イェニーの恋(1)

ヴィルヘルム・グリム/イェニー・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ往復書簡


1.
 1813年7月25日のあたたかい思い出のために。

  旅人ひとり野道を行く
  地の上はいかにも暑く
  日は頭に焼きつくよう
  深い茂みの森へと急ぐ。
  そこではいつも涼しげに
  風があちこち遊び戯れ
  どうでもあれ必ずや
  顔を吹きなでてくれるだろう。
  森の中の石にすわり
  憩いなごみつつもの思う
  髪のあたりを通る風
  大気はかくも心地よい。
  静かなそよぎのやわらかさ
  こんなことはかつてない。
  森の奥の暗がりから
  響きが響きをかわしつつ
  そばにおじきをするように
  ほのかな輝きが寄ってくる。
  すべてが彼に気持ちよく
  心は喜びに満たされた。
  これはさてどこから来るのか。
  かたわらに百合がひそやかに
  白く清らに咲いている。
  これか、これが揺れていたか。
  けれど休んで元気になれば
  道を先へと行かねばならぬ。
  百合の前へと進みゆき
  「可憐な花よ」と語りかけた。
  「熱にして火、しかして雪よりなるものよ。」
(時間がなくて、あとは詩の形にできません。そのまま書きます。韻はかなわずとも、意にはかなうものです。)
「おまえに何がしてやれよう? 土を掘り、根っこにかぶせてあげようか?」 百合は言う、「苔がやさしくおおってくれるから、あなたの土はいりません」。旅人は言う、「行って水をくんでこよう、そそいで元気になるように」。百合は言う、「朝に夕に露がわたしの上におり、しめし冷やしてくれるから、あなたの水はいりません」。「歌ってあげよう、森の中にひとりきり、人の声を聞かぬおまえのため」。「森には幾千の小鳥たちがまわりで歌いさざめいて、蜜を集めに来る蜂も、うてなにとまり心地よく静かなうなりを聞かせます。あなたの歌はいりません」。「木を切りはらってあげようか、山や空が、広い世界が見えるように?」「木々の葉は揺れひるがえり、澄んだ青空を見せてくれ、夕べに梢は黄金色、夜は小さな星々が永遠にきらめくさまを見る。遠い世界を見たくはないわ」。旅人ははたと黙りこみ、何もしてやれぬことを知り、心のうちにこうつぶやく、「神さまがおまえを一生お守りくださるように!」
   W.C.グリム


2.
カッセル、1814年5月14日
 貴嬢に弟の絵をお送りすることをお許し下さい。そのように約束したと思いますが、違っていましたら、貴嬢に快いことをしたいという気持ちをお認め下さって、どうぞお受け取り下さい。両葉とも実際を写生したものですが、小さな子供の顔の絵は、弟(*1)の描いたうちでもっとも愛すべきもののひとつと考えています。内に真面目で深みのある優美さをたたえ、美しく波うつ髪全体が独特の魅力を与えています。祈る男のほうも、彼がバイエルンで見つけました。あのような美しい老人の顔は、北部のわれわれのもとではもはや稀なものになってしまいました。
 この絵はしかしまたあるお願いのため、あるいは以前のお願いを新たにするためでもあるのです。アウグスト・ハクストハウゼン(*2)は、貴嬢がまたいくつか昔話を見つけ、書きつけておられたと書いてよこしました。多くの苦難と歓喜をともに味わったこの時代、そのうちに見出しうる静穏の時を、これまでに収集したものの整理にあて、出版したく思っています。コレクションに加わったほどを、次巻のためにお贈り下さるようお願いする次第です。
 在郷軍の士官をしている絵描きさん(*1)がはやく帰郷するように、そしてバイエルンにもどってしまうまでの間に、子供を描いた絵をいくつか食刻してくれるように望んでいます。その絵で飾られた本をお送りすれば、貴嬢の贈物がいかに活用されたか御覧いただけるでしょう。
 アウグストはこの夏いっしょにベーケンドルフ(*3)に行こうと誘ってくれましたが、どうなるかまだわかりません。行けることになれば、貴嬢に親しくお礼を言う喜びが得られるわけです。そのときまで、楽しい思い出とともに過ごしましょう。どうぞお母上と、もしネッテ嬢(*4)が私の名を耳にしてよいと思っておられるならば(フランス人たちが追い払われて以来、われわれは誰にも腹を立てるいわれはなくなったはずですから)、ネッテ嬢にもくれぐれもよろしくお伝え下さい。
  貴嬢の忠実なるしもべ
   W.C.グリム


(*1):ルードヴィヒ・グリム(1790-1863)、画家
(*2):アウグスト・フォン・ハクストハウゼン(1792-1866)、グリムの友人、イェニーの(歳は近いが)叔父にあたる
(*3):ベーケンドルフ、ハクストハウゼン家の屋敷があるヴェストファーレン(ウェストファリア)地方の村
(*4):アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ(1797-1848)、イェニー(1795-1859)の妹、詩人


3.
ベーケンドルフ、1814年9月12日
 たいへん遅くなりましたけれども、やっとお約束をはたして、昔話をお送りすることができます。ヒュルスホフ(*1)にいたとき、貴方にお渡しすると言ってアウグストがそれを持っていったのですが、ここに来てはじめて、彼がまだ渡していないことを知りました。ふたつの低地ドイツ語の昔話、とくに黒い王女さまの話は、深い内容があり、わたしは文字どおりに書き写しました。貴方の昔話集に収める値打ちがあると見てくださったらうれしいのですけれど。二枚の絵にはたいへん喜びました。子どもの絵にはとくに。つくづく見れば見るほどに、その美しく考え深そうな眼がいきいきと語りかけてくるように思えます。祈る人のほうもとてもすばらしいと思います。けれどもわたしには、真面目な老年というものには何かはねつけるようなものが、子どもの優美さにはかぎりなく魅きつけるものがあります。たぶん、老年についてはその身になって考えることができないけれど、子どもの頃のことは楽しく思い浮かべられるというところから来るのでしょうね。数日来アウグストはずいぶんよくなって、まもなくヒュルスホフに訪ねてこられるくらいになるだろうと思います。わたしは明日そちらへもどります。あんなに楽しい時を過ごした愛するベーケンドルフを離れるのは、とてもつらいことです。ごあいさつは添え書きとともに母と妹に伝えましょう。わたしたちからもお妹様(*2)にどうぞよろしくお伝えくださいませ。
  あなたのしもべ
   イェニー・ドロステ・ヒュルスホフ


(*1):ヒュルスホフ:ミュンスター近郊にあるドロステ=ヒュルスホフ家の居城
(*2):シャルロッテ(1793-1833)