望台に出られます。美術館には、ヤン・ブリューゲルなどフランドル派の絵やマイセン陶磁などが蔵されていて、もちろん傑作はないけれど、ここがまぎれもないヨーロッパの町であることを感じさせてくれます。
たしかにヨーロッパだと思わせる一方で、食文化は、食堂のサラダに蕨やもやしがあったり、道端でピロシキと並んで肉まんを売っていたり、水ギョーザと同類のペリメニはあるし、市場では朝鮮系のおばさんたちがキムチや惣菜を売っているし、どの食料品店にも韓国製のカップラーメンが置いてあるし、カニも食べればコンブも食べるし(昆布の缶詰があるのには驚きました)、かなりアジアです。鮭をはじめ魚をよく食べているらしく(市場のあのイクラと鮭の燻製の山!)、豊かなアムールの恵みにすなおに従っているようです。
中央市場は、レーニン広場から下りていくと、アムール並木通りとの角にあります。おや、ロシアは危機なんじゃなかったのと、不思議に思えるくらいにぎやかです。経済苦境の記事だけでロシアを知っている人には、ぜひここに来てほしいと思います。
食べ物の話なら、これを言っておかねば。冬だというのに、道端のあちこちでアイスクリームを売っています。それも冷蔵庫を歩道に置いただけの立ち売りです。肌を鞭打つ寒気の中、立ち詰めで売るほうも売るほうだが、買うほうも買うほうです。数えてみたら、ムラヴィヨフ通り(1.2キロほど)の右側だけで7人いました。向かいにもそのくらいうるはずだし、他の通りにももちろんいます。これだけの数の売り子を食わせていけるほど、この厳寒にも人々はせっせとアイスクリームを買い求めているのか。それにあれは「冷蔵庫」ではない。外気は零下20度、出しておいても溶けなんかしない、むしろカチカチに凍って歯が立たなくならないように入れてあるわけで、それなら「涼蔵庫」かな? 買ってみると、なるほど歯ざわりのやわらかい「適温」です。夕暮れの店じまい時に、あの大きな冷蔵庫を手作業でトラックに積み上げているのを見たのも感動ものでした。朝夕こうやって運んでいるのか。何という情熱! 感覚を惑わせるものもそうだが、理解できないことがらも、とても楽しい。以来ロシアのアイスクリームの断固たるファンになりました。味のほうも、脂肪分が多くコクがあります。
夏も秋も春も、アムール川ハバロフスク第一の名所です。だが春夏秋も冬にしかず、とあえて言いましょう。水量豊かなアムールは、河幅はこの辺で2キロぐらいか、展望台から眺めれば、対岸は湿地らしく人家もなく、海とはいかずともまるで湖のよう、大陸とはこういうものかと、狭い島国の人間を嘆息させるに十分ですが、冬にはまた、この眼路の限りに広がる大河が氷原と化し、暖地の者を圧倒します。11月にもう凍ってしまう。人々は氷上の散歩を楽しんでいます。夕方には、この大氷原のかなた、はるか満州のあたりに赤い夕陽が沈んでゆく。また、夜も更けて、氷上から眺める月と星。なぜ冬のハバロフスクを勧めるか、これでおわかりいただけますか。横好きの歌詠みにこんな歌ができました。

  見し秋はあくまで太き黒龍の氷の原に冬の陽は落つ

春になり、暖かくなるのはうれしいけれど、雪が解けると道にニョキニョキ現われてくるのが、冬の間「凍結保存」されていた犬の糞です。それでなくとも雪解け水で未舗装部分は泥道なのに、そこへ犬の糞がたっぷりこね合わされているのだから、ここでだけは転びたくないと思います。冬は道がカチカチに凍って、転んで打ち所が悪いとひどい怪我をする恐れがある。転ぶのは夏に限る、というのが結論です。夏だろうが何だろうが転ぶのはいやったって、二足歩行みたいな危なっかしい振舞いをしているホモ・サピエンスは、どうしたって転ぶのですよ。我慢なさい。―― あれ、そんな話だったかなあ?

(1998/99)