一時避難

ちょっとばかり離れていた中国にまたもどってきてみると、前には使えていたはてなブログが閲覧も投稿もできなくなっていた。そのほかにもいろいろ閲覧できないブログがある。それで、投稿できるこのブログ(閲覧はできないようだが)に一時的に避難することにした。今までの記事ははてなで見てください。
はてなだけでなく、YahooJapanでの検索もできなくなった。メールはでき、ニュースも見られるが、検索はできない。Googleは以前から使えない。これでYahooとGoogleしか入れてない私のスマホからは検索がまったくできなくなった。
それだけではない。Wikipediaの日本語版も見られない。英語版などは閲覧でき、韓国語版もできるが、日本語版、そして中文版はだめ。FacebookYouTubeニューヨークタイムズなどが見られないのは以前からわかっていたからそのつもりでいたが、こんなに制限が拡大したのには困惑する。VPNを使えば見られるようだが、そのVPNにも閉鎖の魔手を伸ばしているそうだ。サイバー万里の長城はますます高くなっていく。
国民を外国の情報から遮断するためにそうしているわけだが、みんなが習っている英語による情報へのアクセスを妨げるのはわかる。だが、日本語学習者など大して多くもないのに、なぜYahooの検索や日本語Wikipediaから遠ざけようとするのだろう。単純に日本人に対する嫌がらせなのか、あるいは日本語情報は漢字を拾い読むことでけっこう伝わるものがあるのだろうか。
政府にそんなことをされても、おとなしく国内に暮らす民衆はほとんど困らない。対応する国内サイトがあるからだ。何せ13億人だから市場は十分以上に大きいうえ、外国のサイトが万里の長城によってブロックされているのだから無敵である。そのようなサイトが中国の発明品ならそんなことをされてもしかたがないと言えようが、もちろんアメリカの作ったもののパクリである。そのパクリを国民に使わせて、本家本元のアメリカのサイトはブロックしているのだからタチが悪い。そして13億にものを言わせ、規模を誇る。
これが韓国人なら、今にそういうサイトも韓国の発明だと言い出すのだろうが、中国人はそんなことはしない。しかし国民には誰の発明であるかは決して教えず、そのような記述があれば検閲によって徹底的に削除するというやり方をするに違いない。歴史に向き合う(というか、向き合わない)東アジアのふたつの流儀である。これらの国々が「歴史を忘れるな」と叫んでいるのは噴飯ものだ。ま、日本にも愚劣さにおいて彼らに十分対抗しうる安倍流歴史修正主義というのがあるけどね。
外国(欧米+日本)からの情報発信を国民から遮断するのは、中国政府ではなく外国(欧米)の本部の指令に従うキリスト教、特にカトリックを露骨に警戒し抑圧するのと軌を一にする。リゾーム的なイスラム教や仏教が許容されるのと好対照だ。彼らが誇り、他の独裁国家に輸出しようとさえしているあの防火壁によって守られることで大きな利益をあげているインターネット会社は、当局の検閲削除に当然のごとく従う。そのことで国民の利益は損なわれているはずなのだが、彼らがそれで満足なら外から四の五の言うべきではないのだろう。とにかく、この国の驚異は数だ。9割が満足しているなら、それは12億が満足しているということで、その数の前には何もかも無力に感じる。不満な1億というのもすごい数なのだけども、12億の前にはやはり力を失う(12億は本当に満足しているのか、彼らの国内SNSでの発信も検閲し、問題がありそうだと思ったらバンバン削除しているのだから、不満をため込んでいるのではと外国人は考えるが、その不満はたぶんそんなに大きくない。金をもうけさせてくれる限りは)。


この国は国内向けにできていて、たいていのことが国内で完結するようにデザインされているようだ。
駅や空港にはwifiがあるが、これは携帯電話番号がないと使えない。電話番号を入力し、送られてきたパスワードを入れることによって使用可能になる。外国人でも在住者は携帯電話番号があるだろうから使えるが、それを持たない旅行者にはアクセスできない。
中国では何をするのにも身分証明書が必要だ。地下鉄を含む駅構内に入るのに、手荷物検査があるのはいい。安全は重要だから(イスラエルではセキュリティ検査の厳しい店ほど歓迎されるそうだ。世界はイスラエル化しつつある)。しかし身分証明書も提示する必要がある。切符を買うこと自体にも身分証明書がいる。外国人の場合はパスポートを提示することになる。切符の自動発券機や自動チェックイン機も駅や空港にあるけれど、これらは中国の身分証明書がなければだめなので、外国人には使えない。
要するに、中国は身分証明書がない人の行動は大幅に制限される国となっている。むろん、犯罪者に行動の自由がないのは悪いことではない。逃亡中の犯人を捕まえるのにも役に立つだろう。それはけっこうなのだが、政府が「犯罪者」や「テロリスト」と認定した民主運動家(それは反体制活動家と同義になってしまうのだが)や独立運動家、特定の宗教信者の自由も蹂躙されるわけだ。かつて共産党員は地下活動家であり、共匪と呼ばれ匪賊あつかいされていたのだが、自分たちが支配者になったのちはかつての自分たちのような存在は許さないのだ。正義は共産党が有し、共産党だけが有す。動乱に乗じまんまと天下を取った新皇帝がかつての自分の出自階層(匪賊や無頼漢など)を弾圧するのと同じで、笑ってしまうぐらいわかりやすい。
スマホ決済の普及が驚異的な速度で進んでいるが、これもまた外国人には利用できない。銀行口座がなければならないし、もちろんスマホもなければならない。スマホも買えない貧しい人がどれくらいいるのか知らないが、スマホが使えない老人はけっこう多いだろう。老人、子供、外国人にやさしくない国になりつつあるのではないか。スマホが使えない老人は年々世を去っていくので、遠からず国民皆スマホの社会になることは疑いないけれども。
現金というのはアナーキーな存在だ。その由来を問わず、所持人の素性を問わない。盗んだか、拾ったか、そんなことは問題にされず、いま手中にあることだけに価値がある。金、特に紙幣などというのは空しいものだ。要するに紙切れである。ちぎれる、燃える、風に飛ぶ。キューブリックの「現金に体を張れ」のラストで、強盗して金を盗んだ男が空港で捕まるラストで、風によって大量の札が飛んでいくシーンが印象的だった。そんな「吹けば飛ぶよな」空しい金札に狂奔するさまが逆説的におもしろいのだが、それを過去のおとぎ話と化そうとしているのがスマホ決済だ。しかし、これはつまりデータのやりとりである。誰が、どこで、何を、いくらで買ったか。膨大であるためチェックはほぼ不可能なはずだが、人工知能が発達すればそのような膨大なデータもじきに管理できるようになるだろう。
つまり、この国には徹底した管理社会が出現しつつあるわけだ。それは便利である。しかし従順な羊のみに便利なのだ。すべてが身分証明書の所持を基礎としている。データはまず会社が把握するのだけれども、共産党独裁国家ではそのデータはいつでも政府が入手しうる。1984どころではないような気がするのだが、杞憂だろうか。中国政府はもちろん杞憂だと主張するだろう。「12億の満足」を盾に。しかし炭鉱のカナリアたちはいろいろなことを「杞憂」しつづける。
(しかし、スマホ決済によってニセ札横行が解消されるなら、それはたしかにメリットである。ゴミのようなボロ札駆逐も。)


一度は地に落ちた(欧米と日本によって地に落とされた)中国が復活してきたのは喜ばしいことだ。しかしこの国は実に厄介で、力をつけるや否や四千年の頑固な悪癖をまたぞろ発揮しだしてきた。中華帝国の構築である。ルールは彼らが決め、関わりたければ彼らの決めたルールに従わなければならない。皇帝はいないので拝謁の際叩頭はしなくていいが、実質叩頭であるさまざまな決定(彼らが勝手に決めたもの)の順守を夷狄に課す。欧米の覇権を認めず、それに対抗しようとしている点だけは評価できるが、それ以外の点ではまったく評価どころの話ではない。
ただし、英語を、世界を理解するための道具ではなく、世界に中国を理解させるための道具だと思っている点はむしろ小気味よくて、日本など見習うべきである。
世界に数限りない多くの賞がある中で、最低最悪の賞は疑いもなくノーベル平和賞である(経済学賞は無価値であり、文学賞は無益だが無害だ)。あれは正しくノーベル西欧価値観広報賞と呼ぶべきだ(なお、最高の賞は本屋大賞であろう。全国の書店員が選ぶという選考方法がすばらしい。受賞作を読んだことはないし、おそらくこれからも読むことはないけれども)。
ノーベル平和賞が他を圧して最低最悪であるにもかかわらず、実はそれよりひどい賞がひとつだけある。孔子平和賞である。これは本当に戯画だ。中国に都合のいい人を表彰するのだから。独裁中華主義国家中国に。パロディーとしてなら秀逸だけれど、全然そうは思っていないところがさらに醜悪さを増すのだが、その点でもやはりノーベル平和賞の好一対をなしている。孔子平和賞のほうがひどいにせよ、五十歩百歩だ。
中国はアメリカの写し鏡である。独善において両国は世界に並び立つ(西欧諸国、特にフランスの独善もかなりのものだが、米中の独善ぶりからは児戯に見える。今や他国に自分の独善を押しつける力の大部分を失っているからだ。それは独善関東軍を尖兵とした大日本帝国も同様)。自分たちがとにかく正しい。だから勝手にルールを決め、勝手に改変する。自国の利益が最優先で、手を縛られるのを極端に嫌う。そして何かされれば必ず報復する。即座に、粗暴に。なおかつ鉄面皮な宣伝をする。そういうアメリカに辟易していたが、復興中国は驚くほどよく似たその双生児だ。反中感情を持つ日本人が多いようだが、彼らは中国を見るその目でアメリカを見る必要があるだろう。まったく同じものがそこにある。
中国はすばらしいが、そのすばらしさを完全に相殺してしまう欠点をもっている。それは、「中国である」ということだ。この点もまったくアメリカと同じだ。困った隣国ふたつに挟まれてしまったものだ。大国が醜悪なのは、かつて大国を目指して横暴を極めた軍国日本を想起すればよくわかる。一方で、愚劣であるためには大国である必要がないことは小国北朝鮮が示してくれている。それが慰め? いやいや、なかなかつらい東アジアである。
(5月5日、避難中のSeeSaaブログ sekiyoushousoku.seesaa.net に掲載したものを再掲)

WM2018雑感

今大会ではビデオアシスタントレフリー(VAR:「モスクワの別会場に集まった国際主審4人が担当し、?得点?PK判定?一発退場?人違いの4要素に関して、「明白かつ確実な誤り」に介入することになっている」そうだ)が導入されたのが大きなトピックだった。FIFAの会長は大成功だったと結論づけているが、本当にそうか。よい点が多々あったことは確かだが、問題点はそれ以上にあったと思う。
明らかにVAR導入によってPK判定が非常に増えた。メキシコ大会は「マラドーナの大会」と言われたが、ロシア大会は「PKの大会」と呼ばれていい。得点王ケインは「PK王」だったし、決勝戦でのフランス勝利を決定したのも論議多きPKだった。
まず何よりも、サッカーにビデオ判定はなじまない。ビデオで確認する際にはプレーを止めなければならない。止まるスポーツ、得点が非常に多いスポーツ(点が入った時には当然プレーは止まる)では問題なく使用できる。こういう競技(テニス、バレーボール等々)とビデオ判定はよくなじむ。だがプレーが止まらず、得点が非常に少ないサッカーとは親和性がそもそも極めて低い。実際のところは、サッカーにはこれはPKだろうと選手や観客が声をあげるケースは非常に多い。だが、それをいちいち止めるわけにはいかないのだ。そんなことをしていては、このスポーツの魅力の大きな部分を占めるスピード感、とぎれずにゲームが進む流動感が根本的に損なわれる。
VARが導入された今大会では、誤審は確かに減った。そのためPKが増えた。なるほど、大誤審はこれによって防がれる。だが中小の誤審は結局なくならないし、むしろ混乱する。なぜこれを取ってこれを取らないのかという批判が倍増するからだ。介入した場合の判定はほとんど正しいが、100%ではなく、間違いもある。とはいえ、介入の効果はたしかにある。だが、問題はそこではない。不介入が問題なのだ。
VARの目が光っているので、よいこともある。ペナルティエリア内のファウルは減るだろう。シミュレーションも減るかもしれない。ネイマールの演技が見破られたのは選手らに非常によい教訓を与えたに違いない。だいたいがずるい連中のするこのゲームにおいて、抑止力としてよく機能した。
しかし、ハンドの問題が大きくクローズアップされる。決勝戦のがまさにそれだ。ボールが手に当たったかどうかは、審判の目だけでは見過ごされることもあるが、VARが介入しビデオで見ることになれば一目瞭然で、その事実そのものは確認できる。だが、それに対してPKを与えるかどうかは主審の判断になる。故意のハンドはPKで問題ない。しかし故意でなく手に当たった場合、取るか、取らないか。人間には手があるのだ。エリア内ではハンドを取られないよう手を後ろに回す選手も多いが、ジャンプしたり脚を思い切り伸ばしたりするときは、バランスを取るため手の助けも借りるさ。そんなときにボールが当たってしまうのはよくあることで、この大会でもよく見られた。明らかな故意と明らかな不可抗力の間の広いグレーゾーンで、反則が取られたり取られなかったりした。結局VAR導入以前と何も変わってなくて、手に当たった事実だけは明瞭になるため、問題が拡大する。VAR不介入のケースも多くあり、それもさらに状況を混乱させる。いっそ手に当たれば全部ハンドということにすればすっきりするが、それではPKだらけになるし、相手の手を狙って蹴る選手が続出するだろう。人垣に守られたゴールへ蹴るより、その人垣の手をめがけて蹴るほうが簡単だから。それではサッカーの定義が変わってしまうよ。「90分間でより多くのゴールを決めるのを競うゲーム」というのが、「90分間でより多く相手の手にボールを当てるのを競うゲーム」になってしまう。
VARはペナルティエリア内のファウルのみ対象とし、エリア外のファウルは対象にならない。だから長谷部が取られたファウル、グリーズマンが取ってもらったファウルのような(明らかな)誤審には介入しないのだが、それで得られたフリーキックから得点が生まれているのだから、結果として「得点に影響する誤審」となっている。長谷部のは失点しても試合結果を左右することにはならなかったが、グリーズマンのダイブは決勝であるからカップの行方に大きな影響があったと言える。もしエリア外の疑わしい判定にまで介入することになれば際限がなくなるから、これを対象外とするのはそれはそれとして正しいが、釈然としない感情は残るだろう。
二重権力になるという問題もある。最終的には主審が裁定を下すとはいえ、主審の権利と権威の少なからぬ部分がVARに奪われる。衆人環視の中で白日のもとにジャッジが行なわれるこれまでの単純素朴なありかたが根底から覆される。人目に隠れた密室から指令が送られてきて、主審はそれに耳を傾ける。このような「影の権力装置」を造れば、必ずそこへ結果を操作したい連中の黒い手が伸びる。「ビジネスチャンス」の提供だ。
さらに、そのVARは首都モスクワに置かれる。カザンやロストフが遠く離れたモスクワの指令に従う。リゾームであるべきスポーツの試合において、許しがたい中央集権管理体制である。筆者はテクノロジーなんか毛筋ほども信じない。自分が目で見、手で触れるものどもが信用の礎である。時代が百歩先を行っているのなら、百歩後を行けばいい。こんなことは許せない。
いいかげんで大らかなのがサッカーの大いなる魅力のひとつである。ゴールから遠いところでのフリーキックスローインの位置はまったく厳密でなく、スローインなんか審判を見るまでもなくセルフジャッジで行なっている。ロスタイムも大まかな目安は示されるようになったものの、秒単位の神経症的な競技と違って大雑把なものだ。そういうサッカーのよさが奪われるのは由々しきことだと思う。
VARのある試合とない試合で別のサッカーになってしまうという問題もある。同一ルールでなくなる。最高峰のワールドカップも10部リーグも草サッカーも同じように行なわれるのがサッカーで、そのためこのスポーツは「民主的」であり、それゆえ大衆の人気を博していたのに、それがエリート競技と非エリート競技のふたつに分割されてしまう。
もしビデオによる確認を行なわなければならないなら、今大会のような「介入制」でなく、前にも書いた通り、相撲のような「物言い」システムにするべきだ。VARはビデオ再生係となる。主審がジャッジするが、それがおかしいと思ったら物言いをつけて(あるいは主審自身が確信を持てない場合は自発的に)、ビデオを確認しに行く。物言いをつける権利は線審2人と、ゴールライン上に追加されたヨコ線審、そして各チームの監督にも1試合2回に限って物言いをつける権利を与えよう。物言いがついたら、主審は必ずビデオで確認しなければならない。その結果、行司差し違えにもなるかもしれないし、軍配通りかもしれない。いずれにせよ、これなら密室の介入と違い、観衆も選手も何が起きて試合が止まったのかはっきりわかる。青天白日の下で判定が下される。すでに2回の権利を使ってしまったあとでは、明らかに誤審だと思っても被害チームは指をくわえていなければならない。それはゲームの一部だ。「介入制」による不公正感は軽減される。物言いの権利にせよ何にせよ、権利は与えられれば必ず乱用されるものだが、しかたがない。これなら、試合が止まっても選手も観客もなぜ止まったかがわかり、困惑して興ざめになるどころか、むしろ興奮するだろう。勝負審判が土俵に上がると場内が沸くのと同じように。
これが最もよい解決策に思われるが、どうだろうか。


「おや、ひょっとしたら勝てるんじゃないか?」
フィールドに入ってくる前の整列の場面で、吉田麻也が自軍側だけでなく相手側のエスコートの子供たちともハイタッチをしている画面を見て、そう思った。リラックスしている。何だがいい気分になって試合を見始めたら、ものの数分で最初の絶叫となった。「撃て撃て撃て!」「撃て撃て撃て!」それで得点した上に、相手ディフェンダーが退場だからね。
コロンビア戦は幸運というより僥倖だったと言えよう。ハメスの負傷、PK進呈の上退場、それでも追いついて、10人対11人だから引き分けを狙ってもよかったのに、日本相手に勝ち点1は許されないとでも思ったか、攻撃的な選手を投入して勝ちにいって失敗するという悪手が重なった。相手の自滅だろうが何だろうが、勝てばいいのである。次のセネガル戦は好ゲームだった。引き分けだったが、日本が勝っていたとしてもどこからも苦情は出なかっただろう。苦情の嵐であった次戦はおいて、決勝トーナメント1回戦のベルギー戦は、結果は悔いの残る敗戦ではあったものの、誇りのもてる戦いぶりであった。よくやった。期待が低かっただけに、なおいっそうすばらしい。身を乗り出して「撃て撃て撃て!」と叫んだ場面のほとんどでシュートを撃っていたし、それがよく決まっていたから、見ているほうとしてはたまらなくおもしろい。


そんな試合を見せてくれた感謝とともに、言わなければならないことは言っておこう。
今回の日本代表は、言わば未来と引き換えに過去のチームを仕立て直して再戦したようなものだった。前任者なら確実に選んでいた中島や久保、選んだ可能性の高い浅野や井手口が外れ、彼らが入っていたら押し出されていたであろう30歳以上の何人かのブラジル組が選ばれていたわけだから。その戦いぶりはよかった。特にベルギー戦とセネガル戦。ブラジル大会のサッカーが前任者の指導によって強化されていた。しかし、相変わらず「自分たちのサッカー」以外のサッカーはできず、そのことがポーランド戦とベルギー戦の最終盤に露呈した。
おっさんジャパン、年功序列ジャパン、忖度ジャパン、いろいろな言われようをした今回の日本代表だが、温情ジャパン、支離滅裂ジャパンと呼ぶのが適当だと思う。
たとえば岡崎。大会前に負傷をかかえていたから、ハリルホジッチなら外しただろう。もし選んでいても、パラグアイ戦のあとの重ねてのけがで、そのときには確実に外しただろう。だが、西野監督は治ると信じて外さず、浅野を帰らせた。前監督は、岡崎の代表100試合目のことだったと思うが、晴れ舞台を用意し、キャプテンにも指名した。情のある人だと思った(代表から外れて長いカズを呼ぼうとしたジーコもそうだった)。しかし、こと勝負となると冷酷になれる人だ。使えないと判断したら、情に関係なく外したはずだ。しかし西野さんは選び続けた。その温情は、追い回すフォワード、潰れるフォワードとして最初の2戦では役立った(岡田監督が矢野貴章を選んだのを思い出した)。しかし第3戦で故障した。岡崎に関しては、その温情がチームにとって吉だったのかどうか断言しにくい。
断然吉だったのは乾と香川だ。この3人はけが明けで、間に合うのかどうか微妙だった。香川についてはハリルも最後まで待ったのではないかと思うが、乾はおそらく選ばれなかっただろう。彼のポジションにはいい選手が多く、中島は選んだに違いないから、けがをしていた乾のための席はなかったと思われる。西野監督が外さず選んだ乾が大活躍をしたのだから、その判断は結果として大正解であったし、褒め称えられるべきではあるが、中島がいなかったことを忘れてはいけない。
第1戦第2戦でミスをした川島を使い続けたのは、それほど温情ではないかもしれない。素人目にはよくわからないが、第2GKとの間にそれだけの実力差があるということなのかもしれないから。ハリルも同じように川島を大事な場面で使っていたし。ポーランド戦の前だったかの記者会見で川島を同席させていたのも、温情というより、多少のミスはあってもそれ以上に貢献している彼を使い続けるという監督の断固たる決意を示すもので、指揮官たるものかくあるべしという範を垂れたと理解している。
まだグループリーグ突破も決まっていない、敗退の可能性もかなりあるポーランド戦で、先発を6人も替えたのには驚いたし、理解不能だった。それは突破の決まっているチームのすることだ。主力を休ませ、決勝トーナメントに備えるといっても、そこに進出できなければ何にもならない。これもおそらく温情だったのではないか。23人全員で戦うと掲げていたこともあるし、彼らは大会前最後の試合パラグアイ戦までは主力扱いだったのだから、ワールドカップの舞台に立たせてやりたいと思ったのではないかと想像する。しかしその「温情」は、危うくすべてを台無しにするところだった。ポーランド戦は敗戦だった。0−1だからよかったものの、まんまとはまったカウンターの場面でレヴァンドフスキに2点目を決められていたら敗退だった。
それらすべてを差し引いても、あの乾(今までシュートを外すシーンしか見ていなかったような気のする乾)の大活躍で温情はペイしたと思われるが、その対象が主としてブラジル組であったことは指摘しておかなければならない。予選やテストマッチで活躍し、選ばれる資格も出場する資格もあったはずのリオ組から中島・久保・浅野・井手口が外れ、残った大島・植田・遠藤・中村には出場機会がなかった。将来の犠牲の上での現在の勝利、という側面はあるのだ。
「おっさんジャパン」だったのにも無理からぬ点はある。2か月前にいきなり監督を任されたのでは、計算のできる経験豊富な選手に頼るしかないのだから、それをもって西野監督が責められては気の毒だ。将来が犠牲になったことの責任の所在は別のところにある。
西野監督は敗れた選手たちにすばらしいことばをかけた。「ベルギー戦が終わった後に倒れ込んで感じた芝生の感触、見上げた空の色を忘れるな。ベンチに座っていた選手は、居心地の悪いお尻の感触を忘れるな」。それにはもうひとつ、「テレビを見ていて感じた無念さを忘れるな」も付け加えなければならない。それを忘れない選手が次の大会(日本が出場できるとは決まっていないので、とりあえず次の大会の予選)で活躍してくれるだろう。
クロアチアは20年前に準決勝を戦っていたが、国中の熱狂の中であの試合を見ていて、自分がゴールを決めてチームを決勝に進出させる選手になりたいと願ったペリシッチ少年が、20年後に本当にゴールを決めてチームを決勝に導いた。これは奇跡的な例だとしても、歴史はこのように続くのだ。日本もかくあれかし。


監督についても考えさせられた。
ハリルホジッチの遺産は正当に評価されねばならない。彼が口うるさく言っていた一対一、縦パス、速い攻めがそこここで生きていた。今大会勝ったのは10人のコロンビアに対してだけ、あとは2敗1分けだと悪口も言われるが、ブラジル大会では10人のギリシャに引き分けているのだから、勝ち切ったのは大いなる進歩だ(あのギリシャ戦は間違いなく大会で最も無内容な疲れるだけの試合だった)。セネガル戦ベルギー戦はほれぼれするような戦いで、その得点はまさにハリルホジッチがやりたがっていた速い攻め、長いパスで急所をついてのものだった。
彼は選手に出場機会の確保を求め、移籍を促した。長友、原口、そして本田もそれに応じてリーグのレベルを下げても移籍し、試合勘を整えていた。清武のように移籍して失敗した例もあるが、それはけがによるものでしかたない。逆に井手口は、出場機会を失う危険を冒して移籍し、まんまと出場機会を失って失敗した。彼の場合は出られているチームにあと半年とどまるべきだっただろう。
また、基準を設けて競争を促した。ザッケローニのチームはほとんどメンバーが固定されていて、そのため熟成もしたのだが、それが驕りや停滞につながった面は否定できない。ハリルホジッチのもとでは、香川や本田のような日本人監督にはほぼアンタッチャブルな存在も、満足できない状態なら容赦なく外された。それが危機感になり、代表に対する思いを再確認することにつながっただろう。
ドイツに快勝し、前回優勝国をグループリーグ敗退に追い込んだメキシコの監督は、6か月前から対ドイツ戦の戦術を考えていたそうだ。ハリルホジッチもそうだっただろうと思うと残念だ。西野ジャパンも大健闘してうれしいのだが、それでも悔いとして残る。西野監督の采配には大いに疑問点があるだけに。
あのメキシコの対独戦は、前大会のアルジェリアの対独戦にダブる。おそらく参考にしただろう。韓国もそうで、ドイツはいわば4年前に何とか退けたアルジェリアに4年後にしてやられたという見方もできよう。江戸の仇が長崎で討たれたか。
また、こうも思う。ハリルホジッチが監督のままだったらどうだったか、それはわからないが、仮にベスト16に進出しても、メキシコのようなチームだったかもしれない。日本と同じくベスト16敗退に終わったメキシコは、いいチームではあったが、比べると日本のほうがより魅力的なチームだったと思う。西野ジャパンは、その最良の場面ではザックのチームとハリルのチームのハイブリッドで、だから成功も収め(日本の力からすればベスト16は上出来以上の結果だ)、魅力的だったのだろう。しかし最良以外の場面はけっこう問題だった。


西野采配の問題点は、まず何よりもポーランド戦の最後の10分間である。
両者が延々とパス回しを続けて時間を潰す「談合試合」は珍しいものではない。だが、それはこのままの結果なら両者勝ち抜けとなる場合に限られる。普通は引き分けの試合の後半最終盤に見られ、一方が負ける試合で発動されることは少ない。しかし、敗北を選択しても、それでポーランドと日本が勝ち抜けると決まっているのなら、その「談合」はありうるし、「合理的」な判断でもある。あの悪名高いドイツ―オーストリア戦のように。あのいわゆる「ヒホンの恥」の場合は、一方の負け試合であったことに加え、80分の長きにわたったことで問題になり、あれ以降グループリーグ最終戦は同日同時刻にキックオフという規定に改正されることになるほど非難囂囂だった。あのときはだから、もうひとつの試合は終わっていて、その結果を見て試合を殺してしまったのである。しかしこの日本―ポーランド戦は、同日同時刻に行なわれているコロンビア―セネガル戦の結果がわからないのに、負けている日本が攻めずに1点差で負けようとしたのだから、ものすごく新奇新機軸の、世界のどの国も考えつかないような作戦をとったわけである。勝ち点も得失点差も得点も当該国同士の戦績も同じなら、フェアプレーポイントの差で順位が決まるという奇怪なレギュレーションで(イエローカード・レッドカードの出し方は審判によって個人差があるのだから、同じ審判によって裁かれていない場合は不公平になる)、フェアプレーポイントで勝る日本が勝ち抜けた。いわば「フェアプレーの勝利」なわけだが、プレーを放棄する究極のアンフェア行為が「フェアプレーの勝利」などとは、まったく悪い冗談だ。
私見を言えば、コーナーキックの数で決めるのがいいだろう。CKが多いのは攻めていた証拠だから。フェアプレーポイントというのも悪くない考え方ではあるのだ。カードをもらわず、クリーンに戦うチームに褒美があってもいい。それがアンフェアな試合放棄をしたチームに悪用されるのが問題なだけで。イエローカードをもらわないというのは意図的にできること(自分でコントロールできること)であるが、試合の進行とともに変わっていくCKの数ならコントロールできない。まずこれを基準に定め、それも同数の場合最後の手段としてフェアプレーポイントを用いるべきだ。それも同数なら、コイントス。間違ってもFIFAランキングなどで決めてはいけない。やってみなければわからないのが勝負のおもしろさで、やる前から決まっているものを特権として持ち出すのは卑劣である。ま、卑劣はヨーロッパ人南米人の特性のひとつだけどね(と今までは悪態をついてきたが、日本が卑劣な真似をしたこれからはそれも抑制しなければならないのが悲しい)。
あれは賭けであった、と言えば耳ざわりよく聞こえるが、つまり丁半博打だったのだ。勝つ確率のほうが高い博打であったが、博打であることに変わりはない。自分でコントロールできないことに運命を託すのは、博打以外の何物でもない。コロンビアが勝つ可能性は確かに高かっただろうと思う。しかし得点せねば敗退のセネガルは当然必死に攻撃する。サッカーは点の入りにくい競技だ。だが、入るときはおよそばかげたゴールも決まってしまう競技でもある。シュートでも何でもないロングキックが得点になってしまうのを、われわれはカザフスタン戦の井原、オーストラリア戦の中村で見ているではないか。ベルギー戦の単なる折り返しのヘディングがゴールに収まってしまう場面を数日後に見てしまうことになっていたではないか。キーパーのミスだってある。チャンピオンズリーグ決勝という大舞台でやらかしたGKがいたように。オウンゴールもあるし、今大会非常に多いPK(特にエリア内のハンドによるPK)もありうる。それにこの大会ではロスタイムにやたらめったゴールが決まっている。そんな中でどうして命運をコロンビアの勝利に賭けていいのか。コロンビアはかりに1点失って引き分けても突破なのだ。
賭けをするときには、それによって得られるものと失うものを秤にかけなければならない。この賭けは、得られるものに比べて失うものが大きすぎる。スポーツの試合は、名誉のために戦っているのである。この丁半博打には勝ったが、負けていたらどうなる? 世界から未来永劫嘲笑されるのだぞ。卑怯な数字合わせをして試合放棄して、滑稽にもそれまでの善戦健闘の誇りのすべてを失ったみじめなチームとして。ベスト16に進出するための苦渋の決断だ? ベスト16が何ほどのものだ。前大会、前々大会のベスト16敗退国を覚えているか。優勝国ドイツを追い詰めたアルジェリアぐらいなら覚えてもいようが、ほとんどの国は忘れ去られている。日本の名誉は、その程度の報酬のためにたかだか2か月前に就任したばかりの監督が賭け金に使っていいような安いものではない。昔ならば切腹ものだ。
決勝トーナメント1回戦に勝たなければ意味のないことばかりしていた、というのが客観的な事実だ。先発メンバー6人替えもそうである。ベルギー戦に勝つために温存したとしか考えられないのだが、そんな先のことでなく目前のポーランド戦に勝つか引き分けなければならないその状況がわかっているのかと普通の人間は思う。
あきれたことに、多くの日本人は結果がよかったのですべて許してしまって、あまつさえ名采配だの名監督だのと言っているが、それは休み休み言う類のものである。博打に負けていたらどうなっていたかが考えられないのは、想像力の欠如である。国の名誉を危うくする西野監督のこの決断に、賛否が半々だという。賛成が半数だと? この国民はどこまで名誉心を失っているのだろう。ブラジルでは「日本人」というのはサッカーが下手な人の代名詞だったそうだ。韓国では「永遠の格下」などという言われようをしていた。そのようなかつての弱小の頃でさえ、捨てていい名誉などない。ましてや先人の営々と重ねた努力によってアジアで1、2を争う国になった今では。
次のベルギー戦の大善戦で、日本を褒める人が増え、日本の名誉は高まった。その事実をもってしても、あるいはそのポテンシャルがあるからなおさらに、してはならぬことである。勝負は時の運だ。ベルギー戦の結果は敗戦とはいえ上々だったが、あれが惨敗だったら、あんなさもしい真似をしてまで上に進んでこのざまかと、賭けに負けたとき並みの嘲笑を受けた。その危険はあった。原口の得点の直後のアザールのシュートがポストに当たらず決まっていたら、日本お得意の大逆転を早々にやられていた可能性は高い(ああ、寝起きの悪い大逆転負けを何度見せられてきたことか。日本代表のファンであることはつらい)。
近代日本史は戦争史であり、その戦争の多くは宣戦布告なしに行なわれていたことを決して忘れるべきでない。謀略工作は日本軍の代名詞だった。「日本人はずるい」というのは残念ながら国際的な定評だ。それを裏書きするようなことを衆人環視(決勝戦なら世界10億人が視聴するのだ)の中でやってしまったことの意味を、日本人はしかと考えなければならない。
このばかげた「丁半博打」がまんまと成功してしまったので、悪い前例ができてしまった。これからは、同じような状況になったらまたやるのではないかという恐怖とともに生きていかねばならない。そのくらいなら、いっそ今回セネガルに得点してもらったほうがよかったとさえ思える。とにかく、支離滅裂なやり方に、見ているほうは愕然とし兢々としてしまう試合だった。
ボール回しが10分でなく最後の5分だったら、おそらく非難もこれほど大きくなかっただろう。監督解任が2か月前でなく4か月前だったらというのと同じだ。時間のマネージメントも非常に重要だと知らされた大会であった。
帰国した韓国代表チームに生卵が投げつけられた。いいことだと思う。ドイツに劇的に勝ったことでそれまでの情けない試合が全部許されるわけではない。1試合でそれまでの全試合(W杯2試合およびアジア予選でのふがいない数々の試合)をなかったことにするわけにはいかない。「なかったことにしたい人たち」に対して否をつきつけた。ま、そういう人たちは卵のひとつやふたつで恥じ入ることはないけどね。
もしこの次こんな博打をして失敗したら、責任者には切腹してもらいたい。比喩的意味で言っているのではない。


一言で総括すれば、今大会ですばらしかったのは監督の力であり、足りなかったのも監督の力だった。
西野続投を願う声があるそうだが、ありえない。日本人監督か外国人監督かについても、議論の余地はまったくない。選手は世界のトップレベルから遠くないところまで追いついてきているが、監督は全然追いついていない。
そもそも、クラブチームしか率いたことのないザッケローニでだめだったから、代表監督としてW杯で戦った経験のある人を呼ぼうということだったのに、ハリルホジッチでコミュニケーションがうまくいかなかったから、その問題のない日本人にしよう、代表監督歴・W杯指揮経験は不問、というのでは、まったく一貫性がないばかりか、近視眼の極みではないか。
西野さんを悪く言うことはない。準備もなく、2か月前にいきなりW杯の監督になったのだ。そりゃいたらぬ点は多々あるさ。限られた時間資源とも戦いながら、あの躍動するベルギー戦セネガル戦を見せてくれたことに対しては、まず彼に感謝すべきなのだから。
とにかく、この日本代表というやつはおそろしくナイーブである。まさにそれが魅力であるのだが。勇敢に攻める姿は小気味いい。しかし一方で、トルシエの言ったとおり、守備の文化がない。
ベルギー戦はポーランド戦のまったく逆で、攻めて勝ち切ろうとした。ここでこそ時間稼ぎもボール回しもすればいいのに。おそらくポーランド戦の反動だろう。西野氏は恥を知る人だと思う。恥を知って、逆をやった。実にナイーブだ。
1点取れば勝ち抜けがほぼ決まる。1点失えばほぼ敗退する。このままの1点差負けでも勝ち抜ける可能性はあるし、その可能性は低くない。この状況では、失点はせず、機を見て得点を狙う戦い方をするべきである。あのボール回しは、それができないと宣言しているようなものだ。そしてそれは、ベルギー戦の、あくまで得点を狙い、結局最後の最後に失点したのを見れば、たしかにそうなのだ。つまり、惨めなポーランド戦の最終盤か無邪気なベルギー戦の最終盤か、どちらかしかできない。そんな国には本来ベスト16の資格はないし、ベスト8などはおこがましい。それがはっきりした。果敢な玉砕か、卑怯な試合放棄か。この二者択一。それじゃだめだよね。
デカいのを入れてゴリゴリ押せば決壊するという悪癖もまた目の当たりにした。ドイツ大会オーストラリア戦の悪夢ふたたびだ。
ハリルホジッチは、自分が監督なら2−0からの逆転負けはありえないと語ったそうだ。それに対して、あんたならグループリーグ敗退だとかそもそも2点も取れないという反発があるのは当然だが(負け惜しみに聞こえるし、日本人は負け惜しみや言いわけを極端に嫌う)、一面真実でもある。彼に限らず、W杯で指揮を執ったほどのサッカー先進国の監督なら誰でも、あんなナイーブな負け方はしない。最低延長戦にはなって、結局延長で敗れるかもしれないが、あんな負け方にはならない。
ハリルにプレー強度を向上させてもらったように、次の監督には試合運びや選手交代の妙、いくつもの戦い方を叩き込んでもらいたい。次期監督にはそれができる歴戦の強者を招かなければならない。


ナイーブさは、勝負を考える場合大いなる欠点だが、観戦する場合はすばらしい魅力となる。日本サッカーは少年の喜びに満ちている。少なくともこの西野ジャパンはそうだった。
サッカーは単なる楽しいスポーツなのに、サッカー先進国ではそれがスポーツ以上(あるいは以下)のものになってしまっている。それをめぐって襲撃や殺人が起きるというのは、どう見ても正常ではない。スター選手の移籍金や年俸の異常極まる高騰もしかり。莫大な利益を生む一大産業になってしまっていて、明らかに奇形とか堕落といっていいような様相も呈す。技術や戦術をこれでもかと磨き上げ、身体能力も特殊部隊並みに鍛え上げて、なるほど強かろうが、モラルを伴わぬ何のための強さかと思ってしまうことがないでもないヨーロッパや南米の強豪国の姿に慣らされているのだが、しょせん球蹴りである。本来不必要なもろもろの負荷によっていびつになった南米的ヨーロッパ的形態をのみ見慣れている人たちには、サッカーをする喜びに満ちた日本の試合は清涼剤だっただろう。世界の舞台で高校選手権をやっていた。ほかの国に高校サッカーの全国大会が存在しているのかどうか知らないが、たとえあっても会場を満杯にできるほど人気があるとは思えない。高校選手権出身者が多い日本の試合は、いわばサッカーの「青春の姿」なのかもしれない。
日本のサッカーがこうなのは、たぶん女の子たちがいるからだ。全国大会で惜敗したらいっしょに泣いてくれ温かく迎え入れてくれるやさしい女子生徒たちが、彼らの果敢さを背後で支えている。日本のスタジアムには女の子や親子連れが安心して見に来れる。それは結果ではなくて、原因なのだ。女の子が来るから、日本のサッカーは無邪気であってなかなか勝負に強くなれないなれない一方、無垢な喜びが保証されているのだ。
セネガル戦は後進国同士が戦い合った。セネガル代表は、スタッフに白人の顔も1人2人見えたけれども、しかしほとんどが黒人ばかりだった。大陸が違い、人種が違い、スタイルが違っていても、日本と同様すれっからしにならない無邪気さがあった。そういうのがワールドカップの大きな魅力である。イタリア代表やオランダ代表、チリ代表が出場しないのにひきかえ、レベルの低いアジアから5チームも参加していることを申し訳なく思う意見は聞かなくていい。試合のレベルを問題にするなら、ヨーロッパ選手権南米選手権を見ていればいい。ワールドカップは祭りで、日本やセネガルなど、弱小かもしれないけれど清新な楽しいチームを見るために存在していると言っていいのだ。


とにかく、ベルギー戦とセネガル戦はすばらしかった。課題は、あの負けや引き分けを勝ちに変える一層の守備力の向上とゲーム運びの習熟であるとはっきりわかったことも、さらによかった。日本人は、日本人である限り常に向上を目指さなければならない。それが日本人であることの宿命である。


パナマというのもおもしろいチームだった。あの監督は、ピンチにもニコニコ、チャンスにもニコニコ、得点にもニコニコ。体型も少年サッカー団の監督といったふうに見える。イングランド戦は、開始早々にイングランドが1点を取り、力量差歴然だったので見るまでもないと思い、消して寝てしまった。あとでテレビをつけると、6−0になっていた。そのあとパナマが1点を返したのだが、そのときの客席の喜びようはすごかった。ここからテレビをつけた人は、この狂喜乱舞を見て、歴史的番狂わせが起きたのかと錯覚してしまうだろう。得点表示を見ると、6−1。えっ、パナマが6−1でイングランドをリード?と驚いて目をこすると、パナマは1点だけ。なあんだ、とソファにもたれこんで大笑い。そんな人も世界にはいたかもしれない。この国はワールドカップ初出場が決まった日を祝日にしたんだっけ?
こういうのもいい。すごくいい。世界がみんな「日本」だったら、息がつまる。

生ける少女神クマリと日本

ネパールの首都カトマンドゥにクマリという生ける少女神がいることは、ネパールに行ったことのある人なら誰でも知っている。クマリの館は観光名所になっているから。一日に一度、中庭の上の窓から姿を見せるので、そのときに居合わせれば見られる。しかしほんのわずかの間だし、撮影をすることは許されない。NHKのドキュメンタリーで見た人もいるかもしれない。
カトマンドゥのロイヤル・クマリは、カトマンドゥ盆地に住むネワールという民族のうちのシャキャという仏教徒の金工細工師カーストの3、4歳の女の子から選ばれ、月事が始まる12歳ぐらいまで務める。初潮を迎えると退き、新しく選ばれた別の子と交代する。選定には三十二相を備えるという条件があると言われ、バニヤンの木のような体、アヒルのような手と足、ライオンのような胸を持つことなどのような事柄が挙げられているが、実際には均整がとれた健康な体、整った歯、黒い目と髪、物おじしない落ち着いた性格、斜視でないこと、傷がないことなどが調べられたらしい。しかし星回りが時の国王と相性がいいというのは重要な項目で、これがよくないと候補から外される。
クマリはヒンドゥー教のタレジュ女神の化身とされる。仏教徒はヴァジュラ・ヴァーラーヒーの化身と考えていて、実際クマリの少女自身仏教徒であるし、仏教徒の僧侶カーストの者が世話をしたり行列に帯同したりすることからも仏教の関わりは深いのであるが、水牛や山羊が大量に生け贄にされるヒンドゥーの祭礼の中心であることから見て、ヒンドゥーの習わしであると考えられる。
この少女神は、家族のもとを離れ、王宮広場に面する館に籠りきりの生活をし、年に13回、9つの祭りのときに館の外へ出られるだけである。外に出るときは抱きかかえられて運ばれ、自分の足で進むときは白布の上を歩く。
カトマンドゥのロイヤル・クマリに対して、里クマリとでも言うべきローカル・クマリもいる。パタンとバクタプールは昔カトマンドゥと並んで盆地に割拠した3つの侯国の首都だったところであるから、その当時はロイヤル・クマリであったが、18世紀に侯国が滅んだあとは民間のクマリである。ブンガマティやヌワコットなどにいる里クマリは、家族といっしょに暮らし、学校へも行き、祭りのときだけクマリの衣装を着、化粧を施して現われる。
クマリが姿を見せる大祭、インドラ・ジャトラの山車には、ガネシュとバイラブというクマリによく似たいでたちの少年も乗る。彼らもシャキャ・カーストから選ばれるが、クマリと違い祭礼のときだけ務める役であって、その点わが国の稚児に似ている。
祭礼の出御のとき以外の平日には、病気その他の問題や悩みを抱える者がやってきて礼拝する。クマリの表情やしぐさから神意をうかがう。
クマリに限らずネワール人の間には少女崇拝があって、ダサインのとき寺院でも家庭でも少女に対する礼拝が行なわれる。ダサインの9日目にはこの日のために一時的に選ばれた9人のガ(集団)・クマリが集まって供養儀礼が行なわれるということもある。
南インドにもクマーリー・プージャーがあって、「七歳になる二人の少女が選ばれる。まつりの前夜は少女はミルクだけを摂り、草の床で寝る。翌朝沐浴をして白い衣服をつける。鏡のついた水差しの儀礼を行う。少女は定められた場所に坐っている。そして参拝者は少女をおがみ、マントラを唱える。少女の胸に意識を集中して禅定を行う、その後で、少女に食物をあげ、右手の親指をみながら千二百回マントラを唱える。一回ごとに白い花を供える。かくして崇拝者はシッディ(成就)に達するのである」(斎藤昭俊「インドの民俗宗教」、吉川弘文館、p.213)。パンジャブ地方にも「未婚の少女をデーヴィの表われとして年に二回供物をして祀る」ことがあるという(同書p.212)。
少女崇拝の一変種として、南インドのデーヴァダーシー(神の僕)というものも挙げられていいかもしれない。昔、そして今も(初潮前の)少女を寺院に奉納する習慣があり、この女性たちは伝統舞踊の担い手でもあるが、また娼婦にもなる。古代オリエントの神殿娼婦を思わせ、また日本でも「縣巫女は娼婦を兼ねたり」(「倭訓栞」)と言われるように、巫女と娼婦は関係の深いものであった。デーヴァダーシーはバラタナーティヤムというインド古典舞踊を伝えたことでも知られる。


1984年から91年までクマリだったラスミラ・サキャは、「回想 神から人間へ」(スコット・ベリーとの共著(*)、江崎秀隆訳、カトマンドゥ、2011)という本を出していて、神としてあがめられていた少女がその役を降り、普通人の社会に入っていくという珍しい経験が記されていておもしろいのだが、一読後、黒田清子さんが手記を書いたらこんなものになるかなと思った。
この回想記の中で彼女は、「外国からの訪問者の中で特に私が好きな人達がいました。それは日本という国から来たと教えてもらった人達で、私が窓辺に現れると必ず拍手をしてくれました。彼らが私を見る様子から私は日本の人達に理解されているように思います」(p.28)とか、「私は日本人と私達ネパール人との間にはある種の「絆」がある様にも感じました。それというのもこの日本の人達が私個人と云うことでは無く、いつも私達の文化そのものを理解し敬意を払っていてくれている様に思えたからです。その文化の密接さという観点から云うと、ネパールは西洋に比べて日本により近いのではないかと思います」(p.162)などと言っている。
これはラスミラというひとりのクマリの個人的な感想かもしれない。たぶんそうであろうが、そう言われてみて、一日本人として、なるほど、たしかにわれわれにはクマリというのは縁遠いものではないと感じる。奇妙な習俗ではあっても、奇怪ではない。感覚的に近しい。似たようなものは日本にもあるぞ、と思い返してみて、斎宮天皇、稚児、巫女などが浮かんだが、それ以上には具体的に考えが進まなかった。このことをいわばクマリからの宿題として、日本に持ち帰ることとなった。


クマリの特徴は、少女である、生き神として崇拝される、特定のカーストから選ばれる、数年で交代する(初潮を迎えたとき)というのが主要なものであるが、それに類似した日本の崇敬対象を挙げてみよう。それをクマリ(およびガネシュ、バイラブ)習俗の性格と対照させて表にすると、以下のようになる。このうちカーストというのは、日本の場合は所属する社会集団(氏子など)である。邪馬台国卑弥呼とか沖縄のノロ聞得大君などにも似たところはあるが、日本に限った(中国の文献でのみ知られる邪馬台国は除き)。

下段火焚乙女以下の民間習俗は今も続いているが、諏訪大祝以下鹿島神宮の物忌までは明治維新を期に法令をもって廃せられた(琉球王家の聞得大君も同じ。斎宮はすでに早く後醍醐天皇の時に廃絶していた)。廃止させた天皇および続いている出雲の国造も根底的と言っていいくらい変質した。廃絶したのはつまり神官制度上のもので、これはお上の命令で左右されるが、氏子習俗のほうは存続が可能であった、ということだ。
出雲大社の国造、諏訪大社の大祝、伊予大三島大山祇神社の大祝などは「現人神」と崇められる存在だった。諏訪大祝については、「御衣を八歳の童男にぬぎさせ給ひて、大祝と称し、我において体なし、祝を以て体とすと神勅ありけり」(「諏訪大明神絵詞」)とされていた。8歳の少年が即位し、息子に譲位する形で続いていたという。諏訪郡から外に出ることができなかった。
出雲国造天穂日命の子孫で、前国造が死去しても喪に服さない。遺体は菱根の池に赤い牛につけて水葬した。つまり天穂日命が永生を続けると見なされていたわけだ。国造は足を直接地面につけてはならず、常に神火を携行し、その火で調整されたもの以外は食べてはならない。明治になって千家尊福はこれらの行動の自由を妨げる戒律を撤廃し、巡教の旅を多くしたが、それでも生き神とあがめられていた。1876年9月に「愛媛県伊予国松山なる大社教会所開業式執行の為、大教正千家尊福さんが出雲国より立越されし途中、同県下野間郡浜村に一泊せられし時、近郷近在の農民等が国造様の御来臨と聞伝へて、旅宿に群衆せし老若男女数百人にて、大教正の神拝さるゝため一寸座られる新薦を、群衆の者ども打寄って掴み合って持行くもあれば又這入られし風呂の湯は、銘々徳利に入れて一滴も残さぬ程なり」(原武史「<出雲>という思想」、講談社学術文庫、2001、p.162)。
民俗学の大人たちにもその姿は記憶されている。
「街道の思い出で、出雲から但馬路を経てこの村を通過した国造家(出雲大社の千家)を迎えたことがあった。生き神様のお通りだというので、村民一同よそいきの衣装を着て道傍に並んだ。若い国造様が五、六名のお伴を従えて、烏帽子に青い直垂姿で馬で過ぎていった時、子供心に、その人の着物にふれでもすれば霊験が伝わってくるかのような敬虔な気持ちになったようである」(柳田国男「故郷七十年」、朝日新聞社、1974、p.80)。
「祖父にとってもっとも尊い神は日輪様であった。日輪様ほどおえらいものはない。これが天照皇大神のお姿であり、この日輪様の御子孫が禁裡様であると考えていた。次にえらい神様は出雲様であった。出雲様の御子孫が国造様である。けだしこの考え方は祖父ひとりではなかった。われわれ幼少の折国造様である千家尊福氏がわれわれの地方を訪れた時、土地の老人たちは土下座して手を拍って拝んだものである。私も祖父か祖母に連れられて迎えに行き、坐らされて拝んだ記憶がある。白い髭をはやした老人であったと記憶するが、神様というのはこういうお方かと幼な心に思ったことがあった」「禁裡様の方は平民分際がじきじきに拝むと目がつぶれると祖父など真面目に信じていた」(宮本常一「家郷の訓」、岩波文庫1984、p.37)。


伊勢斎宮は、未婚の内親王から選ばれ、天皇の交代や父母の死によって退任交代した。
伊勢神宮の大物忌は神職の娘で、初潮前の少女がなる。初潮を迎えると退く。大物忌斎館に籠って斎戒の生活をした。
鹿島神宮の物忌は、当禰宜の初潮前の娘(適当な者がいないときは他の神職の娘)がなった。2人の候補者から亀卜によって選ばれる。死ぬまでその職にあり、終生月経がないと信じられていた。館に籠りきりの生活をし、祭事には輿に乗って本殿へ運ばれる。終身制であることを除けばクマリにもっとも近いと言えるが、物忌は神の奉仕者であって神の現われでないところが決定的に違う。物忌はおそらく神の妻であろう。
民間習俗のほうでは、祭りごとに氏子の家庭から選ばれるという形態が多く、祭りのときのみその役を務める。阿蘇霜神社の火焚き乙女は、霜害を防ぐためという火焚神事に火焚殿に籠って、昔で言えば旧暦7月7日から9月6日までの間、祖母(閉経女性)といっしょに火を焚きつづける初潮前の少女のことである。かつてはその間鳥居の外に出ることも許されなくて、2か月の間学校へも行かなかった。乙女は年端のいかぬ子供だから、実際には祖母がいろいろ手助けする。
大阪野里の住吉神社の一夜官女は7、8歳から13歳までの少女7人で、祭りのとき神饌を供える。この神社では少女だが、神饌奉呈は未婚女性が務めるほうが普通で、たとえば大津市樹下神社の御膳持ちなどがそうであるが、夜分神前でこの御膳持ちと宮司は三々九度の杯をいただく。宮司が神の代わりとなり、神と巫女との神婚が行なわれると見てよい。
祭礼の稚児は「ひとつもの」の一種と考えられる。これは祭礼の神幸行列に出るもので、特別なしるしをつけた大人の場合もあるが、多くは馬上の子供、または特殊な飾りを乗せた馬である。神のよりしろ(童児ならよりまし)である。山車に乗ったり馬に乗ったりし、少年の場合も少女の場合もある。祇園祭や春日若宮御祭りに出るものが有名だ。県内でも平田の県神社や千酌の爾佐神社の祭礼などに見られる。
一年神主は美保神社のものが有名である。一年神主になる前に、まず頭家神主を3年務め、毎晩欠かさず潮かき社参する。一年神主は加えて深夜子の刻にも潮かきをする。したがって美保関を離れることは実際上できない。喪に服さず、髪を切らず、男女の交わりを避ける等々の物忌の生活を送る。神を祭る側の人間であって神とされることはないが、しかし青柴垣神事のときに一年神主になる前の頭家神主が神がかりしたり、また昔は湯立神託といって一年神主を煮えた湯釜に入れ、息も消え入るばかりになったら引き上げて、幣帛を持たせて神意をうかがうということがあったし、それ以外にも神託を得ることができると信じられていた。


ネパールのクマリと対照してみての日本の特徴は、生き神における男性の優越と、神体であることの少なさおよび神への奉仕者であることの卓越である。そこには神への特別な奉仕者を神と見るという日本人の性癖もある(本願寺法主について、国造などと同様入浴した残り湯を神聖視するということも起こる)。「神主はただちに祭神その者であった」(中山太郎)。天皇宮中祭祀の司祭者であって、天皇霊を身につけて神聖な存在となるのだ。クマリには神への奉仕者という性格は見受けられないので、この点はかなり違う。
さらに、日本の現人神や高級巫女は血統主義である。チンギス・ハーンの血筋の者しかハーンになれないというモンゴルの伝統に似ている。民間では氏子という社会集団が出身母体になるので、ネパールに近い。このことは短期交代という制度によるので、民間習俗の場合短い任期(年ごととか)で次々に交代するため、血統主義は取りえない。
明治以前には各地に現人神がいた。上に見たように、出雲の国造、諏訪や大三島の大祝などがそうだった。天皇のそのような一人で、もちろん最高最上の一人ではあったわけだが、新政府に担ぎ出されるまでは、いわば山城に逼塞するローカル現人神であったと言ってもいいくらいだ。それが明治維新で激変した。各地の「現人神」たちは神性の大部分を奪われた。つまり明治天皇制による「現人神の独占」が行なわれたわけである。
法令によらずとも、生涯館に籠って斎戒の生活を送る鹿島の物忌のような制度は時代とともに維持不可能になり、廃絶せぬまでも大改変を受けたに違いない。明治以降も尊敬を受け続けた出雲の国造の権威が改変されつつ漸減していったように。
クマリに似た習俗ということでことさらに月事前の童女をピックアップしたわけだが、少女であることについて言えば、それは処女・未婚女性であることのひとつの少数派ヴァリエーションであり、また童児であることのやはり少数派のヴァリエーション(少年であることのほうが多い)である。つまり、ネパールでは少女であることが絶対の条件であるのに対し、日本では少女性は処女の奉仕、童児の出仕を必要とする祭礼のひとつの変種であるにとどまる。
いちばん似ているのは祭礼の稚児で、ガネシュやバイラブとはまったく対応する。稚児は神のよりきたるもの、よりましであると考えられる。思うに、素朴な少女崇拝やこのような稚児的存在からロイヤル・クマリが結晶していったのだろう。


ほかにもさまざまな類似がある。インドラ・ジャトラでクマリは山車に乗るが、山車は日本の祭りによく現われるもので、祇園祭の山車など稚児が乗る点までそっくりだ。
また、大祝のいた諏訪大社御柱を運んで立てることで有名だが、インドラ・ジャトラでも王宮広場にインドラの柱が立てられる。
そして、諏訪大社上社の御頭祭で供えられる75の鹿の頭と、ダサインで生け贄にされ、深夜クマリが出向くタレジュ寺院に並べられる108の水牛の頭。
下社の毎年春宮から秋宮、秋宮から春宮へと座を替える御神体と、パタンのクマリが親しく迎える雨季の始めを画すラト・マチェンドラナートの山車行列。このラト・マチェンドラナートは半年ごとにパタンとブンガマティに座を移すので、春宮秋宮のあり方とよく似ている。
さらに考えを進めると、諏訪大祝と平安以降江戸時代までの天皇は、「少年王」という共通点があるのではないか。古代と近代では成人が天皇となるが、その間は少年や時に幼児が即位することが多く、成人しまさに仕事に励める年齢で退位することが常態のようになっていた。8歳ほどで位につき、人として盛りの時分に譲位する諏訪大祝そのままである。少年天皇はルールではない。その間に成人天皇も何人もいたわけだから。外戚が操りやすい子供を即位させるという摂関政治や、束縛の多い天皇の位を嫌い、上皇となって自由を得たい、院政をしたいという天皇側の意向によるというふうに合理的に説明されるし、それが正しいのだろうとは思うが、小児に神性を見るという点もこの慣習にあずかっているだろう。祭政一致の古代、そして旧憲法下の近代(実際には天皇は機関であったにしても)では政務の取れる成人であることが要請されるが、祭政分離、天皇の仕事がほぼ祭祀に限られるという事情であってみれば、少年であることがむしろ望ましく、「合理的」でさえあるだろう。諏訪大祝の制度は有員に始まり、この人は桓武天皇の子とされる点も示唆的である。そして小児と神性はまさにクマリの体現するものである。


もっと言えば、明治(維新以降昭和戦前まで)は特殊異様な時代で、江戸時代は普遍的だということにも気づかされる。江戸に限らず、室町も平安も、前近代はアジア規模において普遍的であり、明治は日本にのみ特有で、世界史的に特異である。維新までの前近代はアジアと多くの共通点をもっており、明治はそうでない。自発的に西洋化に邁進し、丈にも面相にも合わぬ衣装に無理やり体のほうを合わせようと国家ぐるみ努力した時代である明治に対し、江戸時代は自生的内発的に進んでいった文明のひとつの到達点で、アジア諸国とも無理なく調和していたと言える。
鎖国さえ「普遍的」である。鎖国というのは要するに、自給自足を原則としつつ、政権にコントロールされた管理貿易と外国人の通行・居住の制限を行なう体制のことで、ケンペルの見るとおり、事情が許すならそれ自体何ら非難されるところはない。のみならず、近隣諸国もこぞって「鎖国」体制をとっていた。朝鮮がそうだし、チベットやネパールも行なっていた。ブータンは今も鎖国と大きな違いはない。清朝にしても、長崎がいくつもある「鎖国」、管理貿易体制と見てよい。清が強力である間は、それで何も問題はなかったのだ。
明治を省いて日本を見ることは、アジアと日本の関係を考える上で非常に重要であるとまでクマリは教えてくれると言ったら、それは読み込み過ぎだと叱られるだろうか?


ネパールと日本の習俗の間には系統関係も影響関係もない。それなのにというか、それだからというか、クマリというスケールを当てて日本の習俗慣習を見てみると、さまざまなことが見えてくる。クマリからの宿題として調べてみたのであるが、よい宿題を出してもらったと感謝しなければならない。


(*)この本の共著者スコット・ベリーは木村肥佐生チベット偽装の十年」の共著者でもあり、河口慧海の伝記も書いているという。

グッド・モーニング・サア!

戦中のボルネオを踏査した人が、奥地の村で英国人がやっていた小さなマラリア研究所にこんな掲示があったと記録している。
「規則
一、マラリア研究所員はつぎのことを守らねばならぬ。
二、仕事の上で時間を厳守すること。
執務時間中、迅速、効果的、かつ忠実であらねばならぬ。
 …
七、朝はグッド・モーニング・サア、寝るときはグッド・イーヴニング・サアといわねばならぬ」(堺誠一郎「キナバルの民」、中公文庫、1977)。
第七項には特に赤鉛筆で線が引かれていたそうだ。所長先生、挨拶もせずぬっと顔を出す現地人によほどいらいらしていたと見える。
われわれにもそれは同感できる。ネパールでも事情は同じで、ある日本語学校にはこんな校則が掲げられている。
1.挨拶をすること
2.遅刻しないこと
3.欠席しないこと
4.教室をきれいにすること
5.宿題を毎日すること
などなど、11項目が列挙されている。だいたい規則というのは、それを守らない者がいることを示すものであって、その第1項目が挨拶なのは示唆的だ。ネパールの日本語教育は日本へ行く人たちに教えることに特化しているため、日本の習慣をしっかり教え込まなければならない。日本でアルバイトして学費を稼がなければならないから、すぐクビになるようではいけない。
沢木耕太郎はインドを旅していたとき、イギリス人の女性に「英語やフランス語やたぶん中国語や日本語にもあって、ヒンドゥー語にない言葉が三つあるが、それが何かわかるか」と問われた。それは、「ありがとう、すみません、どうぞ、の三つよ」。これらの言葉は、「本来は存在するのだが、使われないためほとんど死語になっているという」(「深夜特急」3、新潮文庫、1994)。いかにも、と思う。現在のネパールでは「サンキュー」に相当する言葉はよく使われているが、それは外国からの影響であると読んだことがある。
日本人は地図(と時刻表)が大好きである。だが、外国では地図を持たないのが普通で、だから入手するのも難しい。そのため実に頻繁に人に道を聞く。路上の物売りに値段を聞くような調子で、聞かれたほうもそれ相応に答える。そして、道を教えてもらって「ありがとう」と言う人を見た記憶がない。いるとは思うのだが、思い出せない。
だいたい、地図が読めないのだ。卵が先か鶏が先かの問題と同じく、読めないから持たないのか、持たないから読めないのかわからないが、外国において地図を見せて場所を聞くのはしてはいけない誤りである。3度に1度は全然見当はずれのところを示される。正確に目的地を指してくれるのは僥倖の領域だ。ま、日本人でも女性の多くは地図が読めないから、非難する必要はないのだが。地図に関して欧米人がどうなのかは知らないけれど、日本人の男はユーラシアの突然変異なのかもしれない。
地図が読めない人の頭の中はどうなっているのか、と考える。地図が読める自分にはうまく想像ができない。文字が読めるわれわれには(この文章を読んでいる人たちはもちろん読めるし、読める人を念頭に書いてもいる)、文字が読めない人の生活や考え方がもはやわからなくなっているのと同じだ。学校でそれらを教えられる前には、それらなしで生きていたくせに。幸せな時間は学校とともに終わる。
私は楽譜が読めない。だから私は自らにおいて楽譜が読めない人間の生活と意見はわかっているはずだが、特に意識することはない。何ら生活に支障がないからだ。楽譜が読める人のことも特にうらやましく思うことはない。うらやむとしても、ほんの少しだけ。楽譜がなくても自分ののどで歌うことはできるので(もちろん下手で、ときどき音程を外すのだけど、外したらすぐ、あ、外れた、とわかる。つまり頭の中に正しい旋律があるわけで、それなら楽譜がなくてもいい)。
棋譜も読めない。だが、これが読めないことでまったく不利益はない。むしろ読める人の頭の中をいぶかしむ。地図も文字も楽譜も読めず、棋譜だけが読める人が主人公の小説を読んでみたいものだ。
閑話休題。感謝の話だった。
中国人の学生に、「先生、ありがとうと言わないでください」と言われたことがある。水くさくて他人行儀だということらしい。そういう関係を望まれるのはうれしいが、「ありがとう」がなければ日本語ではない。ちょっと残念だ。
もっと日本に特徴的なのは、「すみません」。欧米人は挨拶をしない、感謝をしないとアジア人を非難するが、そういう彼らは謝罪をしない。日本語における「すみません」の使用頻度はしらないが、きっと「ありがとう」や「こんにちは」よりずっと高いだろう。謝罪にも感謝にも呼びかけにも使え、ほとんど内実を失っているかもしれない。
それぞれの国にそれぞれの慣習がある、と鷹揚に構えるのが、この場合も正解だろう。挨拶をしろと学生にうるさく言う一方で、日本では店などに入るときに「いらっしゃいませ」「こんにちは」と言われても返さなくていいなんて不文律もあるわけだし。

VAR雑感

クラブワールドカップ(CWC)にはビデオアシスタントレフリー(VAR)制度が導入されていた。VARについては、ヤフーなどのコメントを見る限り賛成意見が多いようだが、というか圧倒的多数のようだが、私はこれに反対だ。ブラッタープラティニに断固賛成である。これを導入したところで、疑惑の判定は決してなくならない。さすがにマラドーナの神の手ゴールやランパードのゴールインしたノーゴールのような明らかな誤審はなくなるだろうが、そもそもサッカーの試合中どちらとも取れる微妙なプレーは数多く、それをいちいちビデオで確認するわけにはいかないからである。大誤審はなくなるが、小誤審はそのまま。それならゲームの流れがぶつぶつ切られるデメリットのほうが大きい。
誤審というか、微妙な判定だったのは、たとえば浦和−アル・ジャジーラ戦であったはずのハンド見逃しである。ペナルティエリア内だったからPKが与えられねばならなかったが、流された。PKなら決まっていれば同点で、延長戦になっていたと思われ、90分では負け試合だったが、延長になれば勝っていたかもしれない。浦和はこれに特に抗議しなかった。だいたいが内容が負け試合だったのにつまらん抗議をしてはいさぎよくないし、ネットを揺らしてこそゴールだというPKを低く見る美意識もあるのだろう。
だが、あれはハンドでPKだったと思う。一方で(CWCではないが)ブラジル戦で吉田が取られたファウルのPKがあるから、そのことは言っておきたい。もちろん吉田のプレーはファウルである。エリア内である。だからPKである。それは正しい。だが、主審はそれを取らずに流していた。そこへVARが介入して試合を止めさせ、ビデオで確認してPKが与えられた。ブラジルは別に大して問題にしていなかったのに。
あのPKで試合はぶちこわしになった。ブラジルと日本の間には大きな実力差がある。試合をする以上、日本のファンも自チームの勝利を願うが、実のところは勝利というより好勝負を願う。その結果が勝利なら狂喜、引き分けなら大満足、惜敗でも納得である。対して、ブラジルは日本戦に勝利など願っていない。美しい勝利を願っている。ドイツとの試合なら勝利を願い、勝利にはPKの得点も含まれる。日本戦では美しい勝利を願い、それにはPKは含まれない。フリーでシュートモーションに入っている選手が倒されたPKなら含まれるが(日本戦二つ目のPKとなったファウルのような)、一つ目のシュートと関係ないプレーでのPKのようなものは違うと思う。
忖度しろと言っているのではない。主審が取らず、悪質でもなく、相手の抗議もないなら、流しておけということだ。無駄な正しさだ。ましてや取られないPKはなおあるのだから。どうしてあれは取られてこれは取られないのかという不満は、VAR導入後も決して解消されていないし、されることはないだろう。それならば、なぜVAR?


ビデオ判定を行なうためには、プレーを止めなければならない。野球にしろテニスやバレーにしろ、プレーは止まっている時間のほうが長いのではないかと疑われるくらいだし、兄弟競技のラグビーでもプレーはしばしば止まる(もしラグビーのような激しい競技がサッカー並みに止まらなかったら、きっと死者が出る)。
サッカーという競技の特徴は、0−0や1−0がごくふつうなようにロースコアであること、プレーがなかなか止まらないことにある。カウンターの応酬になり、ゴール前から相手ゴール前まで2往復することも珍しくない。いや、さすがに2往復は珍しいが、1往復半ぐらいはあることだ。そのときスタジアムの興奮は最高潮。それがサッカーだ。
プレーが止まっているときなら、主審はビデオを見に行くことができる。問題は流れているときだ。プレーをいつ止めるか、誰が止めるか。誰がというのははっきりしていて、主審である。主審以外の者が止めることはできないし、止めてはならない。だからこの部分は、誰が主審にプレーを止めさせるかということである。止めるタイミングも非常に重要だ。エリア内でファウルがあったようなのにそれが取られず、カウンターでゴールを決めたあとで、今のゴール取り消し、相手にPKとなったら、暴動が起きかねない。
VARの運用法も固まっているわけではないようだが、今のところ、ビデオ室の担当者が主審に合図を送ってビデオで確認するよう促す、ということになっているらしい。
VARを使うならば、ということで考えてみると、主審が自分の下した判定に自信が持てず、ビデオで確認したいというならOKだ。何も問題ない。だから問題は、それ以外の「物言い」の権利を誰に与えるかである。
はっきりしているのは、ビデオ室の係員にその権利を与えてはならないということだ。最終的に判定を下すのは主審だということになっているが、こんな「介入」を許すなら、それは主審の権限を大きく損ない、主審とビデオ室の二重権威になってしまう。いや、ビデオ室のほうが上部権力にさえ見える。サッカーの美点はすべてが満目注視の中で公明正大に行なわれることであるのに、選手からもベンチからも観客からも見えないところからウィンクが送られ、試合が中断し、判定がくつがえったりするのはまったくもってよろしくない。「操作」めいている。裏から試合がコントロールされるわけで、八百長と同じ構図ではないか。こんなやり方では、ビデオ判定に影響を及ぼそうとする者が必ず出てくる。そうなれば正真正銘の八百長である。ビデオ室はビデオ再生係以上のことをしてはならない。ピッチ上のことはピッチ上で決着をつけねばならない。白日のもとで公明正大に。密室からのささやきによらず。
戦っている者には正義がある。自チームにも正義があり、相手チームにも正義がある。そして審判にも正義がある。審判行為が正義の行使だというのとは別の意味で。主審は戦っている。そのため、プレーが暴力に逸脱するとき、その対象になる。南米などでは殺されることもある。ビデオ判定が用いられるならば、それは主審を守るためでなければならない。「ビデオを見て、判定が正しかったとわかる」「ビデオを見て、判定が間違っていたとわかる」。そのどちらにおいても、前半部が重要なのである。ビデオで確認したという事実をもって審判を守る用法なら、VARには意義がある。
物言いの権利を、たとえば各チームの監督にそれぞれ2回に限って与える、ということも考えられる。旗を2本ずつ渡しておき、それが振られれば主審がプレーを止めてビデオを確認に行く。物言いがつけられるごとに第四審が旗を1本ずつ回収する、というふうにして。しかし権利というものは、与えられれば必ず本来の意図と別のところで乱用される。ファウルではないただの転倒でも相手のカウンターを防ぐために振るとか(タクティカルファウルならぬタクティカル物言いだ)、勝っている方が最終盤の時間稼ぎに使うとか。だからこれもだめだ。
結局、物言いの権利が与えられるべきは、線審(もしゴール横にも線審を配すなら、タテ線審とヨコ線審)と第四審(第六審)以外にない。旗を振って主審にプレーを止めさせ、ビデオ確認を促す。これなら選手観客のすべてに何が起こったかわかる。むろん、誤審はなくならないだろう。目を増やし、ビデオの助けが借りられるようにして、それでなお起こる誤審なら、それはサッカーというゲームの完全な一部だということだ。ファンはその「誤審」を肴にああだこうだと口角泡を飛ばす(この文章の冒頭部分のように)。それでいいじゃないか。それもサッカーの楽しみである。


CWCという大会には無理がある。前身のトヨタカップは、ヨーロッパチャンピオンと南米チャンピオンが中立地日本で世界一をかけて戦うもので、コンセプトが明瞭で条件も平等だった。なるほどアジアやアフリカなどのチャンピオンがヨーロッパや南米のチャンピオンと戦えるというコンセプトは悪くないのだが、この地上には時とところの制約があるのだ。今のような似非世界大会の形は、条件が不平等になっている。
ヨーロッパ王者の試合は見たいし、南米王者もまあまあ見たい。だが、北中米王者とアフリカ王者の試合を見たがる人は少ない。だから興行的には、開催国王者をこのトーナメントに組み入れなければならない。サッカーは所詮興行で、客が入ってナンボである。だが、開催国チャンピオンと欧州・南米以外の大陸のチャンピオンの実力差は小さいのだ。大陸王者などと言っているが、実はひとつのトーナメントの優勝チームに過ぎない。そのトーナメントは大陸一の規模と権威を有しているけれども。アジア王者浦和は準々決勝で川崎を下して勝ち上がったが、そのあとの試合で川崎に敗れているし、当該年の国内リーグ戦では7位に終わっている。その程度の紙一重の差であってみれば、ただでさえ番狂わせは起こりうるし、まして開催国王者にはホームアドバンテージがある。声援にとどまらず、馴染んだグラウンドと気候、時差も移動距離もゼロ。決勝戦はまずヨーロッパと南米代表の戦いとなるものだが、日本開催のときに鹿島、モロッコ開催のときにカサブランカのチームと、開催国代表が2度ばかり決勝に進んだことがある。それ以外の大陸王者が決勝に出たのは1度だけだから、開催国代表が有利なことは明白だ。
開催国だけのことではない。日本なら欧州チームも南米チームも時差と移動距離の点ではどちらかに特に有利ということはなく公平だったが、UAEだのモロッコだのでやられては、ただでさえ強いのに、その上さらに時差と移動距離が少なくてすむヨーロッパ王者が圧倒的に有利になる。不公平である。
よいこともいろいろあるCWCだが、制度的な欠陥も多々ある。根本的な設計の見直しが必要だ。


浦和を破ったアル・ジャジーラレアル・マドリードとなかなかおもしろい試合をした。レアルが相手を完全になめきっていたため、アル・ジャジーラが善戦したとは言えるが、レアルが苦戦したとは言えない。あまりにも実力差が明白で、結果に対する確信が揺らぐことはなかった。たとえオフサイドで取り消されたアル・ジャジーラの2点目が認められていたとしても、延長戦に持ち込むのがせいぜいで、敗北以外の結果にはならなかった。去年の鹿島とレアルの決勝戦を見ていないので知ったふうなことは言えないが、あのときもレアルはなめていただろうと思う。学習能力がない。それとも、サービス精神なのか?
あのマイアミの試合も見ていないのだが、雨あられとシュートを打たれながらキーパーのスーパーセーブ連発によってしのいだ点は同じだ。マイアミのブラジル戦を日本国民は客観的に見ることができなくて、それゆえ「伝説の試合」となった。今回日本国民は、このUAE国民にとっての「伝説の試合」を、UAE以外のほかのすべての地球人とともに客観的に見ることができた。いいことだ。自分たちの「伝説の試合」が自分たち以外の人々にどう見えたかを知ることができたわけだ。客観性は重要である。


浦和の敗れ方には既視感があった。東アジア選手権の日本−北朝鮮戦である。攻撃をはね返し、カウンターで得点をうかがう。北朝鮮チームのほうがうまくやっていて、決定機はアル・ジャジーラよりずっと多く作っていた。なのに北朝鮮が敗れ、アル・ジャジーラが勝ったのは、強力なストライカーの有無による。後者にはいて、前者にはいなかった。おそらくワールドカップで日本代表がする戦いも、アル・ジャジーラ北朝鮮が浦和やJリーグ選抜相手にやった戦い方と同じものになるだろうが、そのとき日本は北朝鮮になる。試合を決められる強力なストライカーの不在に悩むことだろう。
ACL決勝もそうで、アウェイで浦和はアル・ヒラルに圧倒され、ホームではそんなことはあるまいと思ったらやっぱり圧倒され、粘り強く守って1勝1分けの結果を得たが、それは浦和にラファエル・シルバがいたおかげである。あの優勝や川崎のJリーグ優勝のあと阿部や中村が泣いていたのはいかにもと思うが、シルバやズラタンが泣いていたのは意外だった。浦和が一丸となったいいチームであったことの証だ。
Jリーグの優勝インタビューでシルバーコレクター中村憲剛が、自分がいるから優勝できないのではないかと思ったこともあると言っているのを聞いて、感じるものがあった。原爆でひとり生き残った「父と暮らせば」の主人公が、「うちは幸せになってはいけんのじゃ」と叫ぶのを思い出して。中村がいたから弱小フロンターレが何度も優勝を争うチームになったというのが客観的な真実なのだが、主観はいつも客観にそむく。自分を責める言葉にはいつも打たれる。


今年の漢字は「北」だとか。北朝鮮関連の政治ニュースが多かった。それも不快なニュースばかり。そんな中、北朝鮮代表が日本で行われる大会に参加したのはすばらしいことだ。政治は政治、スポーツはスポーツ。ラフプレーもほとんどなく、よい印象のチームだった。朝鮮高校の生徒なのだろうか、応援もうれしそうで楽しそうでよかった。そのことを日本のために喜ぶ。
在日朝鮮人から何人も北朝鮮代表選手が出てきているが、安英学鄭大世梁勇基など、好漢が多い。好漢率が高い。ふたつの帰属の間で苦労があって、もまれているからだろう。彼らは代表に参加することで本国の選手から刺激をもらうし、彼らも本国選手に刺激を与えているに違いない。今回の讃岐の選手にも好漢っぽい印象をもった。安英学が引退したとき記念セレモニーをしていたが、されるにふさわしい。人の価値はその人間性によってしか決まらない。国籍になど全然よらない。
あの熱心で楽しそうな応援が、女子北朝鮮チームの日本に対する完勝によって報われたのもけっこうなことだと思う。強いチームが勝った。それは正しいことである。下手な上に強い意志もない日本チームは北朝鮮の引き立て役に終わった。悔しくとも、正当だ。
ま、男子の最終戦は女子どころではないみじめさだったけどね。あの惨敗で監督解任論が噴き出しているらしいが、それを論じるときには次の2点を忘れてはならない。1.ベスト16まで進んだ南アフリカ大会の前に岡田監督はクソミソに批判されていたことと、2.同じ監督に率いられたアルジェリアは韓国に快勝し、Jリーグ選抜は惨敗したこと。アルジェリア代表でできて、この代表でできなかった理由を探るべきである。だが、日本人を率いる監督は次のことをよく理解しておかねばならない。「速く、速く」という指令は、日本人の脳内では「急げ、急げ」に変換され、末端には「慌てろ、慌てろ」と伝わることだ。国民性を知りたければ、サッカーを見るのがよろしい。

ネパールと日本の「破戒」仏教

富永仲基の「加上説」ではないが、人はあとから知ったことを先に述べたがる。人の考えや知識は時間とともに深まり広がる。つまり、今現在の考えや知識は、昔のものに上書きに上書きを重ねた結果だ。しかし、時に順序を変えて、時間軸に沿って考え直してみるのは必要であるし、誠実でもあると思う。
石見では浄土真宗門徒が多いので、真宗は空気のようなものである。子供はその環境を当たり前のこととして育つ。寺の住職に妻がいて子がいること、髪を生やしていること、肉や魚を食べ酒を飲むこと、つまりわれわれ一般人とまったく同じであって、ただ袈裟を着ているときだけ僧侶だとわかるのみである。平日には背広を着て学校とか役場で働いているのだ。田舎で成績のいい生徒はだいたい医者の子か先生の子、お寺の子と相場が決まっている。お寺の子やお寺の奥さんはごくふつうの田舎の風景で、そういうものに何の疑問も持たずに育ち、長ずるにおよんで、仏教僧は独身を守るものだと知って驚かされるわけだ。
真宗の坊さんでむしろ目立つのは、髪があることだろう。頭を丸めるのは俗世を離れたしるしであるから、有髪の僧は特異たらざるを得ない。剃髪していると洋服は似合わず、袈裟とか作務衣などを着ないとさまにならない。しかし真宗の坊さんは逆で、洋服を着ればどこからどう見ても一般人、袈裟を着けて初めて僧侶とわかる。兼業に何の差しさわりもない。
僧侶の戒律は250もあり、その中でも沙弥に課される十戒が最低限であるが、不殺生・不偸盗・不淫・不妄語・不飲酒・不塗飾香鬘・不歌舞観聴・不坐高広大牀・不食非時食・不蓄金銀宝である。現代日本の仏教僧は、さすがに不殺生・不偸盗は守っているにしても(それは僧侶に限らず市民たるもの必ず守らねばならない道徳である)、不淫・不飲酒・不歌舞観聴・不食非時食などは守られてはいない。
日本の僧侶妻帯は、真宗では宗祖親鸞以来の長い伝統なのに対し、他の宗派は明治5年の「肉食・妻帯・畜髪勝手たるべき事」という太政官布告から(大っぴらに?)それを始めたので、世俗権力がそれを推し進めたわけである。このときいわば「日本仏教の真宗化」が行なわれたとも言え、さしたる抵抗もなくこのような「解放」を受け入れた背後には、真宗がそれを用意していたということもあるのだろう。
現象的に見るならば、真宗はいろいろなものに似ている。長じて、まずこの妻帯という点が、キリスト教の新教プロテスタントに似ていることに気がついた。カトリックの司祭は結婚しないし、修道士も独身を貫く。
一方で、観光寺院から税金を取り立てようという古都税の騒動のとき、東も西も本願寺は拝観料など取らないということに気づかされた。真宗は信者に支えられているので、信者の自由なアクセスを妨げることはない。この点は神社とも同じだが、カトリックとも共通する。カトリックの教会もお祈りをしたい信者のために開放されている(プロテスタントにとっては教会は集会の場であるから、それがないときには閉められていることがままあり、閉鎖的な印象を受ける)。
本願寺法主には中世のカトリックの法王を思わせるところがあるし、異端(異安心)の取り締まりに厳しい点もカトリックの異端審問に似ていなくもない。浅原才市に代表される妙好人カトリックを始めヒンドゥー教イスラム教にも見える民衆聖者の日本版と言ってもいいのではないか。
ほとんど阿弥陀のみを頼む信仰は一神教に似たところがある。非寛容な宗派といえば他宗を折伏する日蓮宗が思い浮かぶが、易行と称する真宗はまさにそれゆえ、念仏と阿弥陀信仰専一であるゆえに、その結果として門徒もの知らずともなり、神祇不拝ともなる。一神教的な不寛容とも言えよう。
明治の廃仏毀釈ショックから立ち直った真宗は、ハワイ本願寺・上海本願寺のような海外布教や中央アジアを踏査した大谷探検隊、能海寛を始めとするチベット入りを目指す青年僧の輩出などのように、海外に向けて活発な活動を行なう。これは欧米キリスト教社会の活動に倣ったもので、帝国主義の手先ともなりかねないところまでよく似ているが、欧米のホテルに聖書が置いてあるのを模して「和英対照仏教聖典」を置くように努めたり、スリランカ仏教徒がYMCAに倣ってYMBAを作ったりしたのと軌を一にする。


最も新しく知った知識は、ネワール仏教である。これは、ネワール人と呼ばれる主にネパールのカトマンドゥ盆地に住む人々が信仰している仏教の一形態で、亜大陸においては滅んだとされるインド仏教の最後の生き残りであると言える。中国と違い、インドには統一王国が築かれることはなく、文明圏としてのインドに属するさまざまな国が分立していた。いくつか強大な王朝はあったが、インド文明圏を統一する王朝はついになかった。現在のインド共和国は英領インドの後継国家で、そのためネパールはそこに含まれない。ネパールは軍隊が強く、イギリスに屈服しなかったため独立を守っていたからだ。しかし、ネパールはインド文明圏に属する。辺境ゆえの特殊性はあるけれども。
ネパールの国土はインドとチベットの間で細長い短冊の形をしており、高度に従って三つの文化圏に分けられる。インドと国境を接するタライと呼ばれる低地はまったくインドそのままと言ってよく(ブッダ生誕の地ルンビニーやラーマ王が結婚した場所はネパール領内にある)、標高3000メートル以上の高地はチベット系の民族が住みチベット仏教ラマ教とも言われる)が行われるチベット文明圏である。その中間の山地盆地が特色ある文化を持つネパール本土と見なしうる。ここにネワール人が住んでいる。だが、ネワール人自身はチベットビルマ系の言語を話すなど、独特なところはいくつもあっても、国語であるネパール語はインド・アーリア系で、ヒンドゥー教が圧倒的に優勢であり、衣食など生活文化はインドそのものである。この点が同じくインドとチベットの間にあるブータンとまったく異なる。ブータンは住民もチベット系で、宗教もチベット仏教である地域であって、つまりネパールの標高3000メートル以上の地域と同じだ。チベット仏教は生き仏信仰が宗教生活の中心にあるなど、インド仏教とはかなり異なる独自の文明圏を成している。
ネパールの人口は約2500万人で、80.6%がヒンドゥー教徒、10.7%が仏教徒、そのほか4.2%のイスラム教徒などがいる(2001年の統計)。民族では、ここで見る独特なネワール仏教の担い手であるネワール人が5.4%である(しかし言語としてネワール語を母語とする者は3.6%)。「ネパール」という名称はもともとカトマンドゥ盆地を指していて、それが国の名前ともなったので、ちょうど「ヤマト」が奈良盆地一帯の名前から国全体を指す名前にまで拡張されて使われるのと似ている。そのもともとの「ネパール」であるカトマンドゥ盆地には、首都カトマンドゥ、南隣のパタン、東のバクタプール(バドガオン)という三つの町があり、1769年にゴルカ族によって征服されるまで、それぞれを首都とする三つの小侯国があった。ゴルカ王朝はヒンドゥー教徒で、この王朝のもとでヒンドゥー教の浸透はいっそう進んだであろうが、それ以前から三侯国の王はヒンドゥー教徒であった。しかし、この三つの町には800近い寺院があるが、カトマンドゥではそのうちの40%が仏教寺院であるほかに、ヒンドゥー教と仏教双方に属するとされるものが5%ほどある。仏教および仏教とヒンドゥー教双方に属する寺院は、バクタプールでは全体の2割程度にとどまるものの、パタンでは7割にも及ぶ。ヒンドゥー王の下においてもそうなのだから(ネパールは2008年まで王国だった)、現在仏教が退潮しているとしても、過去においてはかなり盛んであったことがこのことからもわかる。
ネワール仏教の特徴は、1.二重信仰と、2.カースト化にあると言えよう。
仏教と神道の二重信仰である日本では仏教信者と神道信者の数を足すと人口のほとんど2倍になるというふうに、統計の上でもはっきりと二重性を示しているのと異なり、ネパールでは自分の信仰としてどちらか一方を申告しなければならないので、仏教徒ヒンドゥー教徒は統計上で截然と分かたれる。だから多数のヒンドゥー教徒ネワール人と少数の仏教徒ネワール人がいるということになるわけだが、しかしヒンドゥー教徒ネワール人が仏教寺院に、仏教徒ネワール人がヒンドゥー教寺院に平気で詣でているばかりか、ヒンドゥー寺院に仏塔やマニ車があったり、シヴァ神のリンガに仏像が彫られていたりすることがごくふつうの風景となっている。
カトマンドゥ盆地にはクマリという生ける女神がいる。サキャというネワール人仏教徒カーストの中から2、3歳の少女が選ばれて、初潮を迎えるまでの間、タレジュというヒンドゥーの女神の化身と見なされて崇拝される。初潮を迎えたらその務めを終え、別の少女が新しくクマリとなる。彼女はさまざまなヒンドゥー教の祭りで重要な役目を務める(最たるものは王国のヒンドゥー王にティカという額の印を授けることであろう)。最も華やかなのはインドラ祭のときの山車行列で、彼女は同じように着飾ったガネーシュ、バイラブ役の同年配の少年とともに山車に乗って町を巡る。このヒンドゥーの祭りには5人の仏教司祭も五仏陀として加わる。仏教徒はクマリはタレジュでなくヴァジュラ・ヴァーラーヒーの化身とするが(ちょうど祈雨儀礼の中心であるマチェンドラナートを仏教徒は観音だとしているように)、ヒンドゥー教の神であるガネーシュやバイラブをクマリと同じ仏教徒のサキャ・カーストの少年が務めているのを見ても、それはささいなことで、タレジュであって困ることはない。要するに、ここではヒンドゥー教と仏教が非常に混淆しているのだ。
仏教ではヒンドゥー教の神々が仏教を護る諸天として崇拝されているし(インドラが帝釈天サラスヴァティー弁才天ガネーシャが聖天など)、ヒンドゥー教の側では、ブッダをヴィシュヌの化身のひとつと見なすなどのように、このふたつの宗教には相互に重なり合う部分があるのは確かだ。両教の基盤にあるヨーガ、また大乗仏教興隆とほぼ同時代的に興ったバクティ(帰依)信仰や、仏教においては密教の姿となったタントリズムのように、仏教・ヒンドゥー教それぞれの中で時を同じくして現われた同じ性格の宗教性の発動という共通項もある。阿弥陀仏に一心に帰依する浄土教の信仰は明らかにバクティである。しかし、仏教はヴェーダ聖典の権威やカースト、世界の創造者としての神々を認めないので、ヒンドゥー教としては受け入れられない教理であることもまた確かである。
支配下の民衆の多くが仏教徒であっても、王家はヒンドゥー教を信奉していたので、その圧力のもと、ネワール人仏教徒は結局カーストを受け入れた。本来カーストを認めない仏教としては逸脱であり堕落であると言われてもしかたがないし、実際そう非難されてきた。だが、このことについてはもう少し考えてみる必要があると思う。


世界の宗教は、非婚宗教と結婚宗教に分けられる。これは聖職者が妻帯するかしないかによる外形的な区別であるが、単純に外形的と言えないほど本質に関わる部分を持っていると思う。仏教やキリスト教カトリック)、滅びてしまったが一時は勢力のあったマニ教などが非婚宗教で、イスラム教やヒンドゥー教、あるいは日本の神道などが結婚宗教だ。司祭者も家族を持つので、在家主義とも言えよう。キリスト教の中でも、プロテスタントは在家主義、ギリシャ正教は、修道士は非婚だが、司祭は家庭を持つ折衷的なありかたである。
非婚宗教は出家主義をとる。それはエリート主義宗教とも言える。このような宗教形態にはふたつの大きな問題がある。ひとつは、出家者は俗世を離れ、生産に携わらず、宗教に専念する。彼らの生活は生産者に支えられなければならない。聖なる職務に携わるというわけだが、客観的に俗なことばで言えばごくつぶしである。民衆が直接支えられるそのような「宗教エリート(=ごくつぶし)」の数は限られる。したがって、非婚宗教においては権力の庇護が必要となる。実際日本の仏教を見ても、聖徳太子以来徳川慶喜まで仏教は権力の保護を受けてきた(廃仏毀釈でその関係は新政府から断たれるわけで、太政官布告は権力からの三行半と言える)。
二つ目は、戒律の問題である。宗教エリートたちは禁欲を旨とする。だいたい、性欲と食欲は人類の生存に関わる二大欲求で、それを断ったり厳しく制限する者は聖者と見なされ、一生不犯を貫く清僧は尊敬される。しかし誰もが聖者になれるわけではない。聖職についていても、その多くはやはり煩悩具足の凡夫である。大黒、稚児、生臭坊主、般若湯などのことばが示すとおり、破戒は日本仏教の日常風景であった。カトリックでは男色が宿痾となっている。太政官布告には現状の公許の側面はたしかにあった。
一方で、イスラムには聖職者というものがいないし、ヒンドゥー教では司祭階層であるブラーミンは妻帯し家族を持つ。世界史には「イスラムの衝撃」というものがある。発祥の地インドで仏教が滅びたのは、それまでにヒンドゥー教の興隆によって衰えていたところへ、イスラム勢力によるナーランダなどの仏教僧院の破壊が直接のきっかけを与えた。西においても、キリスト教の揺籃の地パレスチナ、シリア、エジプトは東ローマ帝国からイスラム軍に奪われ、そこでのキリスト教は瓦解し、今では細々と命脈を保っているにすぎない。オスマン・トルコの進撃と時を同じくして起きたキリスト教宗教改革にも、イスラムの刺激があることは疑いない。
当時のキリスト教世界の東半分はイスラム化したわけだが、インドの場合はヒンドゥー化したのであろう。非婚エリート主義宗教は権力の保護を失うと脆いということが、このふたつの例からわかる。そして両地域は結婚主義宗教に取り込まれていった。ヒンドゥー化ということは、つまりカースト化である。ヒマラヤの山裾、カトマンドゥ盆地のネワール人は仏教を保持したが、カースト化せざるを得なかった。仏教司祭も妻帯し、ひとつのカーストとなったわけである。それはヒンドゥー教におけるブラーミンのような存在であり、ブラーミン化したとも言える。妻帯し、なぜか鶏肉や鶏卵は食べないが肉食もして、剃髪していないこと真宗のごとくである。ただ、この昔の仏教僧侶のカースト、ヴァジラチャリヤには、子供のとき一時的に剃髪し出家する儀礼を行ない、数日後に還俗するという習慣がある。今では一種の通過儀礼となっているが、形の上では出家して在家に戻り、そのあとで密教の灌頂も受けているのだから、筋は通っている在家仏教の形式である。
カーストについて言えば、カーストはそれを否定する側からばかり云々されがちであるが、カーストのある側、ヒンドゥーの側から見れば、仏教やキリスト教信者がひとつのカーストとなる、ということでもある。自分が他者を見る見方に対して、鏡合わせに他者が自分を見る見方があるのである。ネワール仏教の場合、反転して他者の見方を受け入れ、さらに細分化が行なわれたという変容を遂げたと解することができよう。
(また、日本の寺家については、特殊な職業だから寺家同士で結婚することが多いのではあるまいかと思っている。統計的にはどうなのか知らないが、もし想像の通りなら、日本の仏家もいくらかはカースト化しているとも言える。そもそも、親の仕事を子が継ぎ、同業者同士で結婚するというのは自然であるし、望ましくさえある。カーストはそのような緩い形でならどこにでも存在するものだし、合理的なものでもあるのだ。)
小さなことだが、ネパールの仏教寺院では入場料を取られることがよくある。日本の観光寺院の拝観料徴収と呼応しているように感じる。ヒンドゥー教寺院は神道神社同様無料である(ただしヒンドゥー教徒以外は入場不可という寺院もある)。こういうのもおもしろい。よってくるところはあるのかもしれない。


「破戒」妻帯宗派ができるのにはさまざまな事情があった。それを「破戒」の一点のみで判断するのは狭量だと思う。仏教にはさまざまな可能性があることを考えるべきであろう。原始仏教から(非仏説である)大乗、密教、さらには在家主義へと可能性が広がっていく柔軟さこそ、仏教の特質のひとつではあるまいか。地理的に見れば、辺境の地において在家主義が発生している。日本はアジアが太平洋に落ちるきわ、仏教世界の最果てであるし、ネパールはインド世界の最奥部である。このことも何かを示しているであろうか。さまざまのこと考えるネパールかな、である。

ネパールに「日本語熱」はあるのか

カトマンドゥには市営バスがない。バスはすべて個人経営のようだ。会社組織であっても、給料は歩合制に違いない。きれいなバスはなくはないがないに近く、汚い小型バスとやや汚い小型バスばかり走っていて(さらに小さい乗合自動車とさらにさらに小さい三輪乗合自動車もある)、そのバスには車掌と呼ぶにはためらわれる薄汚い格好でゾウリ履きの男が乗っている。集金係の助手である。子供のこともあり、女であることもまれにはある。大きな荷物は屋根の上に載せるのだが、ましらのごとく梯子をするすると登って、客の荷物の上げ下ろしをしてやる。行き先を連呼して客を威勢よく呼び込むのが主な仕事で、停留所で降りてバスが動き出すまで呼び込みをし、走り始めたバスにひらりと飛び乗るのはなかなかいなせなものだ。バスはだいたいいつも込んでいて、たまにすいているのに乗れても喜ぶことはできない。すいていれば客引きのためバス停に長く停まるのだから。客の数と稼ぎが直結しているのだろう。
外国人にとっては便利とは言いかねる乗り物だが(表示がネパール文字だから読めないのだ。数字が書いてあっても、これもインド数字だからわからない。結局客引きの兄ちゃんに行きたい場所を言って、乗れと手真似されたら乗るということになる)、ネパール人にとっては便利なのかもしれない。いずれにせよ、必要によってできた事業形態である。公共セクターとしてバス事業をすれば金がかかるし、赤字になる恐れもあろう。民間にゆだねれば、競争と工夫によって最適の形態を見つけ出す。快適とは言いがたくても、カトマンドゥの状況に対しては今のところこれが最適ではあるのだと思う。


日本語学校もこれと同じである。
ネパールは、異常な数の留学生を送り出し、国内では異常な数の「日本語学校」で生徒が日本語を学んでいる。驚くべき「日本語熱」があるように見える。
日本への留学を仲介する業者が500以上ある。正確な数は誰も知らない。日本専門の業者もあるし、いくつかの留学先のひとつとして日本を扱う業者もある。
この国の「日本語学校」というのは、仲介業者が設けている日本語を教えるクラスのことである。留学ビジネスが本業で、日本語学級はそれに付随するサービスなのだ。
1日1時間ほど、無料、随時入学可が特徴である。授業料を取るところもあるが、たいていは無料で教える。そこでもうけようと思っていなくて、留学仲介によって得られる収入によって会社は運営されている。授業料を取るといっても、手続きがすべて成功裏に終わってビザが取れてから、授業料もいわば成功報酬の一部として徴収するという「良心的」な業者もある。留学できなかった者は無料になるわけだ。
生徒はできるだけ早く日本へ行くのが望みだから、3か月とか6か月ぐらいしか学校に来ない。長くても1年未満がところだ。
日本語を教える大学が1つ、仲介業もしているが、語学学校と言えるものが1つ。それ以外はすべて「留学業者学校」である。


教師の数もしたがって多いわけだが(学校の数を考えれば1000人もいるかもしれない)、N5程度で教えている教師が多いと聞く。それ以下の人もおそらくいるだろう。
教師の数が多いのだから当然だが、JALTAN(国際言語大学の中に事務局がある)という教師会もある。だが、この「教師会」に教師は加入できない。学校単位での加入になるのだ。学校として加入を希望しても、申請書をはじめいくつもの書類を提出した上で、審査がある。その審査には5年かかるなどというとんでもないことを言われる。
これにはもちろん「日本語学校」やそこで働く教師が無数にいるという上記のようなネパールの特殊事情もあるので、資格審査なしに受け入れることができないのは理解できる。しかし、教師が非加盟の学校にかわってしまったらメンバーでなくなるということだから、「教師会」と言えるのかという疑問はつきまとう。かつ、審査に5年もかかるというのはまったくありえないことで、新規参入を認めない利権団体ともなっているのだろう。JLPTの実施、弁論大会やカラオケ大会の開催、デリーの交流基金の専門家が来て行なうセミナーの受け入れ(デリーの基金からの通知には参加無料とあるが、JALTANは1500ルピーの参加費を取る)などの活動をしているが、その一方で大使館や交流基金の援助は独占されているのだろう。なお、昨年まで弁論大会やセミナーへの参加は加盟校の教師学生に限定されていたが、今年から誰でも参加できることになったそうだ。といっても広報をしていないので、「部外」からの参加はほとんどない。
この「ネパール日本語教師会」のほかに、「ネパール日本語学校会」JALSANという団体もある。JALTANに加盟できない学校がいくつか集まって独自に自分たちの組織を作ったわけだ。これも弁論大会などを催している。教師会も他国に見られない独特なありかたをしている。


留学仲介会社の経営者は、日本留学の経験者で帰国後この仕事を始めた者もいるし、当人は日本と関係なく、ただ商売としてやる者もいる。
留学先としての日本はセカンドチョイスである。オーストラリアやアメリカに行きたい者が多い。英語はすでに知っている。日本語はゼロから始めなければならないのだから、本当に学びたいなら英語圏への留学を目指すほうが自然だ。オーストラリアなどでは卒業後働くのも永住権を取るのもむずかしくないと聞く。ただ、それにはある英語試験の成績が60%以上でなければならないし(それはとても高い水準らしい)、学費も高い。留学でなく働くためには、湾岸諸国やマレーシア、韓国などへ行く。
国内に仕事がないので外国へ行くことになるのだ。ネパールには進出企業がない。港がなく、輸送インフラがきわめて貧弱だから、いくら人件費が安くても製造業は進出できない。観光業ぐらいしかよい働き口がない。そのため、留学をして帰国しても、日本語を生かす道がない。日本語力を生かす道は、「日本語業」(留学仲介業とか教師とか)か観光業となる。「日本語業」につく者は、つまり後進が払う金の中間搾取によって生活をするわけで、無限ループの構造になっているし、おそらくは先細りなのではないかと懸念されるが、しかたがない。それしかないのだから。
セカンドチョイスということは、英語力の低い者が日本語学校に来るということだ。インドと同じく英語で教育を受けているはずなのに、生徒の英語が下手なのに驚くことがある。インドですら英語が話せる者は人口の2割、流暢に話せる者は4%だというから、イギリス植民地でなかったネパールではさらに低かろう。田舎から来た生徒が多いのも一因である。田舎はやはり英語教育のレベルが低いので。
これらの「日本語学校」の経営は、仲介手数料と日本の学校からの報奨金によって成り立っている。だから何としても「顧客」を日本へ行かせたい。そこに歪みが出る。
語学センスがない者も、それどころかそもそも頭が勉強に向いてない者も学校に来る。私は音痴だし運動神経も悪いので、歌やスポーツとは適当につきあうだけで関わろうとは思わない。ほかの自分に適性のある分野でがんばればいいと思う。だが、私などがいくらそう考えようと、そういう適性のない者もどしどし学校に来る。しかし顧客であるから、飯の種であるから、どんな学生でも世話しなければならない。
多くの学生はまじめだが、日本語が勉強したいのではなく、日本のビザを取って日本で働くのだけが目的の者もかなりいる。100万もするような授業料は「ビザ代」と考えて、その「ビザ代」を払ってアルバイトに精を出し、疲れて学校に寝に来るような者が出てくるゆえんである。
だからその「ビザ代」が惜しい者は、難民申請をしたり(それが却下されるまでの間は―もちろん却下される、難民でも何でもないのだから―学校に行くことなくアルバイトに専念できる)、不法滞在をしたりする。倫理的には不誠実で、長期的全体的には不利なのだが(彼らの行為によって入国審査が厳しくなり、後進の同胞の申請を難しくする)、短期的個人的には合理的で合目的的な方策である。つまり、構造的な問題なのだ。


日本へ行くには関門が3つあって、まず日本の日本語学校の面接(スカイプのことが多いが、直接日本から誰か来て面接することもよくある。お得意さま回りということだろう)、在留資格(COE)取得、大使館の面接。ほかの国ではCOEが取れたというのはビザが取れたというのと同義だが、ここではそのあと大使館の面接に合格しなければビザがもらえない。
本の学校の面接を受けるのは、ひらがなカタカナを習った程度、「みんなの日本語」の2・3課までぐらいしか勉強していない連中だ。それに面接練習をほどこす。想定問答を覚えこませるわけで、犬に芸をしこむようなものだ。「日本語はどうですか」と聞かれると、一人残らず「日本語はおもしろいですが、漢字はむずかしいです」と答える。想定問答集の通りに。授業ではまだ「これはボールペンです」「ここは教室です」などとやっている連中だから、しかたがない。歳を聞かれて、「8歳です」(18歳)「46歳です」(26歳)と答えたりもする。数字もまだ十分に入っていないのだ。
これに合格すると、そのうち3分の1ぐらいは学校に来なくなる。目先のことしか見ていないし、そもそも日本語を勉強したくないのだから。そして、習ったことを忘れてしまったころになって、大使館の面接を受ける準備のためにやってくる。また犬の芸だ(前回のは、いずれ習うことを先取りして教えるということであるわけだから、犬にたとえてはシニカルにすぎるけども、こちらのほうはまったく勉強していない者の一夜漬け表面糊塗だから、犬を持ち出してはむしろ犬に失礼だ)。


本の学校の面接がだめで行くのをやめる者もいるが、これは傷が浅い。まだ留学仲介業者にも日本の学校にもお金を払っていないから。
入学許可をもらってCOE取得のための手続きを始めるとき、仲介業者に手数料を払い、COEを取ったあと日本の学校に学費その他を払うので、すべて準備が完了したあとに大使館の面接で不合格となりビザがもらえなくなると金と時間の大損になるわけだが、目の前のことしか見ない彼らはその深刻さを理解していない。平然と田舎へ帰って授業に来なくなる。そして直前に犬の芸。
COEは書類審査だから、日本語力は関係ない。教師がやれることはない。書類の不備でこれがもらえない者も一定数必ずいる。半数を超えることもあるようだ。中にはまじめに勉強してかなりできるのもいるのだが、COEがもらえないとなると、彼らも日本語の勉強を即座にやめる。日本へ行くことだけが目的だから、そうなる。がっかりである。


COEはそういう審査だからしかたがないが、面接の結果も日本語力や努力と正比例しない。箸にも棒にもかからないのは落とされるが(落とされない場合もけっこうある)、箸にかかった者の中から誰が選ばれるかは多くは印象による、という印象を持っている。当人の学力や努力は教えている教師がよく知っている。どうしてこっちがだめでこっちが、と思うことはしばしばある。
大使館の面接でも、学力と努力が正当にはかられるわけではない。だいたいあからさまに日本語力のない者がふるい落とされているとは言えるが、例外はいくつもある。
試験なら学力・努力をかなり反映した結果になるからこれに依拠してほしいのだが、大使館独自で筆記試験を行なうのは難しいだろうとは思う。さりとて現行の民間の試験はカンニング横行で信頼できない。
このカンニングの問題。まあ半分ぐらいはカンニングする。「みんなの日本語」2・3課程度習っただけの者が大勢N4レベルの判定を受けている。試験を実施する者も監督する者もかつて大いにカンニングしていたわけだから、克服しがたい業病のようなものだ。日本人が監督の任に当たらなければだめだろう。日本人が関わっているJLPTは信頼できるようだが、ほかは信用できない。
そのようなもろもろの結果、日本へ行けるかどうかは多分に運の問題となってしまう。よく勉強した者も、行けることもあれば、行けないこともある。まったく勉強しなかった者も、行けないこともあれば、行けることもある。やんぬるかな。


COEがもらえず日本へ行けなかったけれど、その後も日本語の勉強を続けてN3ぐらい取って、学校で日本語を教えている人たちもいて、N2試験を目指して独学で勉強したり、教師研修セミナーなどに参加したりしている。辞書や参考書を作っている教師もいる。不十分な出来の辞書だとしても、作ろうという意図そのものがよい。
こういう人たちこそ留学させたいのだが、書類の不備で留学できなかった彼らにチャンスを与えないような体制になっているのは本当に残念だ。


このようなネパール人留学生らが貢ぐ金によって日本語学校や一部の大学・専門学校が支えられているわけである。情けないことではある。
「留学」と言うなら、本当に勉強する力のある者に制限すべきであって、JLPT合格者は面接を免除したうえで(今年一瞬だけそう決められたが、すぐ撤回された。しかしこれは外務省外郭団体も運営に当たる半公的な試験だから、民間の試験とは一線を画されてよい)、一夜漬けの効かない漢字についての問題を取り込むことによって、厳格公正化を図るのがいいだろう。
一方で、名のみの留学でなく、韓国のように語学力審査をした上で労働力として受け入れる制度も導入するべきだと思う。年間受け入れ人数や滞在年限等、さまざまな制限は必要だろうが。


日本人が直接法で教えるのは、長期的視野のもとにのみ可能であって、せいぜい半年しか勉強しない者にはネパール人がネパール語で教えるのが適当である。学期やクラスが確定していないと、直接法は効果を発揮しがたいのだ。学期もクラスも融解しているネパールでは、日本人教師の必要性はほとんど認められない。1日1時間、無料、随時入学可、来たければ来て休みたければ休む、というのが結局ネパールの実情に合っている。日本語学習者の異常な多さに比べて、日本人教師が異常に少ない理由もそこにある。カネがかかるのに効果が薄い日本人教師を経済的に脆弱な極小規模の業者が招くわけがないということだ。


ネパールが親日的なのはたしかである。だいたいみんな日本が好きだ。しかし日本については何も知らない。大使館や日本人会が日本文化紹介の催しをよくしているが、こんなにいる日本語学習者のごく一部しか参加しない。概念的に好きなだけなのだ。
つまり、「日本渡航熱」はあるが、「日本語熱」があるとは言えない。そして「日本渡航熱」は外国への「出国熱」の一部でしかない。いや、「熱」は一時的なものについて言うので、これは恒常的な(恒久的でないことを願う)ものだから、むしろ「若者の進路選択肢のひとつ」と言うべきだろう。留学後働いてのち帰国するなら出稼ぎ、住みつづけるなら移住である。そういう大きなコンテクストの中にネパールの日本留学・日本語学習はある。
きわめて特異で独自なネパールの日本語教育事情である。


ではネパールで教えることを人に勧めないかというと、そんなことはない。このような諸事情をわきまえた上なら、薄給で働くのもいいのではないか。おもしろい国、気持ちのいい人たちだから。ただ、これらの事情は所与である。