モンゴル妖怪名彙メモ

 新型コロナのため実現しなかったけれど、内モンゴルに調査に行く計画があって、それに備えて日本語の文献からモンゴルの妖怪を抜き集めてみた。昔話や伝説の中に現われるものと実際に民俗社会で恐れられているものが混在しているが、とりあえず管見に入ったものを全部並べてみる。

 

参考文献:

モスタールト「オロドス口碑集」、磯野富士子訳、平凡社、1966

児玉信久/荒井伸一/橋本勝 編訳「モンゴルの昔話」、世界民間文芸叢書7、三弥井書店、1978

スチンバートル/ムンケデリゲル「内モンゴル民話集」、南雲智 編訳、論創社、2012

ポターニン「西北蒙古誌2 民俗慣習篇」、藤和研究所訳、龍文書局、1945

「モンゴル説話集 シッディ・クール」、西脇隆夫編、名古屋学院大学総合研究所研究叢書25、溪水社、広島、2013

原山煌「モンゴルの神話・伝説」、東方書店、1995

二木博文「モンゴルの神話伝説」(「世界の神話伝説 総解説」、自由国民社、1992)

鳥居きみ子「土俗学上より観たる蒙古」、大鐙閣、1927

「モンゴルの昔話 大草原に語りつがれるモンゴルのむかし話」、Ch.チメグバール監修、 籾山素子 訳・再話、PHP研究所、2009

阿部治平「モンゴルの雪男」、ブログ「リベラル21」http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1872.html(2020/08/15

 

 

mangus: オルドス語辞典の用例に、「12の頭を持つmangus」というのが出ているから、ゲシル・ボグドーの神話に出てくる沢山の頭を持ったマンガタイと同じものと思われる。マンガタイは、見えざる魔王シャルモ・カンに隷属する凶悪な現形魔神である(モスタールト、p.4)。

「彼の女房は家で、人喰鬼mangusの三番目の息子と通じてねんごろになった」(モスタールト、「ジューギン・メルゲン」p.65)。

「たくさんの小山・丘をめぐって歩いても、何一つ手に入れなかったどころか、一匹の人喰鬼mangusに出っくわした」(モスタールト、「人喰鬼」p.85)。

「その人喰鬼mangusは逃げてゆくうちに、一匹のやくざ黄狐に出あった」(モスタールト、「人喰鬼」p.87)。

「マングス(マンガス。ブリヤトにおいてはマンガタイとも言われる)は、多頭の妖怪である。早く「秘史」にもこの語は現われる。他でもない、先に触れたハサルの描写である。「靫背負うものを丸ごと呑みこんでも、のどにもつかえず。大の男を一呑みにしても、気にもとめない」という「並みの男とはさも異なる、グレルグゥの山にいる蟒蛇(マングス)に生まれついた、ジョト・ハサル」という文である。(…)「秘史」の傍訳には、「マングス」の箇所に「蟒」という漢語があてられていることから、またこの行文自体からも想像できるが、どうやら龍蛇イメージの怪物のようだ。(…) モンゴルの英雄物語においては、マングスは、英雄の財産を略奪し、妃や家来、支配下の牧民たちの拉致をもくろんで襲撃してくる。物語のなかで、なるべく変化をこらした闘いが用意され、最後にはマングスは負けてしまうという筋書き自体は同じである。ともあれ、この怪物は多頭で、その頭の数も、十、十二、十五、十七、二十五、二十七、五十三、七十七、はなはだしきに至っては九十五あるいは百九など、まさに変幻自在という感じで次々に変わるのである」(原山、p.150f.)。

「この地方には十二個の頭を持つ悪魔が住んでいました。この悪魔が現われたときには、決して目を合わせてはいけないと言われていました。悪魔と目を合わせたとたん。金縛りになって身体が動かなくなり、食われてしまうからでした。… 下半身は二本の足、上半身は十二個の頭を持つこの悪魔」(内モンゴル、「トゥシ・ハイラハン(山)とゲセル・ハン(王)」p.102f.)。

「彼が帰ってくると、姉は再び病を装って、二十五の頭を持ったハラ・マングィスKhara-mangysの心臓を手に入れなければならない、といった」(ポターニン、「フヴグとハドゥィン・ヅュゲ」、p.422)。

「南の方に十五の頭をもったアドグィル・ハラ・マングィスがいる」(ポターニン。「ツァガン汗とグヌィン・ハラ」、p.433)。

「狐はまた、マングィスMangysの汗の天幕へ走って行って、…「雷がやって来そうなのです」。「おお、それは私も困った」…「あなたは十サーヂェンの穴を掘らして、そこへ隠れることができるではありませんか」。汗はいわれた通りにした。…「天幕の下の地下に鬼(チトクルčitkur)が巣食っているのです。電光を下して頂けないでしょうか。鬼を殺すために」」(ポターニン、「ボロルタイ・ク」、p.407f.)。

マングス モンゴル語Manggus。蟒古斯と音訳。人間の姿をした怪物、妖怪。古代インドの悪神ラークシャサ(羅刹)のモンゴル名とも解釈されている(シッディ・クール、p.59)。

「ところがその美しい少女と駅病患者は実は凶悪なマングスだった」(シッディ・クール、「第4話 豚の占い師」p.52)。

 

rölong: チベット起源の語。オルドスでは、rölongは人間の死体で、毎晩日が沈むと生き返ってよそへ出かけ、夜明け前にまた元の場所に戻ってくると信じられている(モスタールト、p.4)。

 

šulmu: šulmusともいう。人や動物の形をとって現われる悪霊。仏教のmāraにあたる。文語ではšimnuとなっている(モスタールト、p.4f.)。

「一人の赤ん坊を深井戸につり下げてあったものだ」「どんなものにもさわりなさるなと言ったでしょう? あれというのは、悪魔šulmuなのです」(モスタールト、「牡鹿」p.121)。

「汝の姫は悪魔šulmuである! 灰色の種牛もまた悪魔šulmuである! あの二人が汝の命を取るのであるぞよ!」(モスタールト、「豚博士」p.143)。

シムヌ モンゴル語šimunus。悪霊、悪神。すべてのものに呪いと悪をもたらすもののけ。古代インドの邪悪的存在であるマーラと同一視する見方もある(シッディ・クール、p.45)。

「あの老婆は確かにシムヌに違いない」(シッディ・クール、「第3話 ヤローバという人」p.38)。

「この夫人を私は山から見つけたのだ。この一匹のシムヌは悪い夫人だった」(シッディ・クール、「第16話 陽光夫人の物語」p.141)。

「シムヌスŠimnus即ち不純な力の皇帝」(ポターニン、「グイゲル・メヂト」、p.345)。

「ショルマスは、脚注によると女の妖怪で、灰色の髪、きばのある大きな口をもって老婆の姿として描かれる」チメグバール)。

英雄ゲセルに退治される悪鬼ショルモ(ショルモス)は、「ホルモスタ」と同様、ソグド語→ウイグル語→モンゴル語のコースをたどってモンゴル語に入って来た。ペルシアの神アングロ・マイニュを指すソグド語「シムヌ」が仏教の神マーラ(悪魔)を意味するようになり、それがウイグル語を経てモンゴル語に入った」(二木、「ブリヤートの神話伝説」、p.153f.)。

 

žödkör: 西ウジムチン旗できいたところによると、日本の鬼よりも中国の鬼に近い。人間が定められた寿命に至らずに死ぬと、その魂は寿命に達するまでの年月日はžödkörになって、この世に留り、他人に害をする。原因不明の病気などはžödkörの仕業である。それは人間や動物の形をとって来るので、凡人には見別けがつかない。偉いラマはお経の力でžödkörを追い出すことができるが、いいかげんなラマだと、かえってžödkörにとりつかれてしまう(伝染病の一解釈か?)。ラマがžödkörを追い出す方法は、死んだラマからはいだ皮膚の上に狼の頭をのせ、その前で経を読むと、žödkörはその狼の頭に逃げこみ、その頭がひとりでに動き出す。それを大急ぎで戸外に持ち出し火に投げ込んで焼いてしまう。もう一つの方法は、狼の頭の代りに口を開いた袋をおき、その中に逃げこんだところを口をしばって火に投ずる(モスタールト、p.5f.)。

「狩人の旦那様のそばにいるあの若い女は、わたしたちのこの山で悪魔šulmusになってから2、3年になります。ある日には白い狐となって歩き、ある日には一人の美しい女になって、人間の魂をうばってしまい、ある日には鬼žödkörになって、幾万の人々を怖れさせるのです。これは、どんな生物も打ち負かすことのできない生物なのでございます」(モスタールト、「チンギス帝a」p.23)。

「わたしは行って、窓で聴きました。二匹の鬼žödkörが来て、地獄のエルレック帝に言っていました」(モスタールト、「じいさん・ばあさんの二人」p.96)。

 

čitgür: この語は現在蒙古人の間では極めて漠然とした意味で、化物又は鬼・幽霊の事だとされている(児玉、「爺と帝釈様」p.35)。

帝釈天は、九人のお化けを遣わし」(児玉、同、p.32)

「もしモルモットをその場で弓で射倒せば、良く、もしモルモットが矢を立てたまま穴に這い戻れば、悪い。彼はチトクルčitkur(悪魔)に身を変えるのである」(ポターニン、「モルモットf」、p.333)。

 

mihačin:(一般には「肉食者・屠殺者・肉屋」の意)「人食い」と訳しておいた。日本の昔話の中へ出て来る「鬼」とかあるいは又「山姥」等に相当するようである。日本の子供達が鬼がこわいと同じ位、蒙古の子供達はこの人食いがこわいのである。小さい子供等が言い付けを聞かなかったり、泣いたりしている時分に「そんな言う事をきかないと、ミハチンが来るぞ」と言うと、急に言い付けを聞いたり、泣くのを止めたりするのであるから、これは余程恐ろしい奴であるに相違ない。夕方など暗くなりぎわに外に遊んでいる子供等に、「そらミハチンが来るぞ」と言っておどすと、今まで面白く遊んでいた子供達が怖気づいて家の中へ駆け込むのである。それはよくその時分に遊びに夢中になっている子供が、ミハチンにさらって行かれるからだそうである(児玉、「ミハチンの話」p.37f.)。

「お前の母親は人食いになったという事じゃ」(児玉、同、p.36)。

「わしの二人の息子は人食いmihasiだぞ」(児玉、「死に棒と生き薬」p.40)。

「大きな化け物が出てきたそうだ。子供は石を二度投げつけてやった。見ると、化け物が手に何か握っている。そいつを奪い取って見ると、それはそいつで討てば、打たれたものはすぐ死んでしまうという代物で、つまり、ヨドル(註:yodor 「墓地に刺す棒」の意)と呼ばれる鉄棒だった。化け物が石の命中した所を手当てしようと薬を取り出したので、子供はそれを取り上げ桶の中に隠して、ヨドルを手にとって、化け物を殺してしまった」(児玉、同p.42)。

 

「不自然な死に方をした者や、生前不幸な生活を送った者の魂は、悪霊・悪鬼(シュトヘル)となって人々を苦しめた」(二木、「ブリヤートの神話伝説」、p.153f.)。

「子を産めなかった女の魂は死後、アダという悪鬼になった。アダは一つ目の小さな子供の姿をしており、蛙、猫、犬などに化けることができた。普通は目に見えないが、ものすごい悪臭を発するのですぐわかる。アダは鋭い金属音をきいたり、火を見たり、杜松の葉をたいたにおいをかいだりすると退散した」(二木、同、p.153f.)。

アダ(ada)は、一般にモンゴル語で「悪霊、悪魔」を意味し、「鬼の一種」。

「愛を知らずに死んだ少女の霊はモー・ショボー(悪しき鳥)になった。モー・ショボーは長い髪と、鳥のくちばしのように尖った赤い唇を持つ美しい娘に化けて旅人を誘惑した。旅人が油断したすきをねらって頭をくちばしでつついて穴をあけ、脳みそを吸い取った」(二木、「ブリヤートの神話伝説」、p.153f.)。

「ボーホルドイは不幸な死に方をした者の霊である。人々の集まる宴の席や宗教儀式の場にしばしば現われた。人々がボーホルドイにごちそうを分けてやればおとなしく退散したが、無視されると騒ぎたてたり馬をおどかしたりした。

これらの悪鬼・悪霊は普通の人の目には見えなかった。悪鬼・悪霊を追い払うのはシャーマンの役目だった」(二木、同、p.153f.)。

 

シッディ・クールsiddhi-kür: 音訳して喜地呼爾、西狄秋爾など。シッディは、成就せられたる、完全なる、魔力などの意。クールは、精霊、妖魔などの意。つまり、シッディ・クールは超自然力を持つ妖魔の意味で、多く墓地に出没して死体にのり移り種々の活動をするインド固有の妖魔、ヴェータラの異名(シッディ・クール、p.9)。

「シッディ・クールのいる冷たい森の中のシータヴァナへ行ってくれ。シッディ・クールは腰から上が黄金ででき、腰から下はエメラルドでできていて、頭は貝殻を飾りつけている」(シッディ・クール、「発端」p.6)。

 

エルリック モンゴル語erlik。閻魔卒の意。閻魔大王に使われ、地獄において罪人を責める者(シッディ・クール、「第9話 夫の心臓を奪い返した妻」p.92)。

「その扉の前には、髪の毛が人間の血で赤く染められた二人の恐ろしい形相をしたエルリックが見張っているだろう」(シッディ・クール、同、p.90)。

 

「彼にたたっていたのは、その地方にいる人間の皮で作った袋を背負ったエレツグレチという鬼であった」(シッディ・クール、「第24話 袋を背負ったエレツグレチと水桶を背負った人」p.188)。

 

「夢の中に泉の主であるロス(竜宮)の汗が現われ、またヤムバと呼ばれるアラビン(妖怪)が現われた」(シッディ・クール、「第25話 マラヤ山から魔力を授かった四人」p.193f.)。

 

「あの左側にある楡の木の後の方は、サイノソテコロの淵になったところで、其昔若い女が此淵に身を投げて死んだとの事、それから其楡の木にはスニソが住むと云い伝えられたそうです。スニソは人魂であります。そして其淵にはいつも女のむせび声が、絶えず聞こえると申ます。そして人魂はいつも楡の木の頂上に燃えて居るのだと申ます」(鳥居、「人魂」、p.495)。

 

「「フン・グレース」…フンは人、グレースはけだもの。つまり「人獣」です。「アルマス」ともいって、こちらの方が一般的です。アルは赤い、マスは妖怪の意味です。1717年に作られたモンゴルの辞典には、「年を取ったみにくい女の妖怪」と書いてあります。もうひとつの名前は「フン・ハラ・グレース」、ハラは黒いという意味なので「人黒獣」とでもいえます。

体は人間よりもやや大きく、全身毛が生えているようです。

伝説のアルマスは足が大きく力持ちで、舌にとげがいっぱい生えています。なめられると人の肌はむけてしまうといいます。

アルマスの女は乳房が長く、愛情に満ちているようで、かわいいけれどもたいへん危険です。人より少し頭が弱いように思います」(阿部、「モンゴルの雪男」)。

 

「その死んだ動物は頭の天辺に杓子程の大きさの目が唯一つ付いたハル・ホル(註:хар хул 虎のように縞があり五つの爪があり白い幅の広い顔をした一種の猛獣。敏捷かつ兇猛であるp.207)という動物であった」(荒井/橋本、「七頭の虎を狩りした少年」p.198)。

「七人の人食い」(「七頭の虎を狩りした少年」、p.201)。

 

そのほか、原語のわからないもの:

「とても大きな腹の、唇と口が膿んで潰れ、恐い顔をした人… 妖怪」(荒井/橋本、「八本脚のナイガル・ザンダン」p.169)。

 

「丸裸の女が木の切り株に腰を下ろしていました。目はつり上がり、頬は刃物でそぎ落したようにげっそりと痩せていて口だけが異様に大きく、何か言っているのか、絶えず唇が動き続けていました。よく見るとその女は櫛で髪を梳かしているのでした。… まばたきもせず狩人を見据えました。それからケッケッケッとくぐもった笑い声を立て始めました。… 自分の歯ぐきを少し切ると、その血を手で受け、銃弾に塗りつけて鉄砲に込め、櫛で髪を梳かす手を止めて防止に笑い続けている女に狙いを定めて撃ち込みました。… 悪霊」(内モンゴル、「天からのご褒美お大尽」p.200f.)。

 

「人喰い婆」(鳥居、「人喰い婆の話」、p.1087)

「鬼婆… 首に噛みついて、生血を吸い取りました。… 真黒い毛の生えた鬼の手」(鳥居、「鬼婆の話」、p.1104)

 

参考までに:

「蒙古人の父は樹から生れ、犬がこれを育てた。タングート人の母は靴(サルイ)(?)-メチmeč、父は-マングィスMangysであった」(ポターニン、「民族の起源に関する物語b」、p.368)。

「キルギズ人は今日、カザンのタタール人をノガイNogaiと呼んでいる。ヴォルガのタタール人は彼等をマングィトMangyt或いはマングィスMangysと呼び、クンドロフスクのタタール人をクンドロ・マングィトKundro-mangytと呼んでいる」(ポターニン、同、p.438)。

「ヤクート語でマグィスmagys、モグスmogusは大食家、モゴルmogolは餓えたるである」(ポターニン、同、p.349)。

「Manges’u-ラッデにおいては蒙古語並びに満洲語で、貛のこと」(ポターニン、同、p.377)。