暑い

暑い、暑い。暑くてたまったもんじゃない。
トシをとって体力が落ちたか、今年のこの暑さがひどいのか。おそらくその両者が幾分かあるのだろう。最高気温も平年より高いのかもしれないが、問題はたぶん最低気温のほうだ。いつもは、西日本の各地が熱帯夜でも山陰は24度でこらえていることが多かった。24と25の間の1度は非常に大きい。だが、今年は来る晩来る晩熱帯夜で、26度27度というのだからたまらない。
こう暑くては本も読めない。毎年夏は死んだふりをしてやりすごすのだけども、今年は瀕死だ。アルメニアの本トルコの本が読まれるのを待っているが、とてもとてもそんな気にはならない。「半七捕物帳」をぼつぼつ読むくらいがせいぜいだ。
本棚に埋もれていたこの捕物帳の古典名作を初めて読んで「ほう」と思ったのは、これは回顧談で、明治時代(実際に書かれたのは大正5年以降だが、半七の歳から考えれば明治20年代であろう)になってから、隠居した半七老人に若い新聞記者が岡っ引き時代の話を聞くという体裁なのである。半七は天保12年(1841)に19歳というから、御一新の年には46歳の勘定だ。作者の岡本綺堂(1872-1939)自身は明治初年の生まれである。だが両親は江戸時代に人となったし、祖父母となれば、これはもうチョンマゲをとったほかは旧幕時代のままで世を送っていたにちがいない。半七は祖父母の世代に当たるわけだ。
江戸時代は明治に脈々と生きていたのである。明治政界に君臨した元勲というのは、要するに幕末にすでに斬ったり斬られたりできるほどであった人たちなのだから、考えてみれば当たり前なのだが、ついうっかり見落とされる視点である。徳川慶喜は大正初年まで生きていたのだ。明治が本当に新時代となるのは、「幕府を知らない子供たち」が世に出て活躍するようになってから、つまり明治20から30年代であろう。
今年中学にはいった甥は歴史が好きで、戦国武将の生没年をことごとく暗記している。彼の生まれる前に死んだ祖父(彼にとっては曽祖父)の生年までそらんじていて、1901年だという。なるほど、祖母(曽祖母)の生まれ年は1905年だから、そのくらいであろう。祖母は日本海海戦のとき母の胎内にいて、自分が大きな音をこわがるのはおなかの中で海戦の砲声を聞いていたからだなどと言っていたのを覚えている。子どもの頃いっしょに寝起きしていた曽祖母(私の)を含め、3人とも明治の人であり、曽祖母は19世紀の人でもある。私自身は昭和中期の生まれだが、曽祖母・祖父・祖母のメンタリティが自分の中に生きていることは感じる(だからこんなに時代遅れなのだ)。自分自身の記憶と並んで、年寄りから問わず語りに聞いたことどもが拡張された第二の記憶を構成する。1世代25年とすれば、老人と生活をともにしてきた人たちは自分自身の人生より50年長く生きているのだ。だからより深いフォーカスで物事がとらえられる、と自負するのは錯覚だろうか。
同輩や年長の人々にはこの感覚はわかってもらえると思うが、年少の人たちにはどうだろう。というのも、私らの頃には三世代同居の大家族はごくふつうのことであったが、自分らの世代を境として、それ以降は核家族が主体に世の中が変わっているからだ。社会の大転換点がそこにあり、それが高度成長期であることは言うまでもない。生業の主力も第一次産業から第二次・第三次産業へと移行した。
昔も次男三男は核家族だし、老人だけの所帯もあった、核家族全盛の今も三世代同居の家は少なくない云々という反論は当たっていない。肝心なのは老人に対する社会の態度である。歳をとれば体力は落ちるし、病気がちにもなる。単にそこだけ見れば社会の厄介者だ。しかし、自然を相手にする仕事や技芸、共同体の運営や信仰などという分野では、老人の知恵や知識、経験が役に立つ。だから相応の敬意を払われてきた。労働力としてみてもしかりである。昔は、力はいらないがヒマはいるという仕事がいくつもあり、それは老人に割り振られた。
工場労働やデスクワークではそうはいかない。人を単に雇われて行なうマニュアル的な仕事の労働力とみなす社会では、衰えて「戦力」でなくなった老人は、「年金生活者」として「病人」や「生活保護家庭」と同じカテゴリーに分類されてしまう。ましてこのIT時代、若いこと新しいことにのみ価値がある異常な時代に、老人たちの居場所はどうなるんだろう。
日本が大好きなウズベク人の学生が、日本に来て老人ホームを見て驚く。「見てはならないものを見てしまった」ような、「恥部に触れた」みたいな感じでそのことを言うのに深い印象を受けた。年寄りが家族と暮らすウズベキスタンが遅れていると、われわれは嗤うべきなんだろうか? ひょっとしたら逆なのでは?
一方で、老人に対する態度も変わったが、老人も変わった。絶えることなき時の流れは恐ろしいもので、今や戦後生まれが「鴎外より年上」になってしまった。エレキをひく「老人」がいる時勢だものね。日本の民俗学は「年寄りに話を聞く運動」であったのだが、昨今「民俗学」はむずかしかろう。「社会史」でしょうな。