明治日本?

 カトマンドゥの町を歩いていて目につくのは、私設の小さな学校の多さだ。オーストラリアやイギリスなどの英語圏や日本(最近は韓国も)への留学手続き代行をするコンサルタンシーなるもので、わずかひとつふたつの教室を構え、そこで入学許可を得るための外国語を教える。学校というより塾といったほうがよさそうなもので、働きながら通う者も多いため、朝仕事の始まる前や夕方に開かれる。夜学・朝学(?)というわけだ。それはちょうど明治初期の日本で漢学塾や英学塾が盛行していたのを思わせる。

 明治期の日本も盛んに欧米へ留学する者を送り出していたが、それも髣髴とさせるのではないか。日本の留学生は帰国して立身出世し、国を発展させるのに貢献した。ネパールの場合は要するに出稼ぎの一形態で、帰国して国を発展させているのかというとどうも心許ないが、現象的にはよく似ている。

 そして、田舎から首都に出て来る若者が多いためであろう、ホステルというのがたくさんある。寮であり下宿屋である。これもあちこちで目に入る。

 本屋も多い。間口狭く小さい本屋、カウンターで仕切られ店主に探している本を告げて出してもらう形のものが多いが、大きくはないながら中に入って手に取れるのもたくさんあり、なかなかおもしろい本の並んでいる店もある。とにかく数が多い。これだけの本屋がまがりなりにもやっていけるなら、そこそこ売れてもいるはずで、これも向学心があるらしいことをうかがわせる。今まで行った国には本屋などどこにあるのかとんと見当たらぬ町もよくあったし、第一今の日本がそうである。町の中小書店が姿を消してしまった現代日本の人々は、決してこれを嗤うことはできない。

 ネパールではまだ字体や正書法の統一が完遂されていないようだ。それも明治33年の字体統一以前のいわゆる変体仮名が当たり前に使われていた時代を思わせる。

 家も道も狭く小さいのも日本に似ている(ただしカトマンドゥの場合、狭いために上に伸びているのはだいぶ違う)。寺も小さい。日本のような本堂はなく、二重三重の塔の一階部分に本尊が安置されているような感じだ。その塔はだいたいがあまり高くないが、中には五重塔もある。露伴を思い出してもよかろうじゃないか。

 食べ物や雑貨を売る店も非常に小さいのが多くて、そんな陋巷の小さな店を見れば、樋口一葉がやっていたという店を思わずにはいられない。

 ネパール名物は野良犬で、これが非常に多い。昼間はだいたい寝転がっている。道の真ん中で堂々と寝ていて、通行人のほうがよけて通る。あんなに多くの犬がゴミをあさるだけで生きていけるとは思えない(ゴミは山ほどあるが)。中には丸々と太ったのもいる。見ているとやはりエサをやっている人がいるし、肉屋の前にたむろしていることが多い。屑肉を与えているのだろう。それでは、これは放し飼いのもっとも緩い形態ではないかと思えてくるのだが、どうだろう。ティハールの祭日には野良犬にも額に赤い印(ティカ)をつけ、花の首輪をかけてやるのだし。昔は日本も犬は放し飼いが普通だった。人と犬が共生しているさまは悪くない。排除でなく、包摂だ。

 信仰心でも似ている。基本的にヒンドゥー教の国だが、仏教徒もいる。というか、ヒンドゥー教を信奉しつつ仏教でもあり、仏教徒であってもヒンドゥー教崇敬の念もある、というような二重信仰である。ヒンドゥー教の寺に仏像が何こだわりなく安置してある。仏教はインドの宗教であるからヒンドゥー教の神々もその信仰の中に混じっているのだが(帝釈天のインドラ、弁才天のサラスヴァティ―のように)、ヒンドゥー教のほうでも仏教をしりぞけない。もともとともにインド発祥の宗教だから、このふたつが混在していても不思議はないという考えもできるかもしれないが、宗教的潔癖さを疑わせるものだ。そういう潔癖さに無頓着で、神仏習合して平気だった日本人にはむしろ好ましくさえ思える。習合でないまでも(それは明治維新で禁止された)、神仏共存は日本人がなに疑わず信仰するもので、ヒン仏共存のネパールのあり方は神社へもお寺へも詣でて祈って当然な顔をしている日本と同じだ。

 寺や路傍の祠が多いのがいかにも目につく。祠には毎朝お供えがしてある。子供や、そういうものからもっとも遠そうな若い男も、通りすがりに拝礼する(手で触れてその手を額と胸に当てる)。あれを見ると、タクシーに乗っていても神社仏閣の前を通るときは帽子を取っていた明治生まれの祖父を思い出す。家には必ず神棚ないし神を祀る小部屋があり(知人が新設した学校では、ゴミ箱を買うより早く神棚を買っていた)、毎朝それを拝み線香をくゆらす。それは毎朝お仏飯を供える日本の習慣に呼応する。今でもものがたい田舎の家ではやっていると思うが、江戸はもちろん明治の頃には都会地でもそうだった。お百度を踏んだりして、寺や神社は庶民に親しいものであったし、お地蔵さま観音さまなどの祠に香華は絶えなかった。「幼なじみの観音さまは/屋根の月さえなつかしや」と歌う東京音頭の一節のとおりだ。「日本人は宗教的でない」などという愚かしい言説が広まる以前の敬虔な日本人のあり方である。

 寺には小さな鐘があり、参詣人はそれを鳴らして神に知らせること、神社の鈴や寺の鰐口と同じである。お寺には履物を脱ぎ、裸足で入る。高床の日本では板張りの上で履物を脱ぐのに不思議はないが、インドやネパールでは地べたに裸足である。しかし裸足であることが崇敬と結びついているのはむしろ自然だと思う。

 家族親戚が死んだときの物忌み精進もよく似ている。そういうときは肉断ちをする。毎年命日にお勤めをするのは、一周忌三回忌などと特定の年の年忌をする日本より頻繁だ。日本でも、「まわりのまわりの小仏、なぜ背が低いな、親の日(親の命日)に赤の飯食って魚食って、それで背が低いな」のような子供の遊びの歌に見えるとおり、命日には精進しなければならなかった。

 祭りには山車や神輿の練り歩きがつきもので、と言うと日本の祭りの紹介のようであるが、その文章はそっくりネパールに当てはまる。京都の祇園祭や江戸の三社祭のルーツはネパールだ、などと説く人が現われてもおかしくない。

 そんな山車の出るカトマンドゥ一の大祭に、そこに乗っているのはクマリという生ける少女神だ。クマリには初潮前の少女が選ばれてなる。特別な館に住んで崇拝を受け、祭りにお勤めをする。初潮を迎えると任を退き、新しいクマリが選ばれる。かつてクマリだった女性(1984年から91年まで)が「回想 神から人間へ」という回想記(ラスミラ・サキャ/スコッ ト・ベリー、江崎秀隆訳、カトマンドゥ、2011)を出しており、その中で彼女は、「外国からの訪問者の中で特に私が好きな人達がいました。それは日本という国から来たと教えてもらった人達で、私が窓辺に現れると必ず拍手をしてくれました。彼らが私を見る様子から私は日本の人達に理解されているように思います」(p.28)とか、「私は日本人と私達ネパール人との間にはある種の「絆」がある様にも感じました。それというのもこの日本の人達が私個人と云うことでは無く、いつも私達の文化そのものを理解し敬意を払っていてくれている様に思えたからです。その文化の密接さという観点から云うと、ネパールは西洋に比べて日本により近いのではないかと思います」(p.162)などと言っている。いかにも、と思う。日本にもかつて天皇出雲国造、諏訪の大祝など、生き神とあがめられる人がいた。祭りの稚児などはまさにクマリにそっくりだ。心性に共通するものは大いにあるだろう。

 ネパール人はもちろん時間を守らない守れないが(もちろん!)、それはネパールに限らず実際のところ「世界標準」であるのだけれども、それを守ることにかけては自他ともに許して譲らない日本人もお里はどうだったか。幕末から明治時代初期に来日した欧米人は、日本人は時間にルーズだとことあるごとに指摘している。実は今も「出雲時間」などということばがある。時間通りに催しが始まらないことを揶揄ないし自嘲してそう言うのだが、なに、出雲地方だけでなく日本の田舎は今でも大なり小なりそうである。時を金と錯視するのは世界のごく一部に生じた腫瘍のようなもので、それは拡大しつつあるようだ。日本はいつごろからかそれにどっぷり冒され、今やその点で本家の西欧北米もしのいでいるありさまだが、少々さかのぼればネパールだ。

 明治日本を見たければ、ネパールを見よ。そう言ってもいいのではないかと思えるネパール生活である。人力車こそ走ってないが、リクシャと呼ばれる輪タクは今もなお現役だし。一葉女史が歩いているかもしれないよ。

オタクは輝いている

 言語は道具である。だからコミュニケーションの手段として学ぶのが正道だ。それはたしかに正道であり王道であるが、覇道でもある。コミュニケーションの道具としての学習法は、要するにジプシーの言語習得である。もちろん、ジプシーは人間のひとつの究極だから深甚な敬意を持っているが、人はジプシーのみにて生くるものにあらず。それだけでいいとは思わない。

 日本語学習世界は三つに分けられる。第一世界は東アジアと東南アジアである。地理的に近くて、日本のプレゼンスが高く、日本企業が進出していたりして、日本語学習が実利とつながっているところ。日本に行く機会も多い。第二世界は西欧北米の先進国。実利以外のものに関心を持つ余裕がある。第三世界はそれ以外のところで、実利は求めるけれども、その機会が非常に乏しい。進出日本企業は少なく、日本に行けるチャンスも少ない。

 東アジア東南アジアの経済発展によりこの構図にも変動が起きているけれども、基本的な部分は大きくは変わっていないと思われる。

 幸運にして先進国に数えられる国に生まれたためか、実利以外、実利以上を求める気持ちが強くある。文化やことばそのものに興味があるのだ。ことばのうちでは特に文法で、この世に文法ほど美しいものはない、人類が作り出したものでこれ以上の奇跡はないと思っている。

 文字にも多大の興味を有してはいるが、これは文法に比べ非常に欠陥が多い。嫌う人がいるのは理解できる。とはいえ、漢字のおもしろさはぜひ知ってもらいたく、ぜひ伝えたく思う。カナモジ論は賛成しないし尊重もしないが、ローマ字論は賛成しないが尊重する。それを尊重し、同音異義語の氾濫に歯止めをかけたく思っているけれども、漢字廃止はもはやできない相談だし、人類の貴重な文化遺産であると思えば、これとうまく共存することが必要だ。漢字はたしかにくびきであるが、非常に便利でもあるし、何よりこの上なくおもしろい。外国の日本語クラスにかならず1人ぐらい漢字マニアが出てくるのは必然である。

 分け隔てなく教えているつもりでも、やはり自分が文化やことばに興味を持つ人間だから、同じような性向を持つ生徒に親近感を抱くのは避けられない。逆もまた真なりで、学習者(特に若い学習者)は教師の性向に同調する傾向があって、それはいいことなのか悪いことなのかわからないが、それによって習得がはかどるなら、いいことに違いない。

 要するに、文化を愛する人を私は愛する、ということだ。といっても、自文化を嫌いエキゾチックな他国の文化にのめりこむタイプの人はいけない。それは不健康だ。そういうヨーロッパ人をドイツ語で「europamüde」と言うが、うまく言い表わしたものだ。自文化が第一で、その次に日本文化が好きというのが理想である(第二集団のひとつとしてでかまわない)。歪んだ日本像、知識の不足とわずかな知識による偏向が今なおはびこっているから、日本文化を好んでくれる人はなおのこと喜ばしい。

(少々脱線するが、文化とは端的に言って料理である。だから、ある文化が好きと公言するなら、その国の料理が食べられなければならない。みんな食べられなくていいし、嫌いなものがあっていい。宗教的信条的に、またはアレルギーがあるなど生理的な条件で食べられないのもOKだ。食べるものが選べるなら、食べたいものだけ注文すればいい。しかし、家に招かりたりして料理を出されれば、食べなければならない。それが食べられないなら、結局のところは口だけで、その文化が本当に好きだとは言えないと思っている。)

 ネパールは日本語第一世界と第三世界の狭間にある。日本企業のプレゼンスはほとんどないが、出稼ぎ先として好まれている。大勢の若者が毎年日本へ行く。他の国と違うネパールの日本語学習者の最大の特徴は、彼らは日本のことを何も知らない。驚くほど知らない。そんなに知らなくてよく行く気になるものだといぶかしく思うくらい知らない。出稼ぎしたいというのが何よりまず第一で、その点言語学習の正道・王道・覇道を歩んでいる。ヒロシマで何が起きたかを知らないで広島の日本語学校に留学する女の子には嘆息するのだが、たぶん嘆息するこちらのほうが悪いので、文化だの歴史だのという語学に無用のものを求めるのが間違っているのだ。坂口安吾的視点からは、いっそすがすがしいと言うべきか。ジプシーの友である。

 アニメファン、いわゆるオタクは日本を知っていて、多大の興味を持っている(その日本にはかなり偏りがあるが)。そういう人は中国に多く、中国の日本語学習者の半分はオタクだと思う。東南アジアもそうだろう。だが、ネパールの学習者には非常に少ない。中国や東南アジアを見たあとでは、不思議に思えるくらいに。それだけに、数少ないオタクは輝いて見える。日本文化を愛してくれている人たちだから。

スピーチコンテストさまざま

 さまざまな国でスピーチコンテストが行なわれている。参加者たちのスピーチにはその国の習慣伝統や課題問題が現われていて、なかなかに考えさせられるものがいくつもある。また、そのやりかたには国情が映し出されていて、その点もおもしろい。

 トルコの大会では、出場者の大学名を言わないし、教えない。所属大学名で審査員に予断を与えないためであろう。これがインドになると、出場者の名前自体を伝えない。名前でカーストがわかるからだという。それはたしかに予断を与えるだろうとは思うが、ところ変われば品変わるとは言うものの、そうまでしなければならないかと一驚する。公平性を担保するため、いろいろなことをやっているわけだ。

 ネパールも名前で民族・カーストがわかる国であるが、名前は堂々と名乗る。インドの事情を知っている者としてはほっとする。個性がきらりと輝くべき大会で、名無しの権兵衛さんばかりではやはり異様だから。ネパールにも被差別カーストはあるのだが、民族やカーストによる差別は概して少ないようだ。ネパールはインドの目指すべき未来でもあろうか(スピーチコンテストに被差別カーストの学習者は出ないというのが前提だとしたら、問題なしとはしないけれども)。

 中国では、ふつうの準備してきたスピーチのほかに、そのあとで即興スピーチをさせられる。用意したスピーチは、勘ぐれば本人が書いたものか確証はなく(今はYouTubeで過去のすぐれたスピーチを見ることができるので、そこからアイディアをもらうだけならともかく、剽窃も行なわれている疑いはある)、それでなくても教師の手は多かれ少なかれ入り、間違いはしっかり直されているし、何度も何度も練習して練り上げられたものである。だから、そんなスピーチがよくできたからといって、本人の日本語力が高いかどうかはそれを聞いただけではわからない。別に試験ではないけれど、賞状も渡すし入賞商品なども用意しているのだから、ある程度以上の日本語力はあると示されなければならず、そのためにスピーチのあとで質問をしたりするわけだ。その受け答えも審査の対象となる。

 そういう質疑応答はけっこうなことだと思うのだが、即興スピーチには驚く。たしかに、その場でテーマを渡されスピーチをすることにすれば、出場者の日本語力は歴然とわかる。だが、それでは口頭試験である。科挙である。試験試験で絞ってきた何世紀にも渡る伝統を見せつけられる思いがした。

 能力査定偏重のこのやりかたでは、出場者は互いに隔離される。いくつか用意されたテーマのうちからひとつを引いて即興でスピーチをまとめるのだから、前の人のスピーチを聞くわけにはいかない。それでは後からスピーチする者が有利になってしまうから。スピーチコンテストは交流の場でもあるのだが、ほかの出場者のスピーチが聞けないのでは、まったく口頭試験会場になってしまう。出場者の数だけ異なったテーマが用意されていれば隔離もいらないが、それはそれでやりすぎだろう。

 今年のネパールのスピーチコンテストは、去年に引き続きオンラインで開催された。もはやロックダウンは解け、さまざまな催しが行なわれている状態だから、リアル大会ができたはずであるけれど、準備段階では実施予定日にコロナの状況がどうなっているかはわからないので、そうなるのもいたしかたない。

 やむをえない代替手段であるにとどまらず、オンライン大会にもメリットはある。発表順は出来にも審査にも影響する。最初の弁士はどうしても不利であるし、スピーチというのは話すそばから宙に消えるものであり、一定の基準ですべてを公平に審査できるかどうかは疑問だ。発表順の影響はほとんどないし、ビデオを見るなら審査が入念にできる。また参加者が多くの人を前にして過度に緊張することもない。しかるべき審査員は一般に忙しいであろう人だから、そういう人たちを特定の時と所に集めるのはけっこうな負担で、その努力がいらないのもありがたいだろう。

 だが、スピーチは芝居と同じである。客席の反応が芝居の命だ。スピーチも、ユーモアに富み聴衆の笑いで盛り上がるタイプのスピーチは、オンラインではみじめなことになってしまう。感情に訴えるタイプのスピーチも不利である。幸いと言うか何と言うか、今回はそういうものはほとんどなかったけれど、オンラインではやはりスピーチの影を見せられただけだとは言える。

 また、大会の必然として、審査休憩というものがある。審査員が集まって審査集計し賞状その他を用意するためにステージが空白となる時間で、それを埋めるために、スピーチする以外の学習者が舞台で歌や踊り、寸劇などを披露することがよくある。スピーチはしたくないが、そういうものならやってみたい学生に発表のいい機会を提供することにもなる。スピーチコンテストの祝祭的な性格がより明確に示される。そういう祝祭性が削がれた痩せさばらえた催しとなったことは確かである。中止よりはもちろんずっといいにしても。

 ともかく、オンライン大会がどういうものであるかを知ったという意味ではおもしろくはあったが、来年はぜひリアル大会にしてほしいものだ。

オンラインは壁なく壁あり

 ハバロフスクで教えていていたのは前世紀の終わり、まだ日本語の教師として経験の浅いころだった。大学の教室にはビデオ機器がないが、幸いすぐ近くに日本センターがあったので、そこを借りてビデオを使った授業をしようと手はずを整えたのだけども、始まる前に突然停電となり、呆然とした。停電がしばしばあることを考えていなかった。ビデオなど、電気なければただの箱だ。それ以来、授業プランは必ずふたつ用意するようにしている。停電その他で機器が使えないときのためのプランBは絶対に必要だと早々に学んだ。

 今回のコロナ禍では、インターネットの活用が進み、オンラインでできることはオンラインでやろうという風潮が強くなったが、これには多大の疑問を持っている。もちろん、登校や出社ができない物理的条件下ではそれしか解決策がないのだが、それは格差確定の方法でもある。決して魔法の呪文ではない。

 ネパールでは、ひところのロックダウン状況は脱したが、オミクロン株なるものが現われて、また学校の閉鎖が行なわれた。それは長く続かずすぐ解けたのだけれど、大学はなぜか小中高校が対面授業を再開してもオンライン授業を続け、ネパール語クラスはずっとオンラインだった。これは非常に困る。一度は教師の家が停電で授業ができず、一度は私の下宿が停電で受けられなかった。それでなくても私の家では電波が弱く、遅かったり止まったりするし、非常にストレスが大きかった。受講生の抗議があってやっと対面授業になり、安堵した(「対面授業」なんてことばは、昔から存在したのかもしれないが、普通の人はこのオンライン授業の跋扈があって初めて聞くようになっただろう。携帯電話が現われて「固定電話」なる語が使われるようになったのと軌を一にしている。それまでは単に「授業」「電話」ですんだのだが)。

 初めに文字を習得しなければならないのだけれど、オンライン授業では黒板が使えないので、それは各自の努力に任されることになる。私は教師の言うことをカタカナで筆記してローマ字表記を確認するだけにしていたが、対面授業が始まると教師はデーヴァナーガリー文字ですべて板書するので、非常に困った。それは私の努力が足りないということではあるのだけども、最初から対面授業ならこうは難儀しなかったのは確かだ。

 自分が日本語を教えるときのことを考えても、私は板書を多用するし、学生にも大いに板書させる。文字を覚える必要からいって、板書に勝るものはない。授業でゲームをよくするし、歌もうたう。オンラインでやれと言われたら途方に暮れるばかりだ。

 その点は教師の努力で乗り越えられるかもしれない。しかし設備環境は個人的な努力ではどうにもならない。停電はそのひとつだし、電波の届きぐあいもそうだ。ロックダウン中学生は田舎に帰るが、ネパールの田舎にはそもそもまったく電波の圏外であるところも広くある。パソコンを持っていない人も大勢いる。スマホはみんな持っているけれど、スマホの小さい画面では不十分なことは多い。目を悪くするだろう。日本人には眼鏡の人が多い。中国人の学生にはもっとずっと多い。あれは間違いなく漢字の所為である。中国でも大学の外では眼鏡をほとんど見ないことから、そう断言できる。漢字にわずらわされる宿命のない人たちの目を悪くさせてどうする。

 セミナーもオンラインで、ウェビナー(ウェブによるセミナー)なんてことばも知ったわけだが、それは国境を軽々と越え距離を無化してくれるという点ですぐれているのだけれど、いかんせん国境は越えられても、停電多発地域の事情はどうにも乗り越えられない。インド発のセミナーでは、日本の出演者とも結ばれているという大いなるメリットはありつつ、あちらの停電による混乱もあり、こちらの停電による視聴不能もあって、なかなかに消化不良でストレス多かった。

 オンラインは、結局みながパソコンをもちネットにつながり、停電など大きな災害時にしか起きないような国で有効な方法であるのだ。配布される資料もすぐにプリントアウトできる環境も必要だ。かなりの設備と環境が前提として必要とされる。すべての国がそのようになるべきだというのには賛成できるが、そうなるのはまだずっと先のことだ。コロナ流行のような事態ではそれしか方法がないのもわかる。だが、現時点でそれは格差をまざまざと示しているし、非常に脆弱な基盤の上に立っていることもよくわかった。授業はやはり教室で、黒板の前でやってこそだと確信した。黒板を背負って村々を歩き生徒に授業をするというイラン映画があった。イランでもさすがにそんなのは昔話、ほとんど寓話なのだろうが、それが根本である。ロシアでは教室の外の長い黒板が縦に立てかけられている場所で授業をした。ルーマニアでは新しい教室に黒板が馬車で運ばれてくるのを出迎えた。ネパール語のクラスでは、きょうは結婚記念日だからといってある受講生がみんなにお菓子を配ったりする。別にお菓子がほしいわけではないけれど、人と人のつながりはそういうもので、SNSなどは代替手段の域を出ない。SNSの長所は長所として活用しつつ、本当に大切なものを視界からそらしてはいけないと思うこのごろである。

 インターネットは壁を乗り越えるが、乗り越えられない壁もある、ということだ。

暖かいシベリア

 暑いのが苦手で、冬に雪が降るところでばかりで働いていたが、バンガロールやボルネオでの滞在を経験して、要するにヨーロッパというのは極地地方だとわかった。そこまででないとしても、「暖かいシベリア」というのは妥当な表現であろう。緯度的にも。

 チュコト半島かどこかの民族が、功労への褒美として温暖なクリミアの保養所に行かせてもらったら、暑すぎると言ってすぐ逃げ帰ったそうだ。ヨーロッパ人も(ラッフルズのように)自分たちが植民地とした熱帯地方でその気候ゆえに命を落とすことがよくあった。

 彼らの外見については、「妍美」という評語があるが、美男美女についてはまさにそれだ。青い目にブロンド、目はぱっちりと色白で美しいけれども、しかし要するに色素不足である。病的だと言ってもいいくらいなんじゃないか? プラチナブロンドなんて白髪の親戚だろう。肌の色の薄さはそばかすの多さとなるし、強い光の下ではサングラスで保護しなければならないほど目が弱い。

 美男美女でない人々をよく観察すれば、鼻高く大きく、目はくぼみ眉せり出し、ごつごつして毛むくじゃらで大柄、色は白というより薄赤く、つまり赤鬼の実物はかくもと思われる。そんな男から体毛を除き細身にすれば、魔女である。加うるに、肌のきめ粗く、体臭きつく、太りやすく老化しやすい。人を外見で貶めてはいけない。もちろんそうするつもりはない。だが、彼らが自分たち以外の人々を外見で嘲弄するなら、鏡を突きつけ返す用意はしておかなければならない。

 その衣服も寒冷地仕様である。毛皮は冬の必需品で、シベリアやカナダ征服はその獲得のために行なわれたくらいだ。首にネクタイを結ぶ奇妙な習俗も寒冷地ゆえで、ある清朝の大人は、その弁髪を西洋人に「あんなもの何の役に立つんだ?」と嘲笑されると、その男のネクタイを掴んで「こんなもの何の役に立つんだ?」と言い返したそうだ。いかにも、端を引っ張れば首輪になる服装なんて、弁髪に劣らぬくらい奇天烈だろう。そういう「極北」でこそ着られもするし意味もあるかもしれない装束を、熱帯はもちろん、温帯でも夏暑く湿気多いところで着用させるのは非合理きわまる。彼らによるネクタイの強制があったかどうかは知らない。自発的植民地化かもしれないが、即刻取りやめるべき陋習だと思う。革靴も同様で、高温多湿な日本の夏では水虫培養器となってしまう。男どもが寒冷地仕様の服装をしているため、夏の職場では冷房をガンガンかけ、冷え性の女性職員はカーディガンとひざ掛けで仕事する。どうして「シベリア」の民族衣装に唯々諾々と従うかね。馬鹿なことだ。クールビズなるものが提唱されて普及し、多少改善されたが、まだ十分でない。あの「選良」などと称される人たちの旧態依然を見れば。衣替えは日本の文化だ。夏はかりゆしでしょう。

 中国もそうだが、家の中でも土足なんて不潔な習慣を21世紀まで堅持して文明を誇るのも困ったことだ。革靴という彼らの土地にこそ適合した履物を夏の高温多湿の中でも履いて、水虫を培養している名誉白人志向の日本人も困ったものだけれども。

 人間はサルの仲間である。サルなど霊長類はそもそも熱帯の生き物で、人類もアフリカに発祥した。シベリアにも「暖かいシベリア」にもサルはいない。亜寒帯や寒帯に棲む霊長類はホモ・サピエンスだけだ。それをもって寒冷地霊長類は優越のしるしと見なすかもしれないが、そうではない。サルが棲む地域の人々は、サルを見ることを通じて自分を見ることに慣れている。おのずからなる反省である。サルのいない地方の人間の考えには偏りが出るに違いない。多少向上はしたけれど、われわれは結局サルなのだ。類類人猿なのだ。そういう根っこの部分を忘れると、増上慢の大罪に陥る。軽増上慢の一人として、重増上慢の諸氏に言いたい。

 

 チップなどという悪習も「シベリア」で根強い。あんなものは奉仕される者と奉仕する者の間に大きな溝がある遅れた社会の前時代的な習慣ではないか。警官に止められ証明書の提示を求められた運転手が、それに金をはさんで渡し見逃してもらうのと変わらない。チップなどを当然の習慣にしている「先進国」とやらは、賄賂がなければことが進まない「後進国」を見下してはいけない。よいサービスに心付けが渡されるのはけっこうだが、ごく普通のサービスにも、いいかげんなサービスにすらもチップが要求されるのでは、見返りがあることが前提の賄賂のほうがまっとうだとさえ言えよう。

 

 見聞を広げるうちに確固とした信念になったのは、この「暖かいシベリア」の後来先住民たちの考えはまずすべて疑ってかかるべきだ、ということだ。いいこともいくつも言っているので、そのあたりを慎重によりわけなければならない。

 問題の多くは、彼らによるメディアの支配に由来する。英語で言われていないこと書かれてないものは存在しないのだ(したがって日本語で書かれているこの文章も存在していない)。世界の支配は発言機会の支配によって完遂できる。

 ノーベル賞のうち、科学賞は英語など西欧語がその分野の共通言語となっているからしかたないとして、文学賞も西欧語でしか評価されない。翻訳で読まれるわけだ。「美しい日本の」川端康成が言語の彫琢師としてそれに不満を漏らしていたのは当然だ。

 また、ノーベル平和賞はノーベル西欧価値観賞と理解すべきもので、世界は彼らの社会のようになるべきという前提で選考されている。ノーベル価値観強要賞である。

 欧米人による意見の独占が行なわれ(彼ら以外の者の発言も、彼らの言語によって行なわれる限り、彼らの意見に倣うものになりがちだ。言語は発想に影響するし、発言のプラットフォームは発言の趣旨を規定してしまうから)、それによる正義の独占がまかり通っている。それは洗脳であり、彼らのようになることが善だと信じ込まされるわけだ。自分たちの管理する広報手段を使い、自画自賛の勝手な自画像を世界に弘めて人々を騙す。まんまと騙されている人たちのなんと多いことか。欧米人の模倣がうまくできれば賞賛を浴び、欧米から評価されれば成功とされる「思考と感性の植民地状況」が植民地失陥後もいまだに続いているのは、情けないと言うだけでは足りない。彼らが作ったルールでゲームをしている限り、彼らを超えることはできず、彼らの業績を拝し続けなければならない。そんなゲームからは降りてもいいのではないか。

 メディアが掌握されているため、欧米諸国の構造的な悪事はほとんど注目されず、非欧米諸国の悪事は過大に増幅される。あちらとこちらで扱いが違うダブルスタンダードを人目をごまかしながら貫徹しているわけだ。欧米の現象的な悪事は報道するので、それが目眩ましとなって、ダブルスタンダードであることさえ一般には認識されていないのである。結果、正義とは西欧北米が認定するものに限られることとなる。

 彼らの言う「歴史」はヨーロッパ史のことであり、「国際」は欧米諸国間関係のことである。半世紀前よりだいぶ向上したが、依然としてそうである。世界共通語として考案されたエスペラントは、実はけっこうむずかしい。ヨーロッパ人に習得しやすい言語であり、印欧語とまったく違う言語を母語とする者には決して学びやすくない。一方で彼らは、ハンガリー語バスク語など印欧語と全然異なる体系の言語は、非常にむずかしいとこぼし、「悪魔の言語」だとまで言う。ハンガリー語など日本人にとってはそこまでむずかしくないのに。バスク語もそれほどでないと思うよ。少なくとも彼らが言うほどではないだろう。数か国語ペラペラの欧米人は多いが、実際はそのペラペラのことばはほとんどすべて印欧語である。印欧語以外のことばができる欧米人なら聞くべきところがある。それ以外のペラペラ氏の意見は割り引こう。

 奇想と偏見に満ち、独善をこととする。彼らの主張に対しては、まずこのことを忘れずに対すべきだ。

 

 欧米人の考え方のひとつの底流となっているのは原理主義で、それがしばしば暴走する。人間性(あるいは人間の動物性)からいって根絶することのできないものを根絶しようというのは、単純に不可能である。不可能事を主張するのはきれいごとだ。肝要なのは節度であり、度を超えないことだ。常識と慎みだ。

 たとえば死刑廃止論である。なるほど、死刑制度には冤罪や政治的乱用のような欠陥がある。冤罪や誤審はゼロにはならない。政治的乱用もしかりだが、限りなくゼロに近づけることはできるし、制度改善の努力はその方向でするべきだ。

 もし死刑廃止によって殺人がなくなるのなら、死刑廃止には意味がある。だがそうはならない。殺人は太古以来どの文明社会でも禁止されているが、にもかかわらず犯され続けている。それなのに死刑のほうは禁止されるというのは、全く論理的でない。殺人は禁止、許されぬ。だが、それは犯される。しかしその犯人を死刑にするのは禁止。変じゃないか? 罪のない人々を何人殺しても、その人たちの命を奪った人間の命は奪われず、生涯寝食を与え生き続けることが保証されるのでは、何のための文明だろうか。

 死刑廃止原理主義であり、それは助長すれば刑務所廃止にまで至るはずだ。一生を刑務所内で送らせるのは死刑以上にばかげている。死刑廃止の論理は、刑務所で自由を奪うことを廃するまで過激化せずにはおかない。銃撃事件やテロの犯人はたいていその場で射殺される。それを殺してはいけないというところにまで進むことにもなるだろうし、そうならなければ不徹底だということにもなる。

 死刑廃止は、殺人のない社会、ひいては犯罪のない社会になることを論理の帰結とするものであるはずだろう。だが、そんなことは不可能だ。残念ながら世に泥棒や人殺しの絶えることはない。

 そこに無辜の人の死体がある。その罪は償われなければならない。殺意をもって人を殺した者は死刑である。なぜそれでいけないのか、不思議なことだ。

 ヒューマニズム人間主義)に与するわけにはいかない。それが人間に都合のいいことを意味するなら。人間ばかりでなく、動物や植物にいいこと、地球にいいことをするべきで、真実を言うならば、生き物や地球にとっていいことの第一は、人間が減ることだ。重犯罪者処刑で減る人口は微々たるものだが、それでもやったほうがいい。食べるためでない、娯楽のための狩猟をする者も、できれば死刑にしてほしい。

 死刑廃止は間違っているが、ひとつの論議ではある。だが、法律の世界の鬼子現象、PC(ポリティカル・コレクトネス)跋扈や訴訟社会などは明らかに逸脱だ。PCなんて良識の問題であり、それでしかないものが、発言コードとなって人々を縛る。上辺をとりつくろった「外交官」ばかりになり、当たり障りのない無菌状態が目指される。無菌を装う表面の下は相変わらずなのに。日本の建前横行もたいがいだが、そのさらにひとつ上を行く。訴訟社会はさらにひどく、常識的にわかることをしないでけがをして、それについて説明がなかったからといって巨額の賠償金をせしめる異常な社会をもたらす。常識や良識のない人々の非常識な主張を代弁して、三百代言、もとい、弁護士を太らせる社会は、文明の末期の感を強くする。自分に1分どころか0.1分の理しかなくても徹底的に主張し争うのが善とされ、それどころか、そうしないのはよほどの馬鹿者とされる。そういうのはちょっと御免蒙りたい。万人の万人に対する戦い。修羅である。

 

 「同性婚」というのも同様に的外れな原理主義だ。同性でも愛し合っているならいっしょに暮らして全然かまわない。それが結婚という形をとるのがおかしいだけである。結婚というのは子供を生み育てるための制度だ。その根幹を忘れて「愛し合うカップルの公認同棲形態」と間違った理解をするから、子供を生むことのない人たちによる結婚なるものが云々されることになる。

 それは恋愛結婚至上主義のひとつの帰結だろう。子供のできる男女の恋愛に限っても、それには弊害がある。恋愛はすばらしい。だから世界のどこでも恋愛物語、殊に悲恋物語が愛好される。だが、恋愛と結婚は別だ。恋愛が心の問題であるのに対し、結婚は社会的制度である。親族と親族の結びつきをはかり、安定的に子孫を残すための制度である。恋愛は激情を、結婚は静穏をその性質とする。激情を静穏にうまく連続させるのは必ずしも容易でなく、つまずく人たちも少なからず出てくる。恋愛結婚奨励は離婚奨励になりかねない。恋愛結婚はもちろんけっこうなことであるが、それ以外を貶めるのは慎まなければならない。

(結婚は子供を生むための制度であるのだから、子供がほしくない人たちが結婚するのは制度の趣旨に反しているのだけれど、そういう結婚や生涯独身の人たちが増えている。生む場合も1人か2人というのが多い。現在では多産は好ましくないものになっている。あまりに人間の数が増えすぎているので。少子化や出産忌避結婚忌避の先進国病は、戦争や疫病に代わる人口調節機能の自動的発現なのかもしれないとも思う。埋め込まれたプログラムなのか?)

 女性解放はたいへんよいことだと思うが、おかしなことも多い。ハイヒールという奇怪な靴は、つまりソフト纏足であり、あんなものをはいている限り女性解放などないと思うのだが、違うだろうか?

 ブルキニは禁止で、ビキニはOKどころか奨励される。女子陸上選手や、ビーチバレーなる馬鹿げた競技(浜辺の遊びに過ぎないのに、わざわざ砂のないところへ砂を運んで競技場を造らされるなど、何の罰ゲームだ?)の選手はそれを着けなければならない。

 ムスリム女性の衣服は、キリスト教世界の尼僧の服装である。つまり、ムスリムは女を尼さんにする。欧米キリスト教徒は女を娼婦にする。露出多く挑発的で、娼婦のファッション、娼婦の化粧でしかないと思われるものが大道を闊歩している。女性解放は欲望の解放であるらしい。欲望の追及が善とされるのは異常事態だと思うのだが。挑発へ強く傾く性癖は精神病理の領域であろう。

 あいさつとしてのハグはけっこうだし、頬へのキスもよかろう。習慣は土地土地でさまざまだ。しかし接吻、ましてやディープキスなどは寝室でするもので、人前ですることではない。人目をはばからぬ犬の交尾さながらだ。奇習であり悪習である。それを映画や小説なんかでせっせと世界に広めようとしているのだから、始末が悪い。積極的と言えば聞こえがいいが、アグレッシブで欲望に忠実であることをよしとされるのは迷惑なことだ。

 

 最近の原理主義の暴走は、いわゆるトランスジェンダーをめぐる奇怪な主張だ。体と心の性別が一致しないのは現にあることだし、それによる差別を軽減する(あくまで軽減である。差別は決してなくすことはできないのだから)のはよいことで、推し進めていいのだが、しかしそれにも常識的な限度があるはずだ。女装していれば女子便所や更衣室に入ってもいいみたいなことになるのはどうかと思う。トイレならさほど問題でないかもしれないが、日本ではそれはただちに男湯女湯の問題になる。性転換の手術が終わっていればいいけれど、そうでない人はどちらの湯に入るのか? それとも、そんな区別は廃し、混浴推進? さらに、自分は女だと言い張る男が女子大会に出場していいのかというところまで問題は進むし、ホルモン云々の条件をつけてそれを認めるということにすでになっているらしい。奇怪至極である。原理主義によって常識が蹂躙されている。

 

 男女同権は当然のこと。だが、「男女平等」についてはよく考えなければならない。男と女は平等にできておらず、根本的に異なる存在様態なのだから。性による分業は人類史の原初からあったものだ。力仕事や危険な仕事は男が受け持つ。出産育児は女の仕事だ。少なくとも授乳期間の育児は女がしなければならない。そのため、家事もその流れとして女の仕事とされる。力を要する開墾や耕作、建設や採掘伐採など、また戦争や漁労狩猟も男の領分となる(戦闘や漁・猟はつまり殺す仕事。「板子一枚下は地獄」と観ずれば、死ぬ仕事でもある)。そして生み育てるのは女の仕事。そういう異なる作業分担を有機的に統合したのが家族である。近代になり俸給生活者が社会の大半を占めるようになって、ここに大きな変化が起こった。家族が無機的な接合じみたものになってきた。分業でなく分担によって成り立つ家族、ということになった。そういう分業が不全となった社会で主張される男女平等は奇妙なものだ。夫も妻も外で働くなら、家事の分担は必然である。だが、男も育児休暇を取れというのは、つまり母乳で育てるなということなのか? 男の胸から乳は出ない。そこは分担でなく分業の範疇だろう。現実には無機的接合の家族が大半になっても、有機的統合の家族はしっかりあるし、なくなることはない。そちらのほうが基準とされるべきである。いくら人口の大多数が時間の切り売りをする月給取りだからといって、俸給生活者本位の考えや主張には同意できない。まして、雇われ仕事によって生活しない人たち(「正しい人たち」と言いたい気持ちを抑えることができない)を「遅れている」と見なしたがる世の傾きには、嫌悪しか感じない。あれが「進んでいる」のなら、断固として「遅れて」いたい。

 

 彼らの信奉し賛美し、世の光として宣伝に務めるキリスト教は、実のところは未開人の宗教である。未開人しか改宗しないのだ。ローマ帝国を唯一の例外として。その旧ローマ帝国も、イスラムが勃興すると先進地域だったエジプトや東地中海地方はあっけなくイスラム化された。今の欧米人の祖先の大部分は北方の蛮族である。だいたいが、ギリシャを除く今のヨーロッパ地域は世界の文明史の中では新参の成り上がりだ。その後弘布に成功したのは新大陸やブラックアフリカなどの後進地域のみで、古い文明を誇るアジアではきわめて限定的な弘まりしか見せない。すでにしっかりと自分たちのアイデンティティの背骨となる宗教を持っていたら、好きこのんであんなものを受け入れることはないのだ。だから逆に、キリスト教に改宗するのは未開人だというふうにも言えるので、世界の主要交通路から外れていたフィリピンや太平洋諸島などそうであろう。ボルネオのキリスト教徒の大半は元首狩り族だ。フィジー系・インド系がほぼ半々のフィジー諸島で、食人種だったフィジー人がキリスト教に改宗し、移民のインド人がヒンドゥームスリムでありつづけているのも非常に示唆的である。改宗者には被差別民や恵まれない人々が多く、その点新興宗教によく似ている。韓国にクリスチャンが多い理由も、固有宗教が弱く、隣国に蹂躙され続けていた弱小国だったことによるだろう。明治時代に旧幕臣や士族に改宗者が出たのも没落階級だったことによる。

 キリスト教で困るのは、その布教熱である(これもきわめて新興宗教的だ)。自分たちだけで救われればいいのに、お節介なことをされるのは迷惑だ。それと表裏をなすのが殉教への妖しい熱情で、先ごろもアンダマン諸島の孤絶した島へ布教に行こうとして島民に殺された男が出たように、禁教や鎖国の地に赴くことに異様な情熱を注ぐ。あれはどうしたものだろう。明らかに病理の範疇である。彼らにカミカゼを嗤うことはできない。

 布教は単に迷惑なだけでなく、自分が死んだあとは先に死んだ先祖たちと合一したいと望むのが自然であるのに、よき父祖らを地獄に堕とし、自分たちだけ天国に行こうとするその心根がいやだ。他宗教を貶める態度も特徴的で、それもまた新興宗教的である。「永遠の新興宗教」と言ってもいいかもしれない。基本的に非寛容であるのは、キリスト教そのものの特性によるのか、それを奉じる欧米人の文明の性格によるのか判然としがたいけれども、とにかく非寛容で狭量である。

 イデオロギーをこよなく愛し、その虜となって、自分の信奉するイデオロギーに染まっていない(健全な、と言いたい)他者は総力あげて洗脳しようとする彼らの性向は、この宗教に発するのかもしれない。独善はどの宗教にも見られる悪弊だが、キリスト教とその信者は一頭地を抜いて独善的だと思う。それには独善において他に譲ることの少ない「中華」を自称する文明さえ一籌を輸するのではないか。

 

 捕鯨や犬肉食に対する度を過ぎた悪意のことも言わなければならない。食人はやはりまずいと思うし、カニバリズムもひとつの文化ではあるが、それに反対するのには同意できる。だが、なぜカンガルーやワニは食べてよくて、鯨や犬は食べてはいけないのか、わけがわからない。脳に先天的な欠陥があるのではないかとまで疑う。自分たちがルールを決める。自分たちの考えが正しい。この傲慢さはどうだろう。彼らの意見は要するに、彼らが食べるものはみんなが食べるべきで、彼らが食べないものは食べてはいけない。自分たちの意見を残余の世界に押しつけることにあまりにも慣れすぎている。ずいぶん学習してその悪癖は部分的に克服しているが、なおもかなり残る。

 韓国人は犬肉を食べろと他民族に言わないのに、欧米人は牛や豚の肉を食べず牛の乳を飲まなかった日本人にそれを押しつけた。それが「文明」だということらしい(しかし今も牛乳を飲むと腹の調子の悪くなる日本人はけっこういて、刑事は張り込みのとき牛乳は飲まないそうだ。「体を張っての抵抗」だろうか?)。ま、肉食をするようになったおかげで、かつて彼らに「小人」と嘲られていた日本人の体格が向上したことも事実だが。肉を食べるようになって得たものもたくさんあるが、失ったもののことも頭に置いておくべきだろう。そこに還れというわけでなくとも。

 イザベラ・バードの「日本奥地」の旅行で、彼女はある村で農婦から鶏を買ったが、食べるためと知った農婦はその鶏を買い戻しに来たという。毛唐人の獣肉を食べる習俗は、食べない日本人農婦には鬼の所業とも感じられたかもしれないが、自分の飼っている動物が喰われない限りそれに反対することはない。それでいいのではないか? あの農婦もおそらく「文明開化」ののちは毛唐の持ち込んだ習慣に従って肉を食べるようになっただろう。だから西洋人も韓国人日本人に倣って犬や鯨を食べなさい、というわけではない。食べたくなければ食べなくていい。ただ、他民族のすることに口出しするな、というだけのことである。

 獣肉をむさぼり喰う一方で、動物愛護を説く。彼らの言う「愛護」は、要するに死ななければならないものは安楽死させろということだ。苦しんで死ぬよりそちらのほうがいいから反対はしないが、自分勝手な理屈であることは免れない。これもまた「ヒューマニズム」である。つまり「人間本位」だ。

 

 「自然保護」というのも奇態な言辞である。私たちのほうこそ自然に保護されなければならないのに。地震津波・噴火・台風・豪雨・豪雪・洪水その他その他、この列島は天災に事欠かず、次から次へと見舞われていて、住民は自然の猛威をいやというほど知っている。それを屈服させようなど思いもよらぬ。一方で、雨や雪はきれいな水を豊かに流し、火山は温泉を湧き出させ、草木は茂り緑あざやかに、農耕にも漁労にも適していて、自然は恵みもたっぷり与えてくれる。自然に守られ、その力と折り合いをつけて生きることこそ人の道である。「自然保護」など大それた不埒な物言いだ。

 自然に抗う、自然に対峙するのが文明の基本的な性格であり、そもそも農地開墾や都市建設は自然破壊によって成るものだから、すべての文明には多かれ少なかれ自然に敵対的な性質があるものだが、西欧文明はそれが突出して高い。自然は人間によって加工されるべき素材としか見ていないと疑われる。厳しくないわけではないが、猛威を振るうほどでもなく、一方さして恵みを与えてもくれず、こちらから奪い取りにいかなければ何も得られない。そんな痩せた自然だったわけだ、あの「極西シベリア」では。

 世界史の授業でヨーロッパ中世の三圃式農法を習ったとき、どういうことなのかすぐには理解できず、なぜそんな面倒なことを?と思った。今はわかる。農耕と休耕の繰り返し、要するに焼畑農業の高緯度版である。植物の勢いが強いところでは焼畑になり、植物弱く地味豊かならざるところでは三圃式となる、というわけだ。自然環境に対応し折り合いをつけるという点でどちらもけっこうであるけれど、そこから導かれる結論は、自らを貴しとして焼畑を見下してもらうまい、ということである。

 夏時間などにも彼らの自然観が現われている。自分の都合で時間を勝手に操作する。時間に関して自然の与えてくれる基準点は日昇・日没・太陽南中ぐらいで、時間はそもそも人間が勝手に区切ったものだから、それをどう動かしてもいいという理屈は成り立つが、人間(のうちでも高緯度地方住民)本位で自然を無視したふるまいである点はゆるがない。潮の満ち引きや動物の生活リズムは夏時間などと無縁に続くのだから、それによって生活を営む人々(漁師・猟師や農夫など)も無視されるわけで、だから高緯度地方俸給生活者本位と言い換えるべきだけども。

 また、自然は外にだけあるのではない。内側にもある。女性は子供を生むようにできているのであって、虫や魚ではそれが生の究極の目的となっている。魚や虫ならぬ人類はそこまででなくとも、生物として重要であることに違いはない。できないというわけでなく、(社会的宗教的な理由以外で)結婚しない、しても子供を作らないと決めている人たちが、先進国には少なからずいる。いわゆる後進国ではそんな態度はそしられたりもするだろうが、いわゆる先進国では全然問題にならないどころか、「進歩」のしるしとされる。「埋め込まれたプログラム」の発動として地球にとっていいことではあるのだけれど、自然に反する行動であることも確かだ。そんな人たちがもっともらしく「自然保護」を語るのはおかしなことであろう。自然はみずからのうちにあるだろうに。

 

 原爆はドイツも日本も開発しようとしていた。使うつもりだから研究していたわけで、だから原爆を使用したこと自体は先んじた者と遅れた者の差でしかないけれども、しかしそれで一般市民を残虐に大量殺戮した「戦争犯罪」でなくなるわけではない。それまで広島を空爆せず、「実験場」として取っておいたことにも胸が悪くなる。そして戦後、市街を見下ろす(「ろ」を取ると「見下す」となる)山の上に、治療をせず人体への原爆の効果を研究するだけの機関を設立した。つまり被爆者をモルモットにしたわけで、これなんか「人道に反する」行為なんじゃないのかね?

 細菌兵器の開発を目指していた731部隊は、生きた捕虜を使って生体実験を繰り返していた。こんな研究開発は非道この上ないもので、日本人は恥じ入るほかなく、鉄槌が容赦なく下されて当然の所業なのだが、実際は、アメリカは実験記録を譲渡するのと引き換えに関係者を免罪した。「同じ穴の狢」だということを如実に示している。

 焼夷弾による絨毯爆撃も、木造家屋を焼き払い一般市民を焼き殺すのを目的とするもので、非戦闘員の大量殺戮のための作戦であり、正真正銘の「戦争犯罪」であろう。無差別爆撃も敵味方ともやっていた点で原爆開発と同じだが、原爆同様「犯罪」であることを失いはしないし、だいたい犠牲者の数がケタ違いだ。敗者がやれば犯罪で、勝者がやれば犯罪でなくなる? そんな理屈は身勝手すぎよう。

 勝者が敗者を裁く。古来行なわれてきたことで、それ自体は何でもない。いくら戦争とはいえ罰せられて当然の蛮行はずいぶんとしてきたのだから、それを追及するのは正当である。ああいうことは繰り返されてはならず、厳しく懲罰を加えるべきなのは明白だ。だが、先の大戦のあとには妙な新機軸が打ち出された。戦争をしたこと自体が裁かれるいわれはないはずだ。復讐とすなおに認めるなら問題ないが、そこに正義をふりかざす偽善はどうだろう。「人道に対する罪」だって? よく言うよ。自分たちは植民地で何をしてきたか。よほど健忘症と見える。

 

 人種差別も欧米の宿痾のひとつだ。どの国にも異民族差別や身分差別はある。異質なものを排除しようとするのは自然な行動であり、弱い個体、異質な個体をいじめるのは、動物的か霊長類的か、いずれにせよ動物生態学の範疇であって、ある程度はやむをえない。非難は度を超えたものにだけ向けられる。そして、欧米ではたしかに度を超えている。

 差別の背後にあるのは傲慢ないし恐怖であり、そのふたつがさまざまな濃度で交じりあったものとして現われる。欧米人の差別は、昔は傲慢が主体だった。「未開人」をチンパンジー扱いしたり、狩猟の対象のごとく殺戮したりしたのは極端な例にしても、そこまでやっていた。今は背後に転落の恐怖を秘めた差別であるように見える。白人であることにしか優越点のない連中がすることが多くなり、自分は低級人類であるとわざわざ示してくれている。それは日本でも同じで、自分の手柄でも何でもない、単なる偶然にすぎない「日本人であること」しか取り柄がない連中が差別の先頭に立つ。馬鹿な白人と同列にならないように心しなければならない。

 反ユダヤ主義(アンティセミティズム)も欧米の骨がらみの病いだ。ヨーロッパ人を定義するなら、「定期的にユダヤ人を虐殺していた人々」である。だいぶ克服されたように見えるが、セム人種であるアラブ人に対する反イスラム主義として依然根強い。それはヨーロッパの成立に関わる根源的な病理なのだろう。

 

 戦争は人類から切り離しがたい。人類史が戦争史であるのは真実だが、欧米は一線をずっと超えていると思う。

 ナチスソ連アメリカは西欧文明の鬼子である。それらの体制に共通するのは過剰な暴力性だ。戦争や粛清をこととした前二者(党国家)についてそれは明白だが、アメリカの暴力性はそれらと質が異なり、いっそう根深い。市民が銃で武装しているから凶悪犯罪が増えるし、ささいなことで人命が奪われる。治安を担う警官は過剰に武器を使用せざるをえない。敵が銃を持っているから、こちらも銃を持つ。恐怖のエスカレートであり、「テロリズム」が浸透した社会である。それを是正しようとする行動は強力に反対され、常に無力化される。かなりまずい体制であり、あれが世界が範とすべき体制であるはずがない。

 だがそれは、西欧文明の根本に関わる問題なのである。「ラ・マルセイエーズ」の暴力的な殺戮礼賛の歌詞を見るがいい。あんな歌を誇らしく歌いながら、自分らの体制を恩恵のごとくに押しつけられてもなあ。あれを歌うその口で自由・平等・博愛を説くのはどうなのだ? 気恥ずかしくないのか?

 革命フランスがこの世に生み出した国民国家なるものは、つまり「戦争国家」なのである。古今東西を問わず、主権者とは武力を握る者のことであり、だから国民国家が高らかに謳う国民主権は、国民皆兵により実現される。徴兵制は戦争をしやすくする。金で雇われた傭兵と違い、国のために尽くす気持ち十分なのだから。人類の戦争史のグレードがここでひとつ上がった。アメリ銃社会は「暴力なくして主権なし」原則の当然の帰結である。欧米人の近代国家の持つ暴力性は、岡倉天心が「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる」(「茶の本」)と喝破した通りだ。

 近代国民国家というのは国民皆兵を思想的バックボーンにする国家である。兵士になる者とその家族が「国民」である。それは「国語」を確立させる。命令が兵士の末端まで理解されなければならないから。だから教育に力を入れ、学校制度を行き届かせる。国民の義務を教え、輝かしい民族の歴史を教え(あるいは逆に、民族の屈辱を教えてそれを拭おうと煽り)、父の仕事でない仕事に就かせるために役立つ教科を教えて俸給生活者を養成する。それは発展の強力なエンジンになる。それらすべての基礎にあるのは、軍隊という暴力である。これらの事実はよく理解しておかねばならない。国民国家は人類にさまざまな益ももたらして、現代のわれわれはたしかにそれを享受しているのだが、その根っこの部分にこのような「出生の秘密」がうずくまっていることは知っておく必要があろう。

 克服されなければならない西欧文明の鬼子として、「党国家」がある。ナチス・ドイツファシスト・イタリアからボルシェビキソ連、国民党中国、共産党中国まで続く一連の党が国を乗っ取った独裁国家だ。バース党イラクやシリアなどというのもあった。党が軍を握ることで力を得ているのだけれども、そもそも組織的で階層的である軍と党と官僚組織は互いに相似形で、親和性があるのだ。そしてこの党国家は、段階を経るに従って強大さを増している。「人民解放軍」なる党の軍隊完全把握の党国家と「暴力主権」国家が太平洋をはさんで向かい合う。その間に置かれるのは実に困ったことだ。

 「テロとの戦い」などというスローガンはダブルスタンダードはなはだしく、「テロリズム」国家アメリカが主唱する奇態さは別にしても、ロシアや中国が「テロ」としているものは独立闘争、民族解放闘争である。アメリカの独立もイスラエル建国も明治維新も、テロリストたちの切り開いた道の上に成就した。要するに、自分たちを脅かすものは「テロ」、敵を脅かすものは「解放闘争」なのである。

 

 中国の体制はまちがっているが、欧米への反発はまちがっていない。中華文明を西洋文明に対置しようとすること自体は正しい。しかし、いま中国がやっていることは中国共産党の体制擁護にすぎない。中共の価値観は西欧の価値観よりはるかに劣悪だ。欧米はいいことを言ったりやったりも多くしているが、中共がやったいいことは自国の急速な発展だけである。欧米の独善性を批判するのはいいけれど、夫子自身がとんでもない独善だ。日本が欧米に対抗する価値観を示せればいいのだが、任に堪えそうにない。そうする資格がないのにそうする気満々な中共を見るにつけ、残念に思う。

 

 虚心坦懐に眺めれば、奇習奇想だらけである。騙されないようによくよく注意しなければならない。マスコミの言うことは、3割正しく、7割は信用できないと思っている。欧米人の考えも同じくらいと見積もっていい。7割にはしっかり気をつけよう。

 いささか激越な辞句もあったかもしれないが、このくらい言わないと伝わらないということもある。ま、いいでしょう。この文章は「存在していない」のだから。

そんなに鎖国したいのか

 カトマンズのタメル地区に、「日本言吾の本3000冊あります/半客頁で買い戻し」「日本の本買います日本の本売ります」などという看板を出し、文庫本を山積みしている古本屋がある。以前はヒマラヤ銀行やノースフェイス、チベット書店などの並ぶ一等地と言っていい広い通りにあったのだが、コロナ流行によるロックダウンの際にずっと奥まった通りに移転し、売り場面積も3分の1程度の狭さになった。それは一見、外国人旅行者の集中的宿泊徘徊地区タメル一般が受けたコロナ禍の打撃の一例に過ぎなく思える。日本人旅行者もその間来なくなっていたわけで、狙いが特定の客層に偏っていれば、打撃がさらに大きくなるのは道理だ。しかしよく見れば、そうとばかりも言えない。「新明解国語辞典」が何冊もあるのだが、第3版(1987年)までのものばかりだし、積んである文庫本も2000年ぐらいまでに出たものがほとんどだ。日本人のバックパッカーが持ってきて読み捨てたものが溜まっているのであろうけれど、その刊行年から見て、近年の流入はかなり細くなっていると思しい。買い手も売り手も減っていたらしく、この古本屋の危機はコロナのだいぶ前から始まっていたようである。

 ほかにも、4年前の「地球の歩き方」に掲載されていた日本料理店が4つも姿を消していたし、日本人相手の安宿でなくなっているものもある。日本のプレゼンスがわずか4年でがた落ちになっているわけで、それは新型コロナのロックダウンによるものとばかり考えることはできない。

 タメルは中国語の看板だらけである。それは4年前からそうだったのだけれど、日本の退潮をかたわらに置くと、さらにいっそう進んでいるように見える。韓国料理店も増えた。日本料理店と同じくらいあるだろう。

 積まれた文庫本に見ているのは過去である。「深夜特急」の時代からの蓄積。日本と日本人が元気で、世界を渡り歩いていた時代の残影である。

 どうも日本経済の引き潮と歩を合わせるかのように、日本人が内向きになり、外へ出かけなくなっているらしい。

 

 だが、「外向きの日本」などというのは一時的な現象だったのかもしれない、とも思う。日本には日本国内でしか通用しないルールが多すぎるのを見ると。輸出攻勢をかけたり、工場が海外進出したりしていても、結局は自国の論理を他国に押し通しているだけなのではないだろうか(かつての八紘一宇よりはマイルドな形で)。

 家電産業がまたたく間に没落した光景は忘れられない。自動車産業もEV化でそうなる危険性をはらんでいる。カメラもバカチョン需要はスマホで消えた。その失敗の元凶には、国内ばかり見ている人たちがいるのではないかと疑っている。それは、日本国内でだけ通用するルールで国内を囲い込んで搾取し、利益を確保する寡占企業の収益モデルのために、国内を得て国外を失った携帯・スマホに特徴的に見られる。スマホ失陥はこれらの失敗の象徴ではないか。

(1億という半端に多い数が躓きの石なのかもしれない。国内需要だけで利益があげられる。国外を得なければ先はないと見定めている韓国とはそこが違う。)

 さらに言えば、危機になると本性が現われる。日本国民は自由の明け渡しを望んでいる。自由が奪われれば奪われるほど政権が支持されるという驚くべき状況をわれわれは見ている。実はこれが日本人の本性だったのである。心の底では、自由より統制を好む中国に憧れているのだろう(今の中国は満州国の後継国家だから当然か。そういえばあの国も鎖国が国是だ)。笑いとばしたい冗談のような話だが、まったく笑えない真実であるのが恐ろしい。世界への視角の徹底的な欠如(これも中国と同じ。それがあると自負している人たちも西欧北米への限られた視角しかない)もまた、日本人の国民性を特徴づける。死に至る病と言うべきか。

 

 海外で日本語を教えるという仕事は、日本の国力に依存し、それを反映している。個々の日本語教師がそれを望むか否かに関係なく、「日本の魅力のセールスマン」という側面を持つことは避けられない。

 断言できることがある。よーいドンで競走すれば、韓国語に負ける。学習者はかならず韓国語に流れる。はるかに学びやすいからだ。文法はほぼ同じで、文字は1種類だけ。漢字がない。語彙が少ない。1000語習得で実際に使われている文章中のどれだけの語彙がカバーできるかという調査を見ると、日本語が60.5%なのに対し、韓国語は73.9%(英語は80.5%)。3000語では日本語75.3%・韓国語85.0%(英語90.0%)、5000語で日本語81.7%・韓国語89.3%(英語93.5%)。つまり、韓国語が1000語でカバーできるところを、日本語は3000語覚えないといけない。5000語覚えても韓国語が3000語でカバーできるところまで届かない、というわけだ(英語との比較ではさらにひどく、5000語でようやく英語の1000語レベルだ)。そのように日本語に語彙が多い理由は、言うまでもなく本来の日本語である和語に加えて膨大な漢語(さらに外来語)があるからだ。それは同音異義語の海をもたらしてもいる。その足枷がない韓国語のほうが学びやすいに決まっている。

 単に語学学習にとどまらず、これまでに積み上げたものがあるから、スタートラインが違っているから優位性を保っているので、それがなくなれば一挙に瓦解する危うい足場の上にふんぞり返っている図を客観的に認識しなければならない。世界史的に活躍した先人の築いた歴史の遺産のおかげで名声をまだ保っているが、努力を怠れば奈落はすぐそこに口を開けている。頭が今なお「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代にある人たちは、早く迷妄から抜けてもらいたい。

 

 死ねばこそ病気は怖い。治るなら怖くない。ただ病気になったというだけだ。それなのに、「コロナ」というレッテルに過剰におびえうろたえている。働き盛りの人が死ぬのは悲劇だが、老人が死ぬのは悲劇ではない。ものの順序だ。パースペクティブが歪んでいる。昔からなのか今の現象か知らないが、日本人は優先順位をつけるのが恐ろしく苦手だと痛感する。かてて加えて、決断ということができない。

 オミクロン出現初期の騒動では、最前線で日本のために働いている同胞から帰国の道を奪おうとしたことも印象深いのだが(遊び暮らしているとでも思っているのだろう)、それよりも問題なのは次のことだ。日本が好きで、日本に多大な興味を持つ人たち、文字や語彙のハンデをものともせず、(動機はどうあれ)われらの大切な異形のことばを真摯に学習習得してくれた人たちが、感謝の対象であるべき人たちがそこにいる。日本に来て勉学し、将来知日・親日派になり、日本の財産となってくれる人たちである。それを入国させない。しっかり隔離をし、PCR検査を何度もやれば問題なかろうに、将来へのたしかな投資を打ち捨てて顧みない。自傷行為である。日本人のほうは外国に留学に出ているのに。かく言う筆者もネパールに語学留学に来て、問題なく入国させてもらっている。秋篠宮家の長女はアメリカへ渡った。

 なぜ日本の友人になってくれる人たちを入国させないのか。答えは簡単で、国民がそれを望んでいるからだ。国内は善で、すべての悪は外国からやってくると信じて疑っていない、素朴で、それだけに頑迷な人々。この国の国民は、自国本位で世界に対して通用せぬロジックを身内で固く言い募り、わずかな先細りの既得権益を守ることだけを考えて、大局を見ようとしていないのだ。つまり、日本の没落を望んでいるのだ。

 「貧すれば鈍する」の目前進行を目の当たりにしている。悲しいことだ。皮肉を言う元気も出ないよ。

ネパール再訪

 もう年金ももらえる歳だから、飛んだり跳ねたりせず田舎でじっとしているのがいいのかもしれないが、それも性に合わず、出かけられるようになったのを幸い、のこのこネパールに来てしまった。外国ではさまざまなささいなことに気づかされ、そのことが不便はいろいろある生活を楽しくさせてくれるので、性懲りなく出られるようになればすぐ出て行ってしまう。困った尻軽男である。

 

 高峰林立のヒマラヤの麓で標高1330メートルと言えば、さぞかし寒いだろうと思われるかもしれない。しかしカトマンズは東京より暖かい。1月の平均気温は10.8度(東京5.4度)。標高1000メートルぐらいの軽井沢はもちろん東京よりずっと寒い(-3.8度)。それは信州が根が温帯であるからで、カトマンズは根が熱帯で、高度を上げた分だけ涼しくなっているのだという「出自の違い」である。インドとの国境地帯にはゾウが闊歩しているわけだし。12月に街中の池で子供が泳いでいたくらいだ。むろん高度をさらに上げてヒマラヤに迫れば寒くもなるが、つまりはインドの避暑地と考えるのが適当だということだ。ずっと独立国だったのでそういう位置づけにはならないけれど。

 基本的に「山の南」は暖かいのだ。「山陽」ということである。山陰の人間からすれば、「山陽」イタリアより同じ位置関係のドイツに親近感を持ってしまうが、「山陽」ながら盆地のカトマンズもいいものだ。

 とはいえ、暖かい国というのは寒い国でもある。冬の室内が。冬が存在しない熱帯ならいいが、一応冬があって気温はそれなりに下がるのに、家に暖房というものがない。これにはかなり閉口する。寒さを心配してくれる人たちとは少し違った意味で、寒さに難儀はする。

 

 ここは祝日が異常に多く、ヒンドゥー教はもとより、仏教・イスラム教・キリスト教、さらにはシーク教の祭日も国の祝日としている。祝日からは宗教的な寛容さがうかがえる。前にいたボルネオも、イスラム教・キリスト教イスラム教マレーシアに属しながら、実はボルネオではキリスト教が多数派)に加えて、華人の祭日、ダヤク族の収穫祭も休みだった。非寛容な一神教圏とは対照的なアジア的寛容さは心安らぐ。

 また、土曜日が休日で日曜は労働日というのも妙な独自性である。ユダヤ教でもあるまいに、どうしたことか。

 インドで時差が3時間30分というのにも困ったけれど、ネパールで3時間15分なのは困るどころではない。たとえばここが1月1日の6時だとすると、日本時間では9時15分。こんな奇怪な時間を定めたのには、インドと同じでありたくないという意志が働いているのだと何かで読んだ。それはいかにもありそうだ。隣にでんと大国があるのは、下手すれば呑み込まれそうな小国にとって気欝なことだろうから。

 時差を言えば、国土広大なインドや中国がただひとつの時間に従っているのもおもしろいことである。国内に時差を存在させない。統一への力強い意志を感じる。同じように広大なアメリカやオーストラリア、ロシアが国内に時差をぼかすか入れて平然としているのと対照的で、それは一方で西欧的合理性を示すけれど、要するにそもそもが植民地だという歴史の薄さの現われでもある。首都を起点に機械的な輪切りをするため、日本とまったく変わらぬ経度のサハリンやウラジオとの間に少なからぬ時差が生じているのは迷惑なことである。加えて彼らは夏時間なんて勝手な操作をするし。

 イギリスの保護国とはなっていたものの、インドのように植民地化されることはなく(あの国は計算高く、収奪できる富が十分にあるか戦略要地であるかでなければ、わざわざ維持管理コストのかかる植民地にはしない。ボルネオもそうだった)、形だけでも独立を保っていたといういきさつからか、「独立国ぶり」を随処に発揮している。独立国家には国旗が必要だという欧米の定めたルールに従い、非欧米諸国がせっせと色塗り分けのつまらない旗を制定している中で、日章旗とトルコの半月旗は国の伝統に根差した独自性で際立つ双璧だと思うが、ネパールはそもそも三角ふたつが上下に並ぶという旗の形状そのものが欧米ルール完全無視で、この両者をもしのぐ(三国とも太陽や月の印なのも特徴的だ)。

 

 ネパールは「インド」に属していないようだ。コロナ流行の初めごろ、インドのJETROが送ってくれる月報に南アジアと東南アジア諸国のコロナ状況が載っていて重宝したが、そこにはネパールがなかった。明確にチベット文化圏であり、入国に制限のあるブータンが省かれるのはわかるけども、このネパール差別にはちょっと驚いた。旧英領インドには属していなかったのは事実だが、ブッダの生まれたルンビニーやラーマ王がシータと結婚した町ジャナクプールがあり、ヒンドゥー教を国教にしていた歴史からも、インド文化圏の一部であるという性格は有しているのだが。進出日本企業がないためか、どうやらインドの日本人にはネパールは眼中にないらしい。ここはインドとチベットの移行地域であって、そういう特殊性はたしかにあるけれども。

 インドとの違いということでは、インドがきっぱり英語圏を向いていて、就学や就労にはもっぱら英語圏および旧英領植民地に出向くのに対し、ネパールは、第一は英語圏・旧英領でありつつ、日本にも向いているのが大きな特徴である(スリランカバングラデシュにも向日本性が多少あるようだ)。

 

 東西に800キロと割合長いのに比べ、南北は230キロ。横にした短冊形の国土で、その狭い南北が、インドに接する平原の標高60メートルから世界最高峰8848メートルまでと、とんでもない高度差がある。人口はおよそ3000万人で、人口密度も200人/平方キロほど。北方の大半は人の住めない山岳地帯であることを考えれば、ともに決して少なくない。人口大国インドのある南アジア諸国に比べると少ないけれど、それは比較の相手が悪すぎる。

 そんな地形要因のためか、ここは何かと小作りだ。道が異常に細い。寺院や宮殿が小さい。そして木と煉瓦でできている。家も狭い。間口が狭いのである。だから家は上に伸びて、4階建て5階建てがざらにある。屋根のある家は少なく、上はたいてい平らな屋上になっていて、そこが重要な生活空間だ。

 そういう耕地が少ない山がちな地形だから、グルカ兵として英軍に従う者が多く出た。ビルマ戦線で日本軍とも戦った。同じような地形のスイスが傭兵を出していたのと同じで、一種究極の肉体労働というか、出稼ぎの一形態である。女性の究極の出稼ぎ肉体労働がからゆきさんであるのと好対照でもある。

 ネパールはまた、24歳以下が人口の半数以上という若い国でもある。国内に働き口少なく、出稼ぎの歴史もあるので、若い連中が日本へ留学ビザを取って働きに出るのも、グルカ兵以来の伝統に連なるものであろう。兵士となった若者が外国へ行っていたように、当今の留学の若者も外国へ行く、というわけだ。

 「アジア最貧国」のひとつと言われ、実際そうなのだろうけれど、よく知るに価するおもしろい国であることはたしかだ。