アンケートで見るロシア地方大学日本語コースの学生たち

 たとえばルーマニアのような国をとってみれば、そんな遠い国のことなんか普通の日本人はほとんど知らない。それは仕方がない。けれどロシアは、隣国の大国だから、いろいろ知っているつもりでいる。しかしはたと考えてみると、ソ連時代は鎖国のようなものだったし、今も自由に旅行のできる国ではないためか、そこに生活している現実のロシアの人々について、われわれは実はあまりよく知らないのだということに気づく。初めてハバロフスクに赴任したときの筆者もそうだった。そして、あの国民についつい抱いてしまういかついイメージと裏腹に、学生たちが意外に子供子供していて、素直で真面目なのに驚いた(失礼)。このうち幼い感じという部分については、実際に年が若くて、日本の学生より1年早く入学し、5年間在学するというあの国の学制に由来するようだが。
 日本語を勉強しているロシアの地方都市の学生はどんな人々なのだろうか。次にカザンに赴任したとき、彼らの文化的背景を探るアンケート調査をやってみた。モスクワとウラル山脈の間、ヴォルガ川中流に位置する人口百万ほどの町の、3年前から日本語教育が始まったばかりのカザン教育大学(日本語は週3コマ)の38人と、ロシア極東、日本人に馴染みの深い町の、週5コマの実践日本語のほか歴史・文学・日本語学などの講義もあるハバロフスク教育大学日本語学科の学生72人、および比較のため大阪外国語大学でロシア語を勉強している日本人学生108人に回答してもらった。


 一見して、ロシア文化の粋と目されるものを、よく見、よく読んでいることがわかる。特に、「戦争と平和」や「罪と罰」をほぼ全員が読んでいるというのには驚いた。聞けば学校のカリキュラムに組み込まれているのだそうだが、それにしたところで、言われるままにあの長大な巨篇を読破したというのはやはりすごい。活字離れの昨今を考えれば、日本人学生の数字も割合にがんばっているのではないかと思われるのだが、比べるとロシア人学生の自文化享受度の高さが知れる。「劇場/クラシック/クラシック以外のコンサートへ、a.よく行く、b.時々行く、c.年に一二度、d.行かない」という設問もあって、そのaを3、b:2、c:1、d:0ポイントとして平均すると、カザンはそれぞれ 2.1/ 1.4/ 2.0、ハバロフスク 1.6/ 0.9/ 1.6、日本 0.8/ 0.8/ 0.9となった。ここでもロシアの学生のほうがずっと高い。
 武道では、空手や合気道を習う者はロシアが数倍多いし、全体としてもロシア人学生のほうが経験がある。また男女別で見ると、カザンではどれかを習ったことのある男は 77.8%、女 20.7%、ハバロフスク男 60.0%、女 15.8%となって、男子の場合武道が日本語学習の大きな動機づけのひとつになっているらしいことがうかがえる。男女差はもちろん日本でも同じだが(男 53.8/女 4.2%)、とりわけ女性ではロシア人のほうがよほど武道を好んでいるし、男性でさえも日本人を上回る。
 首相の名は、ハバロフスクの正答が 65.3%、カザンの 39.5%も決して悪くないと思う。カザンでは日本語を学んでいない学生33人にも回答してもらったのだけれど、彼らの間では「知らない」が 97.0% であったことを思えば。「知っている日本の人物名/企業名を10あげよ」の問いで、人名と社名の知られ方の間に大きな開きがあるだろうというのは予想どおり。困るのは、カザンの平均 2.8人/ 6.2社だ。一人も挙げられない者/一人しか挙げられない者がそれぞれ7人/11人いる(ハバロフスクは5人/1人)。たしかに、教えられなければ知らないということはある。カザンは授業数も日本のプレゼンスもハバロフスクに劣る。しかし、ハバロフスク1年生の平均 4.3人/ 8.5社をかなり下回るのはいただけない。まして自文化の享受であれだけの「高さ」を示す彼らのことであってみれば。もっと情けないのは、そんな彼らの数値も、カザンの日本語非学習者の平均 0.2人/ 2.5社を大きく上回っていることだ。その絶対的低水準から見れば、彼らは「高い」。困ったものである。
 したがって人名のベスト10を出すと、ハバロフスクは、1.黒沢(38票)、2.森喜朗(31)、3.橋本龍太郎(21)、4.明仁(20)、5.紫式部(19)、6.芭蕉(18)、7.家康(17)、8.漱石芥川龍之介安部公房(15)で、ふんふん、そうかと思う。けれどカザンの 1.黒沢(11)、2.芭 蕉(8)、3.森・袴田茂樹(6)、5.中也(5)、6.小渕(4)、7.一茶・清少納言・公房・佐藤泰弘(3)は、有意な結果とは言えそうにない。袴田氏・佐藤氏(バス歌手)はその年カザンを 訪問し、公演などを行なった人だし、中原中也は試験で暗唱を課された詩の作者であるわけだし。このアンケートのあとすぐ交代し、1年後にはもう出てこないであろう元首相の名が上位にきてもいる(そう考えると、ハバロフスクの橋本知名度には注目される)。しかし芭蕉や一茶、清少納言安部公房が顔を出すのには意味があろう。
 「もし日本(ロシア)の経済力(政治的重要性)が今の韓国(ドイツ)程度になったとしても、あなたは日本(ロシア)に関心を持つか」という問いに、「持つ」と答えた者は、カザン: 97.4%、ハバロフスク: 100.0%に対し(カザンの日本語非学習者でも 93.1%である)、日本は 74.5%で、ロシアで経済より文化に対する希求度が高いのに比べ、日本では「実用価値重視」の傾向がより強く、「温度差」が見られる。「日本語(ロシア語)は難しすぎて私には習得できない」と答えた者も、ロシア 0.0/ 1.4%に対し、日本 15.9%と、学習意欲、前向きさに開きが認められた。
 ここから浮かんでくる学生像はというと、経済などより文化に対する関心が強く、一般に難しいとされる日本語の習得も可能だと考えるほどに、学習意欲も高いようだ。しかしその割にはあまりよく日本のことを知らない。日本ではもう顧みられない古風な、教養主義的な文化理解をしているらしく、それを趣味よく享受していて、かつ制度化されたものに対して従順(文化制度としての劇場や博物館によく通い、カリキュラムとして課されたものを受け入れる等)である。つまり素直で真面目な学生、加えてカザンでは(恐らくハバロフスクでも)、受動的な性向が見てとれる。ロシアの場合、ロシア語による本や情報源にアクセス可能だし、数は少なくとも日本関係の催しもあるのだから、自文化享受の度合とあまりに落差のある日本についての知識の貧しさは、積極的能動的に接近しようとせず、与えられるのを待っている態度によるとしか思えない。そしてこのような学生像は、実際に授業などを通じ彼らに接して得た感触とも一致する。2校だけで結論づけるのは乱暴だけれど、ロシア地方都市の国立大学で日本語を学ぶ学生は、まずこんな若者たちだと思われる。
 素直で真面目、受け身? それって日本人のことじゃなかったっけ? どうも、ソ連と日本には似たところがままあるなと折々感じることがあったが、これなどもそのひとつと言えるかもしれない。

(アンケート調査にあたっては、ハバロフスク教育大講師川上麻理さん・大阪外国語大講師鈴木広和氏・青山学院大学生須藤梢さんにご協力いただいた。)


アンケート結果抜粋(2001年前半実施)

・次のものを読んだこと/見たこと/習ったことがあるか。
         カザン教育大(38) ハバロフスク教育大(72) 大阪外語大(108人)
戦争と平和        97.4        90.3        13.9 (%)
アンナ・カレーニナ    57.9        44.4        19.4
カラマーゾフの兄弟    28.9        15.3         8.3
罪と罰          97.4        95.8        30.6
なし            2.6         2.8        51.9
かもめ          10.5        16.7         6.5
桜の園          55.3        41.7         5.6
なし           34.2        54.2        89.7
白鳥の湖         73.7        38.9        48.1
くるみ割り人形      71.1        20.8        21.3
なし            5.3        51.4        49.1
タルコフスキー      60.5        73.6         4.7
エイゼンシュテイン    34.2        34.7        20.8
どちらもなし       21.1        16.7        77.4
黒沢 明          27.0        66.7        63.2
空手           18.4        16.7         5.6
柔道           21.1         4.2        17.6
合気道           2.6         5.6         0.9
なし           65.8        75.0        77.8


・日本の首相を知っているか。
知らない         55.3        27.8 (%)
森 喜朗          39.5        65.3
その他(橋本・小渕等)    5.2         6.9


・知っている日本の人物名/企業名を10あげよ。
あがった人名        2.8         6.7 (人/1人平均)
あがった社名        6.2         8.7 (社/1人平均)


(2002.4)