サハリン消息/ホテルの宣伝ではなくて

われわれ西の方の人間にとっては、北海道は遠い。昔一度だけ行ったことがあります。舞鶴からフェリーで小樽へ行き、苫小牧から仙台へやはり船で渡りました。北大のポプラ並木を見たこと、まだ深名線があった頃で、それに乗ったこと、町が碁盤目の通りでできているのに感じ入ったことなどを除いては、もうほとんど覚えていません。
だから今回のサハリン渡航時の、千歳−札幌−千歳往復、20時間に満たないわずかな北海道瞥見は、ほとんどまっさらな上に深い印象を残しました。
千歳空港の地下駅を発車した電車が地上に出たとたんに、あ、ここは日本と違う、と感じます。何が違うのだろう? 木々、草花、空気。乾いた透明さのようなもの。芯のところにある涼しさ。後づけで考えればそのように言えるかもしれないものが、一瞬にして感じ取れました。いや、たしかにここは日本ではないぞ。
ホテルに入り、テレビをつけました。6時からのNHKローカルニュースの終わりに天気予報がありますが、あれはまず全国の天気をやってから、その地域の天気に移ります。それで、松江はどうかなと確認しようと思ったら、全国の天気はやらず、いきなり北海道の天気を詳しく説きはじめました。独立国なのか? ヨーロッパなら、たしかにこのくらいの面積人口の国はあるけどね。
新聞の天気予報欄もかなり大きいと思いました。しかし新聞では何といっても、1面まるまる使った死亡欄(いや、死亡面)に驚かされました。たまたまこの日だけこういう面があるんだろう、あるいは北海道新聞だけなんだろうという常識的な推測はみごとに外れ、毎日、どの新聞にもこの面があるのだと知ったときは、さらに驚きました。北海道の人たちにはなくてはならぬ情報らしい。葬式に情熱を燃やしているのか? 搭乗日8月24日の死亡面の最初に札幌ハリストス正教会での葬儀とあったのにも、感じ入りました。この面に出ている葬儀には、ほとんどに葬儀委員長がいます。これにもまた驚く。うちらのほうじゃ、市長とかかなり大きな会社の社長ぐらいでないと葬儀委員長なんて立てないよ。喪主だけで十分だ。これはつまり、開拓時代の記憶なのか。誕生はめいめい別の場所で迎え、死でこそ住民が結び付けられていた時代を背景に想像してみます。血縁的な「喪主」でなく、共同体的で民主的な響きのある「(葬儀)委員長」というのは、あるいはきわめて北海道的な精神を示す言葉なのかもしれない。ちょっと深読みしすぎかな。でも、それで誰の迷惑にもならないのだったら、深読みしたほうがいい。私の最大の娯楽のひとつです。
サハリンを知ることは、北海道を知ることだ。サハリン到着3日目ぐらいで、そう悟りました。国境を間に厳然とはさみ、その南北で言語宗教人種を全く異にする二つの民族が対峙しています。しかし気候や生態系に断絶はなく、連続している。一体と言っていいでしょう。歴史も、異にしていながらも、錯綜し交差し互いにもつれ合っている。ずいぶん多くなった車はたいていが日本車で、おそらく北海道から積み出されたのだろう。そのくらいは目に見えるけど、実際の経済文化の結びつきがどれだけ強いのか弱いのか、それは知りません。けれども、相互浸透している部分はかなりある。往来は頻繁だ。断絶と連続、相互浸透。国境地域の特徴です。最初の授業で、学生が質問してきましした。「出身は札幌ですか。東京ですか。稚内ですか。留萌ですか。」善哉、善哉。本土の日本人とあなたたちの日本認識は異なるようだね。
サハリン・サッポロ共和国って、あったら素敵じゃないか? 日本からも、ロシアからも離れて? つまらない夢想だが、暇つぶしにはもってこいだ。いい天気の日に、公園のベンチにうかうかすわって、通り過ぎる人々と青空を眺めながら、そんなときの夢想には。