カタカナかるた

アニメにはまって日本語習う
インスタ映えするマレーシア
ウガンダ ブルンジ アフリカの国
エアコン強くてかぜひいた
オーストラリアでカンガルーを食べる
カメラはいらない スマホがあれば
キナバル山は富士より高い
クチンよいとこ 一度はおいで
ケーキは食べたい ウエストは気になる
コピーをしてからコーヒーを飲む
サッカー場は坂の上
シャワーは朝晩欠かせない
スキーが好きなスイス人
セーターいらない マレーシア
ソースはいつもサンバルだ
タクシー高いがバスがない
チャンスはいつも一度だけ
ツアー会社でアルバイト
テレビは見ない パソコンを見る
トイレに和式と洋式がある
ナイフの代わりにスプーンで切る
ニュースがないのはよいニュース
ヌードは没収 イスラム
ネクタイしめて冷房キンキン
ノートをとってもすぐ忘れる
ハンサムですてきなミラーさん
ヒーローいろいろ 少年マンガ
フランス料理よりニョニャ料理
ヘリコプターよりタケコプター
ホテルがいいか 旅館がいいか
マッサージしよう 足裏を
ミルクティーをテタレという
ムードが大切 プロポーズ
メモをとりたい 手のひらに書く
モスクでお祈り マレー人
ヤンキーたちよ ゴーホーム
ユーモアあればストレスも減る
ヨットに酔って車にも酔う
ラジオ体操 夏休み
リュック背負ってハイキング
ルールがきびしいシンガポール
レストランより屋台がうまい
ロボット大好き 日本人
ワインより日本酒

ボルネオだより/かなカードを使ったカタカナ習得

 今までは大学の日本語学科で教えることがほとんどだったから、この任地に来てとまどうことはいろいろあった。
 前任からの申し送り事項に、個々の学生について「音読がまだおぼつかない」だの「やっと音読ができるようになった」だのと注記があるのに「?」と思った。音読ができない? 声帯に異常でもあるのか? 「二足歩行ができるようになった」と申し送られた体育教師ならそう感じるであろうように、いぶかしく思った。来てみてわかったのは、かなが十分入っておらず、文字を解読する段階なのがかなりいるということだった。なるほど。日本語専攻なら初めにしっかり叩き込まれるからまず見られない現象だが、異形の文字を前にしたら自然なことではある。自分自身をふりかえっても、一応習ったアルメニア文字やカンナダ文字など、教室を離れたら一瞬で忘れてしまった。
 ここの日本語講座は、夕方仕事が終わった時間に低廉な受講料で週1回受けることができる。試験はない。開講時期は不定。休暇はなく、受講生は自分の都合で適宜欠席する。宿題もない(出してもいいのだが、あまり意味がないのでほとんど出さない)。まじめに上達にはげみ、N1に合格するような者もいる一方で、さほど上達するでもなく、やめるでもなく、何年も通う者もいる。
 日本の公民館講座とも違う。あれは日本で暮らしている外国人が通うのだから、授業時間以外でも実際的に毎日日本語と接している。日本でもマイナー言語の週1回の趣味講座があって、10年も通っているなんて人もいると聞くが、ちょうどあのようなものだ。だからいろいろな受講者がいる。
 漢字どころではない。漢字についても振幅は大きく、ゼロから始めるマレー人と中文書や華字新聞を当たり前に読む華人の中間に、漢字がほとんど読めなかったり、少ししかわからなかったりする中華系がざらにいて、グラデーションをなしている。だから漢字を教えるのもそれはそれでたいへんなのだが、そこが問題ではない。問題はかなだ。
 本当はひらがなだってあやしげなのが初級中盤後半でも数人いるのだが、それは本人にがんばってもらうしかない。とりあえずはカタカナになじませる必要があると思って、ひらがな・カタカナカードがあるのを幸い、これを使ったゲームを考えた。それを以下に報告する。

1.かなカードを使ったカタカナ習得のためのゲーム(ひらがなは習得したが、まだカタカナが十分でない学習者のために)

ひらカタババ抜き
・ ババ抜きの要領で、ひらがな・カタカナの同音字のペア(「あ」と「ア」のように)を場に出し、早く手札Handがなくなった者が勝ち。
・ 「を」は使わず、「ヲ」をババとする。
・ 全部のカードを使うと多すぎてなかなか終わらないので、「と」までと「な」からの2回に分けてやったほうがいい。

ひらカタ合わせ
・ 山札Deckを1枚ずつめくり、めくった札と場の札Cards on the Boardとでひらがな・カタカナ同音字のペアができたら、自分のものになる。
・ ペアができたら、続けてもう1枚山札をめくることができる。
・ 取った札の数の多い者が勝ち。
・ はじめにひらがなカードとカタカナカードがうまく混じり合うようにしておく。

カタカナかるた
・ いろはかるたの要領で、カタカナの札を取り合う。
・ 多く取った者が勝ち。
・ まずいろはかるたをして、そのあとでするといい。
・ 読み札はカタカナ語だけでもいいし、「アニメにはまって日本語習う」「コピーしてからコーヒーを飲む」「スキーの好きなスイス人」のようにことわざ風に工夫してもいい。

2.ひらがなカードでの語彙学習(ある程度ボキャブラリーが増えた段階で)

石垣くずし
・ 2つのチームの対抗戦でするといい。
・ まず「を」を除いた45枚のカードを50音順に並べる。
・ ジャンケンで順番を決め、石垣のように並んだカードから数枚を取り出し、単語になるように並べる。そのカードは自分のものになる。
・ 順に行ない、カードがなくなるか、もう単語が造れなくなったら終わり。
・ 取ったカードの多いチームが勝ち。

付け字返し
・ 2つのチームの対抗戦でするといい(Aチーム・Bチーム)。
・ 46枚のカードを配り、23枚を自陣に1列に並べる。
・ ジャンケンで順番を決め、まずAチームが自陣のカードから1枚を場に出す。
・ 相手Bチームは自陣から1枚を出して、2字の単語を作る。
・ Aチームがさらに自陣から1枚を加えて3字の単語を作ることができたら、そのカードはAチームのものになる。できなかったらBチームのカードとなる。
・ さらにBチームが自陣から1枚を加えて4字の単語を作ることができたら、そのカードは自分のものになる。
・ 文字の並びは自由。たとえば「か」「さ」に「な」を加えて「さ」「か」「な」にしてもいいし、「ま」を加えて「ま」「さ」「か」にしても、「た」を加えて「か」「た」「さ」にしてもいい。
・ 順に行ない、カードがなくなるか、もう単語が造れなくなったら終わり。
・ 取ったカードの多いチームが勝ち。
・ 長考する者がいて長くなることがあるので、考える時間を制限したほうがいい。

 この2つのゲームでは、促音「っ」・拗音「ゃ」「ゅ」「ょ」がなく、長音・撥音「ん」は一度しか使えないので、漢語はほとんど作れないし、ひらがなだから外来語もだめ。必然的に和語の知識が要求されることになる。

 こんなゲームで能力が劇的に改善するわけではないのだが、それでも何かしらの効果はあるものと信じる。

ボルネオだより/「今は冬ですか?」

 8月に授業で生徒に「今は夏ですか」と聞かれて、さすが季節のない国、そんな温帯では当たり前のことを質問するのかとおもしろがっていたら、その数日後には「今は冬ですか」と聞かれて仰天した。乾季と雨季という季節はあるものの、気温自体はほとんど変わらないここの生活では、外国に行ったことがないか行っても近隣熱帯諸国で温帯を知らない者なら、「春」だの「冬」だのといっても、それは空気の振動、線ののたくり以外のものではない。8月はもちろん夏なので、最初の質問はそんな疑問を持たれること自体が意外だったわけだ。あとの質問については、冬かとはいったい全体どこをどうしたらそんな考えに至るのかと思われるかもしれないが、なに、ここはほぼ赤道直下だ。南すれば日本より近いところにオーストラリアがあって、そこではたしかに冬であるから、一見の印象より道理のある質問であって、北半球温帯人の先入観を捨てよと赤道付近熱帯人や南半球温帯人が教えてくれたと考えるべきだ。
 また、ここの生徒はセーターを知らない。日本の教科書にはもちろん「セーター」という単語が出てくる。念のためにと思って、セーターをもっているかと聞いてみたら、セーターが何かがわからない。ジャケットと混同していたりする。つまりもっていないのだが、必要ないのだもの、もっているはずがない。これは牧羊する欧米の冬の衣料で、冬のある日本でも江戸時代の人は知らなかったはずであり、杉田玄白らが額を寄せて「セエタアとは何のことでござろうか」と熟考検討しているさまが想像できる。

 今の世界は欧米人の世界観に覆われている。彼らは温帯人だから同じ温帯のわれわれにはよくわかることも多いが、それでもかなりの点で食い違う(今は欧米式に慣れてしまったとはいえ)。まして熱帯や寒帯の人間の世界観とは多くの点で非常に相違しているにもかかわらず、われわれはそれに無知であることを熱帯に暮らして思い知らされた。ツンドラや、熱地でも砂漠性の気候の土地なら人口も希薄だ。しかし熱帯は人口はかなり多いのだ。無知であっていいはずがないと大いに反省されられた。
 マレー人やダヤクと総称される先住民の家は高床式で、入るとき靴を脱ぐところなど、日本もそうであるから親近感がある。けれどロングハウスと言われる先住民の長屋は、長さもものすごく長いが、高さもすごい。この高床は高温多湿が理由ではない。それは理由の一部分で、高温多湿なら華南もそうだし、ここボルネオなどはもっとそうだが、漢族はそういうところでも土間式の家に住む。
 日本よりずいぶん脚の高いここの高床住宅を見ていて気づいたのは、下を水が流れていい造りなのだということだ。雨が多い土地で、増水氾濫しても大丈夫なようにできている。もっと言えば、水上住居が原型なのではないか。水上集落は今では特異な形式のように思われているが、この気候帯では実に合理的だと思う。水が汚れを流してくれるから、衛生的でもある。
 交通のためにも便利である。車というものは道がないと使えない。ある程度平坦でないといけないし、広くないといけない。道は維持されなければならないが、それが多雨地域ではむずかしい。すぐに草木が茂るから。車は乾燥地帯の交通手段なのである。
 車というやつは、山坂多くて狭い日本のようなところでは使いようがない。牛車はあったし大八車もあるが、膝栗毛や駕籠のような人力こそが環境に対して正解で、近代日本における車の発達の最初のページが人力車によって書かれるのはゆえないことではない。
 車の敵は数多い。沼沢地。砂地。坂。内燃機関が発達するまでは坂は車にとって障壁だった。泥濘。雪解けや雨季のひどい泥は大きな障害で、19世紀ロシア文学を読んだ人なら、泥にはまって車軸が折れ、立ち往生した馬車の横で御者が口汚く罵っている場面はおなじみだ。逆にロシアでは厳冬期こそが旅行に最適のシーズンで、橇で軽快に走ることができる。橇はいわば陸地の舟のようなものだろう。
 多雨地域は草木繁茂し、陸上交通が不便である一方で、水が豊富で河川が四通八達しているので、舟による交通は便利というよりまったく自然で合理的だ。海については言わずもがな。南船北馬は理の当然。そもそも舟は車よりはるかに古い交通手段である。マレー人種はマダガスカルまでも船で行く人たちだった。このあたりの「道」は川だったのであり、水辺に家を建てるのは交通の便でもあるわけだ。内燃機関発明以前は、車行はこの地球上のわずかな部分で行なわれているに過ぎず、あとの大部分は舟か馬か人の足が交通を担っていた。その風景を水上集落を見ながら思い出すといいし、下に水はあまりなくても、高床式住居を見ながらも思い浮かべるといい。高床の下の細流から人類史を思ってもいいんじゃないか?
 水に親しいということは、魚をよく食べるということだ。中国人は豚を好むものの、豚を食べないマレー人にとって肉とはほとんど鶏肉のことだから、そりゃあ魚肉をせっせと食べるに決まっている。市場を見ても魚が多く、肉は少ない。魚醤を造る人たちなのだ。
 オーストラリア旅行の印象として牛や羊を見たことをまっさきに挙げるマレーシア人の話を聞いて、北海道へ初めて行った本州人の感想に似ているなと思うと同時に、ウォーレス線とは別の線がここに引けることがわかった。世界はいろいろなところから見えてくる。

 

だめなのは本だけか?

 だめな本を2冊読んでしまった。「韓国人のまっかなホント」(金両基著、マクミランランゲージハウス、2000)と「韓国人とつきあう法」(大崎正瑠著、ちくま新書、1998)である。
 「まっかなホント」シリーズはおもしろく、いくつかを楽しく読んだ。外国人から見たその民族の目につく滑稽な特徴を揶揄するもので、根底に愛情がありつつ、底意地の悪さものぞかせながら、おもしろおかしく叙述するという作りだ。この本以外はそうだ。だがこれは、著者が在日韓国人であることから見て、英語版にはなかった日本語版オリジナルだろう。韓国人を褒めてばかりなので恐れ入る。
 たとえば「ユーモアのセンス」の項で、農村仮面劇の場面、母の脈を取るために陰部に手を当てる知恵遅れの息子とか、遊女に惑い、彼女が小便をした土をすくってその臭いを嗅ぎ、なりふりかまわず後を追う老僧などというのを例として挙げている。こういうのは直截で粗野な、下肥の匂いのする風刺である。そういうものとしておもしろくはあるが、ユーモアではない。ユーモアというのは客観的に自己を含めて相対化する笑いだ。まさにこのシリーズがユーモアにあふれているのに、それに欠けるこの本がこんな例をもって韓国人はユーモアがあると考えているのだから、そのこと自体が滑稽だ。
 外国人から見た韓国人の最大の特徴といえば火病と犬肉食いだが、それについてはまったく言及がない。それじゃいかんだろう。自国民(在日とはいえ)が自国民について書くからそうなる。ただ、彼らが自分をどう見ていてどう見られたがっているかがわかったのは、いい点だと言えるかもしれない。
 この本が書かれたあとのことだけども、ソウルでアメリカ大使が暴漢に刺されるという事件があった。そのニュースを聞いてうろたえた善良な韓国市民は、どうぞこれを食べて元気になってほしいと愛犬家の大使に犬肉料理を差し入れた。ブラックジョークじみたこの出来事などは、まさにこのシリーズにうってつけの韓国人の善良さと犬肉食をともに紹介するいい例なのだが。

 ちくま新書のほうの著者は、特に韓国と関わりがあるわけではないようだ。なぜ筑摩書房ともあろうものがこういう人にこのテーマで書かせたのか。ほかに人はいないのか不思議である。本人も自分自身の経験の乏しいのはわかっているのだろう、ほかのあまたの韓国観察書から見解やデータを集め、それを整理して提示しているので、その点で有用でなくはない。身体動作に関して不必要なことまで長々と引くなどという原稿引き伸ばしとしか思えない部分もあるけれど。日本語の起源について、定説からほど遠い安本美典の説にあたかも定説の如く依拠しているのにも面食らう(この問題に定説はないにせよ、これは定説扱いされていい説ではない。個人的に取るべき点はあると思うけれども)。
朝鮮人は、本当に怒ると正気を失うといえるかもしれない。自分の生命などどうなってもいいといった状態になり、牙のある動物になってしまう。口のまわりにあぶくがたまり、いよいよ獣めいた顔つきになる。(中略)遺憾なことだが、この怒りの衝動に我を忘れるといった悪癖は、男性だけの独占ではない。それに捉われた朝鮮の女は、(中略)すさまじい狂暴さを発揮する。女は立ちあがってひどい大声でわめくので、しまいには喉から声が出なくなり、つぎには猛烈に嘔吐する。(中略)どうも朝鮮人は、幼少のときから自分の気分を制御する術を学ぶことがないらしい。子どもも親を見ならって、自分の気に入らないことがあると、まるで気が狂ったように大あばれして、結局、我意を通すか、それとも長くかかって鎮静にもどるか、そのいずれかに落ちつく」(p.68、ホーマー・ハルバート「朝鮮滅亡」太平出版社より)。
 これは朴泰赫「醜い韓国人」(光文社)からの孫引きだが(したがってこれはひ孫引き)、前掲書の補いとしてはちょうどいい。
 ユーラシアと日本の間にはブラキストン線のような人間精神分布上の境界線がくっきり引かれている。その意味で韓国朝鮮はおもしろい。明らかにユーラシアに属していて日本と明確に異なる点(議論好きとか罵倒語とか。韓国人は人に物を差し出すとき右腕に左手を添えるが、マレーシアやウズベキスタンでもそうする。これもあるいはユーラシア的所作か)が多いけれど、韓国独自な点(怒りがここまで嵩じるのなどはそうだろう)、日本と共通している点(世界にまれなほぼ単一民族の国であることなど)もあって、移行空間だと感じられる。どうしても「日本と中国の間」という宿命的な位置から逃れられないようにも感じる。

 いま日韓関係がこじれている。その直接の原因はいわゆる徴用工補償判決だが、こういう分野の素人である筆者にも気がつく重大な問題があると思うのだけれども、なぜそれが議論されないのだろうか(たぶん識者はわかっていて、下手に言及できないので黙っているのだと思うが)。条約締結後も徴用工の個人の請求権があるのかどうかは、法律にうとい私にはよくわからない。あるのかもしれない。しかしことはそんな問題ではない。
 この裁判の原告は徴用工ではなく、会社の工員募集に応募した応募工だという。あの判決は要するに、日本の半島支配は不法であり、その不法な支配下で苦しんだ人々にはそれに対する補償の請求権がある、と言っているのだろう。だから徴用工でない応募工にも補償をしなければならないという論理で、その権利は相続されるらしいから、戦前朝鮮半島に暮らしていた人たちとその子孫、つまり韓国人のほとんど全員に請求権がある。日本には認められない論理だから、対立するのは当然だ。互いの主張がせめぎ合う高度な政治レベルの問題であるばかりでなく、歴史を書くというレベルの問題であるはずで、それを一裁判官が決めるんだって?
 韓国については「ゴールポストが動く」とよく言われる。合意したはずなのに、新たに問題を持ち出されて合意が無効になることがしばしば起こるのだ。退任した大統領が逮捕されることもよくあるどころか、ほとんど原則のようになっている。そんな状態では、うっかりすると前の政権の合意が簡単に覆されるのは当然かなと思ってしまいそうになるが、当然なはずがないだろう。
 これについて、あの国では政権交代は「王朝交代」なのだという解説を読んだ。なるほど、そう考えれば前大統領の逮捕だの合意の破棄だのもわかる。しかし、わかるというのは認めるということではない。300年も続いた王朝が打倒されたあとなら、易姓革命で権力を奪取した新王朝が前王朝を辱め政策を覆して歴史を書き直すのもよかろうが、任期5年ごとにそれを繰り返されてはたまらんよ。およそ近代国家のふるまいではない。ま、北隣には兄や叔父を粛清し暗殺する世襲「皇帝」のいる「王朝」が厳然と存在しているわけで、それよりは多少近代だが、あの国とならあまり慰めになる比較ではあるまい。
 韓国も中国も「正しい歴史認識」を持てと日本に要求する。「歴史を忘れた民族に未来はない」のだそうだが、しかし彼らの言う「正しい歴史」は彼らが主張する歴史であり、それは日本の右派の信じる偏向した歴史と同等かそれ以上に偏向した歴史(逆方向に)である。そこにあるのは歴史ではなくて政治だ。
 「日本海」名称問題などがまさに好例で、あれは朝鮮半島から見てのみ「東海」であり、日本からはそうではないどころか、その反対だ。沿海州から見たらむしろ南海だし、中国で「東海」と言えば東シナ海のことだ。なぜ彼らだけに当てはまる名を国際名称にしなければならないのか、理解不能である。彼らにとって正しいものが、相手にとっても正しく、世界にとっても正しい。彼らがすべての正邪を決定する。ひとり日本海にとどまらず、歴史についてもしかり。それですむならこんな簡単なことはない。中国が地図上に台湾を国として書くなというのとはまったく異なる。彼らは台湾は中国の一部だと主張していて、それに根拠がないわけではない。その主張を認める認めないとは別に。「東海」のほうは自尊独善以外の根拠などまったくない。それなら黄海も「西海」としなければならないわけだが、それを世界が(特に中国が)認めるのか?

 日本と関係悪化、中国とも決してよくはなく、アメリカとも問題をはらんでいる。韓国の現政権は目下北しかよりどころがなくなっている。それを見すかして、ミサイルもしこたま飛ばしつつ、北朝鮮は韓国をものすごいボキャブラリーで罵倒している。なかなかしたたかだ。きわめて粗野だが、これが外交というものだ。だてに瀬戸際外交をやってはいない。譲歩を余儀なくされるだろうし、それが同盟国との軍事協約の破棄なのかもしれない。同一民族であるだけに、韓国人は理性的に行動できないと見切られているとさえ思える。

 非理性ついでに、東京オリンピックもボイコットしたらどうだろうか。彼らのスポーツマンシップの欠如には驚くべきものがある。負けたことが認められないという根本的な欠陥があるので、勝ち負けを競うスポーツには徹底的に不向きだ。負けても負けを認めぬ阿Qの精神勝利法とは違う「喚き散らし勝利法」なので、相手は迷惑なことおびただしい。こんな連中がいなくなればキヨキヨしくなるよ。
 こんなこともあったな。ユヴェントスの韓国での試合でロナウドが出場しなかったことがあの国において大スキャンダルになっているらしい。スウェーデンまで追いかけて行ってロナウドに謝罪せよと要求する韓国人がいたとか。ロナウドSNSには韓国人の罵りの声があふれているそうだ。これが火病だね。ロナウドが45分出場するという項目が契約にあったというのだが、契約が破られたのなら謝罪して違約金を払えばそれですむことだ。謝罪はされていないようで、だから怒っているのだと思うが、その場合も謝るのはロナウド個人ではなく、契約を結んだユヴェントスである。欧米人は要するに肌の白い中国人で、面の皮がおそろしく厚い連中だからたいへんだろうと思うけれど、がんばってユヴェントスから謝罪と違約金を引き出してほしい。ロナウドからではない。なぜそんなことがわからないのか、本当に不思議だ。

 書き終えたあとで表題を見返して、「だめなのは日本だけか?」に見えることに気がついた。うん、日本もだめなんだけどね。それをはるかに超えるものがあるね。

 

ボルネオだより/本溜りから本溜りへ

 日本人がいた外国の土地なら、昔住んでいた人が置いていった本がどこかに溜まっているものだ。結果としてそんな本溜りから本溜りへ渡り歩く生活をしている。もともと捨てていった本だから、誰でも自由に借りられることが多く、それを読んで渇を癒やす。その中には日本では読むことのないような本、読むことができなかった本が混じっていることもあって、こういう機会にそれを手に取るのは海外ならではの楽しみだ。
カトマンドゥではそんな本溜りは古本屋で、金を払って求めなければならないが、読み終わった後にまた引き取ってもらえるから、実質貸本屋みたいなものだ。昔の旅人はよく本を読んでいたものだと思う一方、新しい本が少ないのは、日本人旅行者が減ってきていることのほか、最近は本を読むことが少なくなっているのではないだろうかと少しばかり懸念する。

 ボルネオにも学校や日本人スナックの奥の部屋に本溜りがある。誰が置いていったのか、箱入りの今西錦司編「ポナペ島」復刻版もあった。
 マレーシアについての本を読みたいのだが、それは意外に少ない。若竹七海加門七海/高野宣李「マレー半島すちゃらか紀行」(新潮文庫、1995)、高沢栄子「ジュンパ・ラギ」(長征社、1991)、吉川公雄「サバ紀行」(中公新書、1979)ぐらいのものだ。ほかに、マハティール/石原慎太郎「NOと言えるアジア」(光文社、1994)、渋谷利雄/加藤巌編「アジアから学ぶよい暮らし、よい人生」(八月書館、2016)とか、「日本サラワク協会会誌」、松永典子「多文化・多様化社会における日本語教育理念及び方法論の探求-南方占領地の事例より」(科研費研究成果報告書、2006)なんて非売品もあった。
 日本にいたら絶対に手に取らない。「NOと言えるアジア」は聞いたことがあったし、「すちゃらか紀行」は新潮文庫だから目に触れることはあるかもしれないが、ぱらぱらとめくることもないと断言できる。石原慎太郎だの「すちゃらか」だのだから。しかしここにいれば、ひまにまかせて読む。読めば読んだで、どんな本でも啓蒙啓発されるところはかならずある。
 「NOと言えるアジア」がなぜ出版されたのかよくわかるのに対して(露骨なくらいよくわかる。対米自立を声高に言うネット時代以前のこのころまでの右派は、今のネトウヨ輩よりずっとましだということもわかる)、「アジアから学ぶよい暮らし、よい人生」はなぜ出版されたのかよくわからない。MBAで出世というそぐわない話やいい気な旅行記などもまじっていて、まるで雑多だ。雑誌の特集記事を5倍の長さにしたようなもので、出版不況の中にこれを投じる意図は不明だが、「怒らない社会」マレーシアの観察で腑に落ちるところはいろいろある。「日本ではアジアへのこだわりを持っていないとヨーロッパ中心になってしまう」という言にもまったく同感だ。現在の日本はあきれるほど脱亜入欧してしまっているから。
 「サバ紀行」は1964-67年の学術調査の回想、「ジュンパ・ラギ」は1980年代に海外青年協力隊員としてマレー半島のタイ国境に近い村で働いていた人の生活手記、「マレー半島すちゃらか紀行」は1994年の旅行記である。マレーシアと関わった状況は大いに異なるものの、通観するとこの国の発展のようすがわかる。
 「サバ紀行」では、カンボジアがもともとの調査目的地であったのだが、許可がおりなかった。それで、カンボジアのビザを取るために大使館に行ったとき偶然に会い、再びカンボジアでも偶然に会ったインド系マレーシア人の勧めに従って、急遽マレーシアを調査地にするという、大らかなというか、行き当たりばったりないきさつがまずおもしろい。関わる人たちがみなやさしくて親切なのはどうしたことだろうと思う。マレー系やインド系マレーシア人が日本人に好意的なのはいいけれど、半島の中華系の人たちもそうなのにはちょっと驚くのだが。終戦から20年もたっておらず、まだ記憶は生々しいはずだ。シンガポールはもちろん、マレー半島でも日本軍が華僑虐殺をやっていたのを知っていて読むと、すごいなと思う。日本人がきらいな人は近寄って来ない、だから文中に現われないのだろうが、それだけでは説明できない人の好さがあるように思える。
 「ジュンパ・ラギ」では、タクシーで村に帰るときのエピソードがおもしろかった。夜7時、もうバスがないのでタクシーに乗ったら、途中で知り合いの男を勝手に同乗させる。女の子だから、どうにかされて殺されるのではないかと緊張していたら、実は運転手のほうが怖がっていた。ゲリラを。昔はゲリラが出没し、恐れられていたことがわかるし、協力隊員が派遣されるようなところならもうその心配はないはずだが、恐怖はそのあとも残っていたというわけだ。
 「マレー半島すちゃらか紀行」は、軽薄に書いているが、背筋はしっかりある。「阿房列車」が好き、金子光晴の放浪の旅にあこがれがあり、戦争のことも知っている、という旅以前の資質の部分がいいからだ。観光旅行は好きでないが、もし観光旅行をするとすればたぶんこういうところに行くだろうという趣味の一致もある。
 洗濯屋の月給が500リンギット(2万円)というのに感じるところがあった。途上国ならそのくらいであることに不思議はなく、自分自身がその程度の認識でこの地にやってきて、物価もだが、生活の質がその予期とかなり違って高いのに面食らった。3、4台車をもっているのがざらだもの。四半世紀前で認識が止まっていたわけだ。私の個人的な怠惰ではなく、おそらく少なからぬ日本人の認識はそのあたりで凍りついたままなのだろうが、世界はどんどん進んでいる。「NOと言えるアジア」で、マレーシアが2020年までに先進国入りするのを目指していると知って、先進国でこそなけれ、その手前にはたしかに達している目前の驚嘆のボルネオの状況に納得した。密林の首狩り族のイメージを捨てきれていない男など、はるかに時代に追い越されているわけだ。

 その首狩り族の時代の最末期(先の大戦末期。敗残日本兵は首を狩られたらしい)のことは「日本サラワク協会会誌」(2-6号卒読、1988-92)でうかがえる。これはいわば「戦友会誌」で、戦時中サラワクに駐留していた人たちの会として始まったもののようだ。昔を懐かしんだり、慰霊につとめたりするのはそういう会として当然と理解できるが、「戦友会の人達だから無理はないと思うが、皆さんは遺骨を掘ったり標柱を建てたり記念碑を建てる話ばかりしていて、現在の吾々に協力して国造りの為に何かをしていと云う申出を実は聞いたことがない」「率直に言わせて貰うと吾々の国の方々に戦争の思い出を残して貰うことはもうまっぴらである」「できたらこの辺で戦争の話などはやめて次の時代に役立つようなことを考えて貰いたい」などという現地の人たちの苦言を紹介しているのは、自省が働いていてけっこうだ(第2号、p.11f.)。
 そこに橋本風車「ボルネオ博物誌」というのが連載されていた。もともと出版されたものの再録らしい。戦時中石油の出るミリ(ブルネイの近く)に駐留していた人である。蟻だのドリアンだの、ものを語ることで駐留時代の回想をしている。ふつうの戦記と違い、非常におもしろい。最末期に戦闘があっただけの余裕のある恵まれた駐留だったためでもあるのだろうが、前線の兵士にしても、実際に戦っている時間より兵舎の日常を生きている時間のほうがずっと長かったはずだ。虚心に観察する人は、運転手の仕事は車を運転することではなく、車を止めて待つことだと気づくはず。それと同じである。これはのどかすぎるにしても、兵隊の仕事はのらくらすることだと道破されてもいいのではないか。描かれる南方点景も興味深い。埋もれた教養人だ。再版されてもいいと思う。

 「多文化・多様化社会における日本語教育理念及び方法論の探求」の著者も1991-93年にマレーシアで協力隊員をしていて、その後研究者になった。
 北ボルネオでの戦争中の日本語教育について調べたもので、空白部分を埋める作業である。半島部については研究が進んでいても、サバ、サラワクは手つかずの状態だから、やるべきことではあるけれど、大した教育は行なわれておらず、したがってよくわからないというのが実情だとわかる。おもしろいのは「錬成教育」で、これは率先垂範、心身を鍛錬すること、体得することを方法とするもの。それによって「国(公共)のために貢献する」「規律・規範を守る」「労働を重んじる」という価値観を教え込む。儀式的・身体儀礼的な訓練、歌による日本語の普及、実務に即した会話教育が特徴だが、日本語教授法の未熟と教員の不足によって取られた方法であるという面は否めず、考え抜かれた上で採用されたとは言えない代物だが、かえってイマージョンなどの現代の方法に通じる点がある。一定の効果をあげたのもたしかで、次のような回想もある。
「彼らは教育を通じて、私たちマレー人に農場や工場での仕事が机上の仕事以上に大切なものであることを気付かせてくれました。彼らは格好の良い仕事のみを求め、農作業などのきつい仕事を蔑視し、ただ現実離れした日常の享楽のみを追求していた私たちの勤労意識に変化をもたらしたのです。
私たちは、身分や職業が何であれ、努力を怠らず一生懸命働けば、国の発展に貢献できるということを学んだのです。この時期の経験は私の教育理念や人生観に最も強い影響を与えました」(p.52)。
 ヨーロッパ人の植民地体制は厳然たる身分制社会であったし、インドのカースト社会も、中国の士大夫社会もそうであるのに対し、上に立つ者も体を動かすことを恥じず、掃除カーストにまかせず生徒が学校の掃除をするような日本的「四民平等」社会の価値観を前面に押し出している。それは意味のないことではないと思う。
 こういう教育方法に対して、華僑、特にイギリスのエリート教育を受けた者からは、「無教育」「愚民教育」とか「強制的な奴隷化教育」などという言われようをしている。同意できる面もあるが、そういう彼らの受けていた植民地支配者による教育は「買弁教育」、中間搾取階級になるための教育だということも忘れてはならない。ここでは、「教育は如何なる場合にも必ずもとの群から出てしまい、以前の自分たちと同じ者を食いものにし、又は少なくとも彼等を家来にしようとする」(「現代科学といふこと」)という柳田国男の核心を衝く指摘を思い出すべきである。
 パラオの人々が親日的であるということはよく聞くが、「ポナペ島」探検隊も島民の日本人に対する親近感を感じていた。「兄事」するような態度だったようだ。上記マレー人の日本式教育への評価とともに考えるべきであろう。日本人は間違いなく南洋的気質を持っている。類は友を呼んで、南洋的な人々は日本に親しみを感じるのだと言えるのではないか。悪儒教的な大陸とは違う、言挙げをしない武士的ゆる儒教のありかたも関係するかもしれない。日本人も首狩り族で、戦国時代は敵の首を斬り取ることに血道をあげていたわけだし。南洋土人は日本人の兄弟だ、というより、日本人そのものかもしれない。

ボルネオだより/チキ菜食・チキ断食

 ラマダンが終わった。これはたいへんいい習慣で、トルコにいたときそのまねごとをしたことがある。だがいいかげんなインチキ断食で、要するに昼食を食べないだけ。朝食を夜明け前にとるわけでも、夕食を日没後に食べるわけでもなく、まして日中水を飲まないわけでもない。日中断食をしている学生たちにささやかな連帯の気持ちを持っただけのこと。もとよりムスリムではないので、するべきいわれはまったくない。ここボルネオでは、ムスリムのマレー人は生徒の3割程度だから、今回は別に連帯しなかった。しかし、褒むべき習慣であることは間違いない。マレーシアでは断食明けにオープンハウスという習わしがあり、誰でも家に入って飲食を受けられる。イスラムを非難するのはまず断食をしてからにしてもらいたい。
 周囲に影響されやすい人間なので、菜食もインドで実践していた。インド人の4割がヴェジタリアンだそうだが、学生には祭司・学者カーストのブラーミンが多く、彼らはみなヴェジタリアン。そういう人たちに囲まれていたので、それに倣ったわけだ。下宿先が孤児院の2階で、そこはガンジー主義の団体が運営しているから、当然宿舎の子供たちも菜食だった。それにも影響されている(なお、インド人からは相槌として首を振る癖もうつされた。いろんなものにかぶれる)。
 といっても、卵も魚も食べていた。ベンガル地方のブラーミンは魚を食べるとどこかで読んで以来、ベンガル・ヴェジタリアンと称していたが、なに、江戸時代の日本人である。こちらもインチキ菜食で、この形態なら明日からでも日本人は実行できるはずだ(はずだが、現代の日本人はすっかり四つ足喰らいになってしまっているから、案外むずかしいのかもしれない)。
 宗教行為であるラマダン断食は倣いにくいが、菜食には取り立てて宗教色はなく、あってもわれわれに親しい仏教色だし、それを離れてもまことにもっていいことだから、なるべくやりたいとは思っているが、なにせ主義でも何でもないインチキ菜食だから、すぐに掟破りをする。肉食文化の国では菜食メニューが乏しいから、そんなときは平気で肉食。誰かに招かれたときや誰かといっしょに食事するときも、出された料理勧められた料理を何のためらいもなくおいしくいただき、一粒も残さない。菜食「主義者」では全然ない。菜食メニューが豊富なら喜んで菜食するだけのことだ。
 ボルネオでは、中国人のやっている店でも菜食がけっこうある(「素」と書いてある)。豚肉命の人々だと思っていたから、ちょっと意外だ。コロミーという麺料理が好きなのだけども、それにもヴェジタリアン・コロミーがあって、もっぱらそちらを注文する。そっちのほうが肉食ヴァージョンより安いのだから、言うことない。それで、ほとんどはそういう店に通いつつ、ときに肉を口にすることがあっても気にせずに、日々を過ごしている。もちろん海鮮はいただきつつ。
 呑酒民族である欧米人中国人とばかりつきあっているので気がつかないが(日本人自身が泥酔終電乗りすごし民族だし)、酒を飲まない人々というのも世界にはけっこう多くて、これもまことにいいことだ(ムスリム移民と結婚してイスラム教徒になったイギリス人女性を取り上げた番組で、酔っ払って帰って来ないのが彼と結婚してよかったことだと漏らしていたのにはうなずいた)。しかしこれには倣う気はない。酒は神様の飲み物だからね。
 神様は獣肉を召し上がることもあるが(諏訪など)、だいたいは魚肉で満足されているようで、それならこのチキ菜食は御心にもかなうのではないか。よきかな、よきかな。神ながらだ。

ボルネオだより/読める

 ボルネオでうれしいことのひとつは、表示がわかることだ。ローマ字と漢字。ともに私の読める文字である。モスクにはアラビア文字ヒンドゥー寺院にはタミール文字を見かけることもあるけれど、それは装飾みたいなものだ。マレー語と英語はローマ字で、中国語は漢字と、それからローマ字でも表記されている。漢字では中華系(住民の3割以上を占める)以外には理解できないから。中華系でも漢字がほとんど読めない人はけっこういるし。その漢字は正字だったり簡体字だったり、左起横書きだったり右起横書きだったりしているけども(縦書きもまれに)、どれであろうと文句はない。とにかく読める。マレー語はわからないが、わからなくてもそれが読めるというのはありがたい。読めない文字ばかりで書いてあるのはつらい。位置感覚を喪失してしまう。
 行く前にロシア語もキリル文字も少しは習っていたけれど、最初の頃はモスクワの地下鉄に乗るのはけっこうなストレスだった。すべてキリル文字表記で、一生懸命解読するのだが、わずかな停車時間では無理だし、下車してからもどっちへ進んだらいいのかわからない。ふつうの列車なら風景が見えるからそれが情報を与えてくれるが、壁しか見えない地下鉄では表記の文字しかよるべがないからたいへんだった。この文字に慣れてからは、奇妙なアルメニア文字表記の間にキリル文字を見つけるとほっとしたものだが。
 私が読めるのは、日本語で使うひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字のほかにはこのキリル文字ぐらいで、サンスクリット文字・カンナダ文字・アルメニア文字・ハングルは手ほどきを受けたことはあるが、読めない。解読できるとも言えない。それがその文字であることがわかるだけ。
 古い文明大陸であるアジアは、文字の大陸である。ユーラシアにおいてローマ字(ラテン文字)が占める面積は非常に限られている。英語やフランス語が補助言語として習われているからローマ字が読める人が多いだけで、その土地の言語がローマ字で表記されている地域は実は限られている。話を世界に広げてみると理由がよくわかる。ローマ字国というのはキリスト教国なのだ(正教は除く。正教国はギリシャ文字キリル文字だ)。そして、キリスト教はほとんど野蛮人の間(ヨーロッパがその筆頭)にしか広まらない宗教なので、新大陸やブラックアフリカをその領土としている。アジアでキリスト教なのは、文明にしっかり浴する前に植民地化されたフィリピンのみ。宗教的な理由以外でローマ字を国字として受け入れたのは、トルコやウズベキスタン、マレーシア、インドネシアベトナムぐらいであり、それぞれそうするだけの事情があった。アラビア文字イスラム文字として広まったが、あれは本来セム語表記のための子音文字で、セム語以外の言語の表記には向いていない。だからトルコやマレーシア、インドネシアはより自言語表記に適しているローマ字に乗り換えた。ベトナムは漢字圏だが、とにかくあの表意文字の漢字というのは数が多すぎて困る。韓国朝鮮はハングルというものがあったからそちらに切り替えることができたが、ベトナムの字喃はそうできるほど整ったものでなかったため、ローマ字にしたわけだけれども、やたら補助記号が多くて、残念な気がする。アラビア文字を使い続けているイランは、立ち返るには中世ペルシャの文字は欠陥が多く、世俗主義を打ち出したトルコと違いイスラムシーア派の正宗だから、よもやラテン文字に変改することはあるまい。国字以外ならローマ字表記言語はけっこう多いのだが、それらはつまり欧米の支配下に入るまで無文字言語だったということだ。
 マレーシアはイスラム教国だけれど、実はボルネオではキリスト教徒のほうが多いのではないかと思われる。ムスリムのマレー人より人口の多い無文字民族の先住民(元首狩り族)がキリスト教に改宗しているからだが、このこともキリスト教を受け入れるのがどんな人々であるかをよく示している。
 わかるのが当たり前なのではない。わからないのが当たり前なのだ、と知るべきだ。新興成り上がりでない古い文明地域では。だからわかるマレーシアの表示が心地よいのだが、よく考えてみれば、その心地よさを支えているのはあの無数の漢字の看板だ。われわれが読めて、世界の大半が読めないあの文字の。それがそのことの証明になっている。
 なお、ボルネオではひらがなカタカナもときどき見かける。日本料理店にあったり日本製品に書いてあったりするのは別に驚くことではないが、日本へ輸出するとも思われぬマレーシアの製品にまで書いてあるのにはやはり驚く。自動販売機に「ぬいぐるみの自動販売機」(UFOキャッチャーだから「ぬいぐるみの自動販売機」ではないのだが)「ハッピー自動販売機」だの、ホテルが「ボルネオホテル」だの。この国の人たちはかなが読めるのか? 紙に「かみ」と書いてあるのも不思議で、「紙」と書けば日本人も中国人もわかるから、そのほうがいいだろうに。モスクのアラビア文字ヒンドゥー寺院のタミール文字と同じく装飾の一種なのだろうが、しかしなぜという疑問は残る。かなはクールなのか? ま、これも読めるからうれしいんだけどね。