祭りをせんとや生まれけむ

 ネパールの首都カトマンドゥの川をへだてた南に、古都パタンがある。そのさらに南4キロほどのところに、人口1万人ばかりのスナコチという村がある。今年初めそこで2つの臨時祭があった。

 

 1月23日、この村のバルクマリ寺院の本尊の像がなくなっているのがわかった。村人たちは怒り心頭で、警察は厳しく捜査を進め、その手が迫っているのを感じたものか、泥棒は近くの村の寺にその像を置き去り、それが2月11日早朝に発見された。すぐパタンの警察署に運ばれ、検分のあと午後スナコチの寺に戻されることになった。男たちに担がれて寺まで運ばれたのだが、ぜひかつぎたいという者が多くいた。楽隊も出て、ほとんど村中の人が集まり、歌い踊り、時ならぬ祭日の様相を呈した。

 この件で感じ入ることはふたつある。ひとつは祭りの作法というか文法というものがしっかりあり、神像が盗まれ、それが発見されるというこれまでにない事態に際しても、即座に「祭り」をオーガナイズできるということだ。その日の朝発見されたのに、午後にはもう「祭り」が催されている。警察署から村まで男たちが担いで運ぶ。担ぎ手には希望者大勢で、にぎやかに太鼓やシンバルが鳴り響き、村中総出で寺院への帰還を祝う。

 この寺院の定例祭はネパール暦(ビクラム暦)新年の2日後にあり、神像が神輿に載せられて巡幸し、ほかの3つの神輿とともに御旅所へ行き、またもどる。前日の新年の日には柱が立てられ、バルクマリの母マーの寺へ神輿が運ばれる。深夜1時に寺へもどり、その周りを回る。行きは軽いが、帰りは別れたくないのか神輿が重くなるという。12年に一度、バーラバルサメラという大祭が行なわれ、そのときには蛇や鳩を火に投げ入れるそうだ。昔は人身供犠もあったと言われる。寺には髑髏杯がある。

 そのような毎年の祭りのやり方を熟知し体にも心にも浸みこんでいるから、初めての事態にも堂々と迷いなく対処できるのだ(交通整理の警察も手慣れたもので、神像の行列が進むのは交通の妨げなのだが、優先して歩かせるし、また通行の車やバイクもこのような祭りの行列が行くのには出くわし慣れていて、特に不満な様子も見せない)。

 もうひとつは、発見されたのが金曜日で平日であるのに、総出と言っていいほど人々が集まったことだ。おばさんたちはいい。主婦は時間の都合がつけやすい。農家も自分の時間の裁量はできよう。しかしここは首都近郊で都市化が進み、勤めに出ている人が多い土地である。にもかかわらず、あれだけ人が蝟集する。それは優先順位が正しいことを示している。仕事より神ごとが優先されるのは当然だ。村の大事な神様が受難し、それが見つかっておもどりになるのだ。氏子たるもの馳せ参じなくてどうする。仕事が優先されるいわゆる先進国の優先順位がおかしいのだ。そしてそのおかしな国の筆頭はわが日本である(しかしさすがに子供の姿は見えない。子供は学校に行っていたのであろう)。

 

 もうひとつの臨時祭は、2月24日に行なわれたツァイティヤ・プージャー・ヤトラというもので、ツァイティヤというのは四面にブッダの小さな像がある道端の小さな仏塔である。この村の小さな貯水池を暗渠にして、その上に新しくツァイティヤを据えた。その完成を祝って、周囲8つの村をめぐり、仏教寺院やツァイティヤを回って礼拝しお供えをするというものである。25㎞の道を3000人もが歩いた。村と村の間では、途中トラックの荷台に乗ったり、バスがあればそれに乗ったりもするが、基本は歩く。行程にツァイティヤは100以上もあり、それをいちいち時計回りに回りお供えをするのだから、距離はさらに増える。お供え物は金、菓子、米、仏教旗、クツォというほうき草などで、ブッダの口に牛乳で炊いた粥をつけることもする。さすがに数が多いので金は小銭だが、この日のために5ルピー札の新札を銀行で両替して準備する。道々にはお接待の屋台が出る。主に飲み物だが、ほかに酒やお菓子、軽食を供するところもある。途中の山中の寺では地面に座って提供された昼食をとる。

 巡行の参加者は主に女性で、男は楽隊と世話係を務める。額にティカという赤い印、頬にも赤い色をつけ(アヴィールという)、新調したそろいの服を着ている。スポンサーがそういう服を提供するのだ。ツァイティヤ新設の際には催されるということで、3年前にもあったそうだから、臨時というより不定期祭というべきかもしれないが、なかなか準備はたいへんで、参加希望者(それが多いことにも驚く)のみならず、有能なオーガナイザーのほか、多くの寄進者、スポンサー、善意の賛同者(お接待の人たち)がいなければできない。それがしっかりいるわけだ。

 

 人間とはどんな生き物か。いわく考える葦である、道具を作る動物である、道具を作る道具を作る動物である、ことばを持つ動物である等々、さまざまに説かれる。ホモ・サピエンス、作る人ホモ・ファーベル、遊ぶ人ホモ・ルーデンスなど、いろいろな名称が提案される中に、祭りをする人ホモ・フェスティヴィタティスというのも唱えられてよいのではないかと思う。

 人は何のために生きるか。祭りのために生きる、という面はたしかにあるのではないか。祭りは信仰の発現であるが、また共同作業であり、群れに生きる人類には欠かせない集団の結束確認である。何かモノを生産することなく、逆に消費であり、時として蕩尽である。それは目くるめく喜びをもららす。生命の燃焼であり、生きることの喜びは得ることよりも多く与えること、捨てることによって高まる。

 生命の本質は踊りである。言語は踊りから発生したと説く哲学者がいたが、たしかに動きの分節化と音の分節化はパラレルであると見なしていい。文化というのもそういうもののひとつであろう。文化とは音楽である。踊りである。なかなかいい定義ではないか?

 家が焼け金が盗まれるのにも気づかず祭りに熱中するおじさんおばさんを歌う美空ひばりの「お祭りマンボ」や、人死にが出ることが珍しくない諏訪の御柱祭など、日本にも祭りのために生きる人たちはたくさんいたし、今もいる。そういう人たちがいなくならないでほしい。

 

 スナコチは共産党毛派(マオイスト)の強いところで、地方議員8人、ここ出身の国会議員2人すべてマオイストである。内戦のころ、彼らは爆弾テロを行ない、公共財産の不正取得をした悪名のある2人を殺した。今は国会議員になっている1人は指名手配となり、軍や警察が何度も村に捜索に来て、兵士の発砲の中逃げたこともあるそうだ。その議員は今回のツァイティヤ・プージャー・ヤトラのスポンサーとなっている。マオイスト支持は篤い信仰心と全然抵触しないようだ。それもおもしろく思う。